第2話 妹に話しました

夏の日差しが明るい。

「梨奈、起きなさい。夏休みだからっていつまでも寝てたらだめでしょ」

「ふ、ああ…もう少し寝かせて」

梨奈はあくびをひとつして、もう一度布団に潜る。

「だめ! 今日はお昼当番、梨奈の番でしょう」

長い休みとなれば昼食くらいは自分たちで作ろうと決めていたのに。今日は妹の梨奈の番だけれど、甘えきっている。

「んー、お姉ちゃんがつくって…」

「もう…冷やし中華とパスタ、どっちがいい?」

「パスタ!」

つん、と私は妹の鼻をつついた。

「わかった。じゃ、冷やしトマトがあるから、冷製パスタにしましょう」

ファルーシャの記憶を取り戻してから明けて朝、家事ですら楽しくて仕方ない。自分の世話を他人にすべて委ねていたときよりも自由を感じるせいだ。

「わ~い。お姉ちゃん、大好き!」

「ふふっ。くすぐったいったら」

梨奈は無邪気に抱きついてきた。

頭を撫でると、彼女は呆けたようにこちらを見た。

「…駄目って言わないの?」

「駄目って…何が?」

梨奈は私から離れると、後ろ手を組んで俯いた。

「いつもなら、もう梨奈も高校生なんだから甘えないで~っとか言うのに…」

私は首を傾げてしまう。

確かにそういう反応をしていた記憶がある。中学生ならまだしも、高校に進学して学校が分かれたあたりから、恥ずかしさが生まれたのだろう。姉妹でのスキンシップを遠ざけるようになった記憶はあった。

けれど、何故そうしてしまったか、その態度の根底にある感情が欠片も思い出せない。今の私にはわからない。上下の感覚を失った鳥のようにその気持ちをどちらに向わせるべきか見失ってしまう。

気恥ずかしかった? 単に大人だからって遠ざけた? 何か理由があって嫌気がさしていた…?

それにしても、梨奈にまで態度の違いに気付かれてしまうとは。

ファルーシャとしては素直で余ったれな妹がいることが嬉しくてならないのに。

「えーっと、そ、そういう感じだったよね、うん。でも、いいじゃない。夏休みだし…実の姉妹だし、仲良くしてた方が楽しいかなーって…ほ、ほら。お姉ちゃんも大人げなかったっていうか…」

そうそう。夏休みだし、梨奈と自分は妹と姉。同じ家にずっといる家族同士で仲良くすることに問題はない。強引な気はしたが、当然の理屈を述べた。

「そ、そっか…。わかった…。姉妹、だもん、ね…。私、下で待ってる…」

梨奈の瞳が寂しげに翳った。部屋を出て行ってしまう。

何かが間違っていたのかもしれない。

「難しい子ね…」

思わずファルーシャの口調で呟いた。

レーヌ家の一人っ子だったファルーシャとして思い返せば、妹がいるだけで何だか幸せだ。姉に甘えられる方が梨奈も嬉しいのではないの…?

疑問を感じつつも下の階に降りて、キッチンに入り冷蔵庫を確認する。野菜を取り出して、包丁を入れる。

昨日は楽しかった。

日常が、かけがえのないものだとファルーシャの記憶を取り戻した今ではわかる。

令嬢としての立場では恋をすることも恋されることも許されなかった。親類縁者や婚約相手に対して恥ずかしくないよう振舞うことしか頭になかった。だから、ファルーシャとしての自覚がありながら屈託なく過ごせる今は天国のようだ。

今、鏑木玲奈はどこにでもいる代わり映えのしない人間だ。けれどそれでいい。重荷を背負って家の名と共に死んだように生きるより、ずっといい。

お父さんがいてお母さんがいて、妹がいて。優しいお隣さんと家族ぐるみのお付き合い。ご馳走の準備をして、一緒に美味しいものを食べて、お喋りして。あんなに真剣な告白を保留したのに、りえはこだわりなく接してくれて準備を手伝ってくれた。

そう。

いつもと同じで優しかった、よね…

昨日のことを詳しく思い出すと頬が熱くなる。

「ね。お姉ちゃん、昨日、何かあった…?」

キッチンカウンターの向こうの梨奈から湿った空気が漂ってくる。

「へ…?」

「だって料理しながら鼻歌うたってるところなんて初めて見たもん」

気付いていなかった。

気まずくて恥ずかしくて別の意味で頬が赤くなってしまう。

「えっと、別に何でもないの」

「そうかなあ? 昨日はさ。りえもいつもと違ったんだよね。やけに機嫌がいいっていうか…ふっきれたような感じで」

梨奈は既に何かに気付いている。

だからといってごまかしたり、嘘をつくのも可哀相かもしれない。

その場その場での気持ちは思い出せないけれども、わかる。

梨奈は感受性が鋭い。そのくせ妙に遠慮するから悩みを抱えがちだ。ずっと一緒に育った幼馴染のりえ、妹の梨奈、自分。そこに秘密が生まれると、いつでも真っ先に気付くのは梨奈だった…という記憶がある。

「梨奈にはかなわないわね…話すから待ってて」

「! うん…」

手早く冷製パスタを仕上げる。梨奈の待っている食卓に運ぶ。いただきますの挨拶をしても、梨奈にじっと見られて落ち着かない。仕方なく、私は切り出した。

「実は…。えっと…」

「うん…」

「昨日、りえに好きだって言われたの。その…幼馴染だとか友達って意味でなく…」

梨奈が目を丸くする。

「そ、それ…! 何て返事したの?」

「えっ? へ、返事?」

女の子同士ってことより、そこが気になるの…?

面食らう。ずっと一緒にいたりえが告白してきたことよりも、そこに食らいつく梨奈が不思議だ。幼馴染に私をとられちゃう気分なのかな…

「りえと付き合うの?」

「ふぇっ? つ、つき、付き合う…?」

「そういうことでしょ?」

「あ…あの、まだ保留中よ。その…私の気持ちが定まらないから…」

不意の問いかけにどう返事していいかわからない。確かに告白を受け入れたら、お付き合いが始まることになる。

けど、そんなに先のことまで考えていなかったかも。

「定まらない…? そう、なんだ…?」

何故か梨奈は更に落ち込んでしまった。

予想と異なる反応に戸惑う。

「じゃあ、お姉ちゃんは今誰か好きな人がいるとかじゃなくって、だからってりえが好きかどうかもわからないんだ…?」

「う…」

 そう言われると中途半端な自分が情けなくなってくる。

 けれど、梨奈の落ち込みようは私の曖昧な態度への非難というよりもふてくされて拗ねているだけにも見えた。

梨奈に対してファルーシャの記憶まで明かすには及ばない。

告白の話は共有しても大丈夫だと思っていた。けれど、妹からはきのこ栽培ができそうな湿気が漂ってくる。いたいけな瞳が潤み、ぽろぽろっと涙が零れた。

「やだ…お姉ちゃんとりえが付き合ったりしたら…」

「り、梨奈…!」

玲奈は慌てて梨奈のそばに行き目元を拭うとぎゅっと抱きしめた。梨奈は何度もやだやだと言いながらこちらの胸に顔を埋めてくる。肩を震わせて余計に泣いてしまう。私は思案する。

ずっと変わりないままでいたかった、のかな…?

急に恋愛話をされたことが嫌だったのかもしれない。

「いきなり変な話をしてごめんね。大丈夫…何も変わらないから。何があってもずっと梨奈のお姉ちゃんだもの」

「……!」

梨奈の肩が大きく震えた。表情は見えないが効果を発したようだ。

「そっ…かあ。そう、だよね…。そっかあ…。お姉ちゃん、だもんね…」

梨奈は顔をあげた。

 気持ちが伝わったことを確かめて、私は笑顔で頷く。

「ね。お姉ちゃん。受け取ってほしいものがあるの」

梨奈は、ダイニングテーブルから二枚の紙片を持ってきた。

「本当はね、梨奈ね、お姉ちゃんと二人で行きたかったけど…りえと二人で行ってきて」

「え。これって…?」

玲奈たちの住む桜の丘町にもうすぐ開園する遊園地の入場券だった。桜の丘ホリデーランド。私たちの住む桜の丘町についに華々しいスポットができると話題の遊園地だ。ニュースや広告でも宣伝されていた。

ただ、その影響で予約が殺到して住民でもチケットは入手しづらかったはずだ。

「どうしたの? このチケット」

「たまたまだよお。商店街の宝くじで当たったの」

「でも、いいの? 梨奈がお友達と行ってくればいいのに…」

「……」

また寂しげな目をするので、慌てて訂正する。

「ご、ごめん! お姉ちゃんと二人で行こう? ねっ」

「ううん、梨奈は大丈夫だから…」

本当にいいのかな…?

つらそうな梨奈が心配だ。

「その代わり、今日は一日、梨奈とデートしてくれる? せっかく新しい場所に行くんだし。梨奈がお洋服見立ててあげる」

拗ねた顔はそのままだが、元気を取り戻している。特に予定もないし、梨奈が落ち着くならそれがいい。私は頷いた。

「ありがとう、梨奈。食べたら一緒に出かけましょう」

「うんっ」

梨奈は笑顔だ。

機嫌を取り戻してくれて良かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る