第11話 心の隙間

 もう一度大学1年生に戻ってから約4ヶ月。


 私は少しは変われたのかな。私の寿命はあと8ヶ月……なのかな。いやそうなのだ。そう思わないと私はまた一歩を踏み出せずに……。


 この不思議な体験はきっと桜の神様がくれたチャンスなんだと思いたい。


 だから今度こそ……きっと私は。


 ***

 そして夏休みが始まった。

 前回は、ほとんど何事も無く過ぎていった夏休みが始まった。


 大学生になり、少しは夏休みの過ごし方も変わるかと思ったけれど、結局は自分が変わらなければ変わらない。


 颯ちゃんに雪那ちゃんという彼女ができて、毎年行っていた夏祭りも行かなくなった。

 引き算でしかなかった夏休み。


 でも今回は違うよね。

 雪那ちゃんの実家に行ってペンションの手伝いをして、キャンプの予定まで入っている。

 全く新しい夏休み。引き算にはならないよね。

 うん。きっと大丈夫。


「おや。なんだか嬉しそうですね。七瀬さん」


 文芸サークルの部室のパソコンに向かい、活動の一つである小説を書いていると、顧問の佐々木先生が入ってくる。

 夏休みに入り、ほとんどの部員の部室への出入りはなくなる。

 そんな中、この小説に囲まれた空間で私は、コンクールに提出するための小説を書いていた。


 来年の還暦を控え、白く薄くなった髪に手を乗せながら楽しそうにパソコンを覗き込む姿は、小説を待ちきれない少年のように何かを期待する。そんな表情だ。


「あっ佐々木先生。おはようございます」


「はい。おはようございます。今日はとっても指の動きが軽やかで、おっとそれなら邪魔しないほうがよさそうですね。失敬失敬。私は隅で静かにこれを読んでいますね」


 そう言って手に持っている分厚い小説を軽くあげ、隅へと向かう。活字中毒の先生らしいチョイスだと思う。

 そして、確かに今日は筆がよく進む。


 佐々木先生に挨拶し、再びパソコンに向き合った私の指先は、視界から消えた佐々木先生の事を気にすることもなく、次々と頭の中で生まれた新しい物語を文字へと変える。

 そして私は、頭の中の想像が現実になるよう一文字一文字に祈りを込め、陽が落ちるまで打ち続けた。


 ***


「おっ。とうとう先輩。全国ツアーですか」


 休憩中。バイト先の先輩である中山さんのツアーのスケジュール表を見ながら喜びを共有する。

 バイトを始めた当初からよくしてもらっている先輩の初の全国ツアーを喜ばないはずがない。


「あぁ。やっとだよ。マネージャーから話を貰ってメンバー全員で金貯めて。やっとだ。会場は小さいけどスッゲー歴史のあるところばっかりなんだよ」


 そう言って休憩室で先輩はぐっと拳に力を込め握り、テーブルに置いてある煙草を取り出し火を点ける。


 一日の殆どを割りの良いバイトを掛け持ちし、先輩はお金を稼いでいた。

 髪型にうるさい飲食系は出来ないけどな、と話していた先輩は、コンビニに警備員、ガソリンスタンドと幾つもバイトをこなしそのバイト代で今回初の全国ツアーの資金を貯めた。


「凄いっすね。先輩。俺なんてコンビニだけでいっぱいいっぱいですよ」


 本当に想像するだけでもぐったりする。さらにバンドの練習もこなすこの人は、いつ休んでるんだろう。


「慣れだよ。慣れ」


 そう言いながら、タバコの灰を灰皿へと落とす。


 その間もスケジュールから一切離れることのない視線が、先輩のツアーにかける覚悟を感じさせた。


「横浜でもやるんですよね」


「おぉ。もちろん横浜は9月に戻って来る予定だな。颯真は、夏休みもここに入るのか?」


「いえ。自分も夏休み中はシフト入れてないですね。同級生の実家が長野なんでペンションの手伝いをする予定なんです」


「へー。長野のペンションつったら軽井沢?」


「いえ野尻湖の辺りみたいです」


「そっかそっか。そっちも有名な避暑地だ。いいとこだな。学生同士の短期バイトか。青春だねー。俺もそんな頃あったなー」


 そう言って短くなった煙草を灰皿に押しつけ火を消し、灰皿へと捨てた。

 そんな動作が一々男の俺でもドキっとさせる。


「そんなんじゃないですよ。かなり忙しいみたいなんで、青春してる暇ないと思いますし……」


「なんだよ。颯真は意外と初心だな。そういや最近あの可愛い子顔出さないじゃん」


「雪那のことですか?」


 先輩に紹介した事なかったと思うけど……。なんで知ってるんだ?

 雪那のバイトの時間とタイミングが合わなくて紹介出来ずにいたんだよな。


「雪?春っぽい名前で読んでなかったか?」


「えっいやあいつは幼馴染で」


 あっ春佳の事だったのか。そういえば何度か先輩に会ってるもんな。


「ほー。幼馴染ねぇ。なんだ。彼女じゃないのか。それにしても彼女、初めてここで会った時とずいぶん印象が変わったよな」


 先輩がなんだか言いたそうな顔でくくっと笑う。


「え?」


「彼氏でも出来たのか?」


「いやいやそんなはずないですよ。あいつが男と……」


 いないよな。


「へーさすが幼馴染様 で? 春ちゃんに彼氏が出来たらどうすんの?」


「えっそれは……」


 考えたことなかった。


 俺には雪がいる。じゃあ春に彼氏が出来たら?

 今までずっと一緒にいた。生まれてから幼稚園も小・中・高。そして大学だって。


 これからだってずっと一緒……に?


 先輩のタバコの先からでた最後の煙が視界をぼやけさせる。

 今まで当たり前のように過ごしていた。そして気付いてしまった。そんな事、考えた事もなかった事に。


「は〜。春ちゃんもかわいそうだねぇ」


 やれやれと言った表情で席を立つ先輩の後ろ姿を見送った後の記憶は、ほとんどない。


 いつもの仕事を淡々とこなしながら、頭の中は春佳に彼氏がいる想像で埋め尽くされていた。

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