第18変 結局、あんたも私に騙された一人なのよ。

 学校に入ると、沢山の女子生徒が近づいてくる。

 俺にではなく晴翔に。


「晴翔くん、おはよ!」

「津久井さん、おはようございます」

「晴翔、おっはよ〜」


 今日も晴翔はモテモテだ。


「おはよう、子猫ちゃん達。今日も一段と可愛いね。朝から子猫ちゃん達を見れるなんて……。ああ、僕はなんて幸せなんだ!」


 その場にいた全員が歓声を上げる。すると、晴翔は近くにいた女子に近づく。


「ん? 子猫ちゃん、いつもと雰囲気が違うね。……もしかして、髪を切ったのかい? とても似合うよ」


 晴翔はにっこり笑った。その瞬間、女子は幸せそうな顔で膝から崩れ落ちる。


「大丈夫かい!?」

「は、はい♡」

「子猫ちゃんに、何もないようでよかったよ」


 再び歓声が起こる。


「……よくあんなことが言えるな」

「いつものことです。ほっといて、先に行きましょう」

「ああ、そうだな」


 俺と久保は教室に向かう。四階に一年の教室があるため、階段を昇る。少し歩くと、教室の前に着く。


「それでは入りましょうか」


 久保はそう言うと、教室の扉を開けた。その瞬間、一人の女子が飛び出てくる。二人は勢いよくぶつかった。


「ご、ごめんなさい」

「いえ。こちらこそすみません。お怪我はありませんか?」

「は、はい。……えっ、く、久保さん!?」


 突然、女子生徒は顔を真っ赤にして涙を流す。


「え? あ、あの、本当に大丈夫ですか?」

「は、はい。まさか、私が久保さん、いえ、久保様と会話をできるなんて思っていませんでした」

「久保……様……」


 思いもよらない言葉に、久保は困惑しているようだ。


「私、久保様の大ファンなんです。もしよかったら、握手してください」

「その。えっと、は、はい?」


 そう言うと、周りにいた女子達も久保の周りに集まってくる。みんな久保の大ファンらしい。私も私も、と握手を求めている。

 二人共、人気者だ。一方、俺には誰からも声がかからない。嫉妬の眼差しで見られるだけだ。

 どうしてだろうか、悲しくなってきた。


「洲本くん! おはよう」


 声がした方向を見る。

 そこには狐の仮面が印象的で、栗色の髪の毛をツーサイドアップに結んでいる女子生徒がいた。


 彼女の名前は『小倉おぐら志乃しの


 小倉さんは学校のみんなから『女神』と呼ばれている。とても優しく、誰に対しても分け隔てなく接することができるからだ。噂だと、小倉さんに救われた人が何人もいるとか。

 ちなみに俺の隣の席でもあり、久保と晴翔以外で唯一、俺を苗字で呼んでくれる一人だ。

 そんな彼女だが、一つだけ不思議なところがある。それはお祭りとかでよく売っている、白と赤の狐の仮面を被っていることだ。彼女はずっと仮面をつけているため、彼女の素顔を見た人は誰もいない。


「あ、お」


 挨拶を返そうと思ったが、声が出ない。そのため、小さく頭を下げる。

 年上や年下とは何とか話せるが、どうして同級生相手だとこんなになるんだ……。


「……えへへ。おはよう!」


 小倉さんは小さく手を振る。手を動かすたびに髪の毛がふわっと揺れる。


「あ、洲本くん、ちょっと動かないでね」


 ち、近い。久保以外の女子には免疫がないため、油断すると顔が赤くなりそうだ。

 小倉さんは、俺の肩についていた糸屑を優しく、手で払ってくれた。


「よし、これで大丈夫だよ」

「あ、ありがとうございます」

「ううん。これくらい、当然だよ。それより、もう少しでチャイム鳴るから、早く教室に入ろ!」


 俺は再び頷いた。



 そして放課後になる。俺はつい、久保と晴翔と話し込んでしまっていた。しばらくすると教室に俺達しか残っていないことに気づく。


「あ、そろそろ帰るか」

「そうですね。思ったよりも話し込んでしまいました」

「そうだな。……ん? 晴翔?」

「早速だが、かくれんぼをしないかい?」

「は?」


 意味が分からない。どうして急にこんなこと言い出したんだ? いや、いつものことか。


「津久井。あなたは本当に馬鹿ですね」

「ば、馬鹿」

「学校でかくれんぼ? しかも、帰ろうとしていたこの状況で? もう少しTPOをわきまえてみたらどうですか?」


 それだと、学校でスイカ割りしたことはどうなるんだ……。そっちの方がまずい気がするんだが。


「てぃーぴーおー? 東京、ポン酢、王国……? 東京はポン酢王国だったのかい?」

「馬鹿だな」

「馬鹿ですね」

「え?」

「それで、何でかくれんぼがやりたいんだ?」


 一番気になっていた所を聞く。


「いい質問じゃないか! それは、かくれんぼがやりたくなったからさ!」

「それだけか?」

「そうさ」

「よし、帰るか」

「私も帰ります」

「ちょっ、ちょっと待ってくれないかい?」


 帰ろうとすると、晴翔が俺の腕を掴む。


「何だ?」

「よく考えてみてくれないかい? 放課後で、しかもほとんどの人がもう既に帰っている状態のこの学校で、かくれんぼをする……想像してみるとすごくわくわくしてこないかい?」


 想像してみる。……少し楽しそうだ。


「まあ」

「そうだろう? せっかくの機会なんだから、今やらないと損だと思うんだ。この先、二度とこんなチャンスが訪れないかもしれない」


 何が晴翔をこんなに一生懸命にさせるんだ。


「……分かった。やろう」

「え!?」


 久保が驚く。


「こうなった晴翔は絶対引かない。そうだろ?」

「確かにそうですが……。はぁ、仕方ありませんね」

「裕、花織! ありがとう。ああ、二人はまるで僕の願いを聞いてくれる、神様のようだ」

「それで、隠れる場所とかはどうするんだ? 三人でやるんだろ? 校舎全部使うのは流石に広すぎないか」

「確かにそうだね。それじゃあ、この階だけということにしよう。他の階への移動は禁止さ」

「あとは、人に迷惑をかけないこともルールにしましょう。危険な場所で隠れたり、勉強や部活動をしている生徒の邪魔をしないこと」

「分かった」


 俺は頷く。


「それじゃあ、早速始めようか。鬼はじゃんけんで決めていいかい?」

「ああ」

「ええ。問題ありません」


 久保がそう言い終わると、じゃんけんを始める。

 俺と晴翔はグーを出し、久保はチョキを出す。じゃんけんの結果、久保が鬼となった。


「私ですか……。それでは一分程で探しに行きます」


 俺と晴翔は急いで教室から出て、隠れ場所を探すためにしばらく歩き回る。すると、いい隠れ場所を見つけた。

 掃除道具入れの中だ。


「埃っぽいな」


 掃除道具入れの中は埃ぽかった。それでも耐えきれそうなので、中に入る。中は狭く、ギリギリ入れるぐらいだ。扉の中央より少し上あたりに隙間があり、そこから外の景色を見ることができる。しばらくすると、外から足跡が聞こえてきた。もう一分経っているから久保だろうか?


「ん?」


 その足音はこの部屋の前で止まる。すると、ドアが開く。俺は密かに緊張していた。さっきから心臓の音がうるさい。歩く音がこっちに近づいてきている。そして、掃除道具入れの前で足音が止まった。

 ……何だかおかしくないか? 久保なら俺がどんなところに隠れていても何故かすぐに見つける。なので、久保の場合、すぐに掃除道具入れを開けるはずだ。それなのに、さっきから足音が止まったままだ。こっそりと隙間から外を見る。


「え?」


 小さな声が出る。そこには久保ではなく、小倉さんがいた。俺は多少混乱する。

 何で小倉さんが? 掃除道具入れの前で何してるんだ? そもそもこれ、小倉さんがいなくなるまで出れないんじゃないか?


「はあ」

「!?」


 すると、聞いたこともない深いため息が聞こえてきた。


「どいつもこいつもいい加減にしなさいよ!」

「!?」


 女神と言われている小倉さんが、こんなことを言っている。……まあ、聞き間違いだよな。

 すると、掃除道具入れを小倉さんは思いっきり叩いた。その瞬間、大きな音が響き渡る。


「なっ、え」


 俺は驚きを隠しきれない。


「辻って意味がわからない先生よね。何で生徒に自分の仕事を押し付けるのかしら? こっちはもう帰る気満々だったのに。押し付けられたら断れるわけないでしょ。先生だから、プリントの整理ぐらい自分でやりなさいよ」


 それは共感できる。


「それに、吉田! 消しゴムの尖ってるところ使うなんて信じられない。私が貸した消しゴムよ!? 人に借りた消しゴムなのにわざわざ尖ってるところ使う? もう少し遠慮っていうものを知って欲しいわ」


 それは地味にムカつくやつだな。


「はぁ、いい子でいるのも、人に優しくするのも全部疲れる」


 俺は一瞬ビクッとなる。その反動で中に入っている箒が動いてしまい、ガタンと音が鳴る。


「な、何!?」


 しまった……。

 そう思った時にはもう遅く、掃除道具入れが開かれた。


「あ、こんにちは」


 小さく呟いてみた。何も言わなかった方が良かったのかもしれない。

 小倉さんは驚きのあまり声が出なくなっており、呆然としていた。


「……失礼します」


 そう言い、掃除道具入れから出て、教室から出ようとする。すると腕を掴まれた。


「ちょっと待ちなさい。あんた、あそこにいたってことは聞いたのよね?」

「な、何のことですか?」

「とぼけないで」


 無言の時間が続く。変な汗が出てきた。


「その……、き、聞きました」


 そう言うと小倉さんは俺の腕を離し、溜息をつく。狐の仮面をしているため、表情を見ることはできない。


「全部?」


 俺は小さく頷く。


「……最悪。あんた、このこと他の人に言ったらどうなるか分かってるわよね?」


 何度も首を縦に振る。

 言ったらとんでもないことになりそうだ。


「分かってるならいいけど。とにかく、このことは絶対に他の人に言わないこと。分かった?」

「は、はい」


 そう返事をするといきなり教室の扉が開く。お互い、扉の方を向く。そこには久保が不思議そうな顔でこっちを見ていた。


「裕様と、小倉さん。二人が一緒にいるのは珍しいですね。どうしたのですか?」


 かくれんぼ中なのに人と話していたら、こんな反応にもなるよな。それより、何てごまかせばいいんだ?


「いや、ちょっとな」


 言い訳が思い浮かばずに、久保から視線をずらす。


「裕様?」


 そんな俺を見て、不思議に思ったようだ。


「……先生に頼まれて、伝言を伝えにきたの。確か、委員会で話し合う内容のことだったよね。ね? 洲本君?」


 小倉さんの切り替わりに驚き、唖然としてしまう。そんな中、小倉さんに話を振られたのに気づき、


「そ、そうだ。本当は俺が先生に聞きに行くはずだったんだが、忘れてて……。それを小倉さんがわざわざ教えにきてくれたんだ」

「そうだったんですね」

「この後、先生と少し話をしてくるから、先に帰っててくれないか?」

「本当は待ちたいところですが……。分かりました。今日はお先に失礼します」

「ああ。それじゃあ、また明日な」


 そう言うと久保は一礼し、教室から出て行った。その様子を見て、俺は肩を撫で落とす。


「す、すみません」

「気をつけなさいよ。バレたら許さないわよ」


 頷く。


「あの」


 無意識的に声がでる。これは聞いてはいいことではないのかもしれない。しかし、悪い意味で言えばが勝ってしまった。


「何?」

「失礼かもしれないですけど、何で……何で」


 『何で

 ……やっぱり、聞けるわけない。小倉さんも訳があって、仮面をつけているんだろう。気になっても、その理由を聞くのはかなり失礼だ。


「やっぱり、何でもないです」

「何よそれ。とにかく、このことは誰にも言わないように。……これが本当の私なんだから」


 小倉さんは強くそう言うと、下を向く。


「結局、あんたも私に騙された一人なのよ」


 静かにそう言うと、小倉さんは教室から出て行った。

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