第四章 第六節 ~ 紫煙の魔人 ~


     ☯


「ウオオオォォォォォオオオオオオオ――――ッ‼‼」


 デーモンが丸太程ありそうな太い腕を振り下ろしてくる。

 三人は別々の方向に飛び退き、これを回避した。

 ミラは右へ、ハイドルクセンは左へ、そして、リオナは――


 上だった。

 リオナは振り下ろされたデーモンの腕を踏み台にして上空へ飛び上がると、そのままデーモンの角目掛けて、ダイナミックなかかと落としをたたき込んだ。


「ギャッ⁉」


 デーモンが苦悶くもんの声を上げ、前へのけ反る。

 だが、リオナの攻撃はまず、


「まだだぜッ!」


 リオナはデーモンの背後に着地すると、のけ反ったデーモンの尻尾を抱え込み、豪快なジャーマンスープレックスを決めた。

 デーモンの巨体が地面に叩きつけられ、激しい振動が辺りを襲う。

 それなりのダメージが通っているようで、デーモンはすぐには立ち上がれなかった。


 リオナの戦いぶりを見ていたミラは、そのあまりの豪快さに、短く悲鳴を上げた。


「ひっ⁉ リオナさん、何という戦い方を……!」


「うむ、実に美しいッ‼」


 ビシッ!と親指を立てるハイドルクセン。

 本当なら、自分がデーモンを抑え込まねばと思っていたのだが、様子を見るに、リオナに任せても大丈夫そうだった。


 デーモンがダウンしている隙に、ミラとハイドルクセンはガダルスに肉薄した。

 術者は召喚魔法を使っている間、動きが鈍くなる。

 そして、術者が倒されれば、召喚されたモンスターはアクセサリーに戻る仕組みだ。


「ガダルスさん、覚悟っ‼‼」


 ミラとハイドルクセンがそれぞれ遠距離用の魔法を放つ。

 ≪ホワイトバレット≫と≪ムーンショット≫、属性は異なるものの、どちらも発動が速く、連射が可能な安定の魔法だ。


 これに対し、ガダルスは、


「そうはいくかよッ‼‼」


 ポーチから球状のアイテムを取り出すと、それを地面に叩きつけた。

 すると、ガダルスの周囲に淡い結界が発生し、ミラ達の放った魔法を弾き返してしまった。

 見たことのないアイテムに、ミラは思わず声を上げる。


「な、今度は結界っ⁉」


「一定時間、魔法を無効化する結界を作り出すアイテム――〝マジックキャンセルボム〟かッ!」


 ハイドルクセンが一気に距離を詰める。

 〝マジックキャンセルボム〟は魔法を無効化するだけであって、物理攻撃は普通に届く。

 ハイドルクセンはサーベルを正眼に構え、身体ごと突進する勢いでガダルスに迫った。だが、


「戻って来いッ! アークデーモンッ‼‼」


 その声が聞こえるや否や、デーモンは身体を抑え込んでいたリオナを尻尾で弾き飛ばし、瞬きのうちにハイドルクセンの目の前へ現れた。


「何ッ⁉」


 デーモンが高速で腕を振るい、ハイドルクセンは蹴られたサッカーボールのような勢いで吹き飛ばされた。

 直接の攻撃はサーベルで防いだが、勢いのあまり観客席下の石壁に埋もれてしまう。

 ミラが悲痛な叫びを上げた。


「ハイドさんっ‼‼」


 その彼女に向かって、デーモンは既に攻撃態勢に入っていた。

 巨大な拳を持ち上げ、射出する。

 恐怖で身体が強張こわばったミラは、一瞬その場に立ち尽くしてしまった。


「っ⁉」


 空気を震わす重撃の気配が迫る。

 ミラは衝撃に耐えるべく、ギュッと瞳を閉じた。




 迫り来る拳が爆発し、デーモンがひるんでノックバックした。




 見れば、リオナが弾き飛ばされた体勢から〝火の結晶〟を投げ、デーモンの動きを止めていた。


「今のうちに距離を開けろ、ミラッ‼‼」


「っ、はいっ‼‼」


 デーモンが怯んでいる隙に、ミラはリオナのいる位置まで後退した。

 牽制けんせいの魔法を撃っておいたが、デーモンが追って来る気配はない。

 ガダルスの「戻れ」という命令が効いているからだろうか。


 鋭い視線を向けるリオナの隣で、ミラが呼吸を整える。

 壁から抜け出したハイドルクセンも、ヨタヨタと歩み寄って来た。


「いや、びっくりしたよ。あの巨体でよくもあんな素早い動きができるものだ」


「全くです……肝が冷えました」


「……オマエ、抜け毛が増えてるぞ?」


「えっ⁉ そ、そんなはずはっ⁉」


「ウソ」


「って、今は遊んでいる場合じゃないでしょうっ⁉」


 ギャーギャーとじゃれ合う二人を見て、ハイドルクセンは顔を綻ばせつつ、


「さて、それはそうとどうするね? デーモンはなかなか強敵だし、かと言って術者を先に倒そうにも、彼の防御は完璧だ。いずれにせよ、あのデーモンを先に仕留めない限りは、彼を倒すことなどできないように思えるが……」


 「ふむ……」とうなりつつ、リオナは考える。


(……確かにデーモンは強力だが、召喚術士相手には本人を先に狙うのがセオリー……。召喚獣なんて倒したところで、本人にはダメージが入らないからな)


「……アークデーモンは〝闇属性〟。となりゃあ、弱点となるのは〝光属性〟だ。ここは素直にハイドの魔法で削っていってデーモンを仕留める、若しくは、動きを封じるのが妥当だろう。その隙にオレは術者をボコボコにする。近接戦なら、オレはあんな犬コロに負けねえだろうしな」


「わ、私はどうしましょう……?」


「ミラはオレと来て犬の相手だ。弾かれるとしても魔法を撃ちまくって、ヤツの気を分散させろ」


「わかりました!」


「……では、私がデーモン、リオナちゃんとミラちゃんがガダルス君を抑えるということでいいかい?」


「ああ」


 作戦が決まったところで、三人は再び駆け出そうとした。

 しかし、対峙たいじするデーモンが異様な雰囲気をまとっていることに気が付いて、咄嗟とっさに足を止めた。


「……何か、様子がおかしいな?」


 三人が警戒の視線を送る中、デーモンに歩み寄ったガダルスがくつくつと怪しげな含み笑いを作った。


「……フ、いや流石さすがだなァ……コイツをべば一瞬で片が付くと思ってたんだが、なかなかそう上手くはいかないらしい……」


 ガダルスはゆっくりと顔を上げ、狂気じみた目でデーモンを見上げると、次の瞬間、信じられないような命令をデーモンに下した。




「アークデーモンッ! 周りの観客達を食えッ‼‼」


「何だとッ⁉」




 ガダルスの命令に呼応し、デーモンは奇声を上げて観客席へと飛び込んだ。

 突然矛先を向けられた観客達が、悲鳴を上げながら我先にと逃げ出す。

 しかし、逃げ遅れた何人かの観客がデーモンの手に捕まった。


「ひぃっ⁉ 助け……」


 助けを求める声を最後まで叫び終わらないうちに、捕まった観客達はデーモンの鋭い牙でみ千切られた。

 ブチブチという肉の裂ける音と、ゴリゴリという骨のすり潰される音と、ビチャビチャと血の飛び散る音が闘技場に響く。

 頭と上半身を失った獣人だったモノが、噴水のような血飛沫しぶきを噴き上げ、無造作にリングに捨てられた。


 デーモンが噛み切った肉を飲み込み、口周りに付いた血液をペロリとめ取る。

 すると、それまで3m程度だったデーモンの全長が、一回り大きくなった。

 筋肉が隆起し、分厚い肉のよろいが形成される。

 感じられる魔力量や重圧までもが増大していた。


 それでもデーモンの食事は終わらない。

 手当たり次第に逃げ惑う観客達をつかみ、自らの口へと放り込んでいく。

 凡そ理性など欠片かけらも感じられない風体で、獣人達の骨と血と肉と皮と悲鳴をらい、頬張り、貪り食う。

 その度に、デーモンは自らの身体を肥大化させていった。


 あまりにも凄惨なその光景を見つめながら、リオナは奥歯を噛み締めた。


(……こんな特殊行動、アークデーモンには設定されていなかったが……当たり前か。誰がどう見たってr‐18Gなこんな映像、全年齢対象の健全なゲームで見せるわけにはいかねえからな)


「そ、そん、な……うぅ」


 顔色を悪くしたミラがその場にうずくまる。

 今にも吐いてしまいそうな気配だったが、彼女の強きプライドがかろうじてそれを防いでいた。

 今抱くべき感情は恐怖ではない――怒りだ。


 目の前で繰り広げられる惨劇を止める為、ハイドルクセンは飛び出した。

 サーベルを片手に、観客達の前に立ちはだかる。


「やめろおおおぉぉぉぉぉおおおおおおッ‼‼‼‼」


 彼が掲げたサーベルの先端に、大きな魔法陣が現れる。

 デーモンが振るった拳がその魔法陣とぶつかると、魔法陣は激しい火花を上げながらデーモンの拳を弾き返した。

 だが、それも長くは続かない。

 二撃、三撃とデーモンの拳を受ける度に魔法陣がひび割れ、六撃目で遂にハイドルクセンの守りが破られた。

 迫る拳。

 そして、


「≪グレイス・フォー・ジ・アース≫ッ‼‼」


 デーモンの頭上から、巨大な光線が降って来る。

 滝のような勢いで放たれたその光線は、デーモンの巨体を押し潰し、ダウンを取ることに成功した。

 その隙に、ハイドルクセンは逃げ遅れた観客達を退避させた。


「今のうちにここから離れたまえ! それとそこの君! ギルドに行って至急応援を要請して来るのだ‼ できるだけ光属性のパーティーを組むよう伝えてくれッ‼‼」


「は、はいッ‼ わかりましたッ‼‼」


 彼らが無事闘技場から脱出したのを確認すると、ハイドルクセンはリオナ達に向かって叫んだ。


「リオナちゃん‼‼ 私は暫く観客達の避難誘導に当たるッ‼ その間、できる範囲で構わない! モンスター達の注意を引いてくれッ‼‼」


「あいよッ‼」


 リオナは嬉々ききとした表情を浮かべ、身体の調子を整えるべくその場で軽く跳躍した。

 それから、まだ隣で座り込んでいたミラのウサ耳を見下ろし、


「オイ、いけるか?」


「ぅ……ええ、何とか」


 少しふらつきながらも、ミラは自分の足で立ち上がる。

 赤い瞳に決意の色を宿していた。


「私達があのモンスターを止めないと、犠牲者は増えるばかりです……。こんな所業、絶対に許すわけにはいきませんッ‼‼」


「……よし、その意気だ」


 リオナは拳をかち鳴らし、鋭い視線で対峙する敵をにらみつける。

 丁度デーモンがダウンから復帰し、立ち上がったところだった。


 デーモンは食事を経て、元々の体系の倍くらいの体格になっていた。

 正直、通常攻撃が通用するのかどうかも怪しい。

 それでも、豊満な胸に湧き上がる抑えがたい程の高揚感は、熱い戦いを求めて今にも爆発しそうだった。


「さて、いっちょやってやるかッ‼‼」


「はいっ! 行きますっ‼‼」


 リオナとミラが同時に駆け出す。

 それに合わせて、デーモンが巨体に似つかわしくない速度で疾駆する。


 ゲームでは味わえない命を賭けた本物のスリルに、リオナは脳髄が焼き切れそうな程に酔いしれていた。


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