第9話 仲間との絆


 私たちは戦場からはずれ大木の下に避難した。そこには戦いを見学にきた村人が数人、私たちの姿を見るや、すぐ逃げていった。


 弥助は息遣いも荒く、苦痛からか脂汗を流している。


 どうして、こんなことに、なぜ?


「なぜ、九兵衛」


 私は低く唸った。


「なぜ、お市を襲おうとした」

「わ、わしは……」


 彼の横顔は雨のなかで泣いているように見えた。汚れた手で鼻をこすり、「こんなつもりではなかった」と、呟いた。


 いつもの大胆で少年のような九兵衛はいない。苦悩に打ちひしがれ、ただ自分の過ちを過ちとして認めたくない頑迷がんめいな男しかいなかった。


「……」

「わしは甲賀村の一つに生まれた。六角殿に味方した我らの村は信長によって全て焼き払われた。観音寺城の戦いで、親も兄弟もみな死んだよ」


 観音寺城の戦い。

 多勢の織田軍の前に城は無血開城され六角氏は甲賀の里に逃れた。

 永禄11年(1568年)のことだ。その後、信長は抵抗を続ける六角氏を破る。その過程で彼の村は全滅したのだろう。


「わしは、だから、奴から、すべてを奪うと誓ったのだ」


 私は九兵衛の顔を見た。彼の顔は弥助と同じように血の気が引いている。


「こっちだ」


 その時、背後からトミの声が聞こえた。

 いつの間にかテンが戻っている。彼女はふくらんだ風呂敷を腰にまきつけており、その風呂敷からツボを取り出した。


「血を止める薬だ」

「どう使えばいい」

「たっぷり塗れ」


 テンは言葉数が少ない。


「オババ」

「ああ」


 弥助は下人だ、よろいなど身につけていない。短刀で刺されたとき、身体を守る防具などなかった。

 戦国時代の野戦はほぼほぼ乱戦だ。槍で叩く、矢で射る。そして、乱闘になっての、とどめは脇差だった。弥助はそれで刺されている。


 オババは刀が刺さった脇の布を手で裂こうとした。が、濡れた布は重く裂こうとしても抵抗が大きく破けない。


「グホッ!」


 弥助の口から吠えるような気味の悪い音がした。


「トミ、刃物を貸してくれ」

「短いのでいいか」

「それだ」

「それから、九兵衛、例の焼酎だ」


 オババは脇差で布を丁寧に切り裂くと、刺さったままの短刀の周囲に焼酎をまいた。弥助が苦痛に顔が歪む。みな、その様子に胸を痛めた。


「行くぞ」


 私はドロっとした緑色の液体を手にすくった。

 オババは目配せすると、弥助の脇に刺さった小刀を一息に抜いた。大量の血が吹き出す。


「アメ!」


 一瞬ひるんだ私にオババが叫んだ。

 私は傷口に薬を塗った。ビンにあった全てのドロドロした液体を傷口にぬって、傷をふさいだ。


「弥助! 大丈夫か」


 青白い顔から血の気が失せて行く。


「あとで、これを使え」


 テンが、別のツボを見せた。相変わらず無表情で感情がない。

 私はふたを開けて、思わず「ヒッ!」と、叫んで落としそうになった。


「どうした、アメ」

「白いものが……」


 オババがツボを受け取って中身を確認した。


「生きた蛆虫うじむしか」

「な、なんで、蛆虫が」

「聞いたことがある。大叔父が戦争中に使ったとな。生きた蛆虫に壊疽エソした部分を食べさせて傷を直す治療方法がある」

「オババ、マジか、それ」

「テン」と、オババが聞いた。「これは、傷につけるのだな」

「血が止まった。つけろ」

「そうすれば、助かるのか」


 答えはなかった。


 テンは目前から消えた。周囲を探すと森の奥の一角に腰をおろし目を閉じている。次の瞬間には眠ったようだ。二つの薬剤を調達するために、戦場を必死に駆け抜けてきたのだろう。


 弥助は眠ったのか気を失ったのか、目を閉じている。どれくらい待っただろうか、血が止まったのを確認した。オババがテンがもってきた蛆虫を患部に注いだ。蛆虫は液を出しながら、弥助の傷口でうごめいている。それは気持ちのいいものではなかった。


 トミと目があった。心配そうな顔で弥助を見ている。離れた場所にいるテンは無表情で、その近くにヨシがいた。九兵衛は小さくなって弥助の心配をしている。


 私は仲間の顔を順番に見ていった。みな疲れた表情で弥助を心配している。その瞬間、私はこの仲間が好きだと思った。本当に、心から、好きだ。だから、誰も死なせたくない。


 弥助、だから、皆のために、


 生きろ。

 生きてくれないか!


 彼らと長いつきあいではない。長くはないが、濃い時間を過ごしたんだ。過酷な場所だからこそ、お互いに助け合わなければ生きる術がない。


 トミたちとは戦場へ荷物を運びながら、なんども危ない目にあった。

 九兵衛とは小谷山の夜の闇のなかを走り抜けた。


 弥助は刀根坂の戦いから逃げた私を守り抜き、オババの元まで届けてくれた。

 夜、薪をひろって、ふたりで食事をしながら未来の話をした。

 彼は無口で純朴だった。


「アメ殿はおもしろいなぁ」と、彼は素直に笑った。


 いつもいつも必死になって、私の乗る馬を引き、そして、全力で走っていた。サボろうとか考えもしない人間だった。


 オババと目が合った。


 九兵衛、トミ、テン、ヨシ、そして弥助。


 どの顔も必死で尊い。

 みな、この過酷な時代を必死で生きている。


 だから、弥助!


 死ぬな!




 明け方近く、再び雨が降りはじめた。遠くから地を鳴らす音が聞こえてくる。雷が近づいているのだろうか。


 と、いきなり閃光が走った。


 イナビカリがするとほぼ同時に激しい雷音が耳を痛める。


 大気が不安定なのだろう。

 ひどい頭痛に襲われた。これまで経験したことのない強い耳鳴りがする。


『ほら、これがテーブル、食事はここに座って』

『てぶる、これ』

『そうだ、アメ、大丈夫か』

『わたしは、マチだ』


 ふいに、奇妙な会話が聞こえ同時に耳鳴りが続く。

 雷の轟音で耳がやられたのだろうか。と、オババを見ると、同じように頭を押さえている。


 いったい何が。


 雲が急速に近づき、周囲は暗い。明け方だというに、全く陽光がない。

 すぐ近くで激しいイナビカリがして、危険だと思うと同時に不可思議な感覚を感じた。


 オババ!

 オババ! 弥助! 


 ……みんな……

   

     オバ……


 次の瞬間、私の意識は混濁した。

 自分の身体が、ふいっと持ち上がったような錯覚を覚えた。


 そして、目覚めると現代の自宅のベッドにいた。同時にオババも帰っていた。


 (つづく)

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