第6話 哀しい別れと辻が花の着物


 天正元年(1573年)、浅井長政がまさに自害する2日前、つまり今日。愛する妻お市の方と娘3人を城から逃す。これ歴史的事実だから。


 で、歴史的事実には残らないけど、私たち、『北欧ヴァイキング鉄壁の防御から学んだざれ唄作戦』で戦場を歩き城壁の端まで到達した。


「右に曲がるから」と、私!

「おう」

「寝ても・覚めても・忘れぬ君を……」


 全員が足並みを揃え中腰で右に曲がるって、これ難易度が高い。でも、やりきった。みなが誇らしかった。

 しばらく進むと戦闘音が少し遠くに聞こえる。


「ついたか」と、九兵衛が聞いた。

「た、たぶん」

「おい、誰か。見えるか」


 私は盾の隙間から、恐る恐る周囲をうかがった。

 狭い隙間からでは、よく見えないが……。戦闘現場を乗り切ったようだ。


 盾をそっと下に置いた。

 ずっと、中腰の姿勢で歩いてきたんだ。それも重い盾を持って歩いて来て、そして、私はアホだ。いきなり立ち上がってしまった。


 正座で足がしびれて立ち上がったと、想像してみて!

 そう、両足に力が入らず、へなへなして態勢を崩した。


「だ、大丈夫か、巫女」


 九兵衛が支えようと手を差し出した。で、ヨシが鋭い視線で睨んでいて。九兵衛、できる男かもしれないが女心にちょっと疎い。いや、逆に天然で女に長けてる?


 そんなこと、秒で考えた。

 で、もうね、私、転びかけているにも関わらず、途中で九兵衛の手を、ぱっと払っちまったんだ。

 だって、ヨシとそれにオババが怖いし。


 だからさ、当然の結果だけど……。

 額からつんのめるように、2、3歩、たたらを踏んだ。

 そして、そこに都合のいいものがあった。


 なぜ? なんてなこと、全く考えずに目の前に出くわした、何かを掴んだ。


 いや、悪気はなかった。

 ぜったいに故意でもない。


 つかんだ先は綺麗な上等な着物で刺繍は辻ヶ花だってことは、すぐにわかった。この世界にきて、着古して汚れた着物しか見たことなかったから。


 現代でこれを買ったら数百万はするだろう、そんな高貴な着物の裾だって、一瞬で見抜いた自分。もう褒めてやりたい。

 こんな急場で辻ヶ花って。


 で、私。

 倒れながら着物の裾をつかんで、そして、思いっきり引っ張った。ほぼ、引き裂いた。


 いや、あの、故意じゃないから。


「何者じゃ!」


 何者って、者と言えるほどの身分じゃないけど。

 どんな時も人としての品格は失うなって思ったところもあったけど。


 足がしびれて、タタラを踏んで、タ、タ、タって、それから、目の前にあった超ブランド物の辻ヶ花の着物に向かって救いを求めただけなんだ。そう、溺れかけた人が必死で何かをつかむように、必死でつかんだ。


 背後では、織田軍が小谷城に火矢を放ったりして、もうね、全力で戦っている場面で、そこで、つかんじゃ絶対にいけないものを、つかんじまった。


「何者じゃ!」


 するどい叱責の声が頭上からした。


 私、おそるおそる目をあげた。


 いや、わかる。お付きのものが怒る気持ちはわかる。

 この辻が花を着てるの高貴な方だよね……。いや、ここで高貴なら、間違いなくお市の方だ。それも、浅井長政と哀しい別れをしたばかりの悲運の人妻。


 でね、引っつかんだ着物の前が、おもいっきり開いてるし。

 白い太ももと、そこから上が丸見え状態で。


 表現のしようがない。姫より自分が赤面してる。


 ねえ、知ってる?

 この時代の女性って、パンツ、はいてないって。中は腰布だけって。で、私、ご丁寧に全てをひっつかんで引き裂いたから。


 たとえ、戦場といえ公衆の面前だものね。白い太ももが見えて、その上が…、言えない。何が見えるかなんて、ぜったい言えない。案外と毛深いなんて、一言も書かないから。


 私、必死で思った。


 これがお市の方でないようにって。もうね真剣に神や仏に祈った。

 だって、戦国時代で1、2を争うってくらいの悲劇的な夫婦の別れの後だよ。それを、あなた、最後に、最後に……、


 壮大なスカートめくりで終わらせるなんて!


 で、困って、間抜けな顔で仲間に救助を求めた。目で真剣に語ってみた。


 オババ、首を振ってる。

 トミは目を見開いてる。

 弥助は真っ赤に頬を染めて顔を背けている。


 そして、なにより、九兵衛。剣の柄に手を置き、半歩踏み出して、そのまま止まった。ヨシが中腰で九兵衛を見てる。


 え? 切るつもり?


 結局、人生ってのは、最大の危機が訪れたとき誰も助けてくれない。自分しかいないって。孤独なんだって、あらためて自覚した。

 だから、私、スカートめくり状態になった着物よりも、自分をまず助けることにしたんだ。


 そう、なにもなかったことにした。自分の気持ちだけだけど。

 辻ヶ花から手を離して立ち上がって。


 お市の方を見上げた。


 彼女、背が高い。

 記録によると165センチと言われているけど、私の意識が転生したマチという女性、この時代の平均的な身長149センチで、たぶん、それよりも低い。

 だから見上げるしかなかった。


「この下郎が」って、お付きのものにいきなり突き倒された。


 あ、あの、弁解させて!


(つづき)

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