第1話 歴史が変わる。とってもアカンやつだ!


 私、やらかしました!


 私は歴史大好きで、その辺りは鼻が高い。ピノキオばりに伸びてる。そんな私でも、戦国のリアル戦闘に秒速で吐いた。

 朝倉義景を滅ぼす織田軍勢を尻目に、勝ち組軍隊で褒賞ほうしょう思いのままの戦場から逃げ出したんであります。


 あとさき考えずに逃げました!


 虎御前山の砦に戻ってきたときは、何ていうか疲労困憊ひろうこんぱいしていた。

 弥助が携えてきた食料も底をつき、途中、敗残兵にもからまれ、50キロほどの距離を一昼夜かけて戻ってきたんだ。


 12日の暴風雨で大嶽砦おおづくとりでを攻めたことを考えれば、4日後の今日は旧暦の8月16日のはず。


 織田軍は越前に総攻撃をかけ、一乗谷の城下を焼き討ちするという、さらに凄惨な戦いをしている頃だ。


 女は暴行を受け、男は殺され、家は焼かれる。

 言葉はいいよ。そういうことがあったんだって言葉だけだから。


 若い時の信長は、これほど冷酷じゃなかったと思う。

 弟をはじめ数々の裏切りにあって、きっと心が死んだ。特に、浅井長政の裏切りを知ったとき、信長は心底から愕然とした。

 強すぎる自己肯定感に孤独と挫折が加わった。この3つの感情が信長を変えたのだと思う。


「なぜ、あの信長に命を託す」


 だから、私は帰り道、弥助に聞いた。信長のためなら死ねるとまで言いきった彼の信頼する下人だ。


「なぜ? へぇ、考えたこともねぇ」

「考えたことがない」

「へぇ、ねぇでさ。ただ、信長さまは必死ですだ。わしゃ、あの姿が切ないんで。そいで、わしのような者にも対等に声をかけてくださる。あん方が怒るのは、やらんでもいい失敗をしでかした時だけでさ」と、弥助は言った。


 朝倉軍が越前へと逃亡したとき、先陣であった佐久間信盛、柴田勝家、滝川一益、羽柴秀吉、丹羽長秀が出遅れ、それを烈火のごとく怒ったと史実には残っている。


「怒ると怖いのか」

「怖いって、そんなもんじゃねぇ。地獄の閻魔えんま様さえ、優しく思えるほどだで」

「そりゃ、むちゃ怖いじゃないの」

「へぇ、そりゃあ、恐ろしいで」


 私は5人の武将たちを思って、ちょっと笑った。日頃、偉そうにしている上の人たちがやられるって、そりゃ、庶民にとっちゃ娯楽なわけで。


「なんだね」

「勇猛な武将たちが、信長に怒鳴られて小さくなってる姿を想像した」

「ほお? 誰が怒られる」

「佐久間信盛、柴田勝家、滝川一益、羽柴秀吉、丹羽長秀」


 弥助はムっとした表情を浮かべた。それは、あるかないかの微妙な変化だが、あきらかに苛立った表情を浮かべた。泥で汚れた黒い顔をかくと、それからモゴモゴと呟いた。


「あなた様は、本当に畏れを知らんのじゃな。わしだけならええが、そんなふうに呼び捨てしちゃあかんでよ」

「あかんか」

「あかん……、それにそういう態度はお館様の興味を引く」

「ふうん」

「気をつけたほうがええ」

「気をつけるって?」

「殿は手が早い」


 思わず吹き出した。

 弥助は首を振って、それから、馬のあぶみを持ち直した。


 平原に入り、見慣れた土地の先に虎御前山が見えた。

 あの丘の頂上に砦がある。


「あの砦にいなさるんかね、そのオババという人は」


 弥助が聞いた。


「そのはずだけど。別れてから六日も過ぎているから」


 そうだ。

 あの清水谷の城下に潜入して、その後、大嶽砦の戦いに巻き込まれ、朝倉軍から逃げて、そのまま織田軍とともに刀根坂まで行ったんだ。


「オババは足を怪我して。だから診療所にいるはずだけど。もう6日も過ぎている」

「診療所へ行けばいいだな」

「そう」


 弥助が砦に入るとき、誰も誰何すいかしなかった。門番も弥助を見てうなづいただけで、下人とはいえ、弥助という男は信長直属として知られているのだろう。


 弥助は馬を預けにうまやに向かい、私は一人で診療所まで向かった。


 診療所に入ると、多く兵が横になって苦痛に呻いている。

 オババの矢傷を治療したときは、まだ誰もいなかったんだ。信長の夜討ちだけでなく、浅井長政との小競り合いも起きているのだろう。


「オババ!」


 私は暗い室内に目が慣れるのも待てず、大声で呼んだ。

 答えるものがいない。


「オババ!!」


 簡易なゴザの上に寝ている傷兵たち、ひとりひとり確認した。


「オババ……」


 心が冷えた。

 どこに行った、生きてるのか。

 と、その時、女の声が外から聞こえてきた。


「トミ、お前はそっちを頼む! ハマは向こう側じゃ。いい、傷兵たちの食事は私と、今日は誰がくる」


 オババのひときわ高い元気な声だった。

 思わず、私は走りだした。


「オババ!」


 頭に手ぬぐいを巻いたカネ、つまり意識だけオババのカネが振り返った。周囲には仲間の女たちが盆をもっている。トミもハマもカズもいた。


「アメ! 帰ってきたか」

「オババ〜」

「なにを泣いとる」

「九兵衛は!」


 するどい声を上げたのはヨシだった。


「ああ、ヨシ、九兵衛とは途中ではぐれたけど、たぶん、大丈夫だ」


 そう言いながら、思わずオババをハグしていた。

 この時代はハグなんてしないけど、だから周囲にいた女たちが驚いていたけど。私は、それほど心が弱っていた。


 まあ、姑にいつか抱きつく日がくるなんて考えたこともなかった。しかし、唯一の現代人で、たった一人、私を理解してくれる。それはオババしかいなかったんだ。


(つづく)

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