第22話「戦場からの逃亡」


 朝倉義景を追走して信長軍は刀根坂へと疾駆していた。


 なれない追撃に私は下人の弥助を頼りにするしかない。

 弥助は私が振り落とされそうだと知ると、馬の速度を緩め体勢を整えてくれる。


 彼は、そして、自らの足で走る。


 戦国時代の武将には、こうした馬に付き従う多くの下人がいた。

 彼らの仕事は厳しい。主人に付き従い武器や荷物を運び、戦場で世話をする。


 つまり、戦いのなかで「槍!」と言われれば差し出し、「矢!」と言われれば、それを補充する。彼らが敵の首をとっても手柄にはならない。それは主人の手柄だ。


 まさに下働きの下人。奴隷売買され人間以下の扱いだった。弥助はそんな下人のひとりだ。


 朝倉が本陣を捨てた田上山に差し掛かると、いつのまにか鬱蒼うっそうと木々に囲まれた山道に入った。

 この山を越えた先に疋壇城ひきだじょうがあり、その先が朝倉の本拠地一乗谷城だった。

 山道は馬が2頭ほど並列して走る登り坂になっている。

 太陽をみると西寄りに傾き日が落ちはじめようとしていた。


 追撃をはじめた琵琶湖の北東から一乗谷城までは、現代の高速道路で100キロ弱。


 最初の戦いが起きるはずの刀根坂には到着していないが、よほど近い。そこから考えれば、20キロは走ったのだろうか。


 先方から鉄の打ち合う音、悲鳴のような声にならない声が聞こえてくる。


「弥助!」

「なんだで」


 顔に滝のように流れる汗をぬぐい、弥助が振り返った。


「どこかで、馬を止めたい」

「ああ、わかったで」


 牝馬のくつわを引いて走る弥助は前後左右を抜け目ない様子でさぐる。

 走りながら徐々に左の森林に寄り、それから器用に疾駆する兵の集団から抜けた。


 山道脇の樹木の横に馬の手綱を結ぶと、彼はハアハアと息を切らしながら、

「シッコか」と聞いた。


 この暑さでは汗が流れるし、そういう問題じゃないから。


「弥助、水は」


 彼は背負った袋から竹筒を出した。


「いや、私は自分の水を持っている。あんたが飲みなさい」

「へ?」


 私の言葉が理解できなかったのか、彼は不思議そうに竹筒を差し出したままキョトンとしている。


「水を飲みなさい。熱中症になって倒れる」

「わしですか」

「そう、あなたよ」と言いながら、私も自分の竹筒を腰からとってゴクゴクと飲んだ。もう、生ぬるい。ほんと、夏の生ぬるい水ほどまずいものはない。


 弥助は奇妙な目つきをして、それから、腰に下げた竹筒から水を飲み干した。


「信長様から、私のことをなんと言われてきた」

「へぇ、守れと言われただ。そして、連れてこいと」

「守れか。なぜ、私を」

「へぇ、お館様は、いろんなことを同時に考えてらっしゃる。他のもんには理由なんてわからんで」

「なあ、弥助」

「へぇ」

「私は戦うことはできない。だから、ゆっくりでいい」

「へぇ。わしはあんた様を無事に届けりゃいいんで」


 私たちが休むカラマツの木々の間から、武将や兵たちが駆け上がっていくのが見えた。信長が先陣を切ったと知った者たちが慌てて後を追っているのだろう。

 

 坂を登る武人たちの旗の色が次々と変わる。

 あざやかな黄色の軍旗を背負った一団も通りすぎた。秀吉軍だ。黒に白、山ノ内一豊か。薄い青に桔梗の印は明智光秀の軍だろう。


 軍がすべて通りすぎるのに、随分と時間がかかった。


「なにか食べよう。私用に持っているのか」

「ああ、あるで」


 弥助は背中の袋から、おにぎりを取り出した。それは白米だった。この時代にきて、はじめて白い飯を見た。


「ついでに、漬物とかあれば」

「わかった」

「あるのか」

「あるで」

「まるで、その袋、ドラえもんのポッケだな」

「ドラ? ワシはドラ息子じゃないでよ」

「まあ、いいから」と、私は笑った。

「あなたも食べなさい」

「へぇ」


 弥助は呟くように言った。


「不思議なオナゴ様じゃな、あんた。わしみたいなものを対等に扱う。お館様に似ているな」

「似ている? 信長とはどういう人だ」


 信長と言った瞬間、弥助は周囲をキョロキョロ見渡した。


「命知らずもいいとこだ。お館様を呼び捨てなんて、するでねぇよ」

「わかった、もうしない。だから、どういう人だ」

「どういうもなんも。わしから見たら……、いや、こりゃいけん。はよ、いかんと、はぐれるで」


 坂道をかける馬や人が去り、急にシンとした森で弥助は慌てた。


「行くところはわかってるから心配しなくてもいい」

「わかってる?」

「この先の刀根坂で戦闘がはじまる。終わるまで待とう」


 弥助は口元を撫でた。ほおって表情を浮かべる。

 彼は随分と日焼けしていて、顔の皮膚が、やけど跡のように変化していて、だから表情がわかりにくいんだ。


 それでも、驚いた顔を見せ「なるほどなぁ」と、考えるようにもう一度繰り返した。「なるほどなぁ」と。

「なにがなるほどなの」

「こう言うちゃなんだが。わしゃ、下人としてお館様に仕えて1年はすぎた。お館様に信頼してもろうとる。そのわしをわざわざつけるとは、どげなお偉い人かと思うたが、オナゴ様じゃった。不思議に思うておったが、あんた様、なにかが違う」


 私はふっと笑った。


「ふ〜〜ん、信頼されているか」

「ああ、されとる」

「そりゃ、嬉しいな」

「へぇ、嬉しいで」

「お館様が好きなのか」

「あのお方のためなら、わしゃ、死ねる。そう思ったのは昔…」


 そこで弥助は言葉を止めて口元をゆがめた。それきり、何も言わなかった。彼はおにぎりをガブっとほおばった。私は話題を変えることにした。


「この身体で現代に生きたら、スーパーウーマンになれそうだ」

「変な言葉ばかり使うで。異国の女か」

「まあ、ある意味、そうだ。行こう、弥助。この先で虐殺が待っている」


 弥助は従順に荷物を片付けると馬を出した。

 立ち上がろうとすると足がへなへなする。マチの体は頑丈がんじょうだが馬に乗ったことはない。臀部が痛んだ。


「イタタ」というと、弥助が笑った。

「ほんと面白いオナゴ様だな」

「それは、いつも言われる」


 弥助に馬を引かれ、私はゆっくりと刀根坂に至る道を進んだ。


 朝倉義景と織田信長の最後の激戦地として名が残る刀根坂の戦場跡。そこには石碑があるけど、現代人にとっちゃ、単なる石碑ってだけなんだ。

 

 私は刀根坂の惨状を目の当たりにした。逃げる朝倉兵を追う織田軍は容赦がなかったとは知っていた。


 大砂塵が襲うように、敵をなぎ倒していった織田兵たち。戦いが終わり、その後を追う私たちの先々には、凄惨な痕だけが残った。


 弓矢が木にささり、血の海が地面や草木を赤黒く染めている。時折、かすかなうめき声も聞こえてくる。


 逃げまどう人を追いこみ、殺戮したのだろう、樹木の間にも遺体がある。そこには多くのカラスが体をつついていた。

 足が奇妙な形になっている者。

 頭が破裂している者。


 その光景に私は吐いた。


 現代で見た死、それは戦国時代の死とはまるで様相が違う。

 死化粧をし、体を清め、棺桶内で白いシーツに横たわる祖父母の遺体しか見たことのない私は、はじめて死というものに直面した。


 多くは撲殺か、槍により刺殺か。後から進んできた馬に踏み潰されたのだろうか、形の定かでないものもいる。

 首のない遺体はおそらく大将レベル。

 すでにハエがたかり、ひどい死臭が漂っていた。


「大丈夫か」と、弥助が心配した。


 坂道は流された血で足元がわるそうだが、彼は慣れた様子で馬を引く。

 私は返事をすることができなかった。


「戦場ははじめてか」

「あっ……ああ、いや」


 この世界で戦場に行ったことはあった。

 しかし、そこは虐殺現場ではなかった。


「へぇ、これも慣れだ。なんども見てるうちに感じなくなる」

「そうか」

「へぇ」

「弥助、悲しいな」

「悲しいのか」

「ああ、悲しい」

「なにが、悲しいんじゃ」

「結局、人は動物だということだ」

「ほんと、変わったオナゴじゃな」


 弥助は馬を止め、こちらを振り返った。


「お顔の色が真っ白でさ。よほど、応えなさったかね」


 私の知識では、ここから11里ほど、つまり44キロという距離を織田軍は逃げる朝倉の兵を追って追って、追い込んだ。

 兵はもう抗う気力も失せていただろう。


 追撃はこの後、4日ほど続く。

 最後は一乗谷の城下町を焼き尽くして、数名の兵と逃げた朝倉義景は自害する。その時に付き従っていた従者は10名にも満たない。

 2万の兵で浅井の援護にきた義景の最後は10人に減っていた。


「弥助」

「へぇ」

「戻る」

「なんと、どこへ、お戻りなさるか」

「小谷城前の砦に、なんて名か……」


 砦の名前を思い出せなかった。オババが傷を癒す織田軍の前線基地。その名前が出てこない。


「もしかして虎御前山の砦かね」

「そう、お館様は一乗谷城へ行くから。弥助は行くがいい。私は戻る」

「へぇ、それは」

「無理だ。ここが限界だ」

「しかし、お一人で戻っても、途中で野盗なんかに襲われたらどうするで」

「帰る」


 断固とした声で私は告げた。

 弥助は少し困った顔をして、それから、ボサボサの髪をかいた。


「わかりもうした。お館様には、あなた様を守るようにと言われとりやす。わしが送り届けるから、もう泣かんでええ」

「泣いておらん」


 いや、私は泣いているのだ。


 この戦いは天下統一するための必要悪なのだろうか?


 実際の戦いでは褒美を得るためだけに多くの犠牲が必要とされた。


 私はわからなかった。


 ただ、ぜったい、この先を見ることなどできない。

 歴女は起きた史実を知りたいだけで、虐殺現場を見るほどキモがすわっているわけじゃない。


 オババ、もう、私には無理だ。

 オババ、私は気が狂いそうなんだよ。

 オババ……、私は、すぐに帰りたい。



 ー了ー


第二部へつづく

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