第15話 明智光秀の城で自由を語る


 戦国時代は自由だ。

 2020年にある規制はない。野糞だって誰も文句も言わないし、ゴミだって道に捨て放題だしね。


 野犬はそこらへんを歩きまわり、時に弱った人を襲う。でもって、保健所なんてないから、増え放題で……。


 つくづく現代は規制ばかりの不自由な時代だった。


 道にゴミを捨てるなんてありえないし、家庭ゴミは細かく分別しなきゃならないし……。


 私はどっちで生きたいかって?


 痰をその辺に吐き散らかすオヤジやガキども、他人の迷惑なんて全く考えないジイちゃんやバアちゃん。なんなら、人殺しだって、殺された方が悪いって空気がある。


 私はどっちで生きたいのだろう。


 現代に生きる多くの人々は、定時に満員電車に乗って会社で働き、安全な世界でルールに規制されながら快適な生活を満喫して、そこから外れた人さえもなんとか守る優しさも持ってるんだけど。


 でも、その規制に閉塞感を覚え、窒息しそうな人も多い。


 私はどっちで生きたいのだろう。


 わからないんだよ。

 自由は自由だけど、もちろん、現代のほうがいいに決まっている。でもね、時に息苦しさを感じることがあるんだ。

 

 じゃあ、そんなところで、天正元年(1573年)に戻るね。


 いつのまにか季節が変わっていた。

 食べ、寝て、必死に走って、そして、梅雨の土砂降りのなか、ただ濡れながら重いという以外に考えることができないほど、ただただ重い荷物を戦場まで押した。


「雨がひどいな」というと、トミが言った。

「冬ほど悪くない。冬は雪山で凍死者もでるんや」


 ギリギリの時間のなかで、飛び交う矢の雨を見ることさえも、驚かなくなった。そんなふうに感情が摩耗まもうするが、なぜか、周囲はみな明るい。明るくなければ生きてけないんだろう。


 3日ほど続いた雨があがった日、小荷駄隊ホ組は城内に呼ばれたんだ。


「ついてこい」


 呼びに来たのは、いつぞやオババと喧嘩に発展しそうになった足軽の男だった。


「なんや」と、トミはいぶかしんだ。

「いいから、黙ってこい」

「なにか知っているか」

「いや、なんも聞いてねぇ」

「どこへ行くんや」

「二ノ丸だ」


 私たちは雇われ農民の雑兵であって、坂本城内の三ノ丸より先に行ったことがない。


 理由もわからず三の丸の橋を渡って二の丸に入った。

 この城は水城と呼ばれるだけあって、琵琶湖の水を引き込み、その間を縫って三重の堀をつくった要塞でもあるんだ。


 戦国時代に布教できた宣教師フロイスは「豪壮華麗な天守」と城を評した。目前にある城は確かに美しく華麗だった。


 私は感動したよ。

 幻城といわれる坂本城からまだ木の香りがするって、そんな真新しい姿を見せて、私を招いているなんて。


 荘厳な天守閣は二つあった。その先に琵琶湖が広がって船も入ってくる。活気に満ちた世界だ。


「おい、キョロキョロするんじゃねぇ」と、男が言ったようだが聞こえなかった。


 二ノ丸に入ることを、ずっと望んでいたけど。だって、現代じゃ、この場所は普通のありふれた住宅街になっている。お粗末な石垣が少し残っているだけ。城があったなんて想像もできない場所になっているんだから。


「アメ」

「へ」

「アメ!」

「オババ、三ノ丸の天守閣が見える」


 私はオババの注意を無視して夢中になった。それで誰かに背中を突かれ、はじめて自分の立場を思い出した。


「おい、お前。何を見とる」

「え? 坂本城で」

「さっき言ったろうが、キョロキョロすんじゃねぇ」

「あなたねぇ。この城が幻なんて知らんでしょ。貴重な経験なんだから、ちょっと黙っ……」


 言葉の途中でトミに口を押さえられた。


「すんません。こいつ、ちょっと、頭が」


 トミが額のあたりで人差し指をくるくる回してる。

 歴女にとって坂本城を見るなんて、こんな経験できるはずないんだから。普通の住宅街しかない場所に、壮麗な城が建っているんだよ、奇跡みたいなんだよ。

 それを、くるくるって。


 明智光秀の居城で、妻の煕子ひろこもいるはずで、この当時なら有名な細川ガラシャ夫人だって、まだ10歳で城を遊び場としている……。


 天守閣近くには「表御殿」と「奥御殿」があり、政務は表御殿で行い、奥御殿が生活の場であったはずだから、そこに彼ら彼女らが、今、この瞬間に息をしている。


 これで興奮しないはずがない。

 会いたい!

 心がよじれるほど会いたい!!


 煕子は幼いころに疱瘡ほうそうを患い、顔の右側が醜くくなった。左側は本来の美しい顔であろう。だから、会えば、すぐに煕子とわかるはずだ。


 もう、どうしたら明智一族に会うことができると考えたとき、

 法螺貝が鳴った。


 橋の方向から馬の蹄音も聞こえてくる。

 周囲が興奮に包まれた。


 なに?

 背後をふり向こうとした瞬間、


「おい、平伏だ! そこの女、平伏せんか!」

 全員が後ずさり、平伏した。


 なにが起きたんだ。

 私はボーッとして、その場に立ち尽くした。


(つづく)

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