明智光秀によろしく

雨 杜和(あめ とわ)

第一部

第1章

第1話 姑と一緒に転移、ありえへんから!

天正元年(1573年)8月いわゆる戦国時代


【プロローグ】


 近江、小谷城にて馬上からオババの激励が飛んだ。

「古来より近江を制するものは天下を制す! 皆の者! おくするな、敵は浅井長政ただ一人! 首をとるぞ!」

「おう!」


 どの兵も泥で汚れ日焼けしていた。その一人である私は手に持つ長い槍を持て余しながら走っている。やけくそで泥と汗と血の戦場を駆けていた。


「おっし、ここじゃ、ここを陣地として、死守する」

「おう!」


 なんで、オババ、そんなに意気揚々と気勢をあげてるって。そんな場合じゃないでしょ、この事態、ほんと信じられない。

 え? なにかの戦国武将イベントに参加しているかって?

 ちがうの、マジの戦場、ほんと血を見てる……


 そうそう、最初に自己紹介しといたほうがいいかもしれない。


 私の名前はアメ。問答無用の専業主婦だ。そして、オババというのは、夫の母親。つまり、私からみれば問答無用のしゅうとめにあたる。


 ねぇ、わかっていただけるだろうか? この私の悲惨な状況ってのを。


 戦国時代の庶民に意識が入れ替わった悲劇と姑が一緒という悲劇。ま、これ、どっちが大変かって問題なんだけどね。


 それ、一択だから!


 世界で最も一緒にいたくない人物、それは……、

 学生も仕事も結婚もして、一通りを経験した私からいえば、それは間違いなく"姑"一択だ。

 すぐイラっとする教師とか、会社の嫌味な上司とか、噂好きの友人とか、一緒にいたくない人類はいるけど、やはり、姑は最強だ!

 ゲーム界でいえばラスボスに近い。


 さて、あろうことか、私と姑は戦国時代の人間と意識が入れ替わってしまった。強調しておくけど、おそらく一緒にくる相手を選べるなら姑は最下位になる。いや、むしろ、選択肢にない。


 そんな状況の私にとっての望みは、この冒険譚を読んでほしいってことなんだな。


【第1章】


 さて、話は3ヶ月ほど前まで遡る。卑しい掘っ建て小屋で目覚めたところからだ。


 現実へと意識が戻ろうとしていたが、今から考えれば戻りたくなかった。体が重くてだるい。低血圧の私は朝が苦手で、だから、ぼぅ〜と……。


 ぼぅ〜と……。


 いや、違う、なんか違う。ん? なにこれ?

 むっちゃ爽快だ。なんて気持ちいい目覚めなんだ!

 これまで生きてきて、こんな気持ち良い目覚めは経験したことがなく、そのうえ体が軽い。


 なにかがおかしいってすぐ思った。奇妙だ。これは、いっそ、なにかの病気か? いっそ爽快病なのか?


 目覚めるまえに違和感ありまくりだった。


 低血圧は低血圧らしく、朝は辛いのって言い訳して、怠けなきゃいけない。その使命感にも似た思いで偏頭痛を呼んでみたが返事がない。なんとも気持ちがよい。


 片目を開けた。天井に古びた木の梁があり、寝返ると何かに当たった。

 あ、ありえん!

 ぜったいに、ありえん!!

 なに、このひなびたを通りこした壊れかけの場所は、ぜったいに廃屋だ。そのうえ床は硬い木材の板で、それもかなり傷んでいる。板でイタってダジャレ考えてる場合じゃない。


 その時だった。

「目覚めたか!」

 頭上から声がして飛び起きた。


 おっと、勢い余ってつんのめりそう。私の体、動きが良すぎる。

 ポンコツ軽自動車が急に高級セダンなったみたいに身体の動きがいい。

 で、声のする方向を振り向いた。白髪交じりの女が土間に立っており、こちらを険しい目でにらんでいた。ひどく汚れた古い着物をはおり、そして、怖い顔。


 とっさに誘拐されたって思ったね。

 この女が誘拐したんだって。


「わ、わたしを、誘拐したって、得にはならないから!」


 中年の女はいきなり吹き出した。


「誘拐! こっちが言いたいわ。名前」

「へ?」

「名前を聞いてる!」


 この上から目線の言葉使い、なぜか懐かしさを感じる。


「な、名前って、個人情報つかんで、オレオレ詐欺ですか」

「はよ、名を」

「聞いて驚くなよ」


 つい虚勢をはってみた。誘拐犯には負けてはおれん。


「驚かんわ、予想通りなら」

「いや、驚け!」

「まちがいないな。その素っ頓狂な受け答え、ものすごく馴染みがある。アメか」

「そうだ」


 あっ、し、失敗した、自分の本名を明かしちまった。


「なぜ、知ってる、誘拐犯」

「わたしは誘拐犯ではない。そして、私はあんたの姑だ」

「へ?」

「オババじゃ」


 ないないない……。


 今、話しているのがオババ?

 ぜったい違う。確信を持って言える。この目の前のおばさんはオババじゃない。ラスボスとしての方向性を間違ってる姑とは外見がまず違う。

 オババは背が高くがっちり系。そんじょそこらの嫁なら、ひょいって抱えて吹き飛ばしそうな大女がオババだから。


 一方、眼前でオババを名乗る女は痩せ細り小柄だ。確かに白髪交じりだし、顔は日焼けしてシワが多く老女に見えなくもない。


 しかし、お判りになるだろうか?

 76歳の女と、40歳過ぎて老けて見える女の差というものを。ちなみに姑は76歳で、今、眼前にいるオババと名乗る女は若い。


 もっと年齢を下げるとわかりやすいかも。例えば、20代で老けて見える女性と、40代で若く見える女性とは、それは似て非なるものなのだ。


 年齢は身体全体や顔に現れ、どんなに若く見えようとも、それは隠し難いものなんだよ、女性諸君。怒らんでくれな。

 自戒を込めて書いてるんだから。若く見えると、実際に若いは違うって。ことによっちゃ地球規模の距離が、その間には存在してる。


 だから、はっきり言える。

 目前の老女に見える女はオババじゃないし、さらに言えば顔が違う。身長が低いし筋肉質だった。


「あなたがオババのはずがありません!」

「自分でもそうありたいよ」

「その姿、まるで違うし」

「自分の顔を見たのか」

「私の」

「ほら、そこの水の入ったツボをのぞいてみればわかる」


 土間からパチパチと音がして、薪が燃える香ばしい匂いがした。

 え? カマド? あれはカマドじゃないか。また、風流な。そして、カマドの端には黒ぽく汚れた大きなツボがあった。

 私ね、どうしようか迷ったが土間に降りて、それから、おずおずとツボをのぞいてみたんだ。


 いやいやいやいや……。


(つづく)

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