第18話 動き出した黒いヤツ

「佐々木さん、何かわかりましたか」

「妙に静かでよく分からん」


 伊佐と佐々木は床に手をついて、船の最後方でプロペラがついた装置を睨んでいた。

 エンジンが止まった船内、しかもエンジンルームは特に蒸し暑さが増した。汗が額からこめかみを伝い顎から滴る。後頭部から首も大変なことになっている。すでに作業服の下に着ているティシャツは、汗でびしょ濡れだ。


「叩いてみるか」


 佐々木は腰に下げた工具バックから鉄棒を取り出して、周辺をカンカン叩き始めた。叩きながら耳だけをプロペラに向けている。


(音で、感知しようとしているのか……)


 それは、ベテランにしかなし得ない技である。検査機器で故障を探すのが当たり前の時代に、手と目と耳で点検するのだから。


「なにか噛んでるみたいな音だ」

「噛んでるって、プロペラにですか?」

「ああ。硬い何かを巻き込んでいる。なぜだ……」

「ここからでは見えないですね。いや、ちょっと待ってください。見える……かもしれない」


 伊佐は機械のずっと先にあるプロペラに目を凝らした。綿津見から与えられた能力なのかは分からない。しかし、しだいに影となって浮き上がってきた。プロペラの羽根をガッチリと掴む腕を!


「佐々木さん。あいつかもしれない。さっき私が見た黒い手」

「まさか、本当に活動しているのか!」

「エンジン再始動させたたら、排除できないですかね」

「それは危険だ。ヤツは潜水艦の魚雷でも死ななかったんだぞ。巡視船のスクリューやプロペラなんて、痛くも痒くもないさ」

「くそ!」


 どうしたらいいか。手を伸ばして届くような仕組みではない。手が届いたところで、意思を持ったロボットの手を人間ごときがどう払うというのか。


「伊佐さん!」


 歌川が合流した。


「歌川。上の様子はどうだ」

「どうもこうも、何もできずにお手上げ状態ですよ。錨も下ろしちゃったみたいですし。船長は長期戦を覚悟したようです」

「そうか……」


 その時、船内放送が始まった。


『各科のリーダーに告ぐ、作戦会議室へ集合せよ。繰り返す、各科のリーダーは作戦会議室へ集合せよ』


 なす術もなく朝を迎えるわけにはいかない。まもなく夜が開けようとする頃、船長が招集をかけた。目の前の敵をみすみす放置するのは悔しいが、今は何もできそうもない。伊佐は佐々木に声をかけた。


「佐々木さん……」

「わかったよ。行こうか」


 三人は作戦会議室へと向かった。



 ◇



 作戦会議室では、各科より科長と二名の主任の三名ずつが出席した。電源は落ちたままなので、テーブルには携帯用行灯が置かれていた。

 呼ばれた乗務員が次々に部屋に入り、いつもの席に座った。それぞれかなり険しい表情をしている。

 おおかた揃ったところで船長が立ち上がった。


「では今から作戦会議を開く。これは訓練ではない。まあ、それは皆がよく分かっているでしょう。司会は、監理官の伊佐くん。記録係は歌川くんでいく。伊佐くん、これまでの経緯を簡単に説明をよろしく頼む」

「はい。では、始めます。全科揃いましたでしょうか」


 伊佐が薄暗い部屋を見回したところで、歌川が口を開いた。


「主計科がまだのようですね」


 たしかにこの場に、主計科のレナたちの姿はなかった。伊佐は会議室のドアを開け船内の様子を確認したが、すぐに彼らが来るような気配はない。


「一刻を争いますので、先に始めます。主計科には後ほど説明します。では、これまでの経緯をお話しします。本日、午前三時過ぎ……」


 通信科がSOSを受信した。いつもの手順で発信地、船名などの確認に入った。しかし電波が安定せず、国籍や船名確認がうまくできなかった。辛うじて発信地とら思われる位置を特定し、巡視船かみしまを近くまで移動させた。甲板には見張員を増やし、SOSを発信した船舶を探した。

 しかし、SOS発信地付近と思われる場所にきても船舶は見当たらない。見張員に確認してもそれは同様だった。レーダーにかすかに反応した光は、すでに無く、辺りは静かな海原が広がっていた。


「しかし、船舶はなし。見張員に確認をさせましたが、乗務員らしき影も海面には見当たりませんでした。それこそ、ゴミひとつなかったと。通信科はそれでも微量に発せられている電波をキャッチしていました。その後本船に異常が現れはじめたのです」


 電波はあるが、発信源が分からない。すると突然、左舷見張員から無数の漁火のような灯火があると無線が入る。伊佐と歌川二人は確認のため左舷甲板に向かう。

 確かに海面に灯火があった。それは、漁火ではない。船舶が一隻も見あたらなかったからだ。


「システム障害、エンジン不具合、左舷内部に熱を感知したため、機関科の判断でエンジンストップしました。先ほどまで私は佐々木機関長と原因究明のため、機関室にいましたが、原因究明までには至っておりません。現在、本船は錨を下ろしたまま待機中です。以上が、これまでの流れです。では、ここで各科の状況説明と今後の対策をできる範囲で共有お願いします」


 伊佐はエンジンルームで見た黒い手(人造人間)のことには触れなかった。触れたところで、説明ができないと判断したからだ。


「では、通信科から申し上げます。予備バッテリーでなんとかしのいでいるところです。例のSOSは現在は受信しておりません。万が一、本船がSOSを出すことがあればですが、その場合は夜が明けてから海上自衛隊の護衛艦つるみにコンタクトを考えています。通信手段が限られているためです」


 巡視船かみしまは明後日みょうごにち、護衛艦つるみと補給訓練を行う予定でいた。ちょうど付近を通過するので、万が一は彼らに頼るのが得策と考えたのだ。本来は石垣海上保安部にこの件を報告する義務がある。しかし、システム障害の関係でそこまでの通信が確保できていないのが現状であった。


「今ごろ本部では大騒ぎかもしれませんね。巡視船かみしまがデンジャーゾーンを抜けてからすぐ、消息をたったのですから。一応、無事であることだけは打ちましたが、届いたかは不明です」


 通信長の江口は眼鏡に軽く触れ、冷めた口調でそう言った。


「航空科の角倉と申します。今回のシステム障害にあたってのうおたかの状態ですが、通信機器等に問題はありませんでした。おそらく離発着は問題ないのではないかと推測します。ただし、管制のやりとりができるか不明です。最悪、脱出をする場合十五名まで搭乗可能。給油なしで沖縄本島あるいは鹿児島までは問題ありません。以上です」


 うおたかはスーパーピューマという大型ヘリコプターである。移送能力は人間ならば十数名、吊り上げ能力はおよそ四トン。航行距離は700キロメートル(福岡ー羽田)、時速270キロメートルで可能。今のところ充電も燃料も問題なし。飛行に関わる機器も問題ないという。

 このうおたかも、護衛艦つるみとの補給訓練に参加予定である。


「ありがとうございます。歌川さん、大丈夫ですか。一度、止めますか?」


 伊佐はパソコンではなく、ノートに筆記する歌川を気遣って発言を一旦止めようとした。しかし、歌川は迷惑そうに眼鏡を持ち上げでため息をついた。


「僕のことは気にせずに続けてください。一刻を争うんですよね。ほら、次の報告が欲しくて新しいページで待機中です」


 伊佐は歌川のノートを覗き込んだ。前のページを見ると解読不明のにょろにょろした線が書き込まれている。


「へぇ、速記もできたのか」


 伊佐が感心しきった様子でそういうと、歌川は口の端を吊り上げて笑う。


「みくびらないでいただきたい」

「そう? では、遠慮なく進めます」

「はいどうぞ。必要ならば挿絵もつけますよ」


 もともと歌川は芸術の道に進みたくて、大学では絵の勉強をしていたくらいだ。もしかしたら視覚的な能力も高いのかもしれない。


(そのうち、人造人間の腕を描かせてやるよ)


 伊佐は物騒なことを心の中で呟いた。


「では、続けます。特警隊どうぞ」

「かみしま特警隊、平良です。今回の……――」


 特別警備隊はあらゆる不測の事態にそなえ、フル装備で待機している。今回の案件が救護になるのか警備になるのか不明であるからだ。万が一、テロなどが絡んでいたとしたら戦闘態勢をとらざる得ない。


「伊佐くん。ありがとう。だいたい理解した。あとは、私の方で考えてみるよ。下手にこの水域にほかの船舶を呼ぶことはできない。危険すぎる。通信科が言うように、護衛艦つるみの力を借りることも考えよう。ただ、その護衛艦つるみが無事にこの水域を通過できるのならばだが」


 全員が「そうですよね」と、俯く。最悪は護衛艦つるみまでシステム障害に見舞われかねない。であれば早めに、この状況を知らせておくべきであろう。


「江口くん。護衛艦つるみに、航路を再考するよう連絡を入れてください。やはり、ミイラ取りがミイラになるのはダメだ」

「……はい」


 船長の指示はもっともであった。



 ◇



 各科から現状報告がされたが、主計科に関しては未だ代理人すら現れない。

 なにかあったのではないか。

 伊佐と歌川は同時に顔を見合わせた。歌川が先に言葉を発した。


「主計科はまだ誰も来ませんね。まさか、何かあったのでしょうか」

「船長、ちょっと見てきます」

「そうだね。さすがに心配ですね」


 その時、作戦会議室の扉が勢いよく開かれた。そこに現れたのは主計科主任の金城由里。海保友の会新聞に載せるためと、伊佐にカメラを向けた職員だ。


「会議中すみません! 助けてください!」


 ただ事ではない様子に、伊佐が動いた。


「金城さん、でしたね。何かありましたか」

「食堂にっ! 食堂に、黒い塊が動き回って、暴れています!」

「黒い塊⁉︎」


 作戦会議室に妙な空気が漂った。すると、航海科の由井が呆れたように言う。


「電気が落ちて室内の温度が上がったんで、ゴキブリかなんかが出たのかな」

「違います! 大きいんです。攻撃的で」

「えっ、やめてくれよ。まさか島からネズミでもあげたのか」

「ね、ネズミでもなくて」


 金城は小刻みに震えていた。

 それを見た伊佐は勘付いてしまう。


(まさか、黒い手……)


「その様子だと、君だけ辛うじて脱出してきたってところかな」


 金城はうんうんと助けを請うように、伊佐の腕を掴んだ。


(やっぱりそうか! まずい!)


「平良さん! 特警隊を連れて食堂にきてください。佐々木さん、あいつかもしれない」

「なんだって!」


 伊佐は作戦会議室を飛び出した。

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