第8話 猫

 次の日は日曜日で、二人は少し寝坊して目を覚ました。昨日のことは本当のことだったのか。ぼんやりとした頭で思い返していると、外からにぎやかな声が聞こえてきた。声の主は家の中に入ると、どんどん岳斗の部屋に近づいてきて、勢いよく引き戸を開けた。あまりの勢いで、引き戸は端までいってドンッと音をたてて、半分くらい跳ね返った。

 希々だ。


 「大変よ!昨日の試合会場だったあの体育館。放火されたんですって。今、ニュースでやってた!」


 「えっ!?」2人はおどろいて顔を見合わせた。

 放火されるのは神社だけではなかったのか。

 答えはひとつ。

 昨日体育館で、天記が龍神の力を使ったせいだ。

 もしかすると、もうすでにここも嗅ぎつけられているかもしれない。

 さっきまでの眠気はどこへいったのか、2人はすっかり目が覚めてしまった。

 岳斗と天記は、布団から飛び起きて着替えると、朝食も摂らずに外へ出た。


 「天記さん、ついてきて」


 「ちょっと、どこ行くのよ!」


 希々がヒステリックに声をあげる。


 「希々は来るなよ!」


 岳斗がピシャリと希々を制した。


 「なんでよっ!」


 それでも、岳斗の言う事はとりあえず聞く希々だった。



 神社の表門をくぐり、天記を連れて外へ出ると、岳斗は外塀に沿って早足で歩きだした。


 「どこ行くんだよ。岳斗」


 黙々と歩き続け、とうとう外塀の西の端まで来ると「ここです」と、言った。


 「よかった。なんともない」


 外塀と道路の間に一本の大きな木が立っている。その木の幹を、岳斗がペチペチと叩いた。


 「え、何?」


 天記もその木をじっと見る。昔からある天記にも馴染みのある大木だ。


 「この木、なぎの木って言うんです」


 「なぎって、ナギと同じ名前だ」


 天記は初めてこの木の名前を知った。


 「そうですね。この木はナギの作った結界なんです。うちと、神社の敷地と、天記さんちと、この裏手にある森をぐるっと取り囲んで、全部で七本立ってます」


 岳斗が、祖父である前の宮司から引き継いだ仕事の一つで、定期的にその一本一本を点検しているのだった。

 外塀の西側を曲がり、ゆっくりと歩いてゆく。北西の角、森の始まるところに一本。森の終わるところに一本。道路に面して二本。天記の家の東側に二本、合計で七本がいつもと変わりなく立っていて二人はホッとした。


 「こんなに広く結界が張ってあるなんて、守られてるんだね」


 天記は、大木を見上げ感慨深げに言った。今まで知ることなかった、父親の愛を感じているようだった。



 さて、少し安心したところで、二人が朝食でも食べようと表門の方向へ向かって歩いている時、最初に見た梛の木の向こう側に一匹の猫の姿が見えた。


 「岳斗、あれ!」


 天記が指さした先に、猫のしっぽがかすかに揺れて、森の始まるところにある梛の木の結界をあっさりと超え、森の中へスーッと入ってしまった。


 「ウ、ウソッ!?」


 岳斗は思わず声をあげた。

 見失うわけにはいかない。早く追いかけなければと、二人も森の中へ入っていった。

 森の中央には小さなほこらがあった。天記も小さい頃からよくこの森で遊んでいたから、祠があるのも知っている。ただなんの為の祠なのか、天記は知らない。祠の周りだけ少し開けていて、遮るものがないから、頭上から明るい陽の光が入ってくる。

 祠の前まで来て二人は立ち止った。

 猫は祠の前の石段の上にちょこんと座って、右手をなめては顔を拭っていた。薄い灰色の毛並みの良いその猫は、二人の存在に気付くと、拭っていたその手を止め、こちらをじっと見つめていた。

 エンキが差し向けた猫だろうか。岳斗も天記も足がすくんで、動くことができなかった。

 すると天記が急に「うっ」と、声をあげた。


 「どうしたんです?」


 「右手がムズムズする。わ~っ、気持ち悪い!紫龍、出たがってる?」


 「出してやったらどうです?」


 岳斗に促されて、というよりムズムズが気持ち悪くて、天記は紫龍を呼び出した。紫龍は右手からフワッと出ると、そのまま迷わず猫のところまでスーッと飛んで行った。


 「紫龍?」


 二人が慌てて止めようとしたが、間に合わなかった。紫龍は猫の目の前まで行って、当たり前のように声をかけた。


 「チシャ、久しぶりじゃのう」


 どうやら敵ではなさそうだ。

 岳斗と天記は恐る恐る猫に近づいて行った。


 「ホント久しぶり」


 「しゃ、しゃべった!?」


 「天記さん、龍がしゃべるくらいですから、猫がしゃべったって不思議じゃない気がします」


 「猫って言わないで、とりあえず祠を開けて中に入れてちょうだい」


 「祠に入れるって、なんで知ってるの?」


 岳斗は驚きながらもポケットから鍵を取り出すと、祠の格子戸に掛けられた南京錠を開けた。


 (そもそも、その祠の格子戸を開けることができる岳斗の方が驚きだ)


 天記はそう思ったが、あえて何も言わないでいた。

 格子戸を開け祠の中に入ると、岳斗は慣れた手つきで真ん中の神棚を台座ごと動かした。すると、台座の下に階段が現れた。


 (また?)


 天記はもう不思議がることはなかったし、何が起きても驚く気もしなかった。

 猫、紫龍、天記の順で階段を降りてゆく。最後の岳斗は内側から格子戸の南京錠をかけ、階段を降り、下から台座を元の位置に戻した。

 真っ暗な階段の電気をつけると、階段の先は通路になっていて、しばらく歩くと突き当りに扉があった。引き戸をスライドさせると、そこは岳斗の部屋の下にある隠し部屋だった。

 岳斗の部屋から通じている入り口の、反対側にある本棚がスライドして、入れる仕組みになっていた。

 天記と岳斗は椅子に座り、紫龍はフワフワ浮き、猫はテーブルの上へピョンと飛び乗った。


 「初めまして、私はチシャ」


 そう言うとチシャは、大きなテーブルの上を体をくねらせながら、端から端まで歩いた。

 薄い灰色をしたその猫は、美しい毛並みに、長くてキレイな二本のしっぽを持っていた。二つの耳は、両方とも先が二股に分かれていて、大きく特徴的なその目は銀色に輝いていた。


 「昔、龍神族の村の中で、えらくナギにほれ込んだ娘がおってな……」


 紫龍が話し始めた。

 その娘は、誰に添い遂げることもなくナギの側に居続け、当時の人の寿命が四、五十年だったのにも関わらず、百八歳まで生きた。

 そして、死んでもなおナギのそばを離れられなかった魂は、とうとう天に昇ることができなかった。

 さまよった魂はしかたなく、その時ナギが大切に飼っていた猫に乗り移ったのだった。


 「それから二千年近くも生きとるんじゃからな。化け猫といっても間違いではなかろうな。ふぉっふぉっふぉっ」


 紫龍が馬鹿にしたように笑うと、チシャは猫らしくシャーッ!と声を上げ、怒りを露わにした。


 「失礼ね!」

 

 「しかし、十年前にナギが消えた時、お前も一緒に消えたと思うとったが、まだ生きていたとはな」


 「ナギ様に頼まれたのよ。これから先、私の子を守ってくれって」


 そうチシャが言うと、ますます馬鹿にしたように紫龍が笑った。


 「お前ごときが龍神の子を守れると?ナギはいったい何を考えておったのか」


 そんなことを言っている間に、チシャはテーブルの上からくるりと宙で一回転して床へ降り、その瞬間人の姿に変身した。


 「わーッ!」


 岳斗と天記は驚いて声を上げ、同時に立ち上がってチシャに背を向けた。

 チシャは、百八歳などとは思えぬほど、若く美しい姿をしていたのだが……。


 「ごめんなさいね。どうしても猫のしか隠れなくって」


 人の姿になったチシャの身体には、少しの毛皮では足りず、ほぼ裸にしか見えなかった。

 岳斗も天記も背を向けてはいたが、どうしたらいいのかわからず、モジモジしたり、お互いちょっと顔を見合わせてニヤついたりしていた。


 「悪いんだけど、何か着るもの貸してもらえないかしら」


 「あ、はい」


 岳斗はなるべくチシャを見ないように、またはチラチラ見ながら、自分の部屋に行き、Tシャツと短パンを持って戻ってきた。

 岳斗の伸長は、新学期明けの身体測定で百六十五センチ。チシャはそれより少し低いようだが、とてもスラリとしていた。

 Tシャツを着て、短パンを履いたが、人としてはいささか不自然なところがあった。短パンの裾から、二つのしっぽがユラユラとのぞいていたのだ。


 「これだけは、変身できないのよね」



              つづく

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