第4話 龍神の子

 帰宅した二人は、岳斗の家で一緒に風呂に入った。それは、二人にとって試合後の習慣になっている。

 岳斗の家の風呂はぜいたくな造りで、ヒノキを使った内装に、大きな石貼りの浴槽、龍の飾り蛇口からは絶えず湯が流れ出ている。さながら温泉宿の浴場といったところだ。

 いつもなら、試合の結果に一喜一憂したり感想を言い合ったりと、話すことの絶えない時間だ。だが、今日の二人は一言もしゃべらなかった。

 風呂から上がり、二人は岳斗の家から天記の家に移動した。隣り合う二軒の家は、お互いの庭でつながっている。とはいえ、二宮家の敷地は広い。玄関から玄関まで二分程度は歩く。

 歩きながら、岳斗はなんとなく空を見上げた。

 月の輪郭がはっきりと見えるくらい、夜空は綺麗に晴れていた。星の一つ一つが、宝石のようにキラキラと輝いて、自分の心の持ちようとは対照的だと思った。後ろに着いて歩いてくる天記に目をやる。下を向き、そこだけ重苦しい空気だ。きっと、今日の出来事を理解できずに、苦しんでいるに違いない。そうは思っていても、岳斗自身どう天記に接したら良いのか分からずにいた。しかし、このままにするわけにはいかない。

 視線を戻し、サンダル履きの自分の足が交互に進むのを見ながら、岳斗はあることを決心した。


 二人が神堂家の玄関に足を踏み入れた時、既に岳斗の家族である二宮家の人々が、天記の優勝と誕生日を祝うために集まっていた。

 二つの家族は、事あるごとにお互いの家を行き来している。

 年中行事から冠婚葬祭、誕生日や小さな祝い事まで共にしてきた。

 今日も、岳斗の母親のルミ、父親の岳夫、祖母の千恵、それと今年三歳になる妹のミミ、それから、真紀と希々の六人がすっかり盛り上がっている。

 後から入ってきた二人に、岳夫がビールの入ったグラスを持って、ご機嫌な様子で声をかけた。


 「遅いぞ〜、待ってたんだ」


 二人は、料理を目の前に並んで腰を下ろした。その後は、乾杯したり食事を楽しんだり、希々が今日の対戦相手である山田美由の悪口を、ここぞとばかりに大げさに話して、皆を笑わせたりしながらにぎやかに過ごしていた。

 そんな中にいても、岳斗と天記は何かを祝うような気分にはなれなかった。ただ黙々と食べ続け、誰かに話しかけられても、うなずいたり気のない返答をするばかりだった。

 しばらくして、大人達がいい具合に酔っぱらってくると、頃合いを見計らった岳斗が立ち上がって言った。


 「おばさん、今日は天記さんをうちに泊めてもいいですか?」


 いつもお互いの家を泊まりあっている。酔いの回った大人達が、二人の言動をそれほど気にしている様子はなかったが、一応確認して二人はその場を離れた。

 天記自身は何の確認もされなかったが、逆らう気もない。しかしながら、今日あった事を、このモヤモヤした気持ちをスッキリさせるには、岳斗に着いて行くしかないと思った。

 二人は神堂家にきた時の道のりを辿って、二宮家に戻っていった。

 出ていく二人の姿を、真記とルミが幸せそうな笑みを浮かべて見つめていた。


 「大きくなったわね、二人共」


 テーブルにほお杖をつき、片手にグラスを持っていたルミが、真記と顔を合わせて言った。


「天記ちゃんもだんだん男らしくなってきて。今日の試合、梛人なぎとさんにも見せてあげたかった」


 梛人は、天記と希々の父親である。希々が生まれて間もなく、亡くなってしまった。

 真記は口の端を少し上げて微笑んだが、でもねと続けた。


「天記はなんだか頼りないとこがあって。優しい子だと思うし、いいとこいっぱいあるんだけどね。どうしてか、いつも自信がなさそうで」


 ちょっとうつむき加減で、あまり人の目を見て話すこともない。そんなところも心配だと真記は言った。

 なにより天記自身が、いつも隣にいる岳斗との差を、情けなく感じているように見えてならなかった。

 


      * * * * *


 

 岳斗は、部屋に入ると電気を点けた。いつもなら岳斗は学習机の椅子、天記はベットの上に座る。そこが二人でいる時の定位置なのだが、なぜか岳斗は立ったまま、座っている天記を恐い顔でじっと見下ろしていた。


(やっぱり今日の試合、岳斗は納得できなかったのかな。それとも俺、他に悪いことした?)


 天記がそんな事を思っていると、岳斗が天記の手を取って、座っているベッドから立ち上がらせた。


 「天記さん、着いてきてください」


 「え、どこに?」


 岳斗は後ろを向くと、壁際の大きな本棚のところまで歩いて行き、本棚の端に手をかけた。両手でグッと右の方へ力を入れると、本棚はゆっくりとスライドした。本棚の向こう側に壁は無く、その代わり、ようやく人が二人入るくらいの小さな空間と、地下へと続く階段があった。

 

 「なにこれ?どうなってんの?」

 

 それは、天記が今まで知らなかった、初めて目にした空間だった。


 「いいから、着いてきてください」


 天記の驚きをよそに、岳斗は階段を慣れた様子で下りていく。慌てて天記も後を着いていった。小さな電気が点いてはいるものの薄暗い。階段を降り切ると、岳斗の部屋の真下が、結構な広さの地下室になっていることが分かった。

 岳斗が電気のスイッチを押すと、地下室が明るくなり部屋全体が見えた。壁には大きな本棚があった。そこには、到底古いだろうと思われる書物がたくさん積んである。部屋の真ん中に、いつの年代の物なのかはわからないが、古いテーブルといくつかの椅子が置いてあった。他にも、何に使うのかわからない、たくさんの古い品々が並んでいた。

 とにかく、天記は驚いて部屋中を見回していた。目に入るものは全て、今の時代の物ではないようだ。

 岳斗は、天記に椅子へ座るようにうながすと、自分は本棚から古びた茶色の革の手帳を手に取って、天記の反対側に座った。


 「ここは何?」


 誰もがこの状況下にあれば、同じ質問をするに違いない。

 しかし、天記の質問に答える様子もなく、岳斗は唐突に話し始めた。


 「今から話すことは、天記さんにとって大事なことですから、よく聞いてください」


 そう言うと岳斗は、大きく息を吸ってゆっくりと吐いた。


 「これは、俺の他には誰も知らないことです。この部屋のことも俺以外誰も知りません。父さんも、母さんも知りません。俺は、今から天記さんに話す事を伝えるために、死んだじいちゃんからこの部屋を引き継いだんです」


 そして、岳斗は次に信じられないことを口にした。


 「天記さん、あなたは龍神の子です」


 「今、何て言ったの?りゅうじんって何の話?」


 「それはですね。え~、あーっ、もうめんどくせぇ、ちょっと敬語ヤメ!」


 どんな時も冷静な岳斗が、やけに興奮して、天記の前では選んで話していた言葉も上手く並べることができないでいた。

 そんな岳斗は今まで見たことがない。これは只事ではないと、天記はこれから言われるであろうことに身構えた。


 「天記のお父さんは龍神で、ナギっていうんだ」


 確かに、天記の父親の名前は梛人なぎとという。

 十年前に事故で亡くなったと聞いている。天記が二歳の頃で、記憶にもほとんどなく、写真や動画で見たことがある程度しか知らない。

 それに、突然そんなことを言われても、天記には全く実感がない。狐にでもつままれているような感覚に、天記は疑いの眼差しで岳斗を見た。


 「冗談なんかじゃ無いですよ。さっきも言ったけど、これは俺しか知らない。おばさんも知らないことなんだ」


 夫婦でいたはずの真記すら知らないなどと、誰が信じられるだろうか。しかしこの地下室を見るにあたり、岳斗の言うことが全くの嘘だとも思えない。

 頭で必死に考えても理解できない。答えを導き出せないまま沈黙が続いた。しばらくして少し冷静になった岳斗が、一体どこからどう話そうかと思案し、ゆっくりと口を開いた。


 「ナギは、天記さんが生まれてくるのをずっと待ってたんです」


 「なんで?」


 「自分の持っている力の全てを与えるために」


 「ちから?」


 「そう、龍神の力。天記さんには、ナギから与えられたたくさんの能力があるはずなんです」


 岳斗の祖父、守夫もりおが言い伝えたこと。ナギが龍神で、天記がその龍神の子であると言うこと。天記の十二歳の誕生日に、その事実を伝えるよう言われていたこと。そして、天記の力を十二歳になるまで封印させていたということ。

 岳斗がそこまで説明すると、少しづつ真実味を帯びてきた話に、それまで疑心暗鬼だった天記が反応した。


 「どうして力を封印してたの?」


 「小さな子供には扱えるような力ではないからですよ」


 「俺、まだ子供だけど」


 「そーですね」


 ちょっとバカにしたように岳斗が言う。


 「俺もずっと半信半疑だったんです。今日の試合の時までは」


 天記は試合の時のことを思い返した。確かに、今日の自分はおかしかった。どんな試合の最中でも、あんなに怒りをコントロールできないなんてことはなかったし、まるで自分の体ではないような気がした。


 「天記さんもちょっとは変だと思ったでしょ?俺に最後の面を打ったとき見たんです。天記さんの目、青く光ってた。あれは人の目じゃなかった」


 人の目ではないとは、どういうことか。

 天記の頭の中はもはや許容範囲を越えてしまい、パニック寸前だった。


 「コテの内側ビリビリに破けてたでしょ?龍の爪ですよ。もしかしたら角が生えたり、牙が生えたりするかもって、じいちゃん言ってました」


 確かに、コテの内側はボロボロだった。ではあの瞬間、自分は龍に変身でもしていたというのか。天記は少し恐ろしくなった。なぜならあの時我を忘れて、湧き上がる怒りの感情を、全く抑えることができなかったのだ。それと同時に、体中が異常に熱くなるのを感じた。いつもと違った自分に、一番驚いていたのは自分自身だった。

 呆然としている天記に、岳斗が言った。


 「右手を出してください」


 天記は素直に右手を出した。と、言うより出すしかなかった。今の自分はまさしく、まな板の上の鯉だ。岳斗の言いなりになるより他はない。


 「手の平を上に。意識を集中して、紫龍しりゅうと呼んでみてください」


 何のことだか全くわからなかったが、手のひらに意識を集中し、言われた通り発声した。すると次の瞬間、岳斗の言葉を全て信じなければならない、決定的なことが起こった。

 天記の右手は、小さな発火音とともに紫色の炎に包まれた。一瞬ひるんだが、熱くはない。そのうち、炎の中心からくねくねしたものが浮かび上がって、次第に輪郭がはっきりとしてきた。


 龍だ。


 紫色の炎が消えた後に現れたのは、小さな紫色の龍だった。龍が、身をよじりながら手の平の上でフワフワと浮いている。天記はともかく、右手を出せといった岳斗まで、目を丸くして見ていた。


 「外の世界は十二年ぶりじゃ。久しぶりじゃのう」


 龍がしゃべった。


 「しゃべるの?」


 岳斗の方を向いて聞いたが、岳斗は頭を横に振った。


 「これ、何?」もう一度確かめる。


 「わかりません」と、岳斗。


 「じゃ、どーして右手出せって言ったの?」


 「これに書いてあったんですよ!」


 岳斗は、目の前に置いた薄茶色の革の手帳を指で叩きながら言った。

 すると、手のひらの上でいきいきと身を翻していた小さな龍が、動きを止め口を出してきた。


 「それはナギが残した覚え書きじゃ」


 自慢げに話しながら、紫龍は天記に左手も出せと言った。出すしかない。天記が左手を同じように出すと、今度は赤龍せきりゅうと言えという。


 「せきりゅう」


 稚拙な天記の頭でもわかるくらい、予想通り。左手が赤い炎に包まれ、そこから小さな赤い龍が現れた。くねくねと、左手の上で踊るように回っていた赤龍は、しばらくぶりに外へ出た喜びで、周りのことなど気にならない様子だった。しかし、岳斗や天記の視線に気づいてピタリと動きを止め、次に天記のじっと顔を見た。


「あまりナギには似てないな」


 はしゃいでいたことをごまかすように、落ち着いた低い声で言った。


「えーと、はじめまして赤龍さん?」


 少しづつこの状況に慣れてきた天記が、ようやく自分から話しかけてみる。


 「はじめまして、じゃない。我らはずっとお前の中にいた。もっとも、外側から見るのはこれが初めてだがな」


 ひどく理屈っぽい、と天記は思った。もとより決して積極的な方ではない天記である。そんなふうに切り返されては、もう口をつぐむしかなかった。

 そんな天記と、両手に乗った二つの龍を交互に見て、これ以上どうしようもないと感じた岳斗が皮の手帳を手に持って言った。


 「俺がじいちゃんから残されたものは、この部屋とこの手帳だけ。手帳の中身だって、書いてあることはさっぱり意味がわからない」


 天記が龍神の子に生まれた意味も、自分がこれからどうしていったらいいのかもわからない、と岳斗は言った。

 

 「ふむ、まずはナギの話をしなければならんな」


 紫龍は、天記に出したままの両手をひっこめろと言った。言う通りにすると、二つの龍は宙にふわふわ浮いたままでいられた。


 「消えたい時は勝手に消える。出てきてほしい時だけ呼べばいい」


 赤龍が言った。

 それから、紫龍が静かに話し始めた。




                                  つづく

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