三.
月宮にまだ暫くはそのまま押さえつけておいてくれというお願いをして、一同は颱良とレイの下へと急いだ。
着いて早々、椋杜は冷たい颱良の上体を起こし、じっとその顔を見つめた。息をしているようには見えない。冷淡な彼の表情は読みにくいが、しかしやはり悲哀の念が現れているように思う。もしやダメだったのだろうか、と琅果と棠鵺も血の気が引いた。
何を間違ったのだろうか。どこで間違ったのだろうか。皆の瞳に浮かぶのは一様にその想いである。
「琅果、あんたが帰って来なかったら……! せめてさっさと出て行ってくれたなら――」
こんなことにはならなかったのに――と言おうとした雪晃を、棕滋が止める。椋杜もまた、どこか非難めいた視線を送りはしたが、押し黙った。その様子に棕滋は深く溜め息を吐き――
「そもそも、これは彼女の罪ではありません。颱良くんを殺したのは琅果ではない。悪いのは、彼女に何も教えなかった私たちです。私たちは、彼女に真実を伝えれば、彼女が喜んで自分の身を奉げることを知っていた。だから選んだのです。自分たちではなく、彼女が傷つく方法を。これは、その報いなのでしょう。何より、彼は自分でその道を選んだ」
その言葉に、琅果はぐっと涙を湛えた。
「結局、私たちが守りたかったのは琅果ではなく、自分たちなのです。彼女を失うという現実に耐えられないという自我を、彼女を救うという大義名分に挿げ替えた。失うよりも恨まれ、憎まれる方が楽だったから。これはその結果に過ぎません。心当たりはありますね?」
それはもちろん私もそうだ――と言いながらも、棕滋は彼らの気持ちも分かってはいる。結局は怒りの矛先をどこに向ければ良いのかが分からないという、ただの八つ当たりだ。しかし、だからこそ――
「だから琅果、貴女が自分を責める必要はどこにもない」
その時、「すぅっ」と息を吸う音が聞こえた。椋杜は驚いて腕の中の颱良を見る。そうして僅かに上下する胸元を見て、目を見開く。
「生きて、る……?」
「はい、辛うじて……」
これで本当に無事に回復するのかは分からない。しかし、命の危険はあるだろうが、一応は繋げられている状態であると思う――と棠鵺は続けた。
「とにかく安静にできる、清潔な場所へ……」
棠鵺の言葉を受けて、椋杜は強く頷き、彼の体を抱え上げる。そして早々に宮殿内へと運んで行った。その後に雪晃も黙ってついていった。
「それにしても……」
レイの姿を見て、驚嘆の声を出したのは爛瀬だった。
「
あの日、レイがどこか不安げに呟いたその言葉。それは恐らく、体の一部を欠損したりしていないか、という意味だったのだろう。彼の治癒能力は
既に小さな心臓が動き始めている様を見て、爛瀬――だけではないが――は思わず身震いした。
「彼――レイ殿は、神名を名乗られましたか?」
神名とは、神族が他種族に対して通称として使ってもらうべき名だ。ブリトマータの十二様や、スィールの綿津見などがそれに該当する。
「いえ、それが……最初から『レイと呼んでほしい』と」
「そうですか……」
棠鵺の返答を受けて、棕滋はそう一言だけ返した。
「ところで、この後の具体的な封印ってどうするんでしょう?」
白秋扇の効果は恐らく一時的なものだ。数日、下手をすれば数時間で再び暴れ出すかもしれない。そう考えると、なるべく早めにその封印とやらを施した方が良いと思うのだが――と棠鵺は暗に伝える。
「それは……」
過去に妖精が暴れた際は、五家の者の力によって霊獣が生み出されたと書かれていた。それはつまり、最低でもあと四人の生贄が必要になってしまうということだ。動物自体はいる。颱良がそれらしいものたちを集めていたから。しかし――
「それで本当に封印ができるのかも分からないのです。千年桜――いえ、千人桜の成り立ちから考えるに、恐らくは当時も巫女を人柱にしたのではないか、と思うのですが」
その言葉に、皆が沈黙する。結局そこに戻ってしまうのか、と落胆するよりなかった。しかし、張本人である琅果は「うーん」と考える素振りを見せるだけで、そこに悲痛さは感じない。
「ねぇねぇ、棠鵺くん」
「なに?」
「
そう言われて、棠鵺はそんなこともあったなと考える。確かにあの時、レイは殺せない、殺し方が分からないと言っていた。加えて、不定期的にこういうものが湧いてくることがある、とも。
「そう、だね……」
ということはアレも混血種ということになるのだろうか。そういえば直前にスィールに「魔族に会ったことはあるか」と聞かれたなと思って、何となくの合点がいった。つまりあれは、妖族と魔族の混血種だった可能性がある。疑われていたと思うと少し寂しいが、妖族は総数が少ないのだから仕方がない。それはともかくとして、だ。
「つまり、魔界、冥界にはそこそこコレがいるってことになる……?」
レイは言っていた。魔族が研究目的で拘束しているか、神族が捕らえたものは冥界に閉じ込めてある――と。
「そう、なのですか?」
「えぇ、はい。あ、いえ、まだ確定ではないんですけど、多分……」
実際のところはレイが起きないと分からないと付け加え、まずは今現在これをどうすべきかを考えることにした。
「玄冬扇で氷の中に閉じ込めちゃうとか、ダメ?」
そう問うのは琅果だ。
「琅果は、その、玄冬扇が好きだよね」
初めて会った時もそんなことを言っていたなと思いつつ、しかしあの時の経験があればこそ、今回こうして颱良の命を繋ぐことができたのだ。そこは本当に有難いと思っている。
「でも実際、それが一番可能性があるかなぁ~って、思わない?」
「まぁ、うん、そう、かも……?」
「とりあえずやってみようよ」
確かに、それで失敗したとして何かまずいことがあるわけでもない――と棠鵺は思い至る。それならば可能性があることは全部やってみた方が良いだろう。
ただし、今回は治療のためではなく、あくまでも疑似的な封印のためである。手加減はせず、思い切り強固な氷を作るつもりで妖気を解放する。
青白い光と共に、妖精の肉塊を厚い氷が覆う。まるでガラスに閉じ込められたかのように見えるそれは、特に起きたりすることもなく、静かにその中で眠っていた。
「ほら、ほらぁ! あたしの言った通りでしょ!」
「これは、氷なのですね?」
「はい」
「どれくらい持つのでしょうか?」
棕滋の疑問は尤もだ。二日三日で溶けてしまっては元も子もない。
「以前に聞いた話ですけど、この時期なら、僕が解除しない限りは夏至までは溶けないらしいです。いえ、僕も見たわけではないから分からないんですけど」
「それならば大丈夫そうですね。真偽に関しては、そのお話を信じるしかありませんが」
これでひとまず急を要するものは全て方が付いただろうかと、一行は散々に荒れ果てたその広場を後にした。
*
あなたを死なせたりしない――と、少女は確かに誓った。しかし、その誓いの相手は
其は、永き時の中で彼女を封じた幾人もの巫女の躰。
其は、永き時の中で彼女に奪われた幾人もの巫女の魂。
琅果は知っている。自分に話しかけてくれたのは、彼女ではなく、
精霊界を守るためにその身を捧げた巫女たち。彼女たちがあの異形の妖精を必死に抑え続けてくれたから今がある。だが、それが正しいことでなかったということも、今となっては否定できない。
広場を後にしながら、琅果はかつて彼女たちが居た場所を見た。見事に二つに割けた巨大な幹は年輪ごとに違う木の遺伝子を持っている。なぜなら、それはそれぞれが別の巫女の躰だから。
巫女に選ばれること。それはとても残酷なことかもしれない。だけど、それでも、彼女達が愛してくれた日々を、忘れないと琅果は胸に誓う。
「助けてあげられなくて、ごめんね……」
そう呟いた琅果の足元に、戦いを終え、元の大きさに戻った月宮が擦り寄ってきた。白くなった体毛は戻りはしないが、むしろそれゆえに――……
「ほんと、
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