四.

 ***




 落雷により、先の大火でも完全に燃え尽きることのなかった太い幹が、割れる。

 其の年輪は、かつての巫女たちの骸。其の花は、かつての巫女たちの魂。

 炎に抱かれ、其は、二度目の産声を上げた。




 ***




 これは、うただ。


 謳などという美しいものではない。誰かを賛美するためのものでなく、誰かに聴かせるためのものでなく。ただ、ただ、本能の叫びを乗せ、力任せに意思を剥き出しにし、聴く者に狂気を与える――そう、悍まうつくしき呪詛祝福の嘔だ。

 満開を迎えた桜は、はらりはらりとその花弁を散らす。花弁は薄紅の色を既に忘れ、その一枚一枚に憎悪の炎を纏う。


 割れた樹木の合間より、産まれ出でる異形の者――しかしその美しさに、琅果は思わず息を呑む。

 精霊族のように尖った耳。小柄な体。腕は蝙蝠にして、広げれば翼の如き膜を持つ。

 あなたは誰――思わずそう口にしそうになる。いや、分かっている。その正体を、知っている。そう、ずっと側にいた。ずっと語り掛けてくれた。ずっとずっと、一緒に居ようと誓った――


「千年桜……」



 *



 遂にこの時が来た――と、棕滋は急いで千年桜の広場に向かう。途中、椋杜や爛瀬とも合流し、一行は一刻も早く其処に向かうべく、脳髄に響き渡るかのような不協和音に強い眩暈を覚えながらも、霊力による肉体強化を行った。


「琅果……!」

 爛瀬が少女の名を呼ぶ。しかし彼女に届くはずもなく、その声は忌まわしき嘔に掻き消される。爛瀬の中に強い不安が芽生える。もしかしたら琅果は、全てを知っているのかもしれない――と。


 千年桜千人桜の下に着いた時、一同はほんの僅か安堵した。異形の者と対峙する琅果が、しかし決して命を投げるような真似をしていないことに。

 異形から繰り出される炎を纏う花弁の舞――琅果はそれを全て尽く避ける。二枚の羽衣を器用に操り、炎を打ち消しながら、気の流れを変える。しかしその気の流れに乗じて、今度は異形本体が飛び掛かってくる。蝙蝠の翼のように発達した腕で風を受け、軽やかに宙を舞い、琅果に襲い掛かる。間一髪、琅果はその場から退く。僅かにその腕に触れた髪が数本、はらはらと舞い落ちる。

「ろうか、琅果、ロウカ! いっしょ、ずっと一緒に……うって言った……ね? ……からアナタのそれ……うだい……それ綺麗な……れ、欲しい……」

 気付けば不協和音は止んでいた。そうして聞こえてきたのは幾重にも重なったかのような複雑な声であり、それが言葉であると理解するのに数秒を要した。

「頂戴って言われても……」

 何のことか分からない――などと言う暇はなく、琅果は再び襲い来る蝙蝠の翼を受け流す。その瞬間、腕から血が噴出する。鋭い爪が血管に引っかかったようだ。琅果は思わず腕を抑える。直後には血は止まるが、しかしその僅かの隙は見せてはいけないものだった。足を取られ、横転し、そのまま上位を受け渡し――たと思った矢先、異形の体が飛んだ。

「琅果!」

 駆け寄ったのは爛瀬だ。地に臥す琅果の体を起こし、大事ないかを確認する。一見、それほど大きな怪我はなさそうで、まずはほっと一息。その間に、異形から琅果と爛瀬を守るように、棕滋と椋杜が二人の前に立つ。

「爛瀬……」

 琅果はその大きな瞳を更に大きく見開いた。

「無事、だったんだ……」

 良かった、とは言わない。言えない。しかし、それでも心の底で安心したのは事実だった。

「あぁ、お前の、その……の、お蔭で」

「そう……」

 途中ごにょごにょと口籠ったために、爛瀬が何を言ったのかは聞き取れなかった。しかし、恐らくはレイが何とかしてくれたのだろうと、琅果は自身の内で納得する。

 そうこうしているうちに、異形は既に起き上がり、再びこちらに目標を定めていた。

「あた、しの、よ……それは、あたし、の……」

 そうして指差す先には、やはり琅果の姿がある。

「あたし、も……それ、欲しい……」

 彼女が何を指して欲しいと言っているのかは分からない。しかし、こちらから渡せるものは何もないと、琅果は異形を睨みつけた。目が合った。その瞬間、異形は再びその口から不協和音を奏で始めた。


 鼓膜を劈くその奇声は、聴力ある全ての者の動きを封じる。その隙に、異形は再び地を蹴り、風に乗り、一行に襲い掛かる。が、思わぬところからの一撃に、異形の体は真横に飛んでいった。

「もう! うるさいわね!」

 雪晃だ。彼女が自身の錘を投げ飛ばし、見事に命中させたのだ。しかし、異形はそれすらもものともせずに、すぐに身構える。直後、先程よりも更に大きな声を発し始めた。

 まずはこの声をどうにかせねばと、椋杜は自身の槍を異形の喉元目掛けて投擲する。狙いは完璧。それは確かに彼女の喉に突き刺さった。しかし、数秒としないうちに傷は塞がり、槍は地に落とされる。

「なるほど……」

 その様子を見た棕滋が、何かに納得したように呟いた。

「あれが、彼の言っていた妖精なのですね……つまり、千人桜はあれを封印するためのものだったと」

「妖精……?」

 初めてその言葉を聴く他の四人は、怪訝な顔で棕滋を見る。しかし棕滋は説明している暇はないとして、その視線を全て一蹴する。

「とにかくアレに霊力由来のものは効きにくいようです。回復力も尋常ではない。一度退ければそれが一番ですが……」

 その蛋白石オパールの如き瞳は常に琅果を視界に捕らえる。

「そう簡単に逃がしてはくれないのでしょうね……」

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