三.

 眼前に聳え立つ、白金輝く白虎門を見上げ、ようやく着いた――と、爛瀬は胸を撫で下ろす。雪晃が無駄に左見右見と気になるものを見つけてはふらふらとそちらに足を向かわせるので、予定よりも大分時間がかかってしまったように思う。

 赤銅でできた巨大な鳥の霊獣――朱雀の像を掲げる朱雀門を見慣れている爛瀬にとって、白虎門は何度見ても眩しい。既に夜も更け、灯など限られたものしかないというのに、白金でできた白虎は、直下の松明の明かりを受けては神秘的な艶を見せていた。やけに写実的に造られた剥き出しの牙がギラギラと光る様はなかなかに迫力があると言えよう。

「はぁ……四方四家はそれぞれにちゃんと門があるから良いわよねー」

 爛瀬と同じく白虎門を見上げながら、雪晃がつまらなそうにそう呟く。

「そうは言っても、玄武門なんて大昔からほとんど人の目に触れられてないけどな」

「それでもあるだけ良いわよ! なんで麒麟門はないのかしら? 皇宮の正門は乾綱けんこう門だし、裏門は坤輿こんよ門だし、東門は金烏門で、西門は玉兎門でしょ? 不公平だと思わない?」

「そんなこと、俺に言われても……」

 そもそも先人の考えることなど分かるわけがない。その辺りについては歴史学者でもある棕滋に聴いた方が良いのではないか言いたいのだが、そもそも雪晃は勉強自体あまり好きではないのだから、これは単なる愚痴なのだろう。いわゆる共感を求めているというやつだ。必要以上に触れることなく、「確かにそうかもな」と言って適当に流す。


「で? ここからどう探そうって思ってるんだよ」

「う~ん、そうね……とりあえず市街地というか、繁華街? と、居住区にはきっと入っていないでしょ? だったら胸壁沿いに歩いていけば何かしら見つかるはずよ!」

「……それ、どれだけの時間がかかると思ってる?」

「え? さぁ?」

「この壁は南北二十三キラベイト、東西二十八キラベイトにもなるんだぞ? 白虎門がちょうどその中間点にあると考えても、南下するだけであと十キラベイトはある。つまり普通に歩いても三時間だ。それを宛てもなく人探ししながらなんて、途方もないだろ……」

「それは、困ったわ……」

「困ったじゃねーよ」

「むぅ……」

「むくれたってダメだ。でも、そうだな……それなら今日はこのまま北上して、壁沿いに何もなければそのまま皇宮に帰れば良い、ってことでどうだ?」

「それ良いわね! そうしましょう!」

「お前、本当に何も考えてなかったんだな……」

 いつもいつも考えなしだとは思っていたが、まさかここまで何も考えていないとは誰が想像できただろうか。こんなのが公主になってしまって、この先精霊界は大丈夫なのだろうか――と思ったところで、そもそも前の公主だって、一応それなりに考えてはいたが最終的には力で解決したがる脳筋だったことを思い出す。

 どの道、今のままでは精霊界に明るい未来などやってこないのだ。それは彼女たちのせいではなく、これまでの精霊界の在り方の皺寄せが来ているというだけのこと。本来であれば自由気ままに生るべき少女たちの好奇心まで否定してしまっては流石に酷なのではないかと、爛瀬は考えを改める。


「よし、それじゃあ出発しま――」

「見つけた」

 ――しょう、と雪晃が言いかけたところで、背後から鋭い声が突き刺さる。よくよく聞き覚えのあるその声に恐る恐る振り返ってみれば、そこにはいつもと変わらぬ冷静の仮面をその顔に張り付けた、椋杜の姿があった。

「椋杜ぉ!」

 その姿を見るや否や、雪晃は喜色満面とした笑みと猫撫で声で彼の腕に飛びついた。しかし、椋杜はその腕をそっと――あくまでも優しく――ほどき、爛瀬と雪晃に向き直った。

「公主が消えたと言って、宮中は今大騒ぎだ。どういうつもりだ」

「私のこと、心配して探しに来てくれたの?」

「当たり前でしょう」

 その一言に雪晃の頬が一気に緩む。「嬉しい」と、恐らくそう口にしようと口が開いた瞬間――

「雪晃様は今となってはこの精霊界の公主。御身に何かあれば一大事です」

 と、やはり熱の一切籠らない口調で、一切の悪気なく一蹴する。その言葉を聞けば、雪晃の顔は今度はみるみるうちに不機嫌になっていく。こういう時につんと唇を尖らす素振りを見せるのは琅果と一緒だなと、爛瀬は何の気なしに思った。

「それで、爛瀬、どうして二人はここに?」

「それが、その……」

 赫々然々と理由を伝えれば、椋杜は呆れの気持ちを隠そうとせずに鼻筋のよく通った涼やかな眉間に、小さな皺を寄せた。

「そんな気はしていたが、まさか本当にそれだけの理由で飛び出すとは……」

 蟀谷に指を添える椋杜の姿を見て、爛瀬は「その気持ちは痛いほどよく分かる」と内心で彼に同情した。今日はこれでもう戻れるだろうと踏んで安堵する一方で、しかしその実そのことを残念に思っている自分がいることを認めなければならなかった。

「なぁ、椋杜」

「なんだ」

「椋杜は、その、会ったんだろ?」

「……あぁ」

「どうだった?」

「どうだった、とは、どちらのことだ」

「どっちも」


 爛瀬のその問いに、椋杜は押し黙る。彼が今、何を考え、何を思っているのかは爛瀬には分からなかった。昔からあまり表情が変わらない方ではあったと思う。しかし、彼がここまで冷淡になってしまったのは、やはりあの事件からだった。

 それまでは、表情こそ乏しいものの、感情表現はそれなりにしていたように爛瀬は感じていた。颱良と共によく馬鹿をやって、棕滋に説教をされては次こそはバレないようにやろうと、差して変わらぬその表情の中で、しかし竜胆色の瞳を爛々と輝かせていたことを、爛瀬は知っている。青龍門の付近で、琅果が役人を巻き込んでの必要のない・・・・・試験勉強を始めた際も、怒られると思いきや、途中から参加して一番楽しんでいたのは椋杜だった。芸術を愛し、暇さえあれば草花を描き、時には美しい女性を見つけてはその姿をさらさらと描き残していた。彼は、決して遊びのない男などではなく、むしろ遊び心でできているような人物だったと言っても過言ではない。


 今、椋杜の双眸に宿るのはどこまでも昏い陰りだ。いや、それも当たり前かと、爛瀬はそっと首を横に振った。何せ彼の父親は、先の騒動の責任を取るという形で自刃したのだ。まさかこのようなことになるとは、あの日、あの時、一体誰が想像できただろうか。

 あの日から、椋杜は私情の一切を捨てて青天目家の新たな当主としての役割を演じている。以前ならば二つ返事で乗ったであろう颱良の誘いも全て素気無く一蹴し、孤独を好むようになってしまった。颱良の隣にはいつも椋杜が居て、それが当たり前の姿になっていたのに、その当たり前がとっくにただの思い出になってしまった事実に、爛瀬はぐっと胸を掴んだ。


 椋杜は何も言わずに爛瀬と雪晃の腕を引いて、人通りが少ないであろう路地裏に入っていく。周囲に誰もいないことを確認すると、ふっと一つ息を吐いて、僅かに視線を逸らした。

「琅果は、元気ではあった。俺たちのことをどう思っているかはともかく、根本的には変わっていない――ように思う」

「そっか……」

「妖族の男は、話に伝え聞いていたような化け物ではなかった。神族が近くに居たからかもしれないが、穏やかで礼儀正しいという印象が強い。だが神族の男は、アレは……」

 椋杜の言葉はそこで止まった。難しい顔をして顎に手を添える。暫しの逡巡を経て出てきた言葉は「如何とも形容しがたい」というものだった。

「それはどういう意味なんだ?」

「最初にあの男が入ってきた時、その瞬間に空気が凍り付くかのような感覚があった。それこそ『なんて恐ろしい怪物を連れてきたんだ』と。実際その姿を見ても、精霊界では見たことのない巨躯に身が竦んだ。絶対に勝てないと、直感的にそう思った」

 仮にも颱良と共にいずれは精霊界の双璧になるだろうと言われた椋杜が、あっさりとそう言ってのけてしまうという事実に、軽く体が震える。

「顔つきも凶悪だったし、肌も見たことがないくらいに白い。とにかくこの世にこのような存在がいるのかと、そう思わざるを得なかった。いや、神族は皆ああいうもの・・・・・・なのかもしれないが、それならそれでやはり精霊界は鎖界を続けるべきだとも思ったくらいだ。だが、琅果も妖族の男――棠鵺と言っていたが、彼も当たり前のように普通・・に話していたし、実際に検問をしてみても別段恐ろしいことは何一つなかった。寧ろこちらの事情を慮り、琅果を制止してくれたくらいだ」

「それは、つまり、見た目は怖いけど、中身は優しいみたいな、そういう……?」

「そういう次元の話ではない。一度は本気で死を覚悟した」

「……琅果は、そいつと一緒に居て大丈夫なのか?」

 ふと不安になって問いかければ、椋杜は「安心しろ」と、気付かないほど小さくではあるが、口許を緩めた。椋杜のこの表情を久々に見たと、爛瀬は僅かに安堵の念を覚える。

「俺たちと居るよりよほど安全だ。検問所から出て行ってからも、琅果や妖族の男を市民から庇うように歩いていた」

「そうか……」

 その言葉を聞いて一抹の虚しさを覚えてしまうのは何故だろうか。

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