恋を我が儘に

もフー

第1話

「ふ、む」

 一年が始まって十日ほどが経った冬の日。

 私、上鈴蘭花は自室であるものを手にして、十四年しか生きていない人生の中で最も当惑していた。

 その原因は手元にある紙の束。

 A4の紙の中に多くの文字が躍っている。なにかと言えば小説だ。

 本屋や図書館に並んでいるようなものではなく、個人が書いたものを印刷したこの世で唯一つの小説。

 おそらく私に向けた。

 書かれているのは中学生の女の子同士の恋愛だ。

 かいつまんで説明すれば、孤独だった少女がある先輩と出会い仲を深め、結ばれる話。

 ありふれた物語。

 何故そんなありふれた話で困惑してるかと言えば。

「…私とおとめ、だよな」

 小説の作者である後輩、淡雪おとめと私との一年のことになぞらえて書かれているように思えてしまうからだ。

「これって、そういう意味、か?」

 おとめとの関係は特別なものじゃない。

 どんな関係かと問われれば同じ図書委員会の先輩と後輩だ。学校以外で会ったことすらない。

 ただ、普通の先輩と後輩ではないことも確か。

 私たちにはある『特別』がある。

 それは中学生らしい可愛らしいものだが、二人だけの特別というのは古来より人と人を結び付ける重大な要素となりえるもの。

 実際私たちは、それを通して交流を深めてきた。

 これもその特別の一環で私にはこの小説に対する返答を求められる。

「…どうすればいいかな」

 だがいまだ現実感の湧かない私は、ある日のことを思い返すことにした。

 おそらく彼女がこの小説を書くきっかけを作った日のことを。


 ◆


 それは人生で初めての懊悩をする一か月ほど前のこと。

 私たちを結び付けた図書委員としての昨年最後の仕事の日だった。

 委員の仕事というとどこでも似たような感じだろう。

 うちの学校の場合は、主に昼休みと放課後に貸し出しの管理や棚の整理を行う。

 作業は二人一組で、その相棒がおとめというわけだ。

 仕事と言っても、図書室を利用する人間は少なく既定の時間まで比較的自由に過ごすことが出来る。

 現に今も、貸し借りの窓口であるカウンターの奥のスペースで二人とも椅子に座ったまま本を読んでいる。

 好きな時間、と言っていい。

 図書館という特殊な雰囲気。

 かすかな本の香り。青の絨毯に背の高い本棚。静かな中遠くから聞こえる部活の音。

 手元には楽しみにしていた小説。

 それと、

(今日も集中してるな)

 読書で固くなった体を伸ばすついでに横に視線を送りこの場での相棒の様子を窺った。

 おとめに関して目につくのはまず小柄な体躯。同級生の中じゃ少し子供っぽいと言われているジャンパースカートの制服もよく似合っている。

 体つきだけじゃなく、顔にも幼さは残り小学生と言っても違和感はない。

 肩にかかるかどうかの髪は少しくせ毛となっており、内へと跳ねた髪もどこか子供っぽさを感じさせる。

「………」

 私には気づいてないのか、おとめは一心に本に向き合っている。

 それも珍しい姿ではない。

 四月に彼女と組んでもう一年近く、仕事の時間はこんな感じだ。 

 幸いにして私もおとめも本好き、おとめに至っては本であれば、小説や哲学書、専門書はおろか辞書でもいいような書痴でこの時間を退屈に思うことはない。

 組んだ当初はぎぐしゃくとした関係だったが少しずつ打ち解け、特に『特別』をするようになってからは良好に関係を結ぶことが出来ている。

(見ているのも悪いか)

 私にとって最も親交の深い後輩とはいえ、少女を見つめ続けるような趣味はなく文庫本へと戻ろうとして

 図書室のドアが開く音に手を止めた。

視線を送ると見知った顔がこちらへと近づいてくる。

「や、蘭花」

 おとめとは対照的に女子中学生にしては高い身長と綺麗な髪をまとめ上げたポニーテールの少女。

 私の幼馴染、相葉美羽だ。

「美羽、何か用?」

「ん、今日部活ないからちょっと遊びに来ただけ」

「そう」

 素っ気なく答え、開きかけた文庫本を閉じてカウンターへと置いた。

 本は好きだが、訪ねてきた友人を無下にする気もない。

 幸い利用者はほとんどいないためそれほど迷惑にもならないだろう。

「………」

 もっとも、他の利用者はともかく隣にいるおとめとしては気になるのか美羽を一瞥したが。

「あぁ、そうだ。そういえばうちの母さんがこの前美羽のお母さんからもらったお菓子のお礼したいって言ってたよ。また夕飯呼ぶかも」

「ふーん、なら候補決めとかなきゃなー、蘭花のお母さんの料理美味しいし楽しみ」

 美羽とは小さい頃からずっと一緒で、姉妹のような関係だ。互いの家を行き来することも多い。

「あ、そだ。蘭花んちと言えば冬休み泊りにいっていい?」

「泊り? 構わないけど、何か用でもあるの?」

「行きたいだけ。だらだらするのもいいじゃん」

「まぁ、そうか。一日くらいは美羽のために使ってあげてもいいよ」

「なーんか上から目線…ん」

「?」

 おかしな会話をしていたつもりはないが、美羽が固まり私、ではなく隣のおとめを見た。

「どうかしたのおとめちゃん? さっきからこっち見てるけど」

 つられて私も顔を向けると、すぐに目を背けたが何度か視線を散らした後再び美羽へと向き直った。

「…図書室では、静かに」

 小鳥のようにか細く可愛らしい声で注意を告げる。

「はーい。で、日にちだけど…」

 一応声のトーンを落とした美羽が再び言葉を止める。

「…棚の、整理、してきます」

 見ると今度はおとめはそう言って返却された本のキャスターを押して本棚の方へと向かって行ってしまった。

 それも仕事の内には違いない。

 ただ

「美羽っておとめに嫌われてるんじゃない? あんたが来るといなくなること多いし」

「嫌われて、る…のかなぁ。っていうよりは」

「何?」

 なぜか私をじっと見る。それも何か言いたげに。

「何でも。ま、詳しいことはまた後で話そっか。また怒られちゃうし」

「おとめはそんなしつこい奴じゃないよ」

「とにかくそろそろ行く。泊りのことはまた今度で」

「あぁ、了解」

 それじゃと美羽は去っていき、ようやく図書室に静寂が戻る。

「………」

 棚の整理は手伝うほどの量ではなく、本を読んでもいいが。

(おとめの様子を見に行くか)

 もう怖い人はいないと知らせてやるのも先輩としての務めだろう。

 カウンターを離れ本棚の間を覗きながら、図書室というのは特異な場所だなと思う。

 足音を吸収する絨毯、利用者があまりいない割には学校の中でトップクラスの面積、背の高い本棚と多くの蔵書。

 私は本に囲まれるというのも好きなのでこうして歩くだけでも当初は胸が高鳴ったものだが、既に慣れ感慨なく足を進めて。

(…可愛いやつだ)

 発見して早々にそんなことを思った。

 棚の整理、というのは本を分類ごとに並べるものだが本棚は高く、おとめは小さい。踏み台はあるが携帯しているわけでもなく、自分の背のよりも高い段に背のびして戻そうとしている姿は愛らしい。

 とはいえ、危なっかしく代わってやるべきだろう。

「おとめ、貸して」

 近づき私も手を伸ばすと、こちらに気付いてなかったおとめは

「っ!」

 ビクっと震え反動で本を手放し

「お、っと」

 二人で反射的に落ちそうになった本を受け止めた。

 手と手と触れ合わせながら。

「驚かせてごめん」

「………」

緩慢に手を引いて小さく首をふる。

「そうか。後は私がやっておくから戻ってていいよ」

「…一緒、に」

「いや、おとめだと届かない所もあるだろ。私がした方が効率がいい。カウンターに誰もいないのもよくないし」

「……」

 少しの沈黙の後、おとめは小さく頷き戻っていく。

 その背中を見送って、私も棚の整理を引き継いだ。

(ほんと、仲良くなったな)

 おとめは極端に口数が少ない。表情にもあまり出ることはなく、最初は意思疎通すら難しかった。

 読書という共通の趣味と積み重ねた時間でようやくここまでにはなれたものの、クラスでは上手くやれていいるのかと少し心配してしまう。

 そんな詮無いことを考えながら作業を終え、カウンターへと戻る。

「…ありがとう、ございました」

「どういたしまして。そうだ、そろそろ時間だし忘れないうちに渡しておこう」

 といって私もカウンターの裏へと戻ると持ってきていた鞄から一冊の本を取り出す。

「…私、も」

 おとめも同じように本を取り出して私の方へと差し出す。

「今回も面白かったよ。伝記はあまり興味ないんだが、おとめのお勧めには外れがないな」

「…私も、面白かった、です」

 言葉を交わし、差し出した本を互いに受け取る。

 これが私たちの特別だ。

 こうして当番の際お勧めの本を紹介し合い、感想を相手に伝えるもの。感想を伝えると言っても今少し話したようなことではなくて、ここに肝がある。

 貸し借りをする本は基本的に私物だが、返却をする際に手紙を挟むのだ。

 内容はもちろん本の感想。

 コミュニケーションの手段として私が提案をした。昔好きだった小説で同じことをしており真似たかったという子供じみた理由だが、効果は抜群だった。

 対面で話せば無口なおとめも感想では饒舌になっていて最初はそのギャップに驚いたものだ。

 引っ込み思案の少女との共通の趣味、二人だけの特別。

 おとめがなついてくれたのはこういう部分だろう。

 私としても本のことを言い合えるのは重畳で相性はいい。

「…あの、こっちも」

「あぁ、私からも」

 さらに返却とは別に次の本を交換し合い、流石に目の前で手紙を読むことはなく今読んでいる本を再開して残りの時間を過ごしていく。


 ◆


 帰る際にも必然一緒だ。

 残っている利用者がいないかを確認し、司書教諭に挨拶をして図書室を出る。

「今年の当番は終わりだから次おとめに会うのは来年か」

 図書室から昇降口までは遠く、下校時間の過ぎた静かな廊下を歩く。

「…はい」

 私たちは委員会の先輩と後輩だ。普段は接点なく、読書仲間ではあってもあくまで仕事上の関係。

 すれ違ったり見かけたりはしてもまともに話すのは次の当番になる。

「にしても、来年か。受験があるんだよなぁ」

「………」

 基本おとめから話を振ってくることは少なく半ば独り言のようになってしまうも慣れたことだ。

「来年の今頃にはこんな風に仕事中に読書なんてしてられないのかもな」

 受験というものは人生で初めてだ。まだ志望校もなく、どの程度勉強に取り組めばいいかもわからない。だが高校受験とはいえ、将来にかかわる大きなステップには違いなく気にせずにはいられないだろう。

「まぁ、それ以前に来年も図書委員をやるかもわからないか」

「…っ」

「おとめ?」

 隣を歩き視界の端に映っていたおとめが視界から消える。

「……」

 振り返り、様子を窺うと何か考えているのかなかなか言いださず一分近くたってから。

「…先輩は、三年生になったら図書委員、しないんですか?」

 時間が空いた割には普通の問いだ。

「いや、希望はすると思うがなれるかは別だしね。それはおとめもだろ」

 他に希望者がいなければ問題ないが、そうじゃなければくじなどだ。

「………」

 まるでそんなことは想定していなかったというような、ショックを受けた顔だ。

「人間は一定期間同じことが続けばそれが当たり前と思ってしまうが、変わらずに続いていくものなんてない」

「……っ」

「この前おとめから借りた本で、そんなセリフあったよね。そういうこと」

「………」

 再びの沈黙、その後緩慢に歩き出すおとめとワンテンポ遅れながらも隣に並ぶ私。

 この一年で慣れたものだが、

(…優しくない言い方だったか)

 おとめの学校での生活は知らないが、私との時間を楽しみにはしているはず。

 おとめからの本のセリフで気の利いたことを言ったつもりだったが、ふさわしくない発言だったかもしれない。

 表情は乱れてはいないものの、落胆の空気は伝わってくる。

 フォローすべきかと迷う内にもう下駄箱まで来てしまった。

 おとめとは家が反対方向で校門を出ればお別れだ。

「まぁ、来年図書委員になれなかったとしてもこうして本を貸し合うのはできる。だからそんなに気にすることはないさ」

 残り時間はなくその場で取り繕うための言葉だ。

 それでも一応、校門までには軌道修正できたと自分を納得させはしたが

「じゃあ、ね。また……来年か」

「…はい」

(失点は取り戻せてなさそうだ)

 相変わらず暗い雰囲気を感じさせるおとめと一年での最後の別れをしたのだった。


 ◆


 そして、小説を渡されたのが冬休み明けの日だった。

 放課後、帰ろうとしていた私の元におとめがやってきた。

 あの人見知りのおとめが上級生の教室まで訪ねて来たという時点で驚きだった。

 私の前なのにやけに緊張をしていて、真っ赤な顔で差し出してきたのが件の小説。

 自分で書いたものだと告げ、最後に。

「…感想、ください」

 と、心に響く声で言い残し、小走りに去っていった。

(…あの時にはこんなことになるとは思わなかったな)

 小説は夜には読み終えた。

 思いの外よくできていると感心したのは序盤のみ。

 中盤以降にはまさかと思い始め、内容以上にそこに込められた名状しがたい迫力に圧倒され、心を揺さぶられた。

「…どうするべきか」

 おとめからの「ラブレター」を机に置き、心を素直に吐き出す。

「自意識過剰と思いたいよ」

 パラパラと意味なくおとめの小説をめくり「そうじゃないんだろうな」と続け、おとめの想いの塊から逃げるように机を離れるとベッドへと倒れこんだ。

「本気、だよね」

 小説の主人公とおとめの気持ち、どこまで一緒なのかはわからないが。仮に一致するのであれば、大きな愛情、信頼を向けられていることになる。

 小説の主人公は小学生からずっと孤独で初めて「先輩」という時間を共有してくれる存在に出会えた。

 自分の中だけにあった世界を共有してくれる人、一緒の時間は短くとも過ごす時間は充実していて、誰かと過ごす喜びを初めて感じたとある。

 好意を向けるのもおかしな話ではない。

 だが、それはあくまでも小説の中の話だ。

 ヒロインはおとめが作り出した存在であり、私ではない。

「私がそんないいやつじゃないんだけどな」

 仕方ないとはいえ、そうさせてしまったことに自嘲の笑みを浮かべる。

 騙していたわけじゃない。私もおとめとの時間は憎からず感じているし可愛い後輩だと思っている。

 おとめの前で見せていた姿は嘘ではないのだ。

 当然、それは私のすべてではない。

 例えば今考えていることをおとめが知ったら幻滅するだろう。

 最悪なことに私が告白に対して考えているのはどうすればこれまでと変わらない関係になれるかということだった。

 出来るのなら、なかったことにしたい。小説の意味に気付かなかったふりをしたい。

 おとめが本気を込めてこの小説を書いたと感じながら、そんなことを考えてしまっているんだよ。

 しかし


「……感想、ください」


 そう言っていたおとめの顔が頭に浮かぶ。

 今思えばという言い方は卑怯だが、あの時のおとめは見た目通り子供のように怯えながらも、私より大人の覚悟と決意を持って想いを伝えてきたのだ。

 人見知りで引っ込み思案なだけではないと知ってはいても一年近く一緒にいて、対面ではほとんど意思を表に出したことのないおとめがだ。

 それを蔑ろにできるほど無神経ではいられないから。

「どうするべきかな」

 今はまだ答えが出なかった。


 ◆


 悩んでいても時間は過ぎるもので、朝は訪れる。

 しがない中学生の私は悩みがあろうとも起床をし、身支度を整え、朝食を取り、家を出なければならない。

(…間の悪い)

 私とおとめは校門からでたら別の道を行くが、言い換えれば登校時には向かい合う形になるということだ。

 正面から歩いてくるおとめの存在に気付いてしまう。私が気付いたということはおとめも気づけるという事で。

「おはよう、おとめ」

 先に校門についておとめを待った。

「…おはよう、ございます」

 ちらりと私を見た後に小さく告げるのはいつも通り…とは思う。

(軽率だったか)

 さすがに昨日の今日で「感想」が来るとまでは考えてないかもしれないが、おとめとしては告白の返事を待っている状態だ。

 私の一言、一言に期待……いや、怯えてもおかしくはないはず。

「…今日も、寒いね」

 かといって黙っているわけにもいかず発展性のない話題を口にする。

「週末は雪が降るかもと言っていたし、勘弁してほしいよ」

(くそ)

 そんなつまらない会話しかできない自分が嫌になる。

 ほんの数週間前なら、ほとんどが本の話題になっていたし、天気の話をしててもこんな気分にはならなかった。

「それじゃあ」

「…はい」

 校門から下駄箱で別れるまでのわずか数分の間に、私はもう戻れない場所にいるんだと思い知っていた。


 ◆


 朝の出来事で改めて実感したのは二つ。

 告白を受けた時点でもう戻れないということ、それと時間はないということだ。

 朝のことだけで気付かれたということはないだろうが、このままおとめとの時間が増えれば、小説を読んだことは知れる。

 まして来週には図書委員の仕事があり、どんなに遅くともそこで感想を伝えないのは不自然だ。

 一週間の猶予すらない。

(いや…答えは決まっている、のか)

 告白を受け入れるつもりはない。考えているのはどうすれば比較的おとめを傷つけることなく終れるかということ。

 …そんなのは自己満足だが。おとめを傷つけるという結果は変わらないのだから。

「…はぁ」

 放課後の教室で帰り支度をする最中もおとめのことは頭を離れず、昨日から何度目かわからないため息をつく。

「らーんか」

 そんな私の耳に聞こえてきたのは親友の声。

「美羽……」

「どしたの、ため息ついて」

「…何でも、ない」

「そう? ま、いいや一緒に帰ろうよ」

「あ、と……」

 正直、そんなこと出来る気分じゃないが。

「ほら、早くー」

 すでに美羽が教室の出口まで行ってしまっていて、断るには「理由」が必要な状態になっており渋々美羽と下校をすることにした。

 が、

「……」

 今の状態の私がまともに会話できるはずもなく、

「で、何があったの?」

 家まで半分くらいまで来たところでそれを問われてしまった。

(当然、か)

 美羽からの話題には上の空で、ほとんど黙ったままなら。

 親友に何『が』あった? と問われるのは重い。

 何か抱えていることを確信しながら踏み込んできている。それをしてくれる美羽には感謝の念を覚えるが、機微に関わることでは差し伸べられた手を取るこちらにも勇気は必要だ。

 まして、ほかならぬ美羽であれば。

「ついにおとめちゃんに告白でもされた?」

「は!?」

 予想外に心の裡を言い当てられらしくもなく素っ頓狂な声が出た。

「あれ? 当たり?」

「どう、して」

「蘭花ってあんま悩むタイプじゃないし、私が聞いてすぐに答えてくれないってことはそういう系の話かなって思って」

「……」

 美羽への信頼は事実だが、心を覗かれるようであまり居心地はよくはない。

「にしてもマジなんだ」

「…誰にも言わないでよ」

「言うつもりはないけど…」

 言い淀むと立ち止まり、含むような視線を送ってくる。

「何?」

「おとめちゃんがねぇ。ま、意外じゃないか」

「え?」

 そのセリフが意外だ。

「だって、私が蘭花のところに遊び行くといつも早くどっか行けって顔してたし」

「そう、なの?」

「私にはそういう風に見えたね。本人に自覚があったかは知らないけど」

 そうは思ってなかったがおとめの気持ちを知った今となっては美羽が正しいかもしれない。

「で、どうやって断るかって悩んでるんだ?」

 歩みを再開し、ここでも心の動きを捉えてくる。

「美羽ならわかってるでしょ。向いてないって」

「そりゃ、ね。蘭花がそういうのできないってわかってるし」

 足を止めずに美羽は過去を思うような瞳をした。

「私とですら駄目だったんだから」

「そういうことだよ」

 私と美羽は一時期、『恋人』だったことがある。と言っても本物ではなくて練習だと美羽に誘われて始めた交際。

 子供の頃ずっと一緒だった美羽との恋人関係は慣れない事の連続だった。

 下校の時には手を繋いだり、夜に電話で話すようにしたり、遊びに行くのもわざわざデートを意識したり。

 それは二ヵ月と続かずに、私から終わりを告げた。

 理由、美羽には呆れられたし、おとめが聞けばそれこそ幻滅するだろうが、要は面倒だったのだ。

 手を繋ぐのは構わない。多分、キスだってできただろう。

 だが、他は無理だった。わざわざ下校時間を合わせる。用があるわけでもないのに電話をする。恋人だからと会う機会を増やし、休日もデートをする。

 自分を中心にできない生活には耐えられずに、終わりにするしかなかった。

 美羽は練習だったしと悲しみも怒りもせずにじゃあ友達に戻ろっかと受け入れてくれて、今もこうしている。

「自己中心的な人間なんだよ、私は」

「素直にそれ言っちゃえば?」

「…そう、だけど」

 美羽の言う通りではある。おとめが駄目なのではなくて、他の誰でも同じだと。

(それでいい、か?)

 結局はこの結論に落ち着くはずだ。

「ま、普通は面倒だからなんて言われたら怒るし簡単には言えないか。私は蘭花のこと知ってるし、『ごっこ』だったからそこまで気にしなかったけど」

「……」

 そうだ。普通なら怒りも悲しみもすることだ。私もあんな言い方ができたのは美羽だからで…おとめにも同じことはできない。

「つか、そんなに悩むってことはよっぽどおとめちゃんのこと気に入ってるんだ。妬いちゃうねぇ」

「茶化さないでくれ。美羽とおとめじゃ違うだろ」

 美羽と違いおとめは繊細だし、おとめの告白を断るということはおとめとの関係を断つことになる。

 そうなれば本のやり取りができる相手を失うし、残りの数か月図書委員の仕事もやりづらくなる。

「違うけど、でも悲しませたくないって思ってるんでしょ。だから悩んでる。珍しいよ蘭花がそんなになるのは」

「いや」

(これは打算…のはず)

 だが、

 おとめの悲しむ姿を想像し、胸が痛むのは気のせいではない。

「そう、だね…」

 慕ってくれる後輩の傷つく姿を見たくないのはおかしくはないが、それだけでは心の中を適切に表せていない気もしている。

 そんな乱れた心に

「…………ひょっとしてさぁ、蘭花もおとめちゃんが好きなんじゃないの?」

 情感に富んだ美羽の言葉を受けて私の心は混迷を深めていく。


 ◆


 おとめのことに関して焦りはしていた。しかし同時に自分の中でのリミットとして来週の図書委員の当番まで明確な回答はしなくていいと勝手に決めてしまってもいた。

 だが恋にハプニングはつきものとでもいうべきか、予想外のことは起きるもので。

(なんでこうなる)

 翌日の放課後、私は当番でもないのに図書室にいた。

 それも、おとめと二人で。

 当番が早まったわけではなく、今週当番だった子がインフルエンザになった代理で急遽頼まれたのだ。

(当番を入れ替えなくてもいいだろうに)

 引き受けた時には代理をするだけで、相棒は今週の当番の子になると思っていた。

 しかし、向かった図書室で待っていたのはおとめで、一瞬謀かとすら思ったが司書教諭に来週と今週の当番を入れ替えたと説明され運命の悪戯を呪った。

 …昨日の朝といい、それこそ何かしらの意図が働いていると勘ぐり深くなるほどだ。

「………」

 やることは変わらず、利用者のいない中カウンターに並んで座り、私もおとめも本を広げている。

 変わっていないのは表面上だけで私はそんなわけにはいかない。

 本を眺めてはいても、ほとんと頭には入らず考えるのはおとめのことだ。

 おとめも以前と変わりないように見える。

 だが元々感情を表に出すタイプではない。実際私への好意にはまるで気づかなかったのだから。

(おとめの小説には…先輩との時間が唯一学校で楽しい時間だとあったな)

 完全に同じではなく図書委員という設定ではなかったが、こうして定期的に二人きりになる場面があり、そのたびに胸をときめかせていた。

 おとめも同じように考えていたのだろうか。

(にしても、これでただの勘違いなら私はとんだ間抜けだ)

 あれが私とおとめのことだとしても、それを元にした恋愛小説で深い意味なんてないかもしれない。

 告白だと思ってるのは私だけかもしれなくて、そのつもりで「感想」を伝えれば赤っ恥になるかもしれない。

 冷静になって本当にラブレターならともかく、あんな回りくどい方法で告白などしてくるだろうか。

 例えば美羽に話せば、それこそ自意識過剰だと笑われてもおかしくはない。

(のに、私は告白にしか感じなかった)

 おとめと接してきたからこそと言えば、その通りだろうが。

(…好き、か)

 昨日美羽が言っていたことを思い出し、うかつにも顔ごとおとめを見てしまう。

 本に視線を落とす横顔はこの一年見慣れたものだ。

 素直に愛らしいとも思える。それに今はともかく私もおとめとのこの時間は楽しみな一時だ。

 好意的には思っている。

 もし、私に交際の経験がなければ受け入れていたかもしれないと思う程度にはおとめを好意を抱いていると思う。

 もっとも、その場合理由はおとめを傷つけたくないという前向きなものではないし、そんなことをしても「面倒」になったかもしれないが。

(ん?)

 おとめから目を離せずにいた私は、おとめの手がほとんど動いていないことに気付いてしまう。

 おとめは書痴なだけあり、普段の本を読むペースはかなり早い。

 しかし今は思い出したようにページをめくっているだけで、読んでいるようには思えなかった。

 それはつまり。

「っ!」

 思考を考えたくない方法へ至らせる前に、私は驚愕した。

「お、とめ…」

 おとめが涙を流していたから。

「…先輩」

 顔を上げ、こちらを見るおとめの頬には涙の轍。

 悲痛に歪む表情は今まで見たことのないもので。

「…私の小説、読みました…よね」

 恐れと絶望を含んだ声にこちらも身を竦ませ、

「……」

 押し黙ってしまった。ここでの沈黙は肯定だとわかりながら。

「…昨日の朝、だって。私を見た瞬間に…困った、顔してた、し…さっき、図書室に来た時…先輩…すごく、驚いてて…」

「それ、は」

 あぁ、私はなんて間抜けだ。

 図書室に入った時、おとめが待っているなんて思わなくて動揺をした。

 そんな反応をする理由なんて、おとめからすれば一つしかない。

「おとめ…」

 名前を呼んでも何も続けられない。

 おとめは告白をしてきていて、私はそれに気づいた上で触れなかった。

 そこから導き出されるのはおとめの望む答えを私が持ってないことに他ならない。

 ここでこうしているだけで私はおとめを追い詰めていたんだ。

(謝りたい、が)

 気づかないふりをしたことを謝罪しても、返事は変わらないのならその謝罪に意味なんてあるだろうか。

 そうして私は決断をし損ねて。

「…ごめん、なさい」

 あろうことかおとめにその言葉を言わせていた。

「何を、謝ってるんだ」

「…私、先輩のこと…困らせて、ます」

 そんなことはないと言えない不甲斐なさ。いや、言えないわけじゃないんだ。言ってどうするんだと考えてしまうだけ。

「…わかって、たん、です。ずっと先輩が……好きだった、けど。伝え、たら…きっと…先輩の、こと、困らせちゃうって…迷惑に、なっちゃうって」

「………」

 何も言えないということもあるが、私はあえて沈黙することにした。今はおとめの気持ちを引き出したい。

「先輩はきっと、私のことなんて、特別…じゃない。ただ、委員会が一緒、で…当番、が同じで…だから、仲良くなれた、だけ、で…私なんて…ただの後輩なだけだって、わかって、ます」

(それは、明確に違う)

 きっかけは同じ委員会の同じ当番なのはその通りだ。だが、ただの後輩なんて浅い言葉では表さない。

「でも、私には…すごく、特別、だったんです。ひ…く」

 涙は止まらず、表情を歪めて感情を吐き出すおとめ。

 これまで見てきたことのない姿には胸を掴まれる。

「…当番が近づく、だけで、わくわく…してました。今日から、一週間…先輩と一緒だって、嬉しく、って…何も話さなくても、一緒に居るだけで…たまに、先輩の本読んでるところを眺めるだけで、ドキドキ、してて…どんな本、勧めてくれるかなって楽しみだし、先輩の手紙も、何度も、読み返してて…私の、好きな本を、好きって…言ってくれると、すごく幸せで…それだけで、よかった、のに」

「…私が、一緒に居られないかもと言ったから、か」

 コクン、と頷くおとめ。

「…怖く、なった、んです。先輩と、終わりが来るかもしれない、って…ううん、今年は…一緒に居られても、来年は…先輩が卒業をしちゃったら…って考えたら、怖くて、絶対やだって…先輩、と。確かな絆が欲しい、って…」

 告白することを決めた、ということか。

 それが小説という手段になったのはロマンチックなやり方をしたかったわけではなくて、面と向かっては言えなかったからかもしれないが。

(…結局は、こうして泣かせてしまった)

 私が逃げていたせいで。

「…ひぐ…でも、今は、後悔して、ます」

「…っ!」

「忘れて、欲しい…っ、です。全部、忘れて…」

 出来るわけない、というのはおとめもわかっているはずだ。

 勇気や決意が無駄になったとしても、以前の好きだった時間を取り戻せるならなかったことにして欲しい。

 それはおとめだけでなく数多の恋の中で願われ、叶うことのない望み。

「…そんなことは、できないよ」

「っ!」

 戻りようはない。もうおとめの想いは私の心に刻まれてしまっている。

 同じ本を読み返しても、同じ感想を抱けないのと同じようにもうおとめが特別で私が楽しみにしていた時間が同じ形で訪れることはない。

「……」

 絶望的な顔をしている。こうはなりたくなくて悩んでいたはずなのに、中途半端な私の態度が余計におとめを傷つける結果になった。

(…これも、恋にはありがちなことかもしれないが)

 だが、私はこうなれてよかったと場違いに思っていた。

 傷つけてよかったと言ってるんじゃない。

 これまでの私はどう断るか、なるべく穏便に別れたいとそんなことだけを考えていた。

 今は、違う。

 おとめの圧倒的な感情。あのおとめが感情で顔を歪ませ、瞳に涙を浮かべ、想いを振り乱して私へとぶつけてくれた。

 厄介事から逃げようとしていた私はぶん殴られたような気分で、ようやく自分ではなくおとめのことを考え答えを出さなければならないと思えたんだ。

 それは遅すぎるし、手遅れかもしれないし、そもそもおとめのことを考えたからと結末が変わらないかもしれない。

 それでも、おとめの本気に私も本気で返したいと思うから。

「…『感想』はちゃんと返すよ」

 今はまだおとめを慰めることはできずにそれだけを言葉にしていた。


 ◆


 私には交際経験はあれど、恋愛経験はない。

 創作物としての恋愛には人より多く触れてきたつもりだが、それこそが面倒という印象を与えたのかもしれない。

 きちんと応えることは決めたものの、まだ私にはおとめと話せる段階にはなく思案は必要だった。

 長く待たせるつもりはない。こうしている間にもおとめは後悔に苛まれ、心を痛めているのだから。

(…方向性はたぶん、決まってるんだろうな)

 だからこそ、

「あ、やっと話す気になった?」

 自室に美羽を呼んだのだ。

 放課後、おとめをなだめて帰らせた後一人で当番を済ませると同時に美羽に助力を請うことを決めていた。

「ったく、相談に乗って欲しいとか言ってきたくせに、少し一人で考えたいから待ってろとかあんまりじゃない?」

 私のベッドに寝転んでいた美羽はもっともな不満を口にしながら、身体を起こす。

「それは悪かったって思ってるよ」

 机におとめからの小説を広げ、思案に耽っていた私も話すためにベッドへと上がる。

「んで、おとめちゃんのことなんだろうけどなんか進展あったわけ?」

「…改めて告白をされた」

 軽々しく言うべきではないが、これを隠しては美羽に不誠実だ。

「へぇ、そんだけ本気ってことなんだ」

「そうだね、あんなに強い気持ちをぶつけられたのは初めてだった」

「…………………で、どう断るかって相談でいいの?」

「そうじゃなくて…」

 言葉が詰まる。尋ねることは決めているものの、この問いの意味は自分でも測りかねていることだし、何より美羽には尋ねるのは礼を失しているものだから。

「私たちはどうして上手くいかなかったんだと思う?」

「…………」

 やはり、困らせたようだ。

 顔をしかめ、一瞬強い視線を送ってくる。

 そもそも私たちの交際は「ごっこ」だし、上手くいかなかったという言い方も適切ではないし、それでも誰よりも私を知る美羽の意見が欲しかった。

「……あんたが私を面倒だって言ったんでしょ」

「美羽が面倒なんじゃないよ。『交際』が面倒だったんだ」

「…………」

 面白く無さげな顔をしている。

 あの交際が本気のものでなかったとしても、面倒という理由は美羽にとって愉快であるわけがない。

「どっちでもいいけど、それを聞いてどうしたいの? おとめちゃんとも付き合った後、別れるかもしれないけど、その時どんな気持ちになるかでも知りたかった?」

「そうじゃなくて、私は面倒だったのも本当だけど、自分らしくないことばかりなのが嫌だったんだって思ってる」

 決して美羽が嫌だったのではなく、だ。

「放課後美羽を待ったり、用があるわけでもないのに電話をしたり、デートのことを考えたり……そんな恋人としての振る舞いが合わなかった」

「…まぁ、少し無理をさせてたかなとは思うけどね。でも、多かれ少なかれ恋人になれば変わるもんじゃないの? 恋人になるっていうのは今までとは違ったことがしたいってことでもあるだろうし」

 美羽の言うことは正しい。

「…………」

「はぁーあ」

 肯定はできない私に美羽は大きくため息をつく。それは本当に呆れたという感情が凝縮されたような、そんな諦観が感じられた。

「あんたを無理やり恋人にしたのが悪かったんだと思うよ。『練習』って言われちゃ、そういう振る舞いしなきゃってなるだろうし」

 話の方向が最初の質問へと戻る。

「でも私だって悪くないって言わせてもらう。いくら練習だからって、あんたが何でもかんでも恋人になるのがやだって言わなかったのだっていけないんだし。私たちは我が儘なのがいけなかったし、我が儘になれなかったのもいけなかったことじゃない」

 少し早口にまくしたて

「……もう少しゆっくり進んでたら、上手くいったのかもね」

 少し切なげな顔で結んだ。

「…ったく!」

 次いで、若干怒りを感じさせる顔で距離を詰めてくる。

「あんたが言われたかったのって大体こんなとこでしょ。相談のふりして自分の考えを肯定してもらいたいってのはわかるけどさ」

「美、羽…っ!」

 唇を尖らせながら、美羽はさらに私へと迫り、手を頬にあてると

「言わされる方はあんまり面白くない」

「っ…!」

 頬を引っ張ってきた。

 地味ながら確かな痛み。単純に引っ張るだけでなく縦横に動かされ、反射的に突き放したくもなるが、美羽がしたいのなら今は受け入れなければいけないことで。

 抵抗の代わりに私は

「…ありひゃと」

 うまく回らない口で親友に感謝を述べていた。


 ◆


 即断即決、ではないけど美羽と話をした後にはおとめへの「感想」のことを決めていた。

 翌日、まずは校門でおとめを待ち伏せし話したいことがあると放課後、図書室に来て欲しいと伝えた。

 おとめの性格からして、たとえ私と気まずい状態だとしても仕事には来るかもしれないが私が答えを持ってきたということを伝えておきたかった。

 長く感じた一日の中、おとめへの回答を自分の中で何度も反芻し、確認した。

 昨日、痛い所を突かれたと改めて思う。

 美羽の言う通りだ。

 背中を押して欲しかった。おとめへの回答は単純なものじゃない。

 これでいいのかという不安はある。

 もっとも、恋にはこうすればいいなんて正解はない。そんなものがあるのなら、恋を題材にした本なんて作れもしないだろうし。

 必要なのは相手の想いに対して誠実に答えることだ。

 例えそれでおとめに軽蔑されようとも。

 そういえば、美羽は良いことを言っていた。私の答えにぴったりな言葉を。

「と、ここまで来たら他の女のことを考えるのはなしか」

 ほとんど授業も身に入らず一日中おとめのことを考え、放課後の図書室でおとめを待つ。

「おとめ…」

 意味もなくつぶやいた名前はまだ誰も来ていない図書室の中に吸い込まれて消える。

 最初の印象もよく覚えていない。小さなやつだくらいだと思う。

 仕事の最初の日は何もしてなかったな。人といることになれていないのか、本も読まず、私が一緒の当番になったのだからと声をかけても、まともに会話は成立しなかった。

 本を読みだしたのは、確か私の一言からだ。暇だし本を読むなり、勉強とかしてもいいよと声をかけた気がする。

(ちょうど同じ本を読んでたんだっけ)

 その時期に出てたシリーズものの新刊。それで初めておとめから話しかけられたんだ。

 それをきっかけに本の話をするようになって、戯れにと昔好きだった小説で憧れた本に手紙を挟むっていう文通をやりだして。

 おとめは特別な時間だと言ってくれたけど、私にとってもおとめと過ごす時間は他の誰とも比べられない大切なものになっていた。

「おとめ…」

 今度は意思を持って名を呼び、いつもおとめがいた隣の席を見つめて今はいないおとめを幻視する。

 失いたくないとは思っている。

 その理由がおとめとは同じでなくても、だ。

 続けられるか、失ってしまうか、それは。

(これからの私次第か)

 控えめにドアの開く音がして

「来てくれてありがとう」

 待ち人がやってくる。

 おとめは一瞬だけ目を合わせてくれたものの、すぐに目をそらした。

 いつも以上に弱弱しく、今にも消えてしまいそうなほどに儚げな姿。

 ここに来るのさえ勇気が必要だっただろう。

 それでも来てくれた。

(…その気持ちに応えよう)

「…話、ってなん、ですか」

 俯きながら話しかける姿は最初の頃を彷彿とさせる。

 とりあえず座って欲しいと定位置に座らせ、逆に私は一度立ち上がり誰も図書室にいないのをいいことに鍵をかけて施錠済みとの札をドアにかけた。

「さて、と」

 私も椅子に座り昨日と同じようなシチュエーションとなる。

(…緊張、してるな)

 動機は激しく、心は竦んでいる。これからすることがいかに身勝手かを知っているから。

 それでも言わなければならない。本気を伝えてくれたおとめの為にも。

「まずは、私を好きだと言ってくれてありがとう、あんなに激しく気持ちを向けられたのは初めてだった」

「………」

 何も言ってはくれないし、こちらを見てすらいない。

「私も考えたよ、おとめの気持ちにどう応えるべきかって。おとめの苦悩には及ばないだろうけど精一杯に考えた」

「………」

 緊張は最高潮に達する。私も『告白』は生まれて初めてなのだから。

 この恐怖を乗り越えおとめは私に気持ちを伝えてくれたのだと尊敬してしまう。

「私もおとめのことは…好きだ」

「っ……」

「けど、今のままじゃおとめの望みには応えられない。おとめの好きと私の好きは…一緒じゃない」

 この結論は小説を読んだ時から変わらなかった。私の好きは友人、あるいはそれ以上としても恋人としてのものじゃない。

「…わかり、ました…ありが、とう…ござい、ます」

「おとめっ」

 話が終わったと勘違いをし、出口へ向かおうとしたおとめの腕を取り引き止める。

「まだ話は終わっていない。最後まで聞いてほしい」

「……ぁ」

 腕を振りほどこうとしたのか、それとも私の声の響きに気持ちを感じてくれたのか視線が交差し

「……頼む」

「は、い」

 気持ちを凝縮させた懇願に頷いてくれた。

 ここからが本番だ。

「さっきのは好きは嘘じゃないよ。おとめを好意的に思っているし、おとめと二人で過ごす時間も好きだ。おとめと同じようにここで本を読み、たまにおしゃべりをして、本と手紙を交換し、感想を伝えあう。この時間が大切だ」

 図々しいことを言っているその自覚はあるさ。

「もし、私に交際の経験がなければおとめのことを受け入れていたと思うくらいにおとめのことは好きだよ」

 …それは、おとめが好きという以上に今を失いたくという非礼極まりない理由だっただろうが。

「交際、って…相葉、先輩と、ですか?」

「っ……あぁ。でも、上手くはいかなかった」

「どう、して、ですか」

「私には向いてなかったんだ。恋人になるってことが」

「向いて、ない?」

「そう。必要以上に時間を作って、相手に気を使って、自分じゃない自分を作る。それが嫌で続かなかった。自己中心的でエゴイスト、それが私なんだ」

「…そんな、こと…ないです」

「あるよ」

「そ……」

「……あるんだ」

 立ち尽くしたまま私を見下ろすおとめは私の想いを詰めた言葉に口を閉ざした。

「少し遠回りになったけど告白を続けさせてもらう」

 一拍間を置き、深く息を吸う。

(こんなものが…私なんだな)

 これから口にすることの身勝手さを理解している。でも、それが私なんだ。

 偽りのない私でなければ、おとめとの未来はないから。

「すぐにおとめの恋人になることはできない」

 それをはっきりさせたうえで。

「だから、時間が欲しい。『今』を続けさせて欲しい」

 これが私の答えだった。

「続け…?」

「あぁ、おとめとのこの日常を続けたい」

 残酷な答えだ。自分に向けられる好意を知りながら、それを我慢しろと言っているのだから。

「全部を同じにするつもりはない。おとめの気持ちには、おとめと恋人になるということには向き合っていく。そして、もう一度きちんと答えをだすよ」

 言っていて情けなくなるほど勝手な言い分だ。好意を利用しているし、希望を残すなんて余計に酷なことかもしれない。

「我が儘だよね。でも、私はそういうやつなんだ。自分を曲げたらきっとおとめが好きと言ってくれた私もいなくなってしまう」

「…………………」

 長い沈黙。視線を逸らさず瞳にはうっすらと涙が浮かび、深く大きな感情が伝わってくる。

 何を言われても甘受する覚悟はある中で、ようやく出てきたのは

「それ、で…いい、です。先輩と一緒に居られるなら…」

 私への肯定だった。

「おとめ…」

 この子は本当に私が好きなんだな。私は都合を押し付けているのに。

 そう思うと同時に不安にもなる。

「本当にいいのか? 多少はこれまでよりも意識をするし、おとめのことを知ろうとも思っている。…図書室以外で会うことも考えはしてるが、それでも最終的には断るかもしれないんだぞ」

「かまい、ません。終わりじゃないなら、私、頑張ります…から」

(頑張る…?)

 何のことだ?

 この時の私は自分のことで精いっぱいでおとめのことを理解しきれていなかった。

 いや、おとめのことを勘違いしていたというべきかもしれない。

 すでにおとめが「前」を見ていることに気付かなかったのだ。

「…蘭花、先輩」

(名前…)

 初めて名前付きで呼ばれたことに妙に新鮮な驚きを抱いて、顔を上げると

「今までと、変わらないで…いい、です。代わり、に。私も我が儘を、言っても…いい、ですか」

 感情の高ぶりに濡れた瞳は美しく、何より私の知らない強さが詰まっている気がした。

「あ、あぁ」

 見下ろされているからなのか、やけに迫力と意志を感じる。

「目を、閉じて、ください」

「目を?」

「…はい」

 雰囲気にのまれる私はなくて言われるがままに目を閉じる。

(ビンタでもされるのか?)

 あれだけ勝手をすればあり得ることだ。そのくらいは受け入れなければいけないと身を固くして、「目を閉じて」という意味の定番には考えが至らなかった。

「…蘭花」

「っ!?」

 耳元で甘く囁かれた名前にゾクっと背筋を震わせ

 ちゅ、

 次の瞬間には頬に柔らかなものが当たっていて、反射的に目を開けた私は

「…大好きです」

 熱情を感じさせる表情に見惚れ我を失っていた。

(心臓が…)

 やけに鼓動を大きく感じる。それも、これまで感じたことのない高鳴り。

(それに)

 子供だと思っていたおとめの大人びた表情。私がたどり着けないその顔から目が離せない。

「今までと同じで、いい、です。好きになってもらうために、頑張ります、から」

(ぅ…)

 引っ込み思案で内気なおとめの……いや、恋の強さを知るおとめの吹っ切れたような強い表情と妖しげな迫力を放つ瞳に

「…これから、よろしく、お願い…します」

「あ…ぁ、よろ、しく」

 私は陶然と頷くしかできないのだった。


 ◆


 おとめの告白から一か月程。

 今日も私たちは図書室で隣り合って本を読んでいる。

 おとめの一世一代の告白があっても。

 十四年の人生で初めての懊悩があっても。

 ほとんど変わらない日常がそこにはあった。

 強いて言うのなら少しおしゃべりの時間を増えたくらいだろうか。

 それでも大半は望み通りこうして本を読む。

 あと、他に変わったことといえば。

「らーんか」

 美羽が訪ねてきた時の反応だろうか。

 前までなら美羽を見る程度で時には逃げていたおとめだが

 今は少し椅子を寄せて、警戒したような目線を送る。

「美羽、何の用?」

「本返しに来ただけ」

「本なんて読むの?」

「そりゃたまには読むよ」

「私が勧めた本は全然読まないくせに」

「ま、それはいいじゃん。とりあえずこれお願い」

「はいはい」

(…やれやれ)

 軽快に言葉を交わし本を受け取ると、おとめはもう一度椅子を近づけてくる。

 無言のプレッシャー。それを感じてるのは私だけでなく美羽もで、おとめを見ては

「ところでさ、今日部活終わったら待ってるから一緒に帰らない?」

 にやけ顔で挑発をする。

「…だめ、です。蘭花先輩は、私と帰る、ので」

(…可愛いやつだ)

 小さな手で私の腕を控えめに取り、意志を主張してくる。

「そりゃ残念。あ、そだ。明日はお母さんとご飯お邪魔するからよろしく」

(…こいつは)

 ここで言うなと睨むが

「それじゃ、本よろしくねー」

 言いたいことだけを言って、美羽は去っていく。

「…おとめ、もう大丈夫だから離してくれ」

「…はい」

 おとめは美羽が来るたびにこうして独占欲を表に出す。それは可愛らしいものだが、少し困るものでもある。

 何せ、おとめは私と美羽の交際が本物だったと勘違いをしたままなのだから。告白の時にはそこまで説明するのは余計だった。後日にはもう完全におとめが美羽を警戒しており、訂正するのはまるで美羽に味方をしているような印象で結局出来てない。

(だからあんまり来るなって言ってんのに)

 まして家に来るなんてのはNGワードだ。

「…あの、蘭花先輩」

 普段なら美羽が去った後には椅子を離して本に戻るおとめだが今日は手を離しただけで距離はそのままに私を呼ぶ。

「どうかした?」

 美羽との仲を疑っているわけじゃなくて、こういう時は大体「我が儘」を言ってくる。

「…あの」

 視線を散らし、正面に戻した時には

(う…)

 私がまだ知らない熱情を秘める恋の顔をしていて

「…私、も。蘭花先輩の、お家…行って、みたい、です」

「あ、あぁ…それじゃあ今度、ね」

「…今度の土曜日、いい、ですか」

「わ、わかった」

 その迫力におとめの要望に頷いてしまう。

(どうにも、この時のおとめには弱いな)

 それと

「…嬉しい、です」

 心から喜びを示す笑顔に

(…もしかしたら、「その時」は遠くないのかもな)

 そんなことを思いながら、望んだ同じで同じではない日常を私を過ごしていくのだった。

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