第7エンド デートと変化 ―前編―

 鼻をツンとする冷たい空気が好きだった。氷に積もった霜が好きだった。


 幼い頃のわたしは家族に連れられて、よく地元のスケートリンクに遊びに来ていた。


 ある冬。地元のカーリングクラブの人達が練習しているのを見学していたら、「お嬢ちゃんも遊んでみるかい?」と誘われた。


 それが、カーリングとの出会い。


 シンプルにして奥深いゲームシステム。耳をすませれば微かに聞こえる氷とストーンの摩擦音。そして、他の石を弾く心地いい音。わたしは魅了された。


 反面、同年代の女の子たちがハマっているアプリゲームにわたしは興味を持てなかった。学校での話題にはついていけず、クラスでは孤立気味だった。でも、放課後になれば、スケートリンクに行けば、わたしの居場所があった。


 わたしはカーリングの虜になり、きっと、カーリングの神様もわたしを愛してくれたのだ。


 小学生のときに学外のクラブに入会すると、大人も驚くほどの早さで腕を上達させていった。いつしか天才ルーキーなんて肩書がつくくらいに。





 待ち合わせは駅前のバスターミナル。着替えに手間取ってしまって、けっこうギリギリだ。


 小走りで待ち合わせ場所に向かう。五月の陽気に、少し汗ばむ。


 息を弾ませながら到着すると、ベンチに少女が座っているのが見えた。遠目からでも、それが久遠くおんさんだということが分かった。


「ご、ごめんっ! ハァハァ……遅れちゃって」

「大丈夫よ。まだ待ち合わせの時間になっていないもの。それより、なにかあった?」

「ううん、なんでもないよ」


 服選びに迷っていたなんて言ったら、デートを意識してるみたいで恥ずかしい。


 久遠さんはどうなんだろう。誘ってきたのは彼女の方だ。緊張とかしてないのだろうか。まぁ、わたしごときに緊張なんてしないか……。


 乱れた息と髪を整えて、彼女に目を遣る。


 デニムのパンツに、シャーベットグリーンのシャツ。肩にふわりと乗る亜麻色の髪の毛が魅力的に煌く。


 久遠さんの私服姿は大学でも見ているけど、今日はいつもと雰囲気が違っているように感じられてドキッとした。


 久遠さんも多少ならずとも意識してくれているのかな。


 ちなみにわたしはというと……。


 白のシャツの上に薄手のピンク色のカーディガンを羽織り、背中には小さめのリュック。


 クスネがコーディネートアプリで提案したファッションはどれもわたしにはハードルが高すぎたので、こういう無難なコーディネートに落ち着いたのだ。


(ど、どうかな……! 変じゃないかな?)


 大学に行くときよりもオシャレを意識して、かつ気合を入れ過ぎてないと思ってもらえるギリギリのラインを攻めたつもりなんだけど……。


 ちなみにクスネは少し地味だと言わんばかりの不服気な顔を一瞬だけしたけど、すぐにいつもの笑顔を咲かせて「比奈ひなちゃんはなに着ても可愛いよ」と太鼓判を押してくれた。いい加減な同居人である。


「ふむ……」

「な、なに……?」


 久遠さんは探偵のように片手を顎に添えながら、わたしの全身を観察する。上から下へ、また上へ……。高い壺を品定めする鑑定士のように、わたしの全身を見つめる。


 そして、再び目線を合わせて爽やかな表情を作ると、背中を向けてバス乗り場の方へ歩き出した。


「それじゃ、行こっか」

「へ……?」


 感想なし!? 服装の感想なしですか、久遠さん!?


 まぁ、あったらあったらで恥ずかしくなってしまうから、結果オーライかもしれない。でも、散々悩んで衣装合わせをしたので、一言くらいあっても良かったかなと思ってしまう自分がいることも否定できない。


 男性に身なりを褒めてもらいたい女性の気持ちって、こんな感じなのだろうか。男の人を好きになった経験がないわたしには縁遠い感情だと思っていたけど、少しだけ理解できた気がする。


「そういえば、今日はどこに行くの、久遠さん」

「フェアリーパークだよ」

「あの遊園地の?」


 わたしも行ったことはないけど、有名な大型テーマパークだ。


 "世間の喧騒から切り離された、夢と希望のファンタジー世界”がモチーフのテーマパークで、ここからだと確かバスと電車を乗り継いで一時間くらいで行ける。


 というか、二人で遊園地とか、まるでデートみたいだ。いや、久遠さん曰く、デートなのだけれど。まだ実感が湧かない。


 しかもフェアリーパークはファミリー向けというより、どちらかというとカップル向けのイメージがある。なんだか心臓が痒くなる。


「フェアリーパークで何するの、久遠さん?」

「そりゃ、アトラクションで遊んだりするんじゃないの、遊園地だし」


 そりゃそうだ。でも、それがよく分からない。


 わたし達はカップルでもなければ友達でもない。なかなか難儀な一日になりそうだ。


 久遠さんにバレないように心の中で静かにため息をつく。


「そうだ、有梨栖ありすさん」

「なに?」


 前方を歩いていた久遠さんが、何かを思い出したような口調で振り返りながら言った。


「今日の服、かわいいね」

「ぃ……っ!!」


 バスを待っている間も、フェアリーパークに到着するまでの間も、わたしは耳まで真っ赤にして、ろくに久遠さんと会話できないのであった。

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