第5話

 俺に残された数少ない癒しの時間はあっという間に終わりを迎えた。朝食を済ませて装備を整えていると、一台の馬車が拠点の目の前に止まる。何の装飾もなくありふれた馬二頭立ての箱型馬車だ。

 唯一、街を走るほかの馬車と違うところがあるとするのならば、御者台に座っているのが鉄壁にして無敵な王都最強盾使いというところだろう。


「今日も張り切っていこうぜ!」

「お、おう」


 今日も今日とてやる気満々のウェールに流されるままに玄関を出ると、道行く人々がその足を止めて注目してくる。王都と嘔吐のダブルミーニングだね、とかふざけたことを言う気も起らない程にせりあがってくる吐き気をこらえて、視線から逃げるように馬車に乗り込む。

 間もなく進みだしたのを確認してから、改めて依頼書に目を通す。

 協会長が言ってた通りの正体不明の氾濫現象の鎮圧と調査。普通の氾濫の処理なら中堅どころのパーティーをいくつか派遣するのがセオリーだろう。コスト面ももちろんながら、うちの化物連中ではオーバーキルもいいところ。下手したらダンジョンが無くなるレベルなのだが、それでも俺たちに依頼が来たということはいくらか犠牲を払ったか、一筋縄ではいかない何かが隠されていると踏んで間違いないだろう。

 ああ、働きたくないなぁ。というか、完全に面倒事、罰ゲームもいいところなんだよなぁ。金払いのいい指名依頼とはいえ、金に困っているわけでもないから尚のことだ。


「難しい顔して、何か見えたの?」


 表情に出ていたのか、顔を覗き込んだエルノは少し不安げな瞳に俺の姿を映す。


「いや、大したことじゃないから気にしないでくれ」

「そう? ならいいんだけど」

「まあ、何かあれば話すから」


 少し納得がいかないような表情をしていたエルノだが、話すということで許してくれたのか、機嫌を直してリータの座る御者台の方へと向かっていった。


 エルノが何かしたのか、速度をさらに上げた馬車。

 少し顔を出して外の様子を眺めてみれば、景色は流れるように過ぎ去っていく。人払いをしたのか、街道の人通りは少ないどころか全くと言っていいほどに見られない。経験もしたことのない回転を強いられ悲鳴を上げているかのように車輪が軋む音が、観光でもしに来たかのように盛り上がる怪物たちの声の合間を縫うように耳に届くほどだ。


 昨日まで歩いてきた道は馬車とは思えぬ速度で駆け抜けられた。ゆっくりと歩いていたとはいえ、数日を要した道のりは数刻の間に目的地付近の村にたどり着く。氾濫の予兆はここで観測されたらしい。


「氾濫の形跡もない普通の村だな」

「まあ、ちょっと魔力が多い気もするけど」


 索敵のために先行したベラノに続いて馬車を下りたウェールとアルティが感想を溢す。そう感じたのは同じ様に魔法を使うアルティだけではないようで、エルノは簡単なダンジョンにいるようだと口にした。

 怪物どもの簡単はあてにならないのだが、それはそれとして、その言葉は俺の脳裏の正体不明な不安を少しずつ増大させていく。


「何か感じたのかい?」


 御者台に寄りかかるリータの隣で、村を眺めていると先ほどエルノがしてきたようにこちらの表情を伺われる。


「さっきエルノにも言われたが、そんなに分かりやすいか?」

「まあ、それなりに長い付き合いだから分かるってだけだよ」

「なるほどな」


 言いながら転がる石を蹴ってみれば、二、三度跳ねながら転がったのち大きな岩にぶつかって、岩の方が爆ぜた。

 俺に飛んでくる破片はリータによって防がれ、他の面々は当たり前のようによけている。損害は全くと言っていいほどになかったが、緊張感を感じさせなかった面々の間に少し重たい沈黙がやってくる。

 既視感のある光景だった。だが、それがいつのことなのかは分からない。


「ルード、何か細工でもしたのか?」

「いや、わざわざそんなことする必要ないだろ」

「つまり脚力ってこと? やっぱりすごいねぇ」


 調査をしてくると言っていたはずなのに、いつの間にやら近くにやって来たベラノは、この場の空気を和らげるためか、ふざけたことを口にする。

 もちろんながら、俺にちょっと蹴った石で岩を破壊できるような脚力は備え付けられていない。


「ダンジョン化の前兆に近いんじゃないかな。ちらほらと見かけた魔物は強さのわりにやたらと魔力を持ってたし」


 ベラノの冗談には取り合わず、調査の感想を聞いてみれば、俺の表情はわずかに引きつる。

 ダンジョン化。コアに溜まった魔力によって周辺の土地をダンジョンへと変貌させることである。土地を変貌させるような魔力によって、その地域の自然環境は一変する。大規模ダンジョンの場合、コアから流れ出た魔力は大きな石や岩に蓄積され、コアに似た役割を果たすともいわれている。魔力の蓄積に耐えられなくなったものは衝撃であっという間に爆発するというおまけ付きでだ。


「ダンジョン化は地下で起きるから違うと思うけど。魔物は間違いなくすぐそこのダンジョンのやつだし」

「だよなぁ」


 ウェールとリータ、アルティは深刻そうな表情で頷いて見せるが、話についていけているかといえば微妙なところだ。


「そういえば、ベラノ。魔物がどうこう言ってるけど、もう何匹か倒したの?」

「十匹くらい徘徊してたのがいたから殺しといたよ。普通に襲い掛かって来たし」


 エルノの質問にニコニコ笑顔で答えたベラノ。

 それを聞いた戦闘狂ウェールは今からでも遅くないと言いたげだが、残念。村近辺の氾濫は索敵という名の蹂躙によって片付いてしまったらしい。今からウェールを投入すればダンジョンの方が無事では済まないだろう。


「まあ、聞いてた話と違うみたいだけど、一番に対処しなきゃいけないのは軽く処理出来たみたいだし、少し休むか」

「氾濫の処理はどうするんだ?」

「情報の整理をしながらだな。場合によっては別行動で」

「その時は処理の方に俺をまわしてくれ」


 戦えなかったせいか、それを許可しただけで露骨なほどにテンションを上げるウェール。それとは真逆に、ほぼノーヒント、というか前代未聞の調査に気を落とすエルノとベラノ。その様子を俺と同じように眺めるリータとアルティ。

 見上げた空は夕立が止んだ後のように碧く染まろうとしていた。

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