不確かな未来のために

篠岡遼佳

不確かな未来のために



 この世に神様がいるとして。

 ならば俺はそいつに聞きたい。

 人間をなぜ作り出したのか。

 そしてなぜ、「生きること」をその機能としたのかを。





 ――その日、俺はたぶん、これ以上ないほど真摯なまなざしで、彼女の両手を取り言った。

「結婚してほしい。一緒に家庭を作らないか」

 彼女は言った。にっこりと微笑んで。

「保留でお願いします」


 …………………………保留!?






 ……俺は家に帰って、最も親しい友人を呼び、やけ酒に走った。

「保留ってなんだよお……電話じゃないんだぞ……」

「最近の子は保留音なんて知らないんじゃないかな」

「いいからおまえも呑んで俺と同じくらい酩酊しろ」

「気づいてくれるとうれしいんだけど、ぼくは酔わないタチなんだよ……」

 言いつつ、友人は7本目のストロング系チューハイを開け、麦茶のようにごくごくと飲んだ。

「炭酸うまーい」

「おまえの故郷も普通の水じゃなくて、炭酸水を飲むのか? ペリエ的な」

「いや、ぼくの家は井戸があってさ、いつも汲む当番が決まってたよ」

「かっこいい……」

「かっこよくはないよ? もう半分脳みそ動いてないでしょ」

 友人は笑いながら、俺のでこを指ではじいて(痛い)、今度はリキュールの瓶に手を伸ばした。おまえ、すごいな。

 友人は、異国の血を引いているのだそうだ。おそらくだから酒に強い。

 それは外見にもあらわれていて、友人はさらさらの金髪に、はっきりとした青の目、通った高い鼻梁と、甘い微笑みを装備していた。つまるところ顔がいいのだ。

 しかも、こんな俺に、彼女にほぼ振られたというだけでそれを慰めてくれようと、バイトの後に遊びに来てくれる。

 いいやつだ。ほかのやつとだって仲がいい。

 だけど、どういうわけか、俺と一緒にいるのが気楽なのか、阿呆が近くにいると安心なのか、大学に入ってからできた友人だが、結構な速度で親しくなった。

「保留……保留かぁ」

 明らかにカシスの量が多いカシスグレープを飲みながら、友人は視線を宙に飛ばした。

「彼女と、ラブラブっていうより、仲いいよね。付き合ってどのくらいだっけ?」

「4年です……高校からです……」

「ふむ、で、なんで、結婚しようって言ったの?」

「………………」

 俺は乳酸菌的な味のする、ほろよいにちょうどよいはずのチューハイを飲む。

「焦った」

「焦ったの?」イケメンは声まで優しい。

「……怖くなった」

「怖い?」

「病院で……ちょっとあって……」


 俺は、ちょっと前まで入院していた。

 たいしたことはない。自転車の自損事故のようなものだ。

 けれど足が折れてしまったので、ちょっとだけ病院にいた。


 そこは病の匂いがした。

 消毒液の匂いと、せわしない人の動きと、泣いている人。

 

 俺はそれまで、知っているようで、わかっていなかった。

 じーさんたちもみんな元気だし、身近に何か起こったこともない。


 だから、失われることがこんなに近くにあることに、びびった。

 それで焦った。俺もほんとは死ぬところだったんだ。気まぐれでヘルメットをかぶっていなければ。

 それがほんとうに、怖かった。


 ――だから、神様に問いたいと思った。

 死ぬのなら、生かすことに何の意味がある。

 なぜそんな風に人間を作った?

 俺たちは何のために、突然来る終わりを受け入れなければならないんだ。



 彼女に言わなければならないと俺は思った。

 結婚して、家庭を作らないか、と。

 彼女とずっと一緒にいられる方法は、それしかないように思えたのだ。



「――それがまさか、「保留」とは」

「なるほど」

 友人は半分飲んだグラスにカシスをドボドボと入れて、一口飲み、

「……死ぬのって、怖いもんね。誰も死んだ後を知らない。死んだらどうなるのかを担保してるのは、宗教くらいなもんだもんね」

「俺、フラれたのかなあ……」

「うーん」

「俺、すっごく大事にしたいんだよ。彼女、あんまり元気じゃない人生を歩んできたらしいんだ。だから、俺の前で笑っててほしい。そのためにも、俺はいっぱい頑張りたい。なのになあ……」

 俺は座椅子に寄りかかりながら、またちびちびアルコールを摂取した。丸めてしまった背が、もうなんかどうしようもない。

 友人は、けれどそんな俺に笑った。

「大丈夫、時間が解決してくれると思うよ。保留なんだもの、待ってないと。男らしく、どっしり構えてさ」

 イケメンは、どんな笑顔もかっこいい。

 俺は、なんだかその意見と自信をたたえた笑みに丸め込まれる感じになって、とりあえず、その日は二人でかぱかぱ酒を飲んだ。友人は明け方に帰っていった。



 俺は、すぐ酔うが、次の日には残らないタイプである。

 とりあえず、今日は日曜日なので講義も実験もバイトもない。

 だが、スマホを見ても、彼女との決まっている「おやすみ」「おはよう」以外、なんのメッセージもなかった。

 ため息をついたとき、しかし、不意にインターホンが鳴った。


 ドアを開けると、彼女がいた。


「来ちゃいました」

「来て……くれたね」

「髪、切ったんだ」

「変かな。ショートにすると、顔が目立つよね……ちょっとはずかしい」

「ううん、似合ってるよ。その、ワンピースも。半袖、寒くない?」

「なんか、気分変えたくて、衣替えしちゃった」

 へへ、と笑う彼女が、俺にはとても愛しい。

 中に入ってくれ、と言おうとしたら、彼女がそれをとどめて、俺に言った。

「あのね、「保留」を解除しに来たの」

「!」

「けど、うなずくわけじゃない」

 彼女はまばたいて、俺を見上げた。

「だから、今から一緒に話そう。これからのこと、どうなりたいのか、一緒にいるにはどうしたらいいのか、明日から、将来のこと、話そう」

 そう言って、彼女は手を差し出した。

 俺も、手を差し出し、俺たちは手を握り合った。


 ――隙あり。


 俺はその手を引っ張り、もう片手で彼女の背を引き寄せ、抱きしめた。




 神様が託したもの。

 それを、俺は知ってしまった。


 なぜ「生きること」を人間の機能としたのか。

 ――それは、「世界」の未来を作るため。

 仮にすべてがわかるならば、神様は「世界」を作る必要もなかったはずだ。

 つまり神様は、偶然や運命や曖昧さを待っているのだ。



 俺は、迷わず彼女に告げる。


「好きだ」

「私も、あなたが好きだよ」



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不確かな未来のために 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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