雨上がりに傘をさす

シミュラークル


 しおりは額から垂れる汗を拭った。雨の後で湿気が多く、夏の暑さと相まってじめじめしている。栞は携帯を見た。時刻は11時00分。撮影現場が近かったので合間を縫って久々に野川公園に来た。この公園は栞の地元にあり、武蔵野を代表する野趣あふれる広大な公園として知られている。

 凝りをほぐすように首を回した後、再度手元の携帯に目を落とした。帰りの電車を検索するためだ。

「あと1時間か……」

急がなきゃと、広々とした芝生目指して歩きだした。

 数分後、大きな木の根元に腰を下ろした。木陰なのでいくらか涼しい。こうやって公園に来たのもリフレッシュするためだ。栞は自然の麗しい空気を吸うために深呼吸をした。時間はないが、これで気持ちが落ち着いた。

 地面に手をつき上を向いていると、突然顔を覗き込まれた。「うわっ」と思わず驚くと、夏らしいTシャツを着た少年が現れた。

「ど、どうしたの?」

「お姉さん、学校さぼってるでしょ」

「そうか今日は平日か」忙しくて曜日感覚が鈍ってるなと栞は思った。

「そうなんでしょ」少年が言った。

「違うよ。まぁ休んでるのは本当だけど、今日は仕事」

「お姉さん、高校生じゃないの?」

「そう。でも役者をやってるからね。今日もこの後撮影なんだ」

予想外の回答だったらしく少年は釈然としない様子だ。

「赤川栞って知らない?」

少年は首を振った。栞は悔しかった。最近も視聴率20%越えのドラマに主役ではないものの、かなりの重要人物として出たばかりだ。いくらテレビ離れをしている子どもでも、世間に知らない人はめったにいないと思っていた。

「じゃあ君はなんて名前?」

「レン」

「レン君か。ところで君こそ学校さぼってるんじゃないの?」

「学校の創立記念日」

自分から話しかけてきたのに随分とあっさりしている。

「そうなんだ。今日はここへ何しに来たの?」

「自然観察」

レンは野川やここに息づく生物が好きだという。栞は随分と大人な趣味だなと感心していると、レンは木を指さした。

「これ、知ってる?どんな木か」

栞は首を振った。

「クマノミズキって言う木なんだ。花もほら、咲いてるでしょ」

さっきは気付かなかったが、上を見ると無数のクリーム色の花が咲いていた。

「今はクリーム色だけど秋になると全体的に薄紅色に色づくんだ」

「よく知ってるね」栞がそう言うと、レンは誇らしげに手を腰に当て、笑った。初めて見せた子どもらしい笑顔だ。

 それからしばらく2人はお互いのことを話した。栞にとって年下と話すのは新鮮で、なにより他愛もない話をするのが久々で思わぬ気分転換になった。

 ふと携帯を見ると12時だった。栞はレンに帰ると伝えた。すると、「じゃあまたね」とだけ言って栞より先に走りだしてしまった。「切り替えが早いな」と栞は思わず呟いた。

 栞は立ち上がった。地面が湿っていたせいで、お尻が少し濡れてしまった。付いた土を払いながら遠くまで見渡したが、もうレンの姿はなかった。

 


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