トークオブトリップ -信頼できない語り手のTRPG-

水白 建人

序章

第1話

 多くの物語において超越的な存在として描かれる神様すらあざむく力を――旧約聖書が人類史の一端であるとすれば――人は誰しも持っている。

 擬態や鳴きまねをする動物など言うに及ばず、もしかすると北欧の嘘つきロキやギリシャの担ぎ屋ヘルメスにだって比肩するかもしれない。

 だからこそだ。その物語を動かせる最後の生存者として、しろかいはささやかな自信と責任をもってまんに満ちた宣言をした。引き出しの中に眠っていた、沸騰する混沌、不定のあんたんそとなる神、はくあるいは無限の魔王アザトースの脅威から己が探索者を守るために。

KPキーパー、《言いくるめ》だ! 『私はなにも見ていない。いいな?』と自らを《言いくるめ》る!」

「《言いくるめ》は交渉技能です。よって自分自身には使えません」

 教室の机に両肘をついた小6女子がしらけたようなまなざしを真向かいの僕に注ぐ。

 薄紅がかった黒い長髪をたくわえた、いやにがんなこいつはおう。幼稚園児の頃から僕と付き合いがある幼なじみであり、今は僕たちゲームクラブが遊んでいるテーブルゲームのキーパーという進行役を司っている。

「キーパーとはなんぞや?」という人にはゲームマスターGMと言い換えれば理解してもらえるだろうか。ともするとゲームのルールを変えてしまえる程度の権力を持つ、絶対的な存在である。

「でもほら、生きてるプレイヤーキャラクターPCは僕ひとりなんだし、ここはひとつ見なかったことに」

「SANチェックの時間よ。10面ダイスを取りなさい」

「ままま待ってくれ。僕は極めて真面目に探索していたわけで、不用心なことはなにもしてないのに引き出しを開けただけでとんでも邪神ブラックホールとコンニチハするなんて、どう考えてもおかしいとしか」

「ドラえもんだって引き出しから出てきたじゃない。いったいなにが気に入らないのかしら」

「名作を盾に取るな! 反論しづらいだろ!」

 過激派ファンにアンチ認定でもされてみろ。PCより先にPLプレイヤーのほうがロストしてしまうじゃないか。

 ――さて、不平を鳴らすのはこのぐらいにして現在の状況を語ろう。

 僕はゲームクラブ顧問の先生と部員たち数人を交え、戦時下を舞台にした探索系テーブルゲームの集団遊戯セッションを始めた。

 しかし、出てくる敵やトラップがじょういっした手強さで、気づけば生き残りは僕のPCひとりだけ。そこへきて文字どおりの「見たら発狂するやつ」と称して差し支えない邪神とばったり出くわしてしまい、まさに大ピンチってわけだ。

(SANチェック……成功率26%とか低いなあ)

 僕は圧倒的権限で殴ってくるキーパーに観念して、アクリル製の10面ダイスふたつを机に放る。かっから転がり、上向いたのは『60』と『3』で、数値に直すと『63』。26%を超えているので、残念ながらSANチェックもとい《正気度》ロールは悪い方向に処理されることとなってしまった。

 当てようとしても当たらない。4分の1の確率なんてしょせん、こんなもんさ。

「次は正気度の減少値を求めなさい。ため息をつかなくてもいいのよ? 同じダイスで26未満を出せばかろうじて生き残れるのだから」

「あいにくだが79だぞ」

「そう。残念ね」

 すると桜花は対岸の火事をさかなにでもするような気安さで、

『――いかなる切り札をやつは隠したのだ? 捨て置かれた反乱軍のアジト、その一室を物色するパラメキアは、さびついたその引き出しに手をかけ、しかして目を奪われた』

 僕のPCに降りかかった災厄をキーパーとして語り始めた。

『――わくされた? いいえ。言葉どおりに両の目を、視界を奪われたのだ』

『なッ……ああ!?』

 僕はゲームの決まりに従い、いかにもPCらしい仮想演技ロールプレイをしていく。

『――それは渦を成し、闇を吐き、音階なきてんてきをはためかす。されども目、耳はおろか、己が五感のことごとくをねじ曲げられていくさなかにありて、パラメキアがそれを感受することはかなわない』

『なんだ!? なに、がァ……!?』

『――邪神の息吹が。ほうようが。あだびとならざる男の覇道に、つづれのごとき暗幕を垂らしていく……』

『うぼあああァァ…………!』

「――正気度がゼロになりました。永久的発狂につき再起不能ロストです。さようなら」

 人の不運をせせら笑うかのように、桜花は淡々とゲームセットを告げる。セッションが始まってからわずか1時間後の出来事だった。

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