第14話 嵐の前

夕飯の時刻になり、僕たちは食堂へ降りた。


千歳さんが待ち望んでいた、ペンションのディナーだ。

僕も体調がすっかり良くなったので、塩辛いものが食べたい気分になっていた。


入口を入ると左手に長テーブルが置かれ、様々な赤色をした麻婆豆腐が並んでいる。

手前から、薄い赤、もう少し濃い赤色、茶色がかった赤色と、グラデーションになっている。あの女性が並べたのだろうか。随分几帳面だ。

1番奥に見える麻婆豆腐は、もう黒色に近いほど深い赤だった。


その他、唐揚げ、チャーハン、スープ、餃子、ゴマ団子まで用意され、もう1つの長テーブルには、巨大な炊飯器が2つと食器類。山積みの大きな丼。


食堂の奥には暖簾がかけられた厨房の入口があり、その奥からは、水のはねる音や、何かを炒めるような音と共に、威勢のいい話し声が聞こえていた。

おそらく中国語だろうか、最初に案内をしてくれた女性の声と、男性の声だった。このファンシーなペンションで中華料理が出てくる理由がわかった気がした。


この家の子供だろうか、エプロンをつけた中学生くらいの女の子が、数個ある丸テーブルの1つに案内してくれ、僕たちは向かい合って腰掛ける。室内には食欲をそそる香りがたちこめていた。


「ここって最高ね」

千歳さんがウィンクした。僕も下手くそなウィンクを返す。

数組の宿泊者が集まり、夕飯がスタートした。

千歳さんは迷いなく丼に白飯を盛り、そこに1番薄い赤色の麻婆豆腐をたっぷりとかける。


麻婆丼。


そのための丼だということを、千歳さんは食堂に入った瞬間見抜いていたんだね。

僕も真似をして、黒っぽい麻婆豆腐で麻婆丼を作った。


「おいしい〜!」

千歳さんは頬を抑えながら言った。なんてかわいいんだろう。

「この黒っぽいのも美味しいよ。ちょっと辛味が強いけど」

「へー!じゃあ次はそれにしよっと」

すでに一杯目を食べ終えた千歳さんは、新しい丼を取りに行った。さっき食べた饅頭はどこへ行ってしまったのか。

「あ、ほんとだ、結構辛い。でもコクがあっていい味」


その頃僕たちの会話は驚くほど弾むようになっていて、それに伴って千歳さんの脇に積まれる丼の数も増えていった。会話が弾むと酒がすすむというのはよく聞くが、麻婆丼は初めてだ。


しかし、他愛ない会話で盛り上がるほどに、僕の中で千歳さんに「あのこと」を確認をしたいという気持ちも膨れ上がる。

そう。僕は千歳さんの彼氏なの?ってことだ。


うっかりではあったが、僕は告白した。千歳さんはそれに答えた。「すきかも」って……。


千歳さんが言った"かも"の2文字が僕を苦しめる。

それってどういうことなの?僕は千歳さんが好き。千歳さんは僕が好き"かも"。まだお試し期間みたいなこと?これから僕のこと好きになるの?ねえ、千歳さん。聞きたいよ。君んちのチワワのポコが毒団子を見分けた話もすごくいいんだけどさ、僕はそれを今すぐ聞きたいんだ。それを確認できたら、僕たちの恋愛に残されたハードルは、全部、今夜のうちに僕が全部飛び越えてみせるさ。


ペンションの電話が鳴ったのは、千歳さんの傍らに8つの丼が積まれた後だった。

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