第2話 そんなに話したりしたことないじゃん、僕と

まだ春の頃だった。

たまたま行った学食で、初めて君を見た。ハンバーグ定食を食べる君を。

その瞬間、時が、止まった。


君以外の全ては動きを止め、水彩絵の具で描いた絵になって、あっという間に滲んで溶けた。

食堂の窓から差し込む光は君だけを照らし、丸い頬の輪郭をなぞっている。

君はピンク色の唇で、ハンバーグのかけらにキスをする。

その可愛らしい動作で、食堂には名前の無い星座がひとつ生まれた。


僕はできるだけ自然に、君に近付く。そしてなんの気もない素振りで、君の隣に座る。


耳をすませてみると、君が自己紹介をしていることが解った。

僕は精神を研ぎ澄ませ、君が話すことを必死で聞く。メモを取ったら君にバレてしまうかもしれない。大丈夫。落ち着いて。全部覚えてみせる。


千歳絵梨花。2月2日生まれ。水瓶座。A型。一人っ子。三鷹に住んでる。2階建ての一軒家。お父さんは数学教師。お母さんは専業主婦。チワワが1匹。名前はポコ。高校の時は清掃委員。終業式の日に居残りで床のワックスがけをやらなくちゃいけないのが嫌だった。吹奏楽部。トロンボーン担当。カナダ留学をしてから語学に興味を持って、この大学では英語サークルに入った。得意科目は、もちろん、英語……。


それから僕は毎日学食に通った。そして君のそばに座って、話をこっそり聞いた。


家族で箱根に行ったこと。

サークルで留学生と交流会をやったこと。

チワワのポコは人間で言うと10歳ってこと。

ママの栗ご飯がおいしくて沢山おかわりをしたこと。

パパが入学祝いにワンピースを買ってくれたこと。


君という授業があれば、僕は満点をとれるよ。だから言われなくても知ってるんだ。君が来週、20歳の誕生日を迎えるってことを……。


教室で君の姿を見たときは、心臓がはじけそうになった。同じ授業をとっているなんて、思いもしなかったから。

教室で君の横顔を見ることができるようになった代わりに、学食で君を見かけても、何食わぬ顔で隣に座ることはできなくなってしまったけれど。


君に顔を知られているかもって思うのは、自意識過剰だろうか。

君と同じ授業を選んだことは、僕にとってラッキーだったのか、それともアンラッキーだったのか。

昼食の度に、そんな事をよく考えていた。


もちろん、僕が君の話を盗み聞きしていたなんて知られたら、君は僕を嫌うだろう。君は顔を歪めて、怒る?それとも怯える?

ふたつだけ確実なのは、君だけじゃなく、同じ教室の全員が、二度と目を合わせてくれなくなるってこと。そして僕はそれに耐えられる自信が無いってこと。


うっかり口を滑らせてしまったら最後、僕の大学生活は終わってしまうんだ。


ああクソ。もどかしい。僕は君と上手く話せない。

箱根はどうだった?ポコは元気?パパに貰ったワンピースは何色?

聞きたいことは山ほどあるのに。


何も知らない君は、いつの間にか僕の手から雑誌を奪い取り、星占いのページを熱心に読んでいる。

「水瓶座は、旅行すると吉!」

君は僕の方を見て、嬉しそうにそう言った。


千歳さん。君の誕生日はわかるけれど、君が僕に近づく理由は全くわからない。

ましてやペンションに連れて行ってだなんて、全然理解できないよ。

だってこれまで、そんなに話したり、したことないじゃん……。

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