第十五話 揺れる心

 本格的な冬が来て、雪が私の背丈を超える程に積もった。中庭の道には魔法石による雪の溶解システムが完備されていて、雪壁に囲まれた通路になっている。すべてを溶かしてしまうと、植物が上手く育たなくなるらしい。


 仕立て屋から届いた上着は、ふわふわと毛足の長いファーの縁取りがされた白くて軽いマントと、真っ黒なフード付きの毛織物のマント。白のマントは汚してしまいそうなので、どうしても黒のマントを選んでしまう。厚い毛織物は重くて歩きにくくても、散歩と塔までの道でしか着用しないので我慢するしかない。


 中庭の道を歩くと雪が壁になっていて面白い。手で触ってみると手形が残ってしまって、子どもの悪戯の証拠のようで気恥ずかしい。

「雪の壁が面白いのか?」

 後ろをついてきていたエゼルバルドが笑いながら私が残した手形の横に自分の手形を付ける。背の高い男性の大きな手に比べると私の手形は本当に子どものよう。


「手が冷たくないか?」

 そう言ってエゼルバルドは私の手を握る。その温もりはヴァスィルとは違う温かさだった。


     ■


 雪の中、中庭の塔へ行くのはエゼルバルドがいい顔はしない。それでも、私が一人でいる時間が必要だと思ってくれているから認めてくれている。


 温室の中で、今日も人の姿になったヴァスィルが頭を撫でて笑う。帰る方法を探す為に精霊にお願いしたいというと快諾してくれた。

『それじゃあ、火の精霊を呼ぶか!』

 ヴァスィルが楽し気に右腕を振り上げると、手の先に球形をした七色の光が現れて弾けるように消えた。


 数秒後、温室の土の上に四角くて複雑な紋様の赤い光の魔法陣が現れた。

『何か用?』

 赤い長い髪をなびかせた女性が空中に現れた。ぴったりとした炎のドレスはその魅力的な曲線を強調している。瞳は白目がなくて赤茶色の宝石のよう。


 ヴァスィルが精霊に話をする前に、私の中の魔女が怒りに震えた。

「ダメ!」

 胸を抑えて自分の中に制止を叫んでみたけれど、溢れる力は止めることができなかった。緑の炎が精霊を目掛けて渦巻く。


 炎の精霊は驚いた顔をしたまま緑の炎に包まれて消えた。


「……私、殺しちゃった?」

 脚が震える。また私は精霊を殺した? ……異形でも人の形をした精霊を焼いたショックは大きい。


『いや、大丈夫だ。ぎりぎりで逃げた……ミサキ、この結界を解除してくれ』

 ヴァスィルが心配気な顔で何か透明な緑の壁を叩く。私を中心にしてドーム状に壁が出来ていた。解除と言われてもどうしたらいいのかわからない。体が震えてへたり込むと壁が消えた。


 ヴァスィルも座り込んで、私を背中から包み込むように抱き締める。

『魔女は相当、精霊が気に入らないようだな』

 私を励ます為かヴァスィルが妙に軽くて陽気な声を出す。それでも体の震えは止まらない。


『……ミサキ……顔を上げてくれ』

 ヴァスィルが耳元で囁く。優しい声の響きが、私の心を別の意味で震わせる。

 ぱりんぱりんという薄いガラスが割れるような音が微かに温室の中に響き渡った。


「え?」

 顔を上げると、淡いピンク色のシロツメクサに似た花が無数に咲いていた。時間を掛けてつぼみが開くのではなく、ぱりんと音を立てて膨らむように咲く。


『ちょっとずるいが俺の竜の力を注いだ。……可愛い花だな。ミサキみたいだ』

 ヴァスィルが楽し気に囁くと、花も揺れる。


 私はヴァスィルに背中から抱き締められたまま、沢山の花が咲くのを見つめていた。


     ■


 この世界の冬の空は常に暗い雲が覆っていて、精神的にも抑圧されるような気がする。城壁の中は魔法灯ランプが常に沢山灯されていて明るいのに、どこか暗い空気が漂う。


「ミサキ、ダンスをしよう」

 居間で本を読んでいたエゼルバルドが突然言い出した。

「私、ダンスなんて知りません」

「俺が教える」

 エゼルバルドは基本的に一人称は「私」で、高揚すると「俺」になる。楽し気に笑うエゼルバルドに逆らいきれずに手を引かれた。


 雪で冷えた手を握られてから、エゼルバルドは私と手をつなぐようになって、常に隣を歩く。どきどきと高鳴る鼓動は、半分は私のもので、半分は魔女のもの。


 更衣部屋に用意されていたのは、炎のような色の豪華なドレスだった。私に着こなせるとは思えない。

「あの……豪華過ぎます……」

「このドレスはミサキの寸法で作られている。他に誰も着ることはできない。もったいないから着てくれないか?」

 もったいないという感覚が理解できないと言っていたエゼルバルドは、私がその言葉に弱いと知ってから、頻繁に使うようになった。


 ドレスの着付けはエゼルバルドが手伝う。最近、私がジェイクを避けているので気を遣ってくれている。ジェイクは私の目に入らない仕事をこなしているらしい。


「靴紐と違ってリボンという物は綺麗に結ぶのが難しいな」

 眉間にシワを寄せるエゼルバルドと、二人で格闘しながら腰のリボンを結ぶ。


 広く開いた胸元、編み上げてぴったりとした身頃に膨らんだ袖。薄いシルクオーガンジーを重ねたスカートはフリルで装飾されているのに軽くて動きやすい。


 大きな鏡の前に立つと、炎のような赤はやっぱり私には似合わなかった。

「……私、ドレスに負けていますね」

「ミサキは緑色が似合うな。次は緑にしよう」

「……少しくらい、似合うとお世辞を下さってもいいのではないですか?」

「ミサキは世辞が嫌いだろう?」

 拗ねてしまった私をエゼルバルドが背中から抱きしめながら笑う。


 エゼルバルドがいろいろと話しかけてくることが増えて、少しずつ気安い関係になり始めている。王族や貴族の考え方についていけないことも多々あって、エゼルバルドが根気よく説明してくれて理解できるようになってきた。逆に私の考えもきちんと聞いて理解しようとしてくれる。


 結い上げた髪に、赤いベールの付いた髪飾りを付けられる。赤いルビーの首飾りや耳飾りを試着すると似合わなかったので、豪華な金細工が施されたものに替えられた。


 赤く薄いベールを顔に掛けられると視界がほのかに赤い。


 黒いロングコートを着たエゼルバルドの腕に手を掛けてエスコートされるままに玄関へと向かうとホールには楽器を持った使用人たちがいた。いつもは絶対に顔を見ることのない人たちだ。


「あ、あの……」

「俺が魔法を掛ける」

 私の手を取ってホールの中央へと誘導したエゼルバルドの口から、何か歌のような呪文が聞こえて足が軽くなった。

 

 ゆったりとした音楽が始まって、エゼルバルドが動き始めると私の足が勝手に付いて行く。

「え?」

「ほら、大丈夫だろう?」

「……教えてくださるのではなかったのですか?」

 恥ずかしくなって要らない一言を口にしてしまうと、エゼルバルドに笑われてしまう。


 ワルツに似たダンスはどこまでも優雅。赤いドレスの裾がふわりふわりと揺れる。魔法灯の光でエゼルバルドの銀色の髪が煌めいて幻想的だ。


 くるりと回るとドレスがふわりと広がる。朱赤は似合わないとは思うけれど、手の込んだ細工のドレスは着心地がいい。


 三曲を踊り切って、音楽がゆっくりと消えた。楽器を持って使用人たちが静かに姿を消す。


 ホールに二人だけで残されて赤いベールをそっと持ち上げられた。赤いもやが晴れてはっきりとエゼルバルドの笑顔が見える。


 エゼルバルドを好きになってはいけないと思う。私はヴァスィルが好きだ。


 心だけでも拒否しなければと思うのに、私を理解しようと努力するエゼルバルドの姿が心を浸食してくる。キスは激しくて深いけれど、それ以上の行為は我慢してくれていることも徐々に私の心が緩んできた理由の一つ。


「ミサキ」

 名前を呼ばれて見上げると紫の瞳が優しく微笑んでいた。作り物ではない本物の笑顔に鼓動が跳ねた。


 唇に触れるだけのキスが、とても優しくて、とても嬉しいと思った。

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