生贄の魔女と呪われ王子 ―R15版―

ヴィルヘルミナ

第一話 深い夜の出会い

 逃げるしか選択肢がなかった。


 夜の森の中を木に隠れながら、焚火の光から遠ざかるように闇に向かって走る。


 靴はいつの間にか脱げてしまった。足が草や石を踏んで激痛を感じても、荒くれた男達に捕まった後のことを思うと立ち止まることはできなかった。


「どーこーだー」

「ほらほら、大人しく出てくればイイ思いさせてやっからよー」


 ランタンを手に持って追いかけてきた男達の声は完全に狩りを楽しんでいる。瞬間的にしか見ていないけれど、男達の服装は昔のヨーロッパの兵士のようだった。髪は緑や青色。日本ではありえない。


 これは夢だと思いたいのに、足が痛い。



 どうして私がこんな森の中にいるのか、全くわからなかった。

 私は友人との待ち合わせ場所に向かって新宿駅を歩いていた。突然白い光に飲み込まれたと思った瞬間、夜の森の中、少し開けた場所に立っていた。


 目の前には焚火を囲んで食事をしている十人程の男達。最初は驚いた顔をして見ていたのに、酒でも入っていたのか、にやにやと笑いながら近づいてきた。決して助けようという表情ではなかった。


 恐怖しか感じない。捕まったら何をされるのかは明らかだ。

 肩掛け鞄を胸に抱いて走り続けるしかない。



 少し離れた場所に豪華な装飾の天幕が見えた。

 光もないし入り口には誰もいない。布の隙間から滑り込んで息を吐いて座り込む。


「誰だ?」

 静かな闇の中、男の鋭い声が耳を貫き体が震えた。

「……ごめんなさい。すぐに出て行きます」

 立ち上がる為に手を着いても、足の痛みが酷くて地面に崩れ落ちる。


 痛みに涙が出てきた。何度も立ち上がろうとするのに、自分の血で足が滑る。


 ランプの光が灯された。眩しさに顔を背けると男が目の前に歩いてきた。


「……怪我をしているのか」

 声を掛けられて顔を上げる。男は銀髪に紫色の瞳。生成のとろりとしたシャツにゆったりとした茶色のズボン。素足に室内履きのような靴を履いている。


「どこにもいねーなー」

「久々に楽しめると思ったのにな」

 天幕の外から男達の声が聞こえて、恐怖で体の震えが止まらなくなった。


「おい、そっちは呪われ王子の天幕だぞ。近づくと不味い」

「まさか、あの女、喰われたか?」

「下手なこと言うな。呪いがうつるぞ」

 男達の声に銀髪の男は表情を強張らせていた。強い怒りの感情が一瞬浮かび、すぐにその表情は消え失せた。


「襲われたのか」

「……未遂です」

「そうか」

 男は木箱を取り出して、側にあった木の折り畳み椅子を指さした。


「そのままでは足が腐る。そこの椅子に座れ」

「……ごめんなさい。立てません」

 私の足は限界だった。あちこちが切れて抉れて、血が流れている。地面に敷かれた毛織物がどす黒く染まっていた。

「……椅子まで移動させる。体に触れても良いか?」

「はい。お手数をおかけします」

 男は一瞬ためらう素振りを見せつつも、私をふわりと抱き上げて椅子へと座らせた。


 男は私の土と血だらけの足を掴んで、大きな水色のガラス瓶に入った消毒薬と思しき物を惜しみなく使って洗い流すように汚れを取り、血を布で拭った。不思議なことに激痛が徐々に弱くなっていくから、薬には麻酔効果があるのかもしれない。手慣れた手つきで包帯のような布を巻いて、何か呪文のような物を唱えた。


「治療は終わりだ。痛みが完全になくなれば傷も消えるだろう。少し休んで痛みが無くなれば出て行け」

 男は冷たく言い捨てて背を向ける。あまりにも心細くて、少しでも興味を持ってもらおうと名前を告げることにした。


「ありがとうございました。……私、倉屋くらがや美咲みさきと言います」

 名前を口にした途端、ぐにゃりと周囲の景色がゆがんだ。これはきっと貧血の症状。


 どくりと心臓が嫌な音を立てて、左胸が熱くなる。


「しまった!」

 振り返った男の呻くような声が聞こえて、私の意識が途絶えた。

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