無想の男
秋山如雪
一 奇岩の上にて
丘の上を鳥が飛んでいた。その少し寂しげな鳴き声が黄昏の空に響いている。もう秋を告げる涼風が、はるか遠くに見える山々から吹き付けてくる。
眼下に粗末な民家が続く山村を見下ろす丘の上に、一つの大きな奇岩がどっしりと腰を下ろしている。その上からの眺めだ。
そこには人影が二つあった。
その一つは、まるで講談にでも出てくるような偉丈夫で、体つきはそれほど大きくはないが、その引き締まった体躯、ぎらぎらと光る眼、そして長く伸びた
男は右手に持った杯を傾けながら陽気に、
「お師匠様。ここからの眺めを見ながら飲む酒というのも、乙なものですなあ」
と、明るい声を上げる。男の頬からは滝のような汗が流れている。
その隣に座る壮年の男は、それを聞いて軽く頷く。男は身の丈が六尺(約180
センチ)はあろうかという大男で、その肢体も並外れて大きく、赤黒い肌と肩までかかる長髪はさながら鬼のような風貌にも見える。
が、唯一、その眼だけは澄んでいて、鬼とは程遠い奇妙な清々しさを感じるものだ。
壮年の男は、若い男とは対照的に汗一つかいていない。彼もまた杯を手にし、口元に運ぶ動作を繰り返していたが、その口元は若者のように緩んでおらず、固く引き締まっている。
ついさっきまで真剣を握っていたのが嘘のように若者は晴れやかな笑顔を見せていた。
それもそのはずで、男はこの日から正式に流派の継承者になったのだから。
「
壮年の男がそう呼んだ。若者の名である。
「一刀流の秘伝を授けたからには、お前はもうわしの弟子ではない。一介の
壮年の男は、そこまで口に出すと、典膳の顔にその澄んだ両目を向けながら続けた。
「わしの歩んできた道を、お前に知っておいてほしい」
いつになく落ち着いた、それでいて同時にどこか少し寂しげな瞳を向けて話す師の言葉に、典膳は師の心の中にある
「お師匠様。是非お聞かせ下さい。お師匠様が歩んできた道を」
典膳は決して「師の過去」とは尋ねなかった。確かに師の過去のことを聞くことにはなるのだが、この偉大な師の半生は、とても「過去」などという陳腐な一語では言い表せないだろう、そう思い気遣ったのだ。
「うむ。しからば心して聞け」
彼の師は、未だかつて弟子の誰にも語ったことのない、これまでの人生の軌跡をこの若き後継者に打ち明けることになった。
彼は遠い目をして見せると、おもむろに語り始めた。その血にまみれた半生の記憶を手繰り寄せるように……。
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