朱雀門

ナタリー爆川244歳

朱雀門

 ある日の暮方の事である。ノブオという名の少年が朱雀門の下で雨やみを待っていた。

 ノブオは石段に腰掛けて頬杖をつきながら、見るともなしに辺りを見回す。広い門の下には、ノブオのほかには誰もいない。改修工事のおかげで鮮やかな朱色の大円柱に碧のカメムシが一匹とまっているばかりである。

 朱雀門が奈良県内にある数少ない観光地である以上は、ノブオのほかにも、修学旅行生や外国人の観光客がいてもよいはずである。それが、ノブオのほかには誰もいない。スコールかよ、ってくらいの大雨が降っていたのだから、観光客がいないのも当然である。人がいないのは、決して奈良県がさびれているからではない、多分。

 普段ならノブオは友人たちを誘って一緒に遊んでいる筈だった。ところがその友人たちが今日に限って、学習塾に行かねばならなかったり、風邪を引いたりして遊ぶことが出来なかったのである。仕方なくノブオは一人きりで、方々をぶらついて暇をつぶしていた。しかし、突然降りだした雨に打たれ、急遽、朱雀門の下で雨宿りをすることになったのである。

「雨、止んだら、今日は家に帰るか」

 ノブオが独り言を言った途端、まるで当てつけのように雨の勢いが激しくなった。雨で濡れた服がノブオの体温を奪う。寒さをごまかすため、ノブオは考え事をした。

 Sentimentなことを考えていたのか? いや違う、卑猥な想像をホワンホワンと膨らませていたのだ。ノブオはどうしようもないエロガキだった。今日も暇つぶし、とは名ばかり、実のところは道端に落ちている猥本を探しに方々を巡っていたのである。ちなみに、自分がスケベ野郎であることは親しい友人たちにも内緒であった。もし、自分がスケベ野郎であることが知られてしまえば、村八分、いやクラス八分にあってしまう。先日も、少年向けの漫画雑誌の〈ちょっとエッチな漫画〉を読んでいたクラスメイトが変態呼ばわりされる事件があったばかりである。小学生男子の世界は、時として残酷なのだ。

 

 大円柱にとまっていたカメムシはどこかに消えてしまった。いつまでも止むことのない雨に業を煮やしたノブオは、濡れるのを覚悟の上で、家に帰ることにした。石段から腰を上げたノブオの視界の端にうごめく小さなものがあった。肩の上に何かが乗っている。それはカメムシだった。先ほど、大円柱にくっついていた個体らしい。カメムシは威嚇するように尻を競り上げ、今にも悪臭を放ちそうな姿勢を取った。 

 ノブオはパニックになって、わきゃああああ、と叫びながら、転げまわり、走り回り、いつの間にやら梯子をのぼって、朱雀門の楼の上まで来ていたのである。ノブオは身体をよじり、自分の体にカメムシがついていないかを確認した。転げまわったせいで服に土がついていたが、カメムシ本体も、臭いもついていなかった。安堵して、思わずその場にへたり込んでしまった。

 雨にぬれてもいいからさっさと帰ろう、と思い、ノブオは出口に向かおうとした。そこであることに気がついた。

 部屋の端に誰かがいるのである。

 その「誰か」はノブオに背を向け、胡坐をかいて座っていたので、顔は見えない。が、ノブオと同い年くらいの少年であるようだった。髪はスポーツ刈りで、体型は太っていて大柄、着ている薄い青のTシャツは湿っている部分と乾いている部分でまだら模様になっていた。

〈一体、アイツはこんなところで何をしているのだろうか〉不信に思ったノブオは謎の少年に声をかけた。

「おい、お前、何やってんだよ!」

 あひゃああああ、と悲鳴をあげて振り返った少年の顔をノブオは知っていた。

「げえ、ドツじゃん!」

 ドツこと、遠藤くんはノブオのクラスメイトである。個人経営のパン屋「エンドウベーカリー」の一人息子だった。店の看板がボロボロで「エンドウ」と書かれた部分が「エンドツ」に見えることからあだ名が「ドツ」になったのである。 

「なんだあ、誰かと思ったらノブオじゃねえか。びっくりさせんなや、このアホ!」

「うっさいわ、ボケ!」 

 クラスが同じだからといって、二人は仲がいいワケではない。むしろ険悪な仲だった。なぜだか、お互いにウマが合わないのだ。

「お前、こんなとこで何やってんだよ?」

「人間生活だよ。邪魔やから帰れ」

 ドツは無愛想に答えた。人間生活、という言葉は、ドツが相手をあしらうときに使う決まり文句だった。腹を立てたノブオは、ドツを脅すことにした。

「ふーん、そっか。じゃあ、立入禁止の場所に入ったこと、先生に言ったろ」

「ノブオだって入ってるじゃん」

「俺は怪しい音がしたから、様子を見に来ただけだもんねー。チクられたくなかったら、正直にホントのこと話せよ」咄嗟にウソをついて、カメムシの一件を隠した。ノブオはドツに弱みを握られまいとしたのである。

「だから人間生活やって言うてるやんけ! もう帰れよ!」ドツが怒鳴る。

 怪しい、と思ったノブオはドツを注意深く観察する。そしてあることに気がついた。

「お前の後ろにあるの何それ? 本か?」

 ノブオは首をひょこひょこさせながら、ドツに近づいていく。

「もうええから、こっちくんなって。くらえ、来んな来んなビーム!」ドツはノブオの乳首を人差し指で突っつき倒した。

「やめろって! バリアバリアバリア!」ノブオを腕をクロスして、ドツの攻撃を塞ぎつつ前進する。

 二人はしばらく攻防を繰り返したが、ノブオが一瞬のスキをついて、ドツのブロックをすり抜け、雑誌のところにたどり着いた。誌面にはあられもない姿をした、セクシーなお姉さんの写真が一面に載っている。ノブオが眼にしたのは成人向けの雑誌、猥本。つまりはエロ本である。

「♪いーしゃしゃ、こしゃしゃ! ドツがエロ本読んどった!」 

 ノブオはクネクネと滑稽な踊りをしながら、ドツの行いを囃し立てた。

「違うし! ゴミ拾いしてただけやし! そしたら雨降ってきたからここで雨宿りしてただけやし!」

 ドツは顔を完熟トマトみたいに真っ赤にしながら喚き散らした。苦しい言い訳をするドツが可笑しくてしょうがなく、ノブオは腹を抱えて笑い転げた。一段落して、呼吸を整えたノブオがドツにある提案をする。

「じゃあさ、俺がお前の代わりにそのエロ本捨てて来たるわ」

「えっ、アカンし! そんなん悪いし!」

「どうせ、捨てるつもりのゴミなんだろ。じゃあ、別に問題ないやんけ。それとも、家にもってかえって〈ドツのエロエロ図書館〉に仲間入りさせんのか?」あろうことか、ノブオはドツからエロ本を奪って自分のものにするつもりだった。

〈♪エロエロ図書館、大盛況!〉ノブオは大声で歌ってドツを愚弄する。

「今から捨てに行ってくるし!」ドツはノブオを無視して門の外へ降りようとする。

「おいおい、待て待て。俺が代わりに行く、って言ってるじゃん」ノブオが慌ててドツを制止する。もし、ドツがノブオの知らないところにエロ本を捨ててしまえば、貴重な〈文献〉が失われてしまうことになるからだ。

「どけよ! 邪魔すんなし!」

「人の親切はうけとれよ……ウッ!」

 ノブオは急に腹痛を感じた。雨に濡れたせいで、身体が冷え、腹を壊してしまったのである。

「どうした?」

「いやいや、何でもない。急に用事を思い出したから俺はもう帰るわ。ほな、達者で…」そう言い残すと、ノブオはそそくさと門の外へ出ていった。

  

「あぶねー、あともうちょっとで大惨事になるところだったぜ」

 ノブオは便器にまたがり、大きなため息をついた。朱雀門近くの公衆便所だった。激しい雨の中を、痛む腹を抱えつつ急いで、ギリギリのところで間に合ったのである。

「しかし、あのエロ本は惜しいことをした。腹が痛くさえならんかったらなー、ちくしょー」

 ノブオはドツの持っていた猥本に未練たらたらであった。やがて腹痛が収まり、トイレットペーパーに手を伸ばした瞬間、ノブオは絶望のどん底に叩き落された。

「紙が……ねえ!」

 紙をセットするホルダーには、茶色い芯が残されているばかりである。

「えっ、マジ、どないしょ……。誰かー! 紙を持ってきてくださいー!」

 ノブオは叫んだ。しかし、返事はない。この公衆便所は観光客ぐらいしか使わず、その観光客も雨で一人もいないのだ。

「神様、つーか紙様! 助けてー!」

「フォッフォッフォッ、お困りのようだねえ。ノブオ君」ノブオの訴えに反応するものがあった。

「この声はまさか!」

「そうだよ、さっきお世話になったドツ君だよぉ!」ドツは妙な演技をしながら、個室の中のノブオに語りかけた。

「や、やあ、ドツ君。いや、ドツ様。こんなところでお会いするとは奇遇ですなあ……」ノブオは冷や汗をかきながら答えた。

「いやいや、本当に奇遇だこと。門の外へ飛び出した君を、妙に思って追いかけたら、まさかこんなところにいるなんてねえ!」

「どこが奇遇じゃ! 追いかけてきとったんやろが!」

「そうそう、このトイレ、実は僕もさっき来たんだよね。たしか個室にトイレットペーパーが無くて、ここで、用を足した人は大変ダワネ、って思ったのを覚えてるんダナ~」

「気色悪い喋り方をすな! 紙ならちゃんとあるわい!」ノブオは自分の窮地を悟られまい、と嘘をついた。

「そうか、心配して来たやったんだけどナァ。じゃあ、僕はお役御免だナ。ケツをふいたらさっさと家に帰れし」

 ノブオはここで自分の犯した大きなミスに気がついた。ドツがこのまま帰ったら、自分はここから出ることが出来ないのである。紙を手に入れる事ができる千載一遇のチャンスをフイにするわけにはいかない。

「すんませんでした! 実は紙がないんです! 助けてください!」

 ノブオは大声で叫んだ。しかし、ドツは何も答えない。

「な、な? いいでしょ? 僕らグッドな学友じゃん?」

 ノブオの媚び売りにも答えず、ワンツースリーフォー、とドツがカウントをとって歌いだした。

「♪森の中の公衆便所、ノブオはケツふく紙がない」

 ドツはヒョロヒョロとしたナメた調子で、嫌味ったらしく歌う。

「♪しーかたないから葉っぱで拭いた」

 ノブオの頭上から降り注ぐ大量の落ち葉が降りそそぐ。湿っていて非常に気色が悪く、名も知れぬ小さい虫も混じっていて不快極まりなかった。

「あああっ! テメー! よくも!」

「へへーんだ! さっきのお返しだよ~!」

「この野郎、エロ本のことバレされてもいいのか?」

「証拠の本は今から処分するもん! だから君がみんなに言いふらしたところで、ウソつき呼ばわりされるだけやし!」

 ドツは容赦なくノブオに落ち葉攻撃を浴びせる。

「ゴルァァァ! 便所を汚すな、このガキどもぉ!」掃除係のおじさんが鬼のような形相でトイレの中に突入してきて、戦いは終了した。

 

「ちぇー、結局、エロ本取り上げられちまったな」ノブオがボヤく。

 トイレでの〈死闘〉の後、エロ本は没収され、二人は強烈なお説教をくらった。やっと解放されたころには、雨はすっかり止んでいた。雲の切れ間から光の柱が降りていた。

「どうしよう、もし学校に連絡されたら……」

 ベソをかくドツの姿を見て、ノブオはさすがにやり過ぎたか、と胸が痛んだ。ため息をついてから、めんどくさそうにノブオは言った。

「すまん、俺がやり過ぎた。お詫びに俺のエロ本コレクションを見せてやるからもう泣くなよ。お前もまだ他にエロ本もってんだろ? それと合わせて、スーパーエロエロ図書館作ろうぜ!」ノブオは万遍の笑みで、ドツにグーサインを出した。

「ノブオ……お前いい奴だなぁ」ドツは本当にうれしそうで、今にもノブオに抱きつきそうな勢いだった。

「なーんてな! やーい、ノブオのエロ魔人~! コレクションのこと、みんなに言うたろ!」ドツは喚きながら明後日の方向へ走り去っていく。

「待て! ドツ! この外道がぁ!」

 ノブオはドツをしばきに、再び降り出した雨の中を急ぎつつあった。(了)


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朱雀門 ナタリー爆川244歳 @amano_mitsuru

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