41.剣と華と九 - 狸爺一

 ふでが声を掛けてみると、それに気が付いたのか黒鉄くろがねはしょぼくれていた顔をバッと上げた。

 その眼差しは目の前の少女に叱られていた時とは全く違う、明らかに鋭く、睨み付けるような厳つい表情を見せてきていた。


「ああん?なんだ?てめえ、まだ何か用か?」

 まるで自分の仕出かしたことが全部ふでのせいだとでも言うかのような、満身の恨みを籠めた唸り声を黒鉄くろがねは上げた。


「この続きは、いずれまたどこかでやりましょう。」

 ふでがそう言うと、ぴくぴくと眉間をひく付かせるや黒鉄くろがねは腕を上げ、大きく黒羽織を翻す。


「上等だァっ!てめえ!今度会った時が死ぬ時だと憶えておけや!!」

「だから!そういうのはダメですって!!もう!」

 今にも食って掛からんとした黒鉄くろがねの袖を、傍らに居た少女が引っ張って食い止めた。

 余りにも勢いよく体を乗り出したところを、引き留められたものだから黒鉄くろがねはかくんっと頭を思い切りに揺らしてしまい、「うぉう」と唸って痛そうに首を抑えた。


 そのままくっと袖を掴んで黒鉄くろがねを押しとどめながら、少女はふで桔梗ききょうの方へと顔を向け、「ごめんなさい」とでも言うように、ぺこっと小さく頭を下げていた。

 桔梗ききょうはつられて頭を軽く下げるが、ふではそんなことを気にもせずにすたすたと歩きだしていた。


 頭を上げると桔梗ききょうは、ふでがさっさと歩いて行ってしまっていることに気が付いて慌ててその後を追う。


 周りに居た群衆は、ふでが近づくと即座にその身を引いて、輪の中に一本の道が出来上がった。じろじろと興味深そうに視線だけは向けては来るが、それだけで何も言ってはこない。そんな野次馬達の間を通り、ふで桔梗ききょうは群衆の外へと抜け出た。

 周りに人が居なくなったのを感じて、そこでようやく桔梗ききょうはほっと胸を撫で下ろす。


「はあ……、あの少女が割って入ってきてくれて助かりましたね。誰も死ななくて良かったです。」

 地獄から抜け出したかの如くしみじみと桔梗ききょうが呟くと、ふでは頭を一つ掻いてふむっとむしろ無念そうに唸っていた。


「全く残念なものです。」

 往来の先から向かってくる人を避けながら、ふではそう呟いていた。


「何言ってるんですか。あれで黒羽織の人……黒鉄くろがねさんとか言いましたっけ。あの人を斬ってたとしたら、絶対厄介ごとになっていましたよ。それこそ剣華組の人たちに追われて。」

「それはそうかもしれませんがねえ。何と言いますか、私は斬られ損ですよ。」

 言いながらふでは頬についた傷を軽く指先で撫ぜた。

 乾いた血の塊が弾けて、ぽろぽろと零れ落ちていく。


「しかし、何でしょうかねえ。あの剣華組と言うのは。何やらあんな小さな少女が局長とか呼ばれていましたが。不思議なものです。」

 ふでがそう言うと、桔梗ききょうも首を傾げる。


「剣華組のみなさん、あの女の子に頭が上がらない感じでしたね。偉い武士の家柄とか、そう言う血筋なんでしょうか。何と言いますか、あれだけ怖そうな顔した人たちが女の子に叱られてるのは、すごい形無しな感じでしたけれど。」


「そうですね。まあ、あれだけ可愛い少女に叱られるのでしたら、それはそれで楽しそうにも思えますが。」

 顎をしゃくりながらふでは軽く笑んだ。


 それに対して、思わず桔梗ききょうは「うへっ」と小さく声を上げて、奇怪なものを見る目つきを浮かべてしまう。


筆殿ふでどの……もしや、相手が可愛い少女だったから素直に刀を引いたとか、そう言うことだったりしませんよね。」

「まさか。そんなことは有り得ませんよ。」

 本気なのかどうなのか、良く分からないような様子で目をぱちくりと瞬かせながらも、しれっとふではそう言った。


「それより桔梗ききょうさん。目的地はどっちなんですか?適当に歩き始めてしまいましたが。」

 無理やりに話題を変えるようにふではそう言う。


「え、ああ、そう言えばこっちです。」

 桔梗ききょうは指をさして、往来の十字路を左へと曲がった。


 そのまま歩いていくと、商店の立ち並んでいた道並みから、次第と武家屋敷然とした家々の立ち並んだ道へと風景が変わっていく。


 活気のあった商人街とは打って変わって、酷く静まり返ったその道には、往来を行き交う人の数も少なくなり、そしてその身なりも比較的落ち着いたものとなっていた。


 戦乱の時代から多少なりに平和な世の中になってきたとしても、人が住む場所が、その住む人の格によって区切られていくのは、何処であろうと何時であろうと変わることはなかった。

 町人は町人の家に住み、百姓には百姓の、商人には商人の、武家には武家の住むべき地域と言うものがある。


 そんな武家の集まる区域の中でも、最も大きな屋敷の前へと二人は通りかかった。

 見渡すほどに長い塀を聳え立たせるその家は、巨人でも中に入れるのかと言う程の大きな門を構えさせ、近づくものを圧倒させるかのような佇まいを見せている。


 なんとも大きな屋敷だと、ふでが思わず見上げてしまうと、その門の手前で桔梗ききょうが足を止めた。

 ほうっと、思わずふでは感心して声を漏らす。


「ここでございますか?」

「ここです。ようやく辿り着きました……。」

 はあっと桔梗ききょうは肩の力を抜かせて、どこか安堵する心もちで吐息を漏らしていた。

 傍らでふでは屋敷の大仰さに、どこか感心した心持で門を見上げてしまう。


「なんともまあ、大きな家でございますねえ。一体どんな身分の人が住んでおられるのやら。」

 ふでがそう呟いてみると、桔梗ききょうがふっと顔を上げた。


「もう言っても大丈夫ですかね、ここに住むお方は――」

「口にしてみただけで、誰が住んでいるかとか興味はありません。」

 さぱりとふでは言った。


「あ、そうですか……。」

 しょぼんと桔梗ききょうは顔を萎びらせる。


 多少なりに、自慢まがいのことがしたかったのだろう。

 ただふでにしてみれば、人の身分などどうでも良かった。

 殿様が住んでいようが、乞食が住んでいようが、どちらにしてもふでに取ってみれば些末な違いでしかなかった。


「まあ、とりあえず用を済ませてしまいましょうか。」

 そういって桔梗ききょうは、門の前へと立っている衛兵へと歩み寄る。


 一言二言と言葉を交わした後、桔梗ききょうは懐から一つの御印を取り出して衛兵へと差し出した。

 それを見た途端に、衛兵は僅かに顔を顰めて見せるが、嫌々と言った雰囲気で、門の脇にある戸口から屋敷の中へと入っていく。

 そうして、しばらく待っていると、戸口が再び開かれると、衛兵が顔を出して手を招いた。


「おい、そこの女。入れ。お会いになるそうだ。」

 衛兵が言うのに頷いて桔梗ききょうは戸口へと向かう。

 ふとふでが追ってくる気配がないことに気が付いて、桔梗ききょうはくるりと顔を振り返らせる。


筆殿ふでどのも早く来てください。」


 桔梗ききょうが手招きをすると、ふではあからさまに嫌そうな雰囲気を漂わせて顔を顰める。


「私もにございますか?私としては、こんな家に入りたくもないんですけれどねえ……。」


筆殿ふでどののお蔭で、ここまで来れたようなものですから、紹介させてくださいよ。それにここまで来たら、筆殿ふでどのと私も、もう一蓮托生のようなものでしょう?最後まで守ってください。」


 どこか嬉しそうにせがむ桔梗ききょうに促され、ふではため息をつきながらも、渋々とその後ろへと着いて屋敷の戸口をくぐることにした。


* * *


十二


 眼鏡を掛けた若い家令の男に案内され、二人が通された部屋で待っていたのは、白髪の混じった結構な老人であった。


 それは一見に、狸人形かのように、ふくよかな体つきをしていた。

 相貌には深い皺の刻まれていて、頬や顎には目立つほどの肌が弛みを見せている。


 瞼の肉も弛んでいるのか、目つきは僅かに穏やか。

 口元が緩んでいるのもあって。好々爺こうこうや然とした雰囲気があった。


 頭もその殆どが白く、残りの毛も灰色にくすみ始めていて一層に老人然として見える。


 ただ、生える毛自体の衰えはないのか、月代の反り際はくっきりと分かれ、後頭部にはがっしりとした髷を結われているようだった。


 部屋の中央から僅かに壁へと寄った位置に座っていた老人は、片手に持っていた煙管を軽く吸うと、じろりと二人に向かって据えた視線を向ける。


 煙を吸って痰が絡むのか一度喉を鳴らした後、

「入りなさい。」

 と、酷く皺枯れた声で老人は言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る