40.剣と華と八

 一瞬、突然と表れた少女に気を取られていたふでであったが、すぐに刀を向け合っていたことを思い出し、黒鉄くろがね田後たごへと再び視線を向ける。


 だが、顔を差し向けてみると、彼らは何故だか、どこか気まずそうな表情を浮かべていた。

 それはふでに対してどうこうと言う表情ではなく、まるで親に悪戯を見つかった童子のような、そわそわとした落ち着かない態度であった。

 何も言えずにそわそわとしている二人の様子を見て取って、往来に表れた長髪の少女はむすっとした表情で口を開く。


黒鉄くろがねさん!田後たごさん!?これは一体どういうことなんですか!?なんでこんな往来で、刀やら槍やらを抜いて立ち構えているんですっ!?」

 甲高いながらも、どこか落ち着いていて、周囲に通る聞きやすい声であった。


 そうして、どこか怒ったような表情を浮かべながら、長髪の少女は小さな歩幅で二人へと向かってちょこちょこと歩み寄っていく。

 黒鉄くろがね田後たごの二人は、それだけで顔を見合わせてしどろもどろと腕をばたつかせる。


「い、いや、これは……その……局長きょくちょう!違うんっすよ!!」

 酷く狼狽ろうばいした様子で、わたわたと手を右へ左へと動かすと、黒鉄くろがねは少女へと向かって言い訳を始めていた。


 それは先ほどまでふでと斬り合っていた時からは、想像もつかないほどに慌てふためいていて、何とも情けのない態度であった。

 局長と呼ばれた長髪の少女は、黒鉄くろがねの言葉に耳を傾ける風もなく、今度はじろりと田後たごへと向けて視線を移ろわせた。


 びくりとして田後たごは禿げた頭をしきりに掻いて視線を彷徨わせる。

「お、俺は、ただ黒鉄くろがねを止めようと思ってただけでして……。」

 厳つい顔をした大の大人が、表情を曇らせて、少女へ向かって通じそうもないを言い連ねていた。


 長髪の少女は、はあっと溜息を漏らすと、田後たごの握る槍の穂先へと目を向ける。

「とりあえず、お二人は武器をしまってください。話はそれからです。」

「は、はいっ!」

 慌てて黒鉄くろがねは刀を、黒鉄くろがねは槍の穂先を鞘へと納め始める。


 そんな光景を、ふではきょとんとした表情で眺めていた。

 今の今まで真剣を剥いて、命からがらに斬り合っていた二人が、未だにこちらが刀を抜いていることにも構わずに、そそくさと武器をしまっていくことに対して、毒気が抜かれた気分となってしまっていた。


 三人が一体どういう間柄なのかと、ふでは首を傾げる。


 局長と呼ばれていることや、男二人が畏まって言うことを聞いているあたりからして、恐らくはあの小さな少女が剣華組けんかぐみの一番上に立つ存在なのだろうとは類推できるが、あんな年端もいかない童女が本当にそんな存在なのだろうかという疑問と、仮にそうだとしても、ああも男二人が慌てふためいて指示を素直に聞いているのが、ふでにとっては不思議で仕方はなかった。


 黒鉄くろがね田後たごが武器をしまったのを確認して、ようやくそこで少女はふでに向かって顔を振り向かせた。

 男達に向けていた厳しい表情とは打って変わって、少女は途端にちょっと様子を窺ってくるような、どこか躊躇とまどいがちの態度を見せる。


 少女は恐る恐ると言った態度でふでの近くへと歩み寄ってくる。


 とは言え、その仕草は全くの無防備で、もし今手に持っている刀を振ればすぐにでも少女の首が地面に転がるだろうと感じさせたが、流石にふでからしても何の敵意もない彼女に対して、そんなことをする気にはなれなかった。


 二三歩ほど離れた位置で立ち止まり、長髪の少女はくりくりとした丸い目を上目づかいにふでの顔へと覗き込ませた。


 少女の顔は流石に幼いこともあって鼻筋こそ通っていないものの愛嬌のある顔立ちをしていて、ぱっつんと横に斬られた前髪に大きな瞳と小さな口が可愛らしさを感じさせるがために、ふでは多少なりにその顔を魅入ってしまう。


「えっと……あの……そこのお方。お怪我はないでしょうか?」

 言葉に詰まりながら言った少女の言葉は、先ほどまでとは打って変わり、もじもじとして、年相応の可愛らしさが感じられるような物言いであった。


 どこか物怖じする様子の少女に問われ、ふでは張り詰めていた緊張感が削がれるのを感じながらも、仕方なくに体から力を抜かせて握っていた刀を肩へと担がせると、軽く首を振るって見せる。


「ええ、私は大丈夫ですよ。いや、怪我自体はありますがね。ほんの薄皮一枚が斬れたぐらいのものでございます。」

 言いながら、ふでは自らの頬へと親指を伸ばして、僅かに裂けた傷口をぬぐう。


 もう殆ど乾いてはいたが、それでも傷口からは血が滲み出てきて、頬を汗の様に伝うと、親指の先へ纏わりついた。

 少女はその血の流れるのを見るや、目を丸くしてわたわたと頭を下げた。


「すみませんっ。うちの隊員が……。」

 深々と頭を下げる少女の様子に、どうにも悪い気がして顎を撫でながらふでは口を開く。


「いや、どちらかと言えば私の方から仕掛けたんですけれどねえ……。」

 ふでがそう行ってみると、途端に黒鉄くろがねが得意そうな顔をみせて、横から口を挟んでくる。


「そ、そうっすよ!局長。俺はこの女に吹っ掛けられったから喧嘩を買っただけで――」

「だからって、ほいほいと喧嘩を買わないでくださいっ!!」

 ぴしゃりと少女が怒鳴ると、すぐに黒鉄くろがねは面を食らってしおしおと頭を下げた。


「す、すんません……。」

 余りにも恐縮して謝っている黒鉄くろがねの様子に、ふではふうっと息を吐いて刀を握っていた腕を下ろす。


「はぁ……なんとも興が削がれましたねえ……。」

 こんな状況から斬り合いに持っていくという気持ちになれずに、ふではそのまま刀を鞘へと納める。


 ぎいいっと刀身と鞘とがうまくかみ合わずに擦れあって鈍い音を響かせる。

 その酷い音に顔を顰めてふでは片耳を指でふさぎながら、周囲へとくるりと顔を巡らせる。

 途端にふで達を囲んでいた野次馬たちが「ひっ」と恐ろし気に身を引いた。


 自分達を中心にして円を描くように立ち並ぶ大勢の野次馬たちの顔を眺めていくと、僅かに飛び出た所に桔梗ききょうが佇んでいるのを見つけてちょいちょいっと手招きをして見せる。


 はたと視線が合ってふでの手招きに気が付いた桔梗ききょうは、きょろきょろと少女や黒鉄くろがねたちに視線を向けると、どうにも怖がっているのか躊躇いがちな表情を見せた。


桔梗ききょうさん、危険はありませんから、こっちへいらして下さい。」

 そう声を掛けてみるが、それでも桔梗ききょうは少しばかり尻込みした様子で、黒鉄くろがねたちへと視線を向けながら、こちらへとおっかなびっくりとした足取り歩き始める。


 足元まで近づいてきたところで、桔梗ききょうふでへと向かって心配そうな表情を見せる。


「あの?大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ。あちらも刀をしまわれておりますし。もう襲ってきますまい。」


「そうではなくって。筆殿ふでどののお体の方に怪我がないのかと言ってるんです。」

「おや心配してくれるのですか?」

 冗談めかして言いながら、そっと手を伸ばして桔梗ききょうの頬へと触れてみると、それを振り払いもしないが、彼女はどこかむすっとした表情を見せた。


「心配しますよ。あの男の人に突っかかっていった時から、今までずっと心配し通しです。」

「そんな心配してたら、身が持ちませんでしょうに。」

 軽く言うと、桔梗ききょうは眉尻を八の字に下げて、肩をかくりと落とした。


「なにを……それもこれも筆殿ふでどのの行動が原因じゃないですか……。」

 非難めいた口調で言った桔梗ききょうの言葉に、ふではむしろ愉快と言うようにふふっと笑みを浮かべると、頬へと触れていた掌で髪を梳くように動かして、腕を下ろした。


 そうしてふでは、局長と呼ばれていた少女の方へと視線を向ける。

 少女は未だに黒鉄くろがねたちに説教をしているようで、こちらの様子は気にも留めていないようであった。


「それでは行ってしまいしょうか。」

「え?えっと……そんな勝手行って良いんでしょうか?」

「あちら側は、こっちなど放っているのですから良いでしょうよ。それにここに残っていたって面倒になるだけですよ。」

「それは面倒事を引き起こしたお方が言うことですか……?」

「それはそれ、これはこれ、でございますよ。では行きましょう。」


 そう言って歩き出したふでに、桔梗ききょうは慌ててその背中へとついていく。


 ただ、ふと思い出したようにふではひたりと足を止めて、叱られている黒鉄くろがねの方へと顔を向ける。


 急に立ち止まったことを不思議に思って桔梗ききょうふでの顔を見上げた。


「どうしました?」


「いえね。ちょっと。」


 そう言うと、ふで黒鉄くろがねへと向かって口を開く。


「もし、黒鉄くろがねさんとやら。」


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