36.剣と華と四

「まさか絡みにでも行くつもりですか!?」

「そりゃあ、そのつもりですよ。当たり前じゃないですか。あんな強そうな方が、わざわざ自分からかかってこいなんて仰るんですから。ここで絡みにいかなければ損ですよ。」

 素知らぬ顔で、いけしゃあしゃあと言い放つや、袖を握りしめている桔梗ききょうの手をすっと払ってふで黒羽織くろばおりの方へと向かおうをする。


 それを慌てて桔梗ききょうは掴みなおして、ぐいっと引っ張り込むや、ふでの足を無理やりに止めさせた。


「ちょ、ちょっっっと、待ってください。そんなの損で良いじゃないですか。わざわざ危ないところ向かっていく人がどこに居ますか。」

「ここにですよ。」

 自分の顔を指さして、さらりとふでは言ってのける。


桔梗ききょうさん。思い返してください、私は面白そうだからなんて理由で、貴女あなた様の警護なんてのを引き受けたのでございますよ。」

 指摘されて桔梗ききょうは、ぐうっと声を漏らしながらも、それでもふでの袖を離さずに引っ張り続けた。何と引き留めればいいのかと、必死で桔梗ききょうは理由を頭の中に浮かべていく。


「ええっと……えっと……警護を引き受けたんでしたら、警護を優先してください。私をほっとくんですか?」

 これならどうだと桔梗ききょうは口に出してみたが、それをさらりとふでは首を振って応えてくる。


桔梗ききょうさんこそ、どうしてそんな必死で御留おとめなさるのですか?もう名古屋の城下町にはついてしまいましたし、これだけ人が居る所なら貴女あなた様にも危険はありますまい。それこそ、ここまで来たら私など放っておいて、その目的の場所まで一人で行ってしまわれても良いくらいのものですよ?」


 ぐうっと唸りながら、それでも桔梗ききょうは次の理由を考えていく。


「だってその……目的地についたらお礼をするって約束しましたから。それまでは無事で一緒にいてください。」

「なんとも生真面目なことですねえ。ですが、あちら様はこちらの方に気が付いたようですよ。」

 嬉しそうにそう言ったふでの言葉に桔梗ききょうが顔を上げてみると、黒羽織くろばおりの男がこちらへと睨み付けているのに気が付いた。


 余りにも強面こわもての男が随分な形相で睨み付けてくるのに、思わず「うわあっ」と声を上げてしまい桔梗ききょうは顔を逸らした。


 相手に目をつけられてしまえば、もうこの先、ふでが何をするのか桔梗ききょうにも簡単に想像がついてしまう。ここから先は、最早桔梗ききょうにはどうにも止められない事態へと発展していくのが明らかであった。


 黒羽織くろばおりは不機嫌そうに二人を睨み付けると、まるで左右に蹴りでも当てるかのように足を跳ねさせて近づいて来る。


 むしろ歩きづらいだろうに、そんな足の進め方で近寄ってくると、背を大きく後ろにそらし、黒羽織くろばおりの男は見下すような目つきを見せた。下手をするとそのまま後ろに倒れてしまいそうに見えるのに、奇妙な平衡感覚で背を反らしたままに、ぴたりとそこで安定していた。


「おうおうおう?なにやってんだ、てめえら。てめえらも喧嘩か?」

「いえっ……喧嘩とか全然そんなんじゃ……。」

 素早く首をぶんぶんと振って桔梗ききょうは思わず小さくなる声で黒羽織くろばおりの言葉を否定するが、男は一切にも意に介さないように、余計に睨みを効かせて「ああん?」と唸り声を上げた。


「うっ……。」

 と、思わず桔梗ききょうは怯んで身を竦み上げる。

 その瞬間すっと手の力が緩まってしまい、握っていたふでの服の裾がするりと掌の中から抜けていた。


 桔梗ききょうがしまったと感じた時には遅かった。

 自由になった途端、ふで黒羽織くろばおりの元へとずけずけと無遠慮に足を伸ばして近づいていく。


「いえ、なにね。折角楽しく喧嘩を眺めておりましたのに、妙な格好をした頓痴気な輩がわざわざ止めに来て、なんともまあ無粋なことをしてくれるものだと、二人でそう言いあってたところなんですよ。」


 途端と、一言一句も詰まらずにつらつらと言い立てるふでの言葉に、桔梗ききょうは思わず「言ってません!」と叫んで首を振るが、黒羽織くろばおりは一瞬で眉間に老人かと見紛うほどの皺を眉間に寄せると、額に大きく血管を浮き立たせてぴくぴくと肌を痙攣させた。


 その口元は僅かに笑っても見えたが、完全にひくついて、紛うことなき苛立ちが露わになっていた。


「ああん……なんだぁてめえ。俺らのやることに文句があるって、そういうことかぁ!?」

「そう言ってるのございますよ。耳が詰まって聞こえませんでしたか?それとも頭が御悪いので?何でしたら頭を叩いて直して差し上げましょうか?」

 どすを利かせた声で周囲の建物がびりびりと響くほどに怒鳴った黒羽織くろばおりに対して、ふで飄々ひょうひょうと意にも留めないように言うや、小指で耳の穴を掻いて見せて軽い口調で煽っていた。


 浮かんでいた血管が今にもはち切れんばかりに引く付くと、片方の眉を異様に持ち上げて黒羽織くろばおりは煽ってくる女へと睨みをつけた。


 その顔は「こいつは殺す」と「今殺す」の二つの意思が見事に滲み出ていて、「だからもう何も言うことはない」と決意した表情でもあった。


「分かった。後悔すんなよ……。」

 さっきまでの響き渡る声とは打って変わって、妙に大人しくなった声を低く響かせながら、黒羽織くろばおりの男は肩に担いでいた刀を、すらりと静かに抜きとると、その鞘を道脇へと放り投げる。

 それを眺めてふでは緩く口角を上げた。


「やはり、こういう手合いは話が早くて助かりますねえ。」

 言いながらふでも相手に応じて腰の刀を抜く。


「なんで道歩いてただけで、こうなるんですか……。」

 頭が痛くなる思いと、ふでを心配する思いとでぜになりながら桔梗ききょうは口の端をくっと噛みしめるが、こうなった以上は自分にはどうにも手出しのしようがないと手を握りしめて、二人の動きの行方を見つめることしかできなくなっていた。


 じりっと地面を踏みしめる音を鳴らして、二人が足を近づけていく。


 酷く静かだった。

 ほんの先程まで、五月蠅うるさいほどであったはず往来は、二人が刀を抜いてからはピタリと音を止めて、道を行き交う人もいつの間にか歩みを止めている。


 家屋の中に逃げ込んだ者やら、道端へと身を引いた人々が、遠巻きに二人を眺めながら固唾かたずを飲んでその動きを見つめている。


 中天ちゅうてんに上った太陽から降り注ぐ強い日差しは二人の体から影をなくし、熱さでむわりと立ち上った空気には乾燥した土埃が混じって、ちりちりと細かな粒子が空気の中を踊っていく。


 ふで黒羽織くろばおりの距離はゆっくりと、しかし確実近づいていく。

 黒羽織くろばおりは僅かに侮りを持って軽く笑みを浮かべていた。


 男には自らの腕の自信があった。

 ましてや今回の様に、無暗矢鱈むやみやたらと戯言を口上して突っかかってくるような輩が強かった憶えなどなかった。


 故に、目の前の女に対して幾分かの侮りを持って、黒羽織くろばおりは口角を軽く上げたまま一歩足を近づける。

 対面に向かうふでにしても、いつものような飄々ひょうひょうとした表情を浮かべて、こちらも足を踏み込ませる。

 おもむろに、そして静やかに二人の体は、刀を伸ばせば今すぐにでも切っ先の届く距離へと接近した。


――奇妙なことに


 剣士と言うものは刀を構え対峙すれば、それで互いの力量を測れることがある。

 その佇まいや、刀の位置、足の運び方等を見るだけで、経験則から相手の大凡の強さと言うものが悟れる時があった。


 しかし一方で、全くそれが分からぬ時もある。


 技術体系の全く違う流派や、強さの思想が異質な武術同士が出会った時、その強さの本質に気が付けぬためにそれは起きる。


 古くから伝わる武術の達人とも有ろうものが、別の格闘技法と戦って、無防備な一撃を食らうのも、そこに原因があった。


 不運と言うべきか奇運と言うべきか。

 そして二人にとっては、正に、それが今回のことであり。



 刀の届く距離となった。

 その瞬間。


 途端、二人は全身にぶわりと汗を湧き出させていた。

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