29.小休止二

たきぎを探してくるのでしたら私も……。」

「いえ、桔梗ききょうさんは体を休めていてください。」


 立ち上がりかけた桔梗ききょうの動きを、掌を差し出して制するとふではそのまま林の中へと入っていく。焚火たきびが灯って周囲が明るくなったせいなのか、木陰の闇の中へと立ち入ったふでの姿は闇の中へと混じってしまい、桔梗ききょうからは全く見えなくなってしまう。


 それでも、木立の間からがさがさと葉っぱを踏みしめる音が響いてきて、そこにふでが居るのだと感じて桔梗ききょうは僅かに安心する。


桔梗ききょうさん。どんな枝が良いとか分かりますかね。」

 森を染める闇の中から、ふでの声が響いてきた。


「そうですね……葉の細い木は火付きは良いですが、焚火たきびをするなら葉の広い木の方が火持ちのして良いとは聞きます。」

「なるほど。葉の広い木ですか。」

 途切れの無くがさりと葉の擦れる音がして、ふでが落ちている枝を拾っているのだろうことが伝わってくる。


かしの木などは良いとか。」

「ほうほう。まあ、落ちている枝が何の木であるかなど、私には分かりかねますが。」

「私も良く分かりません。」


 桔梗ききょうがそう言うと、林の奥から、からからと軽く笑うような声が響いてきた。

 相手の姿が見えないせいか、それが桔梗ききょうには、妙に妖しげに聞こえてしまう。


「こちらから筆殿ふでどのが見えませんから、なにか闇と話している気になってきますね。」

 どこに向かって言うでもなく桔梗ききょうの口から出た言葉に、林の中からはほうっと小さく呟く声がした。


「なるほど……それは面白いですねえ。私からは桔梗ききょうさんが丸見えですが。」

「そりゃそうでしょうけれどね。」


「ただ、そう言うことで言えば桔梗ききょうさん。猩々しょうじょうと言うものを知っておりますか?」

「しょうじょう、ですか?いえ、存じないですが。」

「そうですか。猩々しょうじょうと言うのは、人の顔をした猿のようなものでしてね。山の奥で一人でいると、人の言葉を話して巧みに人間を誘いこみ襲うのだそうで。」


「へえ……。」

 と、軽く頷いた後、桔梗ききょうは首を傾げてしまう。


「なぜ今そのような話を……。」

「いえね。ちょっと……。」


 くすくすと小さな笑い声がした。

 その声がどこか闇の中で妙に響くように聞こえて、桔梗ききょうは僅かに息を飲んでしまう。


「あのう、筆殿ふでどの……?」


 微かに桔梗ききょうは問うてみたが、その言葉に返事がなかった。


 瞬刻、周囲は酷く静かになって、ふでの身動きする音すらも、いつの間にか聞こえてこなくなった。


 慌てて周囲を見渡すが、焚火の灯りのせいか近くの木々の姿は良く見えても、遠くに何があるのか分からなくなってしまい、歩んできた道筋すらも真っ暗に見えて、桔梗ききょうはまるで空間が閉ざされたような気さえしてきてしまった。


 ふるりと桔梗ききょうは体を震わせて、何度も視線を辺り一面へと巡らせる。



 焚火たきびを背中に向けると、僅かに腰を上げて桔梗ききょうは体を強張らせた。


 不意に、がさりと林の中から物音が響いてきて、びくりと大きく体を跳ねさせると、慌てて音のした方向へと体を向ける。

 やにわに桔梗ききょうは体を強張らせるが、そこから出てきたのは、何のことはないふでの姿であった。


 腕にはそれなりに太い枝を幾つも抱えながらも、軽々と焚火たきびへと向かって歩いてくる姿を見つけ、思わずほっと胸を撫で下ろして桔梗ききょうは、そのままへたりと腰を地面に落としてしまっていた。


「おや、桔梗ききょうさん。どうされました?」


 へなへなと疲れた様子で項垂れた桔梗ききょうの姿を眺めて、ふでは微かに笑みを浮かべてそう言った。

 眉を八の字にしな垂れさせて首を振るうと、桔梗ききょうはため息交じりに答えを返す。


筆殿ふでどのが急に返事をしなくなるものですから、何かあったのかと……。物の怪とか変な事を言い出しますし。」

「怖かったですか?」

 気楽な声で尋ねるふでに対して、桔梗ききょうはじとりと睨み付けながら口を開いた。


「怖いですよ。言ってしまえば、今でも誰か襲ってこないか怖いです。」

「そうでございましたか。いやはや、楽しうございました。」

「もしかして、わざとやりました?」


「ええ。ちょっと桔梗ききょうさんの怖がる所が見たいと思いましてね。」


 くすりと笑いながら、ふで焚火たきびへと近づくと、腕の中にある枝を一本二本と火の中へ置いていく。

 数秒ほど、新しい木に遮られて火が弱くなったが、しばらくするうちにパチパチと音を立てて中へと入れた枝に火が移り始めていった。


「……筆殿ふでどのの性根はどうかと思います。」

「よく言われますよ。」

 腕に抱えていた枝を地面に置くと、ふでは前に座っていた倒木へと腰を落ち着ける。

 桔梗ききょうもすぐに落ち着きを取り戻したようで、焚火たきびへと手を当てて肩の力を抜いていた。


 二人の間に赤々とした炎を立ち上らせながら、焚火たきびはその穂先をゆらゆらと惑わせて軽く煙を吐き出していく。

 揺らめく炎の先端は常に形を変えて面白く、それを飽きずにじいっと見つめていた桔梗ききょうは、ふとした拍子に、思い出したように顔を上げてふでへと視線を向けた。


「あの……そう言えば妃妖ひようとは一体何のことなのです?」

 いきなりの問いに、ふでは首を傾げて問い返す。


「はて……なんのことでしょうか?」

「襲ってきた男達中で、最後に残った男、あの髭面の男が最後に筆殿ふでどのの顔を眺めて言ってたではありませんか。妃妖ひようか、って。多分筆殿ふでどのに関係する言葉なんですよね?何なんですか妃妖ひようって。」


 そう尋ねる桔梗ききょうの顔は、随分とあどけがない雰囲気があって、思いついた疑問を素直に口にしているだけなのだろうと感じさせた。

 額を軽く掻きながらふでは顔を逸らして、林の中の暗い闇の中へと視線を向ける。

 いわんふでには、その言葉に心当たりはあった。


 心当たりはあったが、目の前にいる彼女に対して、それがなんであるかを言うつもりはなかった。

 どうせ僅か数日、たったそれだけ一緒に居る間柄であろう相手に、自分のことを深く教える心積もりがふでには無かった。

 目を瞑って、軽く首を振るって見せる。


「さあて、私は何も知りませんよ。あのお方が何か勝手に勘違いして仰ったことなのではありませんか。」


 素知らぬ顔をしてふでが言ってみると、今までさんざからかってきたせいもあるのだろう、桔梗ききょうは余り信用していない表情を見せたが、それでもそれ以上は追及してくる様子はなかった。

 その代わりにと、桔梗ききょうはもう一つの疑問を口にしてくる。



「それで、いつまでここで休むんですか?」

「しばらく休みますよ。差し当たっては日が開けるくらいまででしょうか。ですから桔梗ききょうさん、貴女あなた様は御眠りになられたら如何です。焚火たきびも一晩くらいは、まあ保ちましょう。」


 そう言いながら焚火たきびの中へと小枝の先を突っ込んで軽くかき混ぜる。

 灰となった木片が崩れ落ちて、中から赤い火の粉が飛び出すと、一層に火の勢いが強まっていく。

 言われた方の桔梗ききょうは目を丸くして首を振るっていた。



「いえ、そんな寝れませんよ。あんなことがあったのに……もし寝ている間に襲われたら……。」

 自分で言いながら寝ている間に殺されるところを想像したのだろうか、桔梗ききょうは僅かに身を震わせて膝を抱えていた腕の力をぎゅっと強くしている。


 やれやれとふでは肩をすくめる。



「寝ている間は私が守りますから大丈夫でございますよ。それよりも貴女あなた様は寝た方が良うございます。明日が歩けなくなります。まあ、それとも私が守るというのが信用ならないのでしょうか?」



「いや、それは……。」

 言い淀んで桔梗ききょうは一瞬目をそらした後、小さく頷く。


「信用できないと言えば、ちょっと信用できませんが……ふで様が近くにいるのに無防備に寝るというのが……その……。」

 言っている言葉の意味が良く分からずに桔梗ききょうは首を傾げてしまった。


「それはどういう意味でしょう?ちょっと意味が分からないのですが。」

 ちょっと言いにくいかのように、もじもじと掌を重ね合わせて桔梗ききょうは視線をしどろもどろに動かした。


「あの……筆殿ふでどのは私が寝ている間に襲ってきたりしないですよね?体を……その……触ったりとか。」

 思わずふでは軽く噴き出してしまっていた。



「またそういうことを、私は桔梗ききょうさんの意に反して、襲いやしませんよ。」


 ひらひらと掌を軽く振るって言って見せると、それでも桔梗ききょうは体を乗り出して尋ねてくる。



「本当ですか?」


「ええ、本当ですよ。約束いたします。何なら指切りでも致しましょうか?」


「指切は良いですけれど。約束ですよ。」


 ええ、とふではわざとらしく朗らかに笑みを浮かべて頷いた。


「まあ寝ませんけれど……。」


 最後にそう呟いて桔梗ききょうは口を閉じた。


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