27.対峙九

 不意に、もぞりと唇の狭間へ、ぬめりとした酷く熱を持った何かが触れるのを桔梗ききょうは感じた。その熱い何かは唇の狭間をするりとぜて、おもむろにその先端をぐいぐいと押し付けてくる。

 柔くぬめりとしたその感触に、桔梗ききょうはそれがふでの舌先であることを直ぐに悟っていた。


「え……?」

 何故そのようなものをと思い、戸惑って言葉が漏れるとともに、小さく開いた唇の隙間へと、するりとふでの舌先が入り込んだ。


「あっ……。」

 ぬるりとして唇以上に柔い肉の塊が桔梗ききょうの口の内へと入ってきて、その敏感な粘膜をざらりと擦った。


 ぞくりと背中に痺れのようなものが走るのを感じて、ふるりと桔梗ききょうは身を捩らせる。

 肺腑はいふから、あふっと熱を帯びた吐息が溢れた。


「ふぁ……。駄目です……。」

 口を吸われた時ですら、感じたことのないほどに気持ち良かったのに、それ以上の心地好さを感じて桔梗ききょうは怖くなってしまう。


 きゅうっと指先を握りしめ、咄嗟にふでの胸元を押すが、構いもせずに彼女はより一層に舌先を口の中へと這わせていく。

 舌腹のざらざらとした凹凸おうとつを存分に使い、ふで桔梗ききょうの口の中を舐めしだくと、粘っこく透明な唾液を纏わせながら、舌は柔軟に形を変えて口内を思うままに犯していく。


 するすると二人の舌先が触れあった。

 おずおずと桔梗ききょうが舌を引っ込めようとすると、それを追ってふでの舌がさらに奥深くへと侵入していく。そうして逃げれなくなった桔梗ききょうの舌に、ふでは舌の先を触れさせ、ゆっくりと絡ませていく。


 滑らかな、舌のへりへりとを擦れ合わせ、ぬるぬると蛇が巻き付くかの如くに絡みついていった。かくかくと桔梗ききょうの膝先が震えて、今にも倒れそうになっていく。


「んんぅっん……。」

 堪えきれず、びくりと体を跳ねさせて桔梗ききょうは喉の奥から妙な音の息を漏らした。


 頬は既に真っ赤に染まり、目端には涙がにじみ始めて、堪えきれずにとろりとまなじりが緩くなる。

 きゅうっと桔梗ききょうの膝頭が内股にすぼまらせ、次いで、ぞくりと肩を小さく震わせた。


もう立って居られない――

 と、桔梗ききょうがそう感じた瞬間、するりと口の中からふでが舌を抜き取らせた。


 絡みついていた舌はするすると強く擦り合いながら、ついっと唾液の糸を引いて離れていく。

 蜘蛛の巣に絡まった滴のように、垂れた綺麗なその糸をふではすっと啜り上げて、喉を鳴らして嚥下えんげした。


甘露かんろでございました。」

 ゆるりと笑みを浮かべてふでは満足そうに嘆息を漏らす。

 目を細めて桔梗ききょうの顔を見つめると、ふではその頬をさらりと撫でる。



「はう……。」

 桔梗ききょうは僅かにまなじりを緩ませ、足を僅かに震わせる。

 ふでに腰を掴まれていなければ、そのまま地面へとへたりこみそうな状況であった。



桔梗ききょうさん、足がこころもとないようですが大丈夫ですか?もっと抱きしめましょうか?」

 どこか淫靡いんびな雰囲気を漂わせ顔を微笑ませたふでの言葉に、はたと桔梗ききょうは目を見開いて、慌てて足を立て直す。


「い、いえっ。大丈夫です……立てますから。」

「なれば良いです。」

 しっかりと桔梗ききょうの背中が伸びたのを感じてふでは腰から手を離す。


 そのするりと掌が離れていく感触に、なぜだか物惜しい感じがして、すっと桔梗ききょうはその手を捕まえようと指先を伸ばしそうになる。


 何故そんなことをしようとしたのか、自分で困惑しながら、桔梗ききょうは伸ばしかけた手を口元へと運び、ふいっと唇に指先を触れさせる。

 べっとりと粘り気の強い唾液が指先へと絡みついた。もう口元は唾液塗れになってしまっていて、それに気が付いた桔梗ききょうは掌でぐいっとぬぐい取った。



「もう、口の周りがべとべとです……。」

 軽く桔梗ききょうがそう言うと、われ知らぬと言う風にふでは眉を澄まし上げる。


「それでも、痛くはありませんでしたでしょう?」

 言いながらふでは近くに倒れている髭男へと近づいていった。

 何をするつもりなのかと眺めながら、桔梗ききょうふでの言葉に一つ頷いて見せる。


「痛くは……それは確かに、痛くはなかったですが、何なのでしょうか。変な感覚が体に走りました。痺れるような、切ないような、お腹の奥が疼く感じがして……。」

 指先を伸ばして桔梗ききょうは自らのお腹へと触れる。


 そこが何故だか熱く甘く痺れている感じがしてしまう。


「心地好いというのですよ、それは。」

 おもむろに腰を屈めると、倒れている髭男へと手を伸ばしながらふでは言った。

 その言葉に桔梗ききょうは自分の感覚が理解できないまま困惑して眉尻を下げる。


「心地好い……のですか?これが……なんだかそわそわして妙に胸が急く感じがしましたが。」

「ええ。心地好い、ですよ。その感触は。なに、そのうち病みつきになります。」

 自分の感じたものが、心地好さと言われて桔梗ききょうは僅かにどぎまぎとしてしまう。


 こういうことは、好きな相手とでなくては気持ち悪いだけと友人から教えられていたことが頭をよぎっていく。それなのに自分は、ふで相手に口を吸われて心地好くて仕方がなかった。


 と言うことはと、桔梗ききょうふでの顔へと視線を向けた。

 自分は彼女のことを好いているのだろうか、そう思ってしまうと、桔梗ききょうふでの横顔を眺めながら、自分の体がどんどんと熱くなるのを感じていく。


「あのっ……私は筆殿ふでどのが好きなのでしょうか?」

「はぁっ?」

 素っ頓狂すっとんきょうな声を上げてふでは動きを止めると、桔梗ききょうの顔をまじまじと眺めた。


 一体何を言っているのかと、正気を疑うかのような眼差しを浮かべている。その表情があまりにも呆れかえって見えるので、桔梗ききょうは僅かに言葉に詰まってしまう。


桔梗ききょうさん。貴女あなた、何をいきなり言い出すのですか?」

「いえ、その……友人にこういうことは好きな相手とやらなければ気持ち良くないと……。筆殿ふでどのにされたとき、心地好かったの私が筆殿ふでどののことを好いているのかと……。」


 躊躇とまどいがちに桔梗ききょうが言うのを聞きながら、ふではちょっと間の抜けた顔をして心底不思議そうに目を細めた後、すぐに表情を取り戻して、そうしてくっくっくっと小さく肩を揺らした。


桔梗ききょうさん。貴女あなた様は本当に初心うぶですね。良いですよ。そう言う発想は。」

「え……えっと。」


 真面目に尋ねたつもりの桔梗ききょうは軽く笑われてしまい、大いに戸惑ってしまう。

 一方でふでは未だおかしいようで、口元に手を当てて細かく肩を揺らし続ける。


「ふふ……桔梗ききょうさん。そう真面目にお考えにならない方が良いですよ。好いていようと、好かなかろうと、気持ち良い時はあります。私としては、好いていただいてたら嬉しいですけれどね。だいたいね。貴女あなた様は人を好きになったことがおありなのですか?」



「いえ……いままでそう言う覚えは。」

「では、今貴女あなた様が持ち合わせている感情が、好きかどうかなどど言うことは分かりますまい。どうせ初めてのことで気の迷いを起こしているのですよ。っと。」

 斬られた髭男の胸元を弄っていたかと思うと、ふではそこから一つの袋を取り出した。


 じゃらりとした音から、それが銭袋だということは明らかだった。



桔梗ききょうさん。貴女あなたの持ってる情報は随分値が張るようですねえ。前金でしょうが、みなさん大層お持ちになってらっしゃいますよ。」

「それは良いことなんでしょうか?」


「どうでしょうかね。これだけ金をかけたということは、まだ追手が来る可能性もございますし、これで金が尽きて、もう追手は来ない可能性もございます。」


「じゃあ、まだ、追手が来るかも……って言うことですか?」

「ええ。もしかしたら。来るかもしれませんね。」


 桔梗ききょうは周囲を見渡す。

 草原に風が流れて草がさわさわと音を立てた。


 その中のどこに人が居ても不思議ではなかったし、遠く広がる闇夜の中に潜んでいる追手がいるようにも思えて、途端に桔梗ききょうは恐ろしくなる。



「まあ、そう殊更に気構えても仕方ありますまい。たとい、追手が居たとしても追い付かれぬようにすれば良いことです。さっさと先に行ってしまいましょう。」


 気軽にそう言って、ふでは草原の間に僅かな分け目として出来た道を歩き始めていく。


 桔梗ききょうは慌ててその後ろを追いかけて小走りに駆ける。ふでの背中へと追いついて、その袖口へとついっと手を伸ばした。



「あの……そういえばなんですが……。」


 ふでの袖を掴みとめながら、桔梗ききょうはその顔を見上げた。

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