22.対峙四

「また貴方あなた様も飛び道具ですか。無粋でございますねえ。」


 呆れかえった口調で言うと、髭男はむしろそれを強がりと感じたのか、にやりと口元を緩ませて侮ったような表情を見せる。


「ハハッ!……くたばれや!!」


 やにわに口を開いて髭男が大声を上げると、それを合図として、一斉に男たちの腕が振られた。

 真黒な刃先をした苦無が闇の中に溶けながら、宙を滑って一挙に押し寄せてくる。


桔梗ききょうさん。身を屈めなさって!」

「は、はいっ!」


 慌てて桔梗ききょうが体を丸めるや、飛んでくる苦無へと向かってふでは一歩大きく足を踏み込ませる。


「ふっ!!」


 吐き捨てたふでの息吹が大きく音を立てる。


 ふでは腕を撓り、勢いよく刀を横に薙がせた。

 細い切っ先が、すうっと真一文字に空を斬った。


 途端、ぎいんっと金属の強くぶつかる音が三つ、連なり重なって鳴り響く。

 刀の滑った軌跡に、三つの火花が散って、舞い落ちる。

 その閃光は、闇夜を一瞬明るくさえ感じさせた。


「え?」


 身を屈めたままに眺めていた桔梗ききょうは、一瞬、何が起こったか分からず戸惑って素っ頓狂すっとんきょうな声を上げた。ゆわんと金属の震える音が、残響の如くにうなりながら、次いで、どすどすどすっと土の上に何かが落ちる音が三つ響いた。


 真っ暗な闇の中、それが何の音なのか、誰にも確認はできなかったが、それが何であるかを全員が察していた。腕を振るった姿勢のまま硬直した髭男が息を飲んで、丸く目を剥かせる。


「ま、まさか……全部切り落としたとでもいうのか……?」

「何を驚いたみたいに言うのですか、そう大した事でもありますまい。」

「なっ……。」


 さらりと言ったふでの言葉に、髭男は声を詰まらせる。

 目の前で起きたことが、そんな軽く言えることではないことくらい、はたで見ていた桔梗ききょうですら理解できることであった。別々の場所から飛んでくる物体を、三つ一気に弾き落とすなどと、見世物や訓練の中ですら見たことがない。


 ただ、しれっと言ってのけるふでの口調は、どこか本気で言っている節が感じられた。


 前の時もそうであったが、彼女は信じがたい技や動きを、誰でも出来ることの様に言ってのける。


 まるで、他の誰もが同じことを出来る、と信じてでもいるかのように。ふでの言葉には軽口でなく、どこか不機嫌にすら感じられるほど生真面目な響きがあって、これほどのことをして、何故にそんな物の言い様をするのか、その一事をとってすら、桔梗ききょうにはやはり、彼女の精神性と言うものが理解できる気がしなかった。



 困惑して次の手を打ちあぐねたのか、髭男は動きを止めていた。


「おや、止まってしまわれましたねえ……。」


 そんな男の様子を殊更に侮蔑するように言うと、ふではくっと体を屈めると近くに落ちた苦無の一つを手に取った。その柄を握りこむと、ふでは一瞬、宙へと軽く放り投げて、くるりと回転させて、一回転した柄を再び握りめる。


 ぎゅっと握りしめて、その握り心地を確かめると、ふむっと一つ頷く。

 途端、ふではいきなり右へと向かって大仰に手を振るった。

 ひゅっと風を切り裂く音が空を通っていった。


「はっ!?」


 草むらの中に一人の男の間の抜けた声が響き渡った。


「がっっ……ぐあっっ!?」


 次の瞬間、右の草むらに立っていた男が大声を上げて、体を反り返らせる。

 はたと桔梗が目を向けると、叫び声をあげた男の胸には、苦無が深々と刺さりこんでいるのが、月影の中で微かに見えた。


 そこでようやく、桔梗ききょうふでの投げ飛ばした苦無が、男の胸を貫いたのだと気が付く。そしてそれは、髭男たちも同じであったのか、うめき声をあげる男を眺めながら、ざわりと慌てた様子を見せていた。


「はっ……あァ!?な、なんで俺がっ……。」


 狼狽ろうばいして胸元を抑えると、うめいていた男は体をふらつかせて、途端にその場に倒れ込む。

 がさりと草葉の震える音がして、地面に体のぶつかる鈍い音が鳴り響いた。


 死んだかと桔梗ききょうは一瞬思ったが、続けてすぐに草むらの中から呻き声が聞こえてきて、その男がまだ生きているのだと気が付く。ただ、それも束の間のことであって、あれほどに深く胸に刃物の突き刺さって生きていけるものではないだろう。


 少なくとも、この争いの間に襲ってくることはないはずであった。


「おやぁ。あれで死にませんでしたか……。やはり慣れぬ刃物はいけませんねえ。」


 軽く言いながら、再び体を屈ませるとふではもう一つ苦無を拾い上げて、それをくるくると手の中で回転させる。


 ひゅうっと上に軽く投げると、苦無がくるりと一回転して、その柄をはしりとふでが掴む。口では慣れぬなどと言っているが、桔梗ききょうからしてみれば、まるで扱いになれた道具かのように、その手に苦無が馴染んで見えてしまう。


「て、てめえ……苦無が扱えるのか?まさか、てめえも、どっかの隠密か……?」


 髭男の言葉であったが、傍らで見ていた桔梗ききょうにも同じ思いがあった。彼女の苦無の扱いは、自分が見知っている里の人間よりも、余程に長けてさえ見える。

 ただ、そんな髭男の言葉にもふでは首を振るって、肩を竦めて見せる。


「いえ、なあに。刃物の扱いは得意なだけでございますよ。差し当たって、刃の付くものなら全て。」


 言いながら苦無の刃先を指先で摘まむと、ふでは指先を振って、ぷらぷらと揺らして見せる。


「それで、どうなさいますか?このまま苦無の投げ合いっこしましょうか?」

「くそっ……。」


 髭男は悪態を一つ突いて、眉をしかめた。


 男達には否応がなかった。

 今見せられた通りにふでには苦無を防ぐ術があった。一方で男達には、彼女の投げるその軌跡すら目に留めることすら出来ていなかった。


 仮に投げ合いになれば、一方的に殺されるだけになってしまう。

 それならば、まだ刀で斬り合った方が、太刀筋を防げる可能性がある分にマシと考えたか、髭男は自らの腰にある刀へと手をかける。


 傍からして見てみれば、刀で打ち合うにしろ苦無を投げ合うにしろ、どちらにしろ、危うさしかない。


 危うさしかなかったが、彼らも隠密であるからには、請け負った仕事から逃げることが出来ぬのであろう。そもそもが命の価値などない者たちであり、幼少より命を投げ捨てることを叩き込まれた者たちである。死にたくはなかろうがそうするしか他がない者たちであった。


 ぐうぅっと何とも鈍い声で唸りながら、髭男は腰に差していた刀を抜く。

 合わせて草むらに居た、もう一人の男も渋々と言った様子で刀を手に取っていた。


「それで良うございます。そうして頂けると嬉しうございますね。」


 苦渋の表情を浮かべる男たちに対して、ただ切り結べるのが嬉しいだけなのか、顔を綻ばせてふでは苦無を無造作に投げ捨てる。

 地面に刃先がぶつかって、からんと軽妙な音が一つ響いた。


 そんなふでの態度に、桔梗ききょうは身をかがめながらも、「狂ってる」と、小さく呟かずにはいられなかった。

 桔梗ききょうの言葉に気が付いたのか、気が付かぬのか、虚空の中に、ふふっと軽くふでの微笑む声が響いた。


 刀の携えた左手を髭男の方へと向かって伸ばすと、ふでは刃先を真横に向けて一足分歩み寄る。

 ざわりと草木が鳴った。

 男達が僅かに身を引いて草の葉が縺れ擦れ合った音だった。


 にじりっ、と地面を踏みしめる音をさせて、ふでが更に一歩近づく。

 合わせるように、髭男は真横にへと足を動かす。


 がさりがさりと、草枝を踏みしめる音を立て、髭男は草むらの中へと足を突っ込んでいった。気が付けばふでを中心に円を描きながら男達は近づいていく。

 目が慣れてきたせいなのか、草むらの陰に隠れながらも、桔梗ききょうには月が異様に明るく感じられて、まるで景色が瞬いているようにさえ見えてくる。


 この明るさならば、と桔梗ききょうは、ふでと男たちの一挙手一投足が、細かな動きまで視界の中に捉えられる気がしていた。

 真横に構えられたふでの刀が傾いて、鈍く刀身を輝かせる。


 次第、男達は踏み込めばすぐ様に、ふでへと刀の届く距離まで近づいていく。

 僅かに、刀の届く半歩前にして二人の男は動きを止めた。


 ふっふっ……と、男達の浅い呼吸が静やかな闇の中で低く響く。

 それは機を待つと言うよりは、覚悟を決めると言うべき刹那の間であった。


 右手に髭男、左手に手下の男。

 果たしてどちらが先に襲ってくるのか、左右から挟まれたふでは視線を巡らせる。


 手下の男が、がさりと身を動かす。

 咄嗟に、ふでは左足へと重心を傾けた。



「けえええ!!」


 途端、髭男が雄叫びを上げて振りかぶると、思い切りに地面を蹴ってふでへと向かって跳んだ。



「しぃっ!」


 即座に身を転じてふでは息を斬る。

 瞬く間に振り下ろされてくる刃先へと、ふでは鋭く腕を振るや、横薙ぎに刀を斬り合わせ弾き返した。


 瞬刻、凌ぎながらも、すぐに髭男の切っ先はするりと軌道を変えてふでの体へと迫ってくる。

 それを刀の側面にかち合わせ、しのぎをぶつけ合う。

 ぎいんと鈍く低い音が響くと、ぎりぎりと二人の刀が擦れあい、打つかって数度弾け合った。



「やああっ!」


 不意にどこか情けのない声が周囲へと劈いた。

 いつの間にか、ふでのすぐ後ろへと手下の男が迫ってきていた。

 髭男に対処していて無防備なふでの背中へと、手下がやにわに刀を振りかぶらせる。



「ははっ!」


 軽く笑い声をあげるや、ふでは刀の先をくるりと回して、髭男の刀を右へと大きく逸らせる。



「おぅ!?」


 刀を弾かれて、髭男の体が僅かに崩れた。

 その機を見逃さずに、ふでは思い切りに体を振り返らさえて回し蹴りに手下の男の腹を蹴った。



「がふっ!?」


 突然に腹を蹴られた手下は体をくの字に折り曲げると、顔を顰めて体を後退らせた。

 その結果として、切っ先は揺れ、ふでの体にも触れずにそのまま宙を流れていく。

 手下の男は腹を押さえながら、二歩三歩足を下がらせると、思いとどまって地面を強かに踏みしめていた。


 姿勢を乱した髭男も一度身を引いて、手下の男の傍らへと近づく。

 長く伸ばした足をゆっくりと下すと、二人に向かって体を向き直し、ふっとふでは緩く楽しそうに息を吐いた。



「良いですね。良いですよ。やはり戦いって言うのはこうでなくちゃいけません。」

「抜かせっ。」


 髭男は忌々し気に呻いて、刀を構えなおした。

 ただ、そう言った口の威勢は良かったが、機を図っているのか、男達はすぐには襲い掛かることもなく距離を取り始めていく。


 そんな男たちの態度に、軽く口元を緩ませると、ふではくっと体を屈めた。

 弾けるようにふでは地面を蹴飛ばす。

 一足飛びにふでの体が男たちへと迫る。



「いいっ!?」


 慌てて男たちは刀をふでに向かって立てた。

 鋭くふでの刀が横薙ぎに滑る。

 途端。

 低く尖った音が響いた。

 刃先が思い切りに、男達の刀へとぶつかっていた。



「うぉわっ!?」


 途端に男たちの体が弾き飛ばされた。

 背の高い草がなぎ倒されながら男たちの体が地面の上を転がっていく。



「んなっ……。馬鹿な……。」


 倒れた体をにわかに起き上がらせながら、髭男は酷くおののいていた。

 吹き飛ばされたのが信じられないように、男たちは互いに顔を見合わせた。



「何だ今のは……?」


「ふ、吹き飛ばされました。」


「だろうがなァ……。そう言うことが問題じゃねえ。」


「……それは?どういう?」


「あいつから攻められたら受けてられん。ってことだよ。こちらから仕掛けるしかねえ……。」


 そう髭男が声をかけると、手下の男は恐れからかちかちと歯を鳴らして、情けの無い表情を晒しながらも、うぅっと唸り声をあげて頷いた。



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