20.対峙二

 首をひねって片目で空を見上げながら、ふではゆっくりと口を開くと、滔々とうとうとその由来を語り始めた。


「私の生まれ育った村は酷く高い山の近くでしてね。」

「高い山ですか?富士のような?」


「ええ、高い山です。とは言え流石に富士ほどではありませぬがね、山頂まで登って二刻ほどはかかるでしょうか。兎も角も、そんな山が近くにそびえていたのです。」

 それがどう剣の腕前に繋がるのだろうと思いながら、桔梗ききょうは余計な口を挟むのは控えて、彼女の続ける言葉を待つことにする。


「その山の中の一番背の高い木の上に、一人の天狗が住んでおったのですよ。」

「天狗……ですか?」

 あまりにも唐突な言葉に、思わずも顔を上げて問い返してしまうと、ふではしたりといった顔で頷いて見せる。


「天狗でございます。それがまた何とも顔が赤くて鼻が高くて、一目に見てすぐに笑いだしてしまいそうな顔をなされていたのですがねえ、滅法に強くて、そこでその天狗に毎日押しかけていっては、剣を扱う術を教えてもらっていたのですよ。それで幾年か経ったうちにこうなっておりました。」


「はあ……天狗に剣を教えてもらったと……。」

「まあ、そう言うことでございますよ。」

「なるほど。」

「ほう?」


 酷く腑に落ちたようにすっきりとした顔をして、桔梗ききょうは腕を組んで何度か頷いている。


「天狗直伝ですか。なるほど、それならば筆殿ふでどののあの強さにも納得がいくというものです。」


 そう言って、うんうんと桔梗ききょうは何度も頷いていた。

 ふでは空を眺めていた顔を桔梗ききょうへと向けると、酷く呆れた顔でその納得顔を見つめた。

 その表情は余りにも呆れかえって、本気で言っているのかと多少頭を疑うような眼差しを浮かべている。


「……今のは、冗談と言うか、嘘なのでございますが。そういう所が貴女あなた様の抜けているってえ所でございますよ。」

「ええっ?」


 驚いたように桔梗ききょうは顔を上げて、目を何度も瞬かせて、呆れかえっているふでの顔を眺める。


「今の……嘘、なんですか?」

「そりゃあ嘘ですよ。嘘です。あからさまに嘘でございましょう?天狗などと……居るはずないじゃないですか。」


 ひらひらと手などを舞わせて、いけしゃあしゃあとした態度でふでは言う。


「いや、しかし。天狗などとも信じたくなるほどですよ。ふで殿の腕前は。」


 多少ムキになったのか、桔梗ききょうは少し顔を赤らめると、くっとふでへと向かって身を乗り出すように言った。ぐいっと急に近づいた桔梗ききょうの顔に、僅かばかりふでは動揺して体を引いてしまう。



「まあまあ、そうムキにならずとも。嘘をついた私が悪うございましたから。」

「何を。ムキになどなっておりませんっ。」


「そうですか。いや、そう突っかかってくる桔梗ききょうさんの顔は可愛らしくて、そう感じてしまいましたかね。」

「なっ……。また冗談ばかりを。嘘はもうお充分です。」

 今度は違う意味で顔赤くして、慌てて桔梗ききょうは顔をそらせた。

 そういう所がまた可愛らしいと、ふでは口角を上げる。


「逆に、貴女あなた様はどうなのですか?」

 不意にふでからそう問われて、桔梗ききょうは顔を上げる。


「どういう意味ですか?」

「いえ。桔梗ききょうさんこそ、どう言うわけで、こんな仕事をする羽目になっておるのです?普通に暮らしていて、隠密などになることはありますまい。どんな育ちを為されたのかと聞いてみたいのですよ。」


 桔梗ききょうは僅かに口ごもる。

 一瞬口を開くが、眉をしかめて目をつむり再び口をつぐむ。そうして何度か頭を掻いた後、ふっと吐息を漏らして語り始めた。


「私は……。私は。そうですね。私はみなしごだったらしいのです。」

「らしい、ですか。」

「育ててくれた方から、そう聞かされて育ちましたから、そうらしいとしか言えません。」

「それは、本当の親に育てられたってそう言うものではありませんかねえ?」

「そりゃ、そうなんでしょうけどね。」


 伝聞でしかないという事で言えば、自分の生まれた時を覚えている人など居ない。今育てられている親から生まれてきたのだなどと確信をもって言える人間など居ないだろうと、聞きながらふではそう感じていた。


「それで、どこかに捨てられていたのですか?」

「ええ、里にある一軒の家の近くに捨てられていたらしいです。」

 ふっと、一つ息を吐き切って、桔梗ききょうはそのまま言葉を続けていく。


「布に包まれて地面に仰向けに置かれてて。笑えるのが、何か捨てた人は後ろめたかったのか、家の陰にある見えないような隠れたところに置かれていたらしくて、偶然そこの家の人が気付かなかったら、そのまま凍え死んでいたらしいんです。」

 そう語った所で、途端、ははっ、とわざとらしくふでは笑いだした。

 その笑いがどんな意味なのか一瞬桔梗ききょうは分からなかったが、すぐに自分の言った「笑えるのが」という言葉に応じたのだろうと察して、僅かに眉を顰めながら言い返す。


「笑えるのがとは言いましたが、本当に笑わなくても良いんですよ?」

「おや、そうですか。それは申し訳ない。」

 何一つ申し訳なさそうな口調で言うものだから、桔梗ききょうは何故だか少しだけ面白い気がして、小さく笑いながら、軽く肩を揺らした。


「それで見つけられたその後に、桔梗ききょうさんはどうなったのです?」

「それでもなにも、たらいまわしにされて里親がついたんですけれどね、その捨てられていた里が隠密を育てるようなことを生業としておりましたが故に、そうあるように育てられたと言うのが、とどのつまりの顛末ですよ。」


「隠密に育てられたからと言って、そうならねばならぬものなのですか?」

「ならぬのですよ。他に生き様も知りませんし、職に就けるような技術もありません、仮に辞めようと思っても、里の者に追い回されて結局は殺されてしまいます。だから、こんなことをやっているんですよ。」


「ほう……それはまた、随分としょぼくれた話ですねえ。」


 妙な言い方をするものだと桔梗ききょうは思ってしまう。

 こういう話をすると、大抵は可哀想と言われるか、もしくは似たような境遇の人間に達観したようなことを言われる。


 しょぼくれた等と言われるのは初めてだった。

 ふでは歩きながら首を軽く傾けて、こきりと関節を鳴らした。


「それで、桔梗ききょうさんは他人のために命からがらになって走り回っていると、そう言うわけですか。」

 事実そうなのだが、そう明け透けに言われては、桔梗ききょうとしては多少ムッとしてしまい、口を尖らせながら頷く。


「ええ、そう言うわけです。死ぬのは詰まりませんから。」

「それはそうですねえ。」

 投げ捨てるような言いようをしながらも、ふでは同意した。



「死ぬのは詰まりません。」

 桔梗ききょうの言った言葉を反芻はんすうして、筆はぽつりと言葉を零しす。

 そうして顔を上げると、ずうっと続いていた林が途切れ、急に草むらの続く原っぱへと飛び出た。



 どうやら林の途切れらしく、山火事でもあってここいらだけ木々がなくなってしまったのだろう、丁度近くにあった木の一本は黒く煤けていて、更に視線を草むらの向こうへと向けると、遠くに木々の蒸れて生えているのが見える。


 歩いてきた道からそのまま一筋の境目が連なって草むらが左右に分かれていたが、その周囲には胸ほどにも背が高く、細長い草が所狭しと生えしきっていた。

 木陰がないために月影を妨げるものは何もなく、ぽっかりと開いた空からが煌々と明るい光が照らされていて、日中とまではいかなくても、随分と明るく感じられた。


 その明るさに桔梗ききょうは心なしか気持ちが緩いで、ほっと肩を撫で下ろした。



 樹木がないために山からの吹きおろしが通って、風が巻く場所なのか、常に葉先が揺れてさわさわと小さな音が絶えず聞こえてくる。

 音を連れた風に乗って、長草特有の青臭さも周囲に漂っていた。


 草むらに数歩ほど踏み出した後、ふでは急に足を止めた。


 それに気が付いて、傍らを歩いていた桔梗ききょうも立ち止まる。



 ここに何かあるのだろうかと桔梗ききょうが顔を向けてみると、ふでは顔を止めたまま視線だけ左右に動かして周囲を窺っているようだった。


 そうして、すんっと一つ鼻を鳴らしたかと思うと、途端にふでは、片眉をピクリと持ち上げた。



「ここら辺、でしょうか。」


「え?何がですか?」


 言葉の意味が分からずに桔梗ききょうは首を傾げた。


 尋ねた言葉にふでの返事はなく、桔梗ききょうは周りに視線をめぐらせる。


 この辺りに一体何があると言うのか、見渡すに桔梗ききょうには何の変哲もない一面の草原にしか見えず困惑してしまう。


 それでもふでは、そこから一切に動こうともせず、ぴたりと足を止めていた。

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