第五話 Encounter with

 土曜日。私は、今日は外に出ず、五戸家の中で過ごしていた。幸恵さんとの約束も無いし、今日は調べ物の続きでもしようか。そう思い立ち、書庫へと続く廊下を歩いていた時。

「栞様」

「あ……万鈴さん」

 振り向くと、使用人服姿の万鈴さんが立っていた。万鈴さんが私に声を掛けてくるなんて珍しい。

「お使いをお願いしたいのですが……お時間は大丈夫ですか?」

「え? 私にですか?」

「はい。今は、お忙しいでしょうか」

「い、いえ! 全然大丈夫です!」

 万鈴さんに声を掛けてもらえただけでなく、お使いまでお願いされるとは……。どれほど稀な事なのか言葉で表すならば、「盲亀もうき浮木ふぼく」だろうか。

「それでは、こちらのメモに書いてある物を近くのショッピングモールで買ってきてください。ショッピングモールへの地図はこちらのメモに。よろしくお願いします」

 説明しながら洗練された動きで私にメモ二枚とお財布を渡す万鈴さん。その後、ぺこりとお辞儀をして足早に去っていった。あまりの素早さに私は呆然とする。

 万鈴さんはサンちゃんさんの侍女さんということもあり、いつも忙しそうにしている。私にお使いを頼むくらいなので、今日は特に忙しいのかもしれない。無償で泊まらせてもらっているのに何も出来ず本当に心苦しかったので、こうしてお手伝いをお願いされたことはとても嬉しい。私は貰ったメモとお財布を握り締め、嬉しい気持ちを噛み締めた。



 地図に書かれていたショッピングモールに行き着く。予想していたよりも歩いたな、と思う。最近は外出も一応はしていたが、外出と言っても五戸家から少し離れた所にある公園ぐらいだ。運動不足だと考えていたので、沢山歩けて良い運動になった。

 ショッピングモールの中に入る。中は広々としており、多くの人々が集まっていた。私は、壁に掲示してあるフロアマップへ近付く。目的のお店は三階にあるようだ。

 エレベーターに乗って移動し、三階へ向かう。エレベーターから出ると、なんだか一階よりも騒がしい感じがした。誰かが騒いでいるのだろうか。

「お、おい……あのでかいぬいぐるみ、さっき目が動いた気がしたんだけど」

「んなワケねーだろ。動いてたとしても、そういう風に設計されてんだよ。何? もしかしてビビってんの?」

「ち、ちげーよ!」

 近くに立っている若い男性二人組の会話が聞こえた。

 気になって男性達の目線の先を追ってみると、大きな猫のぬいぐるみが見えた。ぬいぐるみが置いてあるのは子供が遊べるスペースのようで、多くの子供達がぬいぐるみに触ったりして遊んでいる。騒がしかった理由は子供達が大勢居るからだったのか。何か事件が起こった訳ではないと分かり、私は安心する。

 さてと。早くお使いを済ませないと。確か、ここから右の方向にお店はあるはずだ。

 財布とメモの入ったショルダーバッグの位置を直す。ぬいぐるみから視線を外し、右方向へと歩を進める──

「うわあぁあああん!!! ママ~~~~!!!」

 急に、子供の大きな泣き声が建物内に響いた。反射的に声のした方を見る。

 その光景が視界を埋め尽くした瞬間、私は自分の目を疑った。ぬいぐるみが、小さな男の子を片手で──いや、片足か。とにかく今はそんな事どうでもいい。男の子が、ぬいぐるみに掴まれている。ぬいぐるみは男の子を掴んだままゆっくりと二本の足で立ち上がり、空いている方の手で、近くにある棚を薙ぎ倒した。大きな音と共に棚の中に仕舞われていた本が床に散らばる。──それを合図に、ぬいぐるみの周りに居た子供達や三階に居た人々が、悲鳴を上げながら走って逃げ始めた。

「マジかよ……本当に動いてる……」

「と、とにかく逃げるぞ!! やべーってこれ!!」

 先程の男性二人も、走って私の横を通り過ぎていく。私は……周囲の人々とは対照的に、その場から動けずにいた

 逃げないと。頭では理解している。でも、あの男の子はどうなる? ぬいぐるみは男の子を掴んだまま、三階にある物を次々と破壊していっている。いずれは男の子も……しかし、私に何が出来ると言うのか。お稽古で多少格闘技を習った経験はあるが、それももう五十年以上前だ。あのぬいぐるみと戦うなんて、絶対に不可能だ。

「……ごめんなさい……っ」

 悔しいけど……今の私に出来ることは、男の子を見捨てて逃げることだけだった。



 私はエレベーターかエスカレーターで逃げようとしたが、どちらも他のお客さん達で一杯だった。皆さん、あのぬいぐるみから逃げようとしているからなのだろう。

 どこか、他に逃げ道はないだろうか。逃げ道が無くても、隠れられる場所があれば。そう考え、懸命に建物内を見回して隠れ場所を探す。

「あれは……」

 私は、映画館らしき広いスペースが使用されたお店を発見する。お店の入り口を確認すると「CINEMA」という看板があった。間違いない、映画館だ。……そうだ。映画館なら暗いし広いし、ぬいぐるみに見つからないように隠れられるかもしれない。

 数秒思考したが迷っている暇は無いと思い、一先ず外へ脱出する事を諦め、映画館の中に身を潜める事に決める。エスカレーターかエレベーターがいてきたら、ぬいぐるみの様子を見て逃げよう。

 映画館内を歩き回り、隠れられそうな場所を探し求める。店員さんも逃げたのだろう。人は誰も居ない。スクリーンの方まで行くと三階の様子が分からなくなってしまうので、なるべく映画館出入り口の近く、かつ見つけられにくい場所を選びたいのだが。

 コツン。何かが背中にぶつかった。私はゆっくりと振り返る。そこには映画のスタンドポップが置かれていた。アニメ映画のようで、大勢のキャラクターが印刷されており、かなりの大きさだった。──大きい、という自分の言葉で気付く。このスタンドポップの裏が隠れ場所に良いかもしれない……と。試しにスタンドポップ裏に回り込んでみると、ほんの少し屈めば私の体は余裕で隠れた。三階をよく眺める事が出来るし、出入り口にも寄りすぎていない。ここならば良い隠れ場所になりそうだ。私は、このスタンドポップの裏に隠れようと決意した。



 数分は、経っただろうか。付近の状況を確認しようとスタンドポップから顔を半分くらい出す。他のお客さんは逃げ終わったようで、もう人は誰も居ない。私もかくれんぼは終わりにして外へ逃げるべきか。だが、ぬいぐるみはまだこの階に存在している。今は大人しいけれど……人影が無い今、ぬいぐるみに目を付けられる可能性も高くなっているし、軽率に行動するのはまずい。……と言うか、警察はまだ来ないのか。そろそろ来てもおかしくないと思うのだが──

「そこまでだよ!」

 誰かの大きな声がした。どこか、聞き覚えのある声。警察が来たのかと思い声のした方向へ目線を移動させる。

 ぬいぐるみの近くに、様々な色の髪で、色とりどりの衣装を纏った四人の女の子たちが立っていた。全員剣などの武器を持っていたり、武装していた。女の子たちの周囲には変な球体が三つ宙に浮いている。あの女の子たちは、一体……?

「わ~今回はまた可愛い敵さんだね~」

「あっ、男の子が捕まってるよ……! は、早く助けないと……」

「なら、敵を引き付ける係と男の子を助ける係に分かれよう。そうだね……イエローとグリーンは敵を引き付ける係、わたしとレッドは男の子を助ける係。それでいいかい?」

「おっけーです! それじゃあ、いっくよー!」

 赤色の衣装を着た女の子の掛け声を号令に、四人の女の子は散開していく。

 最初に聞こえた声の主は、赤色の女の子のようだった。なんだか、他の女の子たちの声も聞き覚えがあるような……?

「猫さん、こっちだよ~っ!」

 黄色の衣装を着た女の子が持っていた弓で矢を一本放ち、ぬいぐるみを攻撃する。見事、矢が命中する──が、矢はぬいぐるみの体に埋もれてしまった。ぬいぐるみは矢を感知し、黄色の女の子の方を向く。

「あちゃ~ちょっと私の武器とは相性悪いみたい~」

 ぬいぐるみは、片手を振り上げる。黄色の女の子を攻撃するつもりだ。

「でも、引き付ける作戦は成功みたいだね……!」

 ぬいぐるみの片手と黄色の女の子の間に、緑色の衣装を着た女の子が割って入り、大きな盾でぬいぐるみの攻撃を防いだ。あんな盾、先程は持っていなかったはず。どこから出したのだろう。

「男の子は、返してもらうよーっ!!!」

 ぬいぐるみの死角から、赤色の女の子がぬいぐるみの片手を大剣で斬り落とした。斬られた片手に掴まれていた男の子が、片手からするりと落下してゆく。危ない──

「よいしょっと……」

 床に直撃するかと予想された男の子を、水色の衣装を着た女の子が両手で抱えるようにして受け止める。

「ナイスキャッチ! クーデレ先輩!」

 赤色の女の子が元気よく言った。

「だから、その呼び方はやめてくれないか……普通にライトブルーとかにしてほしいんだけども」

「ええ~可愛いのに。で、その男の子は大丈夫ですか?」

「大きな怪我も無さそうだし、多分大丈夫だと思うけど……気絶してるみたいだね。グリーン! この男の子をお願いしてもいいかい?」

「う、うん! 任せて!」

 水色の女の子が緑色の女の子に男の子を預ける。緑色の女の子は男の子を抱え、ぬいぐるみの近くから離れ、遠くの方へと走っていく。

「次は、宝石探しだね~」

 片手を斬られ動かなくなっているぬいぐるみを見つめながら、黄色の女の子がそう発した。

「イエローの武器は敵を引き付けるぐらいにしか役立ちそうにないから、後方に下がっていてくれるかい?」

「は~い」

 水色の女の子に指示された通り、黄色の女の子は後方へ下がる。赤色の女の子と水色の女の子は、前方に進み出る。

 ゆっくりと、ぬいぐるみが動作を再開する様子を見せた。まだ息はあるようだ。

「行くよ、レッド」

「りょーかいです! クーデレ先輩!」

「だから、その呼び方は──」

 口にしながら水色の女の子は片足を前に出し、固そうな装備の付いた両拳を顔の横辺りに移動させる。そして、片方の拳を前に強く突き、いつの間にか水色の女の子の近くに来ていたぬいぐるみを──殴り飛ばした。ぬいぐるみは凄まじいスピードで真っ直ぐに壁へと飛ばされていき、大きな体を壁に叩き付ける。その間は僅か三秒程度であったように感ぜられた。

「……やめてくれないかと言っているのだけど」

「わー! いつもながらすごいですね! クーデレ先輩の必殺パンチ!」

「話、聞いてるのかい?」

「まあまあ。今は戦いに集中しないと~パンチもあんまり効いてないみたいですし~」

 黄色の女の子の言葉は正しく、ぬいぐるみはすぐに体勢を立て直していた。ぬいぐるみは柔らかい素材で作られているので打撃はあまり効果が無いのだろうか。

「弓も打撃も駄目か……あのぬいぐるみ、意外と厄介だね」

「なら、私が頑張るしかないですよね!」

「そういうことだね。私とイエローが隙を作るから、その隙にレッドが攻撃してくれるかい?」

「はい! クーデレ先輩!」

「……はあ。もういいか、クーデレで……」

 女の子たちはそこでお喋りを中断し、ぬいぐるみとの戦闘を再開する。

 私は、すっかり女の子たちに魅了されていた。最初こそびっくりはしたけど……そんな感情はすぐに消え失せていた。

 人間離れした力。色鮮やかな衣装を纏って舞う美しい姿。──強大な敵にも果敢に立ち向かっていく強さ。四人の女の子たちが、普通の人ならば座り込んで怯えてしまうような大きな存在と戦っている。傷付き、苦しみ、それでもなお大きな存在に背を向ける事無く戦っている。四人の女の子たちのその姿は、“あの”四人の女の子たちと同じだった。幼い頃この目に焼き付けられた、画面の中に居たあの四人の女の子たちと。画面の中の存在でしかなかった、現実には存在しないはずの《英雄少女ペルセウス》の四人の女の子たちが、今、私の目の前に居る。憧れであり、一番の支えであり、道標であり、目指すべき終着点である、私の《自由の象徴》が……!

「…………あ」

 ふと、ぬいぐるみと目が合う。──気付かれた。

 私は急いで走って逃げようとするが、落ちていた籠に躓き、転んでしまう。床から起き上がり、立とうと足を動かす。しかしぬいぐるみはもう、すぐそこまで迫ってきていた。逃げるのが、間に合わない。私は、ぎゅっと両目を閉じる。

「…………?」

 少し待っても、何も無い。恐る恐る左右の目を開く。ぬいぐるみは……感情の宿らぬ目を私に投げ掛け、静止していた。

「たああぁあああぁあっ!!!!」

 刹那。眼前のぬいぐるみが、大剣の刃で横に真っ二つにされる。ぬいぐるみの向こう側が視界に入ってくる。赤色の女の子がそこには居た。

 ふわりと、ぬいぐるみの中から何かが出てくる。何かはキラキラと青い光を放っていた。

「あった!!!」

 赤色の女の子はふわふわと浮いている何かを片手で掴む。すると、ぬいぐるみは力無くその場に崩れ落ちた。

「みんなー!!! あったよー!!!」

 私に背中を見せ、何かを掴んだ片手を挙げて、赤色の女の子は他の女の子たちに向かって叫んだ。

 助けて、くれたのだろうか。お礼を、言わないと。私は、立ち上がる。

「あ、あの」

 赤色の女の子の背に私は声を掛ける。ゆっくりと、赤色の女の子が私の方へ振り返った。私の姿を視認した途端、赤色の女の子は目を見開いた。

「し、栞!?」

「えっ。ど、どうして私の名前を……どこかでお会いしましたか?」

 赤色の女の子が私の名前を呼んだので、私は戸惑ってしまう。……待て。私のことを知っている人は今限られているはず。その人達の中で、私を「栞」と呼ぶのは、一人しか居ない。それに加えて、この聞き覚えのある声。

「もしかして、楓さん……?」

「……え、えーっとお……か、楓さんって誰のことかなあ? 人違いだと思うよ?」

 赤色の女の子が動揺しているのは一目瞭然であった。やはりこの赤色の女の子は、楓さんご本人のようだ。

「あ、しおりんだ~奇遇だね~」

 楓さんの後ろから、黄色の女の子がひょっこりと姿を現す。黄色の女の子を見て楓さんが驚いた顔をした。

「しおりん……って、まさか、芭蕉さん……ですか?」

「そうそう~芭蕉だよ~」

 あっさりと自分の正体を明かす黄色の女の子、芭蕉さん。この声と特徴的な喋り方に聞き覚えがあるとは思っていたが……本当に芭蕉さんだとは。

「はあっ……はあっ……」

 荒い息遣いが聞こえてくる。緑色の女の子と水色の女の子がこちらに駆けてきていた。

「二人とも~男の子は大丈夫でしたか~?」

 芭蕉さんが言った。緑色の女の子と水色の女の子が私達の近くで止まり、息を整え始める。水色の女の子はそこまで疲れていない様子だったが、緑色の女の子はかなり疲労した様子だ。

「う、うん……っ。男の子のお母さんっぽい人が一階で子供を探してて、だから、お母さんに見つけてもらえるように一階に……」

 緑色の女の子が答える。

「そうですか~それなら一安心~」

「姿を見られるんじゃないかとひやひやしたよ。なんとか見られずに済んだけど……ところで、そこの人は誰だい?」

 私を見て、水色の女の子は不思議そうな表情をする。緑色の女の子も私を見た。その瞬間、緑色の女の子は顔を驚愕の色に染めてゆく。

「し、栞ちゃん!?」

 緑色の女の子も私の名前を呼んだ。私は、衝撃を受ける。どうしてこの女の子も私の名前を? ……でも、この声にも聞き覚えがある。「栞ちゃん」と私を呼ぶ人も、一人しか存在しなかった。

「あなたは、幸恵さん……ですか?」

「う、うん……そうだよ」

 遠慮がちに、幸恵さんは肯定する。

 赤色の女の子が楓さんで、黄色の女の子が芭蕉さんで、緑色の女の子が幸恵さん。先程まで武器を使用して謎の動くぬいぐるみと戦っていた女の子たちは、私の知っている人たちだった。訳が、分からない。思考が全く追い付いていかない。

「……どういう、ことですか? 皆さんは、一体……何者なんですか?」

「そ、それは──」

 楓さんが何かを言い掛けた、その時。

わたくしから説明致しますわ」

 また、聞き覚えのある声が響いた。

 声のした方に私は顔を向ける。他の皆さんも同じように顔を向けた。

「ごきげんよう。栞さん」

 映画館の出入り口付近には、いつもと変わらない優美な雰囲気の、サンちゃんさんが立っていた。グレーのワンピースでもやはり彼女の姿は一際目立つ。

「サンちゃんさん……まさか、サンちゃんさんもお仲間なんですか?」

「ええ。その通りですわ。……今は通行を規制していますけれど、ここではいずれ人が来てしまうでしょうし……場所を変えませんこと?」

 サンちゃんさんは辺りを見回しながらそう提案した。確かに、ここでは大事な話をするのには不向きだろう。

「とりあえず、私の家に移動しましょう。外に車を用意してありますので。それでいいかしら?」

「私は構いませんけど……」

 私の返答を聞くと、サンちゃんさんは楓さん達の方へ目線を遣る。

「わ、私も、大丈夫だよ」

「さっちゃん先輩の家に行くのが良いと思いますよ~」

「えっと……そ、それで良いかと」

「よく分からないんだけど……まあ、とりあえずサン先輩の家に行くのが最善ですね」

 皆さん、サンちゃんさんの提案には賛成のようだ。サンちゃんさんは満足そうに微笑む。

「決まりですわね。それでは、参りましょう。裏口から帰りますので、しっかりと私についてきてくださいな」

 映画館とは反対方向を目指し、サンちゃんさんは歩き出す。私達もサンちゃんさんについていき、裏口への道を進み始める。歩いている途中、あの宙に浮いた三つの球体が私の視界に入った。球体は目玉を模したような形をしており不気味で、この状況をより現実味の無いものにしている気がした。



 地下室。私にとって、その言葉が意味する部屋はあのアポカリプス博物館の地下室くらいだった。しかしそれはもう過去の話となった。何故ならば──現在の私は、“五戸家の地下室”に居るからだ。

 驚く私を余所にして、皆さんは地下室に置かれた椅子に座っていく。大きな丸いテーブルを囲む皆さん。楓さんに、サンちゃんさん。芭蕉さん、幸恵さん……もう一人の方は、誰かは分からない。でも、多分楓さん達と同じ中学生なのかなとは思う。

 困惑しつつも椅子に腰掛ける私。明るい電気に照らされた地下室内を、目だけ動かして眺め回す。サンちゃんさんの部屋には秘密の隠し扉があり、その扉から私達は地下室へ来た。この地下室を拠点として皆さんは“活動”をしていたらしい。内装は地上の五戸家と殆ど変わり無いけど……唯一目を引くのがあの沢山の液晶ディスプレーだ。私達が囲んでいるテーブルとは別のテーブル上に、薄型の液晶ディスプレーが所狭しと並んでいる。

 私は視線を皆さんの方へと戻す。皆さんは車内で変身を解除したので、今は普通の私服姿だった。車での移動中に教えてもらったのだが、皆さんは正体を隠すため五戸家の持つ技術を結集して作り上げた変身アイテムで変身をしているらしい。五十年以上経っているし、当然技術は進歩しているだろうとは予想していたが……まさかここまでとは。時の流れというのは怖いものだなと思った。

 それと、皆さんの周りに浮いていた三つの球体は小型カメラで、小型カメラも五戸家が作った物だと説明してもらった。サンちゃんさんはこの地下室で楓さん達の戦いのサポートをしていらっしゃるようで、小型カメラはそのサポートに必要なんだとか。恐らく、あの液晶ディスプレーも必要な物なのだろう。

 私は、サンちゃんさんを見る。サンちゃんさんの隣には、万鈴さんが立っていた。万鈴さんはサンちゃんさんが用意した車の運転手をしていたので、万鈴さんも仲間の一人のようだ。車内でお使いを最後まで出来なかったことを万鈴さんに謝罪したのだが、万鈴さんは特に気にしてはいない様子だった。

「さて。何からお話しましょうか」

 サンちゃんさんが最初に口を開く。

「色々お訊きしたい事はありますけど……まずは、どうして皆さんがあのぬいぐるみと戦っていたのか、それを教えてください」

 ずっと抱いていた疑問を、サンちゃんさんにぶつける。何故皆さんが戦っていたのか。そのことが一番の疑問なのだ。

「分かりました。では、どうして私たちがあのぬいぐるみ……敵と戦うようになったのか、から説明していきますわ」

 サンちゃんさんはそこで言葉を切り、「すぅ、はぁ」と深呼吸をしてから、再び口を開いた。

「二ヶ月程前の事ですわ。五戸カンパニーが所有している金庫から、ある物が盗まれたのです。そのある物とは、宝石ですわ。宝石と言ってもただの宝石ではないのです。盗まれた宝石は、プレシアの持っていた武器なのですわ」

「プレシアって……あの宇宙人ですよね? でも、宝石が武器、なんですか?」

「宝石自体で戦う訳ではありませんわ。プレシアの宝石は物や人間に取り憑くのです。先程、ぬいぐるみが動いて、破壊活動をしているのを見たでしょう」

 私はこくりと頷く。

「あのぬいぐるみのように、宝石に取り憑かれた物や人間は凶暴化してしまうのです。物の場合であれば、取り憑かれた物は動くようになりますわ。そのように危険な宝石だからこそ、政府は宝石の扱いに長け、かつ厳重なセキュリティの金庫を所有する五戸カンパニーに宝石を託したのでしょう。……結果は、盗まれてしまったのですが」

「盗んだ人は、まだ分かってないんだよね?」

 楓さんがサンちゃんさんに尋ねると、サンちゃんさんは暗い顔をした。

「手を尽くしてはいますが、犯人はまだ見つかっていません。……情けないことですわ。宝石を盗まれ、盗んだ犯人も見つけ出せていない。その上、宝石を悪用されていますし……この本家に五戸の人間が私しか居ない今、全ては私の責任。責任は、私が取らなければなりません」

 真剣な眼差しでサンちゃんさんは語る。サンちゃんさんは高貴なる者の責任と義務を、しっかりと自覚なさっているのだなと感じた。

「私は宝石を取り戻そうと、そう考えました。犯人が見つからない以上、取り憑かれた物や人間から宝石を取るしか取り戻す方法はありません。ですが、どうやって取るのかが問題だったのですわ」

「取り憑かれた物や人間を拘束して取るとかじゃ、駄目なんですか?」

「それがみんなに出来たらね~宝石に取り憑かれた物や人間は凶暴化してるから普通の人は近付くのも一苦労だし、普通の武器での攻撃は効かないからね~」

「そ、そうなんですか……でも、それじゃあどうして皆さんは敵と戦えていたんですか?」

「それは──皆さんが、《英雄の武器》を使って戦っていたからですわ」

「英雄の、武器……」

 書庫で調べ物をしていた時に、英雄の武器については知っていた。プレシアを撃退した四人の英雄たちが使っていた四つの英雄の武器。四つの英雄の武器は選ばれた者にしか扱えず、四人の英雄たちが亡くなり主を失った英雄の武器は、今は厳重なセキュリティの場所で保管されている──と。保管場所は限られた人しか知らないらしい。

「そう。英雄の武器ならば宝石に取り憑かれた物や人間とも戦える。戦えるならば、近付いて宝石を取る事も可能となる。ですから、緊急事態という事で四つの英雄の武器をお借りして、私は英雄の武器に選ばれし者たちを探しました。そして、見つけた四人の選ばれし者たちこそが──」

「楓さんたち、という訳ですか」

「その通りですわ。察しが良くて助かります」

 ……つまりは、お嬢様のサンちゃんさんと楓さんが知り合いだったのも、学年が違う楓さんと芭蕉さん、幸恵さんの仲が良かったのも、全部そういう理由だったのだ。大きな謎が解けてすっきりした。

「でも、いいんですか? そんな重要な秘密を私に話して……私、これから口封じのために殺されたりしませんよね?」

「あら、そんなことしませんわ。しませんけれど……栞さんにお願いしたいことはありますわ」

 突然、サンちゃんさんは私の両手を両手で取り、熱情のこもった瞳で私を見つめた。いきなりのことで私は戸惑ってしまう。

 サンちゃんさんの瞳に、静かに射貫かれる。固まる私。数秒の間の後、サンちゃんさんが口を開いた。

「栞さん。私と一緒に皆さんのサポートをしませんこと?」

「へ、さ、サポート?」

 予想もしていなかった言葉に、私の中の戸惑う感情が益々強くなる。サポートって、皆さんの戦いの、だよね……?

「私が皆さんのトレーニング場を用意したり、正体がバレないようにあらゆる根回しをしたりと色々なサポートをしているとは先程お伝えしたでしょう? ですが、最近手が足りなくて……」

「万鈴さんが居るのでは……?」

「万鈴は万が一の時のための私のボディーガードですし、万鈴には万鈴専用の仕事がありますから」

「な、なるほど……って、万鈴さんって戦えるんですか!?」

「あら、言ってなかったかしら? 英雄の武器は使えませんけれど、万鈴はこう見えてとても強いんですのよ」

 私は、万鈴さんを見る。万鈴さんは普段と同じように、使用人として黙って立ち続けている。美しい万鈴さんのその姿からは敵と戦う姿など想像出来ない。

「話が逸れましたわね。栞さん、どうでしょう。引き受けてくれますかしら?」

 私は視線をサンちゃんさんに戻す。サンちゃんさんはじいっと私を見つめ、答えを求めている。

 どうしよう。いきなり皆さんのサポートだなんて、私に出来るのだろうか。……でも。私は皆さんに色々してもらっているのに、まだ何も恩返しをしていない。だったら、これは恩返しをするチャンスだ。それに、私のような出来損ないでも何か力になれることがあるならば──

「分かりました。お引き受けします」

「本当ですか……! よかったですわ!」

 サンちゃんさんの顔がぱあっと明るくなる。喜んでいただけたのは私も嬉しいが、一つ気になることがある。

「あの、皆さんの意見も聞いておいた方が良いんじゃないでしょうか?」

「それもそうですわね……万鈴は大丈夫として、皆さんは、どうかしら?」

 私は皆さんの方へ目を向ける。皆さん、流石に驚きの表情を浮かべていた。皆さんもまさかサンちゃんさんがそんなお願いを私にするとは思わなかったのだろう。

 沈黙が続く。これは、もしかすると駄目かな……と、弱気になり始めた時。

「……わ、私はっ、いいと思うよ!」

 最初に賛成してくれたのは、幸恵さんだった。しっかりとこちらを見据える幸恵さん。幸恵さんは、少し息が乱れ、頬がほんのりと赤くなっていた。よく見ると、幸恵さんの祈るように握られた両手が震えている。もしかしたら勇気を振り絞って言ってくれたのかもしれない。私のために。……そう思うと、とても温かい気持ちが私の心を満たした。

「うん! 私も大丈夫だよ!」

「しおりんが仲間になってくれるなら、私は大歓迎~」

 楓さんと芭蕉さんも続いて賛成してくれた。最後は、初対面のあの女の子だ。果たして、私に初めて会った女の子が賛成してくれるのか。不安を抱きながら、私は女の子を注視し答えを待つ。他の皆さんも女の子の方へと顔を向けた。

 女の子は、腕を組んで座っていた。女の子が視線をこちらへと遣る。目が合った。私を、見ているのだろうか。女の子は数秒間私を探るような視線を送った後、「はあ」と息を吐いた。その動作に、私は思わずびくっとする。

 そして、女の子の唇が、動く。

「別に、私は構わないよ」

 女の子の口から出たのは、賛成の言葉だった。安堵した私は、緊張から解放されてゆく。

 全員が賛成してくれたことで、サンちゃんさんは満面に笑みを湛えていた。

「決定ですわね。これからはサポート仲間としても、よろしくお願いしますわ。栞さん」

「……よろしくお願いします」

「よろしくね! 栞!」

「よろしくね~しおりんが仲間になって、嬉しいな~」

「私も、とっても嬉しいな……よろしくね。栞ちゃん」

「……まあ、よろしく」

 全員に歓迎の言葉を貰い、照れくさくなりながらも、私は返事をする。

「はい。皆さん、よろしくお願いします」



 サンちゃんさんのお仕事の関係で、全員の自己紹介をして、今日はとりあえずお開きとなった。詳しい事はまた後日説明してくださるそうだ。

 万鈴さんに案内され、皆さんぞろぞろと地下室から地上のサンちゃんさんの部屋へと出て、それから五戸家の廊下を歩いていく。

「ねえ」

 廊下を数歩進んだ時、後ろから誰かに呼び止められた。私はくるりと振り向く。晴れた日の空みたいに染まったショートカットが視界に入る。そこにはあの水色の女の子、知加子ちかこさんが立っていた。さっきの自己紹介では幸恵さんと同じ中学二年生と仰っていたっけ。

「あなたは……知加子さん、でしたよね。その、先程は賛成してくださり、ありがとうございました」

「お礼を言われるような事をしたつもりは無いけど、どういたしまして。あと、相楽知加子さがらちかこで合ってるよ。あなたは、桜川栞さんだよね」

「はい。私に何かご用でしょうか?」

「ん、ちょっとね。あのさ、桜川さんの名前の字って、花の桜に、外に流れてる三画で書く川に、本に挟む栞、でいいんだよね」

「そうですが……それが何か?」

「……実は。桜川さんの名前を、どこかで見たような気がするんだ」

「えっ?」

 私の名前を、見た? 何だろう。桜川家に私の名前が残っているとは考えにくいし、何かのコンクールなどで賞を取った記憶は無い。同姓同名だろうか……?

 ふっと、頭にある考えが過る。勘違いかもしれないけど、もしかしたら知加子さんが私の名前を見た場所は、私が今の状態になっている件と関係があるかもしれない。こうして知り合った知加子さんが、私の名前をどこかで見たと仰っているのだ。何かを感じずにはいられなかった。

「どこで見たか、覚えていらっしゃいますか?」

 尋ねると、知加子さんは「うーん」と思い悩むような声を発した。

「それが、思い出せないんだ……もしかして何か大事なことだったのかい?」

「い、いえ……」

 そう答えながらも、私は正直落胆していた。でも知加子さんが覚えていないなら仕方無い。

「ふうん……まあ、思い出したら知らせるよ」

「い、いいんですか?」

「だって、多分大事なことなんだろう? だったら伝えた方が良いじゃないか」

 私は、驚く。知加子さん、どうして分かったんだろう。そんなに顔に出ていたのか。それとも、知加子さんが察してくれたのか。

「何だい。その驚いたような顔は」

「あ、いえ……想像していたよりも、優しい方なのだなと思いまして」

「……それは喧嘩を売ってるのかい?」

 急に知加子さんの声が低くなる。いけない。私、失礼なことを。

「ご、ごめんなさい……! 私、そんなつもりはなくて……本当にごめんなさい」

 慌てて謝罪し、頭を下げる。

「…………ぷっ、あははっ」

 突然、知加子さんのそんな声が聞こえた。何事かと思い、私は頭を上げる。知加子さんは、笑っていた。

「ごめんごめん。冗談だよ、じょーだん。よく言われるし、慣れてるから。大袈裟だね。桜川さんは」

 知加子さんは微笑みながら言った。

 大人っぽい方だという印象だったが、中学生らしい一面を目にして私は吃驚する。

「じょ、冗談ですか。良かったです。てっきりお気に障ってしまったかと……」

「あんな小さいことでいちいち怒ってられないよ。それよりも……はい」

 知加子さんが突然、私の前に片手を出してくる。私はこの手の意味が理解出来ず、考える。ある一つの事が想起される。

「お金、ですか?」

「違うに決まってるだろう。……握手だよ、握手! 他の子たちは桜川さんと面識があるみたいだけど、私は初対面だから。お近づきのしるしにって意味で。喝上げするような奴だと思われてたなんて、心外だな」

「で、ですよね……すみません……」

 そうだ。何口走ってるんだろう、私。今度こそ知加子さんのお気に障ってしまったかもしれない。

「いいよ、別に。……ねえ。だったらさ、お詫びに桜川さんのこと、下の名前で呼ばせてよ」

「そ、そのぐらいのことでしたら……大丈夫ですよ」

「そう。じゃあ、改めてよろしく。……栞」

「は、はい! これからよろしくお願いします。知加子さん」

 差し出された知加子さんの片手を、私は片手で握る。知加子さんは、私の手を優しく握り返してくれた。



 その日の夜。

 私は、サンちゃんさんの部屋に呼ばれていた。夕食の時間に「夕食の後、私の部屋にいらしてくださるかしら?」とお願いされたからだ。

 サンちゃんさんと私は、テーブルを挟んでソファーに座っている。テーブルの上には小さな箱が載せられていた。

「夜遅くに申し訳ありません。栞さんに、どうしてもお渡ししたい物がありまして」

「渡したい物……? 何でしょう?」

「これですわ」

 サンちゃんさんが箱の蓋を開けて、私に箱の中身を見せる。中には、ピンク色のスマホのような物が入っている。

「スマホ……でしょうか?」

「ええ。私と一緒に皆さんのサポートをしていただくことになりましたし、連絡用にあった方が良いかと思いまして。用意しましたの」

「そうだったんですか。確かに、連絡手段はあった方が安心ですね」

「でしょう? どうぞお使いになってください」

 箱の蓋をもう一度閉めて、サンちゃんさんは箱を私に差し出してくれる。

「ありがとうございます」

 私は落としたりしないよう、両手でしっかりと箱を受け取った。

「急遽用意したので、新品ではあるのですけどちょっと前の機種なのですわ。ごめんなさいね」

「そんな、私は居候の身ですし……全然大丈夫です」

「栞さんが良いのでしたら、それで良いのですけれど……そうそう。もうスマホの中には私、楓さん、芭蕉さん、幸恵さん、知加子さん、万鈴と小鈴の連絡先を入れておきましたのでそれで連絡は取れるはずですわ。連絡先を栞さんへ教える許可もちゃんと皆さんから貰っていますので、ご心配なく。私はもう栞さんの連絡先は自分のスマホに追加してしまったのですけど、問題無かったかしら?」

「はい」

 そう言った後、私はサンちゃんさんの言葉に小さな疑問を持つ。

「えっと、小鈴さんの連絡先も、ですか?」

「ああ。言っていませんでしたわね。小鈴には、栞さんのボディーガードをしてもらうことになりましたの」

「ぼ、ボディーガード? 小鈴さんがですか? 小鈴さんも、万鈴さんみたいに戦えるんですか?」

「戦えますわよ。私もよくは知らないのですけれど、姉妹で戦闘訓練をしていたとかで……小鈴も万鈴と同じくらい強いですから、安心してくださいな」

「そ、そうですか」

 万鈴さんだけでなく、小鈴さんも戦えるのか。あんなに可愛らしいのにボディーガードが出来る程の強さも兼ね備えているなんて……綺麗な薔薇には棘があるとは、まさにこの事だ。

「……さてと。そろそろ私は明日の準備をしなければいけませんわね。ごめんなさい、栞さん。こちらから呼び出して申し訳ないのですが今日はこれで……」

「私でしたら全然大丈夫ですよ。お気になさらないでください。では私も、これで失礼しますね。スマホ、ありがとうございました」

「どういたしまして。敵が現れた時や用がある時、それと緊急時は、そのスマホに連絡しますわね」

「分かりました」

 私は、テーブルの上に一旦置いていたスマホの箱をもう一度両手で持ち、ソファーから立ち上がった。

「おやすみなさい。サンちゃんさん」

「ええ。おやすみなさい。栞さん」

 挨拶を交わし、私はサンちゃんさんの部屋を後にした。



 自室に帰って特に用事も無かった私は、ベッドの上に座り、貰ったスマホを触ってみていた。サンちゃんさんはちょっと前の機種だと言っていたが、私にはどう見ても最新機種にしか思えなかった。……五十年以上経っているのだから、当然か。

「…………?」

 突然、馴染みの無い音楽がどこからか流れてくる。私はすぐに、その音楽が片手にあるスマホからのものだと気付く。少し目を離していたので反応が遅れてしまった。慌ててスマホの画面を確認すると、どうやら電話のようだった。相手は……「玉谷楓」と表示されている。なんだ、楓さんか。………………ん?

「……私、まだサンちゃんさんにしか自分の連絡先は教えてないわよね」

 うん。そのはずだ。なのにどうして、楓さんが私の電話番号を知っているのだろうか。サンちゃんさんが既に私の連絡先を楓さんや他の皆さんに伝えていて、その事を私に知らせるのをサンちゃんさんが忘れていた……とか。

 とりあえず電話には出なければ。そう決めた私は、スマホ画面の応答ボタンを押して、スマホを片耳の側に移動させる。

『栞!?!? よかったあ、出てくれた!』

 耳をつんざくような大きな声だった。電話の相手は、間違いなく私の知る玉谷楓さんである。

「……こんばんは、楓さん。申し訳ないのですが、もう少し声を小さくしていただけると助かります」

『あっ、ご、ごめん……安心してつい』

 楓さんは私に言われた通り、声量を小さくしてくれる。

「いえ。……あの。一つお訊きしたいのですが、楓さん、どなたから私の番号を聞いたんですか?」

『番号? そっか、栞に知らせてなかったっけ。実はサンちゃんに無理言って、栞の電話番号だけ教えてもらったんだ。どうしても内緒で栞に、すぐに頼みたいことがあってさ』

「私に、頼み事……」

 楓さんが、私に頼み事。しかも内緒ですぐに頼みたかったという。そんな大事な頼みを私に……なんだか責任重大な感じがする。

「お力になれるかは分かりませんが……どのような頼み事ですか?」

『それなんだけどね。少し相談があって、相談の内容は電話じゃなくて直接話したいから──明日また、家に行ってもいいかな?』

 スマホ越しに聞こえたその声は、出逢ってから今日までの楓さんのどんな声よりも深刻で、切実だった。



(五話完)

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