エピローグ 個々の問題が社会問題になっていくとき・・・
第44話 エピローグ ~ あとがきにかえて
大検にしても不登校にしても、今から約40年前は社会問題になっておらず、その存在さえもほとんど知られていなかった。
大検というのは、どうしても高校に行けない人がやむなく大学に行くために利用する制度だ、という程度の認識は一部にはあっただろうが、その実態は、教育関係者でさえもほとんど知る者はいなかった。もちろん都道府県の教育行政に携わっていた人たちはその存在を知っていたであろうが、それを利用すること自体を真剣に考えることはほとんどなかったであろう。
かくして大検は、1980年代半ばのセンセーショナルなテレビドラマで大いに世間に広まるまで、その実情や、ましてその積極的な活用法などが知られることもないままだった。それゆえ、高校を中退したり、あるいは不合格となったりしたが最後、今なら救われたであろう有能な若者が救われないまま終わってしまったケースも少なからずあった。
不登校にしてもそうだ。いや、こちらはもっと深刻な事態を招いていたことが容易に想像できる。当時は「登校拒否」と呼ばれ、単なる「ズル」や「仮病」の一種のようにしか思われていなかった。無理やり学校に来させようとか、はたまた、学校に来ている子どもたちを使って学校に来させようとしたりするとか、そういうことがままあった。それゆえの悲劇は全国で多々あったであろうし、その傷を今も負っている中高年者は、存外多いのではないだろうか。
「いじめ」に至っては、私に言わせれば犯罪以外の何物でもないと思うのだが、これまた、ようやく社会問題化しだした頃。
学校にいる子どもたちは、放っておいても「友だち」であって、「仲間」である。 それが「いじめ」などで特定の子どもを傷つけるなんてことはない。
そんな発想が、当時の大人たちにはまだあったように、私は思っている。だが、相次ぐ「いじめ自殺」やそれに伴う訴訟の増加、少年犯罪の凶悪化などは、そんな無邪気で善良な子ども像を信じてやまなかった当時の教育関係者をはじめとする大人たちの牧歌的・郷愁的な性善説を相次いで叩き潰していった。
今思い返すと、その経緯は、目を覆うような醜さよりむしろ、時代遅れとなったものが叩き潰されていく爽快感を伴うような要素を強く感じさせられるほどである。
「いじめ」については本書では論じていないが、これもまた、通信制高校の躍進の一因となっていることは明らかである。
そもそも「いじめ」のような問題が起こるのは、小中学校、それに「進級・卒業」をベースにした高校がほとんどであるといわれる。それが証拠に、「単位制」の通信制高校や大学などでは、いじめが起こるという話をほとんど聞かない。
大人の職場でもそのようなことは起り得るが、彼らはまだ、それに抗う術がある。だが、子どもたちの場合は、そうではない。
それゆえに、社会全体での取組が大人たち以上に必要であることは言うまでもないだろう。
これらに共通しているのは、「閉鎖的な環境」であるということ。
その「閉鎖性」を打破することが、「いじめ」の温床を根本から絶つことへとつながるのではなかろうか。
私は玉野市の真鍋照雄氏らとともに、大学入学後何年にもわたり、大検にはじまって不登校、高校中退者のための取組みにも微力ながら関わらせていただくこととなった。それは、私が第1章で述べたような少年期を送ったことと無関係ではない。
私たちの取組みは、確かに、その時々にマスコミなどに大きく取り上げられた。私でさえも、大検から大学に進学したということで、何度か取材が来た。
そうこうしているうちに、不登校や高校中退が相次いで社会問題化した。
不登校生にとって一番大事なことは何か?
それは、学習面の遅れを取り戻すための学習支援である。
高校中退者にとって最も必要なことは何か?
それは、次なる受入れ先、本人の視点からすれば「居場所」の確保と、さらに次へと進む道の提示をし、それに向けてサポートしていくことである。
私たちは、そこを十二分に意識して取り組んできたつもりではあるが、不十分なところもあったかもしれない。何よりも、私自身の未熟ゆえ、本当にきちんとした取組みができたかどうか、今思い返しても悔いばかりである。
それは何より、私自身の経験で受けた精神的な傷口をきちんと癒すことができていなかった、つまり、私自身が経験を糧に十分な表現力を持ち得なかったことに原因がある。
私が関わったとある左翼系団体の者たちのように、これは、少年期に関わった誰それや組織、あるいは社会のせい、政治のせい、・・・、というつもりはない。
今回はたまたま、大検(高認)と通信制高校の躍進が中心となったが、これからもまた、かつての大検や不登校、高校中退などのように、今まだ大きな社会問題となっていないことが社会問題となり、人々の認識が大きく変わっていくことも、いろいろなところで起こっていくに違いない。いや、実際、起きているではないか。
いわゆる「サラ金」はどうなったか?
かつてのような乱暴な取り立ては出来なくなり、利息制限法を超えた過払い利息は返還請求をすれば返還されるようになった。判例も確立した。
それを後押ししたのは、パソコン、それも表計算ソフトの普及が大きい。電卓では手間な計算も、表計算にかかれば、数値さえ打込めばあっという間に過払い金も利息も計算されてしまう。それをもとに、ワープロ機能を使って雛形通りに訴状を書けばよい。雛形なんか、ネット上にいくらもある。
その結果、単なる借金の減額どころか、むしろ過払いと称して多額のお金が返ってきました、という事例があちこちで発生しているではないか。法律事務所においても、着手金はいらないしむしろ交通費も出すから、そういう借金のある人は、なにはともあれ事務所まで来てね、そんなスタンスをとるところさえある。
生活保護にしてもそうだ。
かつては、行政からタダで金をもらうのは恥、のような意識があったし、今なお根強くある。生活保護受給者に対する社会の目が今なお厳しいのは、言うまでもない。
だがその一方で、それは今まで以上に権利として認識され、悲壮感もなくなりつつある。もちろん、仕事もしないで、月初めに保護の金が入ったとたんに気持ちが大きくなって、朝から大酒を飲んで・・・、という人も少なからずいるけれども、生活保護をベースとして、できる範囲で仕事をしつつ、苦しい中やりくりしている人もいる。
生活保護者は仕事をしてはいけない、などということはない。
市町村の然るべき事務所に申告することを条件に、働くことも可能である。というよりむしろ、保護を受けつつ働くことは、奨励されている。単に奨励されているというだけではない。働いて得た金額をそのまま保護費から削られるというわけではなく、一定の「褒賞」的な扱いもなされていて、仕事をすればそれだけ生活が楽になるようなシステムも充実しつつある。
これまでのような「生活保護者像」は大きく形を変えていくであろうし、世の中の認識もそれに応じて変化していくのではなかろうか。
昨今話題になることもある「ベーシックインカム」の制度にしても、「年金問題」も絡め、その流れの中で出てきたものであろう。「生活保護」という名目で貧乏人が金をもらうことの価値判断がどうこうという議論は、私たちみんながどのように仕事をし、どのような形でお金をもらって生活していくべきか、という議論へと変わっていく。そんな日が来るのも、そう遠くはないだろう。
とはいえ、このような変化に一番振り回されるのは、たいてい、社会的には「弱者」と呼ばれる側である。そのことは、時代が変わっても形を変えて繰り返されていることである。
もっとも、「弱者」故の立ち回り方や戦い方は、ちゃんとある。
そのために必要なものは何かと言えば、的確な情報と、それをもとにビジョンを明確にし、それに向かって行動していくための、一連の能力である。
そのことは、どんな社会問題であっても、その当事者にとって最も必要なものであると、私は思っている。
「全人教育」だの「愛情」だの、「同じ釜の飯を食った仲間」とか、そんな仲間ごっこのためにするような空疎な美辞麗句など、何の解決策ももたらさない。
そこには、社会問題として取組むべき余地は常にあるし、また、ビジネスチャンスさえもある。真鍋氏や私たちの取組みは幸か不幸か、大きなビジネスチャンスには恵まれなかったが、この流れの中、きちんとしたビジネスモデルを確立した人たちもいる。
ビジネスとして財産を築けたかどうか、これから築けるかどうか。
それについては、今は問わない。
しかしながら、社会が変わっていけば、私たちのような微力な取り組みであっても、それで救われる人もたくさん出てくる。その流れこそが、社会全体を発展させ、より住みよい社会へとしていく原動力となるのではないか。
元南海ホークス監督の野村克也氏が選手引退時に、
「20代の体力に、40代の知恵があったら・・・」
という趣旨のことをおっしゃったという話をどこかで読んだ記憶がある。
この言葉を私は、我がこととして痛感する。
それができていたら、もっと多くの人を救えたのではないだろうか?
文章を通じて、もっと多くの人に発信できたのではないだろうか?
そんなことばかり考えてしまう。
もちろんそれは今となっては後戻りできないことではあるのだが、そうであるがゆえに、悔いばかりが常に心をよぎる。最後の最後に、愚痴のような終わり方で申し訳ないが、これが私自身の「人生50年間」の総括である。
もっとも、幸いなことに、医療の発達に加え、食糧事情や居住事情のさらなる向上、それに伴う平均寿命の長期化により、人生50年で終わりというわけでもなくなった。
どうやら私も、この世でしばらくの間生きていけそうだ。幸い、年齢相応に元気に生きていける程度の健康は保てている。本書をきっかけに、まずは私自身が、これまで以上に世の人々のために何ができるかを真剣に問い返し、こういった形での、文章を通じて人々のお役に立てるよう頑張っていきたいと思っている。
これからも間違いなく、社会は大きく変化していく。これまで当たり前だったことが当たり前ではなくなり、当たり前でなかったことが当たり前になっていく。そんな事象が、いろいろな分野で、あちこちで、個人にも組織にも、そして社会でも発生していく。
しかし、その波に飲まれた人や、飲まれそうになっている人を救っていく人が、一人でも多く出て活躍していくことによって、社会はさらに、より良いものとなっていくであろう。1980年代、大検が社会に大きく認知され、それによってたくさんの若者が救われるきっかけを得られたように。
そこには、的確な情報を世に伝え、一人でも多くの悩める若者を救おうという意識と精神をもった人がいた。自ら情報を得て活用し、道を開いていった若者がいた。
インターネットが発達した今日においても、その意識と精神は、決して忘れ去られるべきものではない。
情報過多時代の今こそ、その意識と精神を真剣に問うべきである。
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