第43話 勉強は、いつからでも始められる

 定時制高校や通信制高校、それに加えて大検(高認)は、かつて、勤労青少年のための制度として社会を底辺から支えていた(大検はいささか様相が異なるが)。

 しかしこれらはどれも、昭和の終わり頃から急速に変質していった。


 私が高校生の頃(1980年代半ば)から見た1950~60年代前後の定時制高校生や勤労学生の話同様、いまさら昭和末期の「大学入学資格検定便覧」を読んだところで、今の青少年たちの進路決定には、何の役にも立たないだろう。


 そしてきょうび、ちょっとやそっとのことであれば、図書館や官公庁などに行かなくても、自宅のパソコンやスマホで、即座に情報は得られる。わからなければ、電話で問い合わせればいい。

 得た情報が疑わしければ、他の機関にも問い合わせ、それで情報をすり合わせて判断すればよいだけの話である。

 問題は、その情報をいかに使って自分自身の人生を切り開いていくかであり、情報を得ているだけで人より優位に立てるわけではない。そもそも、然るべき「学歴」を得ただけで、後の人生バラ色と相成るわけでもない。


 勉強は生涯続くものであり、続けるべきもの。

 特定の試験の合格などで終わる性質のものではない。私が定時制高校にいた3年間で学んだことは、一言で言えばこの通りだ。


 勉強は、いつからでも始められる。

 どんな形ででも、続けることができる。

 そして、いつまでも、続くものである。

 少なくとも、この世に生きている限り。

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