第9話 「天然女子」

「さてさて」


 クロウが目の前に並ぶ大量の雲龍を凝視しながらつぶやいた。

 あの滝から移動すること20分。建物から離れるようにして森の中を歩き続けた僕らは、とある場所にたどり着いた。通称〈繋ぎ目〉と呼ばれる場所で、この場所と空を直接つないでいる特別な場所だ。

 雲龍たちはここを通り、直接現実世界の空へと舞っていく。もう少し派手な場所だと思っていた僕は、予想以上のシンプルさに目を疑った。


「割と、シンプルなんですね」

「まあ、ここは現実世界とつながっているわけですから……」


 現実世界とつながっているため、そこまで派手に作れないらしい。直接こちら側がみられることはないそうだが、念には念を入れて、ということで簡素な造りにしているそうだ。

 それにしたって、と僕は思う。木の枝を適当に組み合わせた小さな門が〈繋ぎ目〉なんて、まるで秘密基地の入り口みたいではないか。


 〈繋ぎ目〉の先には、真っ青な空が見える。ところが不思議なことに、門の反対側から見ても門の向こうには空が見えた。つまり、正真正銘のワープ門なのである。


「どうだ、驚いたか」


 あのちょっとした意地悪をして以来、クルードは何かにつけて僕のマウントを取ってくるようになった。頭脳で勝てないことはもうすでに察したのだろう。そうなると、彼に残されているもの——しかも僕に勝てるもの——と言ったら、戦闘力とあの自信過剰さだ。

 で、いま僕には自信過剰さを主張してきている。


「今から、ここを通って雲龍たちが雲になります。私たちの仕事は、出ていった雲龍の人数、名前を把握し、チェックすることです」

「それって、当番制とかにしたら、楽なんじゃないんですか?」

「そう考える雲龍はウィスドムくらい。彼らは、規律に縛られることが嫌いなんです。当番も、一応ですからね」


 クロウ曰く、何曜日に誰が雲になる、なんて決まりはないらしい。今日は何となく雲になりたい気分、今日は寝床でぼーっとしたい気分、というもので決めているそうだ。大半の雲龍が望んで雲になっているから、非番の雲龍の方が少ないらしいが。


「そしたら、私たちは夕方までフリーです。まあ、細々としたものはありますが、それはとりあえず私がやります。後々教えましょう」


 「さあ、やりますよ」と言いながら、クロウは目を細めた。本当にこの数の雲龍を管理するつもりなのだろうか。さすがに把握漏れがあるような気がする。

 少し心配になった僕は、〈繋ぎ目〉に目を凝らした。いちいち数を確認しなくとも、門だけ見ていればある程度確認できる。なぜか雲龍たちは、この門をくぐる直前に名前を叫ぶのだ。


「ピクエノォ!」


 元気いっぱいの声を上げたピクエノは、翼を一振りして空へと飛び立っていった。僕は名簿の中からピクエノの名を探し、チェックをつける。その間にも次々と雲龍たちが飛び立っていき——。


「お疲れさま。どうでした、初勤務は」

「こ、これを毎日……?」

「今日はだいぶゆっくりだった方です。気を使ってくれていたんでしょうかね」


 にこっと笑いながら、クロウは僕の手からバインダーを取り上げた。三分の一ほどにチェックマークが付けられている。


「まあ、上出来じゃないですかね」


 そう言いながら、クロウは空欄の箱にどんどんチェックマークをつけていく。一分も経ってしまえば、箱はバツかチェックマークで完全に埋まっていた。


「初めてにしてはずいぶん頑張った方ですよ。普通、雲龍たちを見分けるので精いっぱいなんですから」

「普通って……ほかにバイト、いたんですか?」

「ふん、カラス、口滑らせたな」


 今日は非番らしいクルードが、面白がるように言った。クロウはそんなクルードのことを恨めしげに見上げ、すぐに僕へ視線を戻した。


「いえ、私の先代が、私に向かってこうおっしゃっていたんですよ。先代の頃は積極的にバイトを募集していたそうなんですがね」


 言い訳がましくクロウは言った。僕はそれ以上追及する気にもなれず、鉛筆をクロウに返して彼に背を向けた。


「夕方までフリーなんですよね?」

「そうです。ここをずっと西に行くと現実世界に出られますから……あ、そうだ。一つ頼まれてもらってもいいですか?」

「はい?」

「買い出しです。雲龍は何も食べないからいいんですけど、私たちの食料が尽きちゃいそうなので」

「あ、分かりました」


 僕は表の裏に書かれた買い物リストとお金を受け取り、クロウが示した方向へ歩き始めた。不思議なことに触れすぎたせいか、あのビル群を思い出すと妙な感じがする。あちら側が異世界であるかのようだ。


「あ、出た」


 なんとなく見覚えのある看板を見つけ、僕はそうつぶやいた。ここからはずっと道なりに進むだけだ。


「ん~、あれ、ここ、どこだろう……」


 その時、聞き覚えのある声が聞こえ、僕は顔を上げた。この道から少し外れた森の中を、誰かがさ迷い歩いている。今の発言から察するに、どうやら迷ってしまったようだ。


「あれ、君、」

「ぎゃあぁぁぁぁぁ!」

「!?」

「あああぁぁぁ……あ、なんだ、キリュウくんじゃない」


 突然の叫び声に僕はしばらくその場で固まっていた。いきなり人のことを見て叫ぶとか、いったいどういう神経をしているのだろうか。失礼にもほどがあるような気がする。


「キリュウくんじゃない、じゃないよ……。いきなり悲鳴上げてなんだよ」

「ごめんごめん。女の子を狙う変態かと思っちゃった」

「そりゃないぞ、涼風すずかぜ


 僕はそう言ってから、こちらに来るよう手招きした。確か、涼風が立っているあたりには、棘のついた植物が自生していたはず。


「いてててて」


 案の定、足を血まみれにしてやってきた涼風は、「痛い、痛い」とおどけた様子でつぶやいた。


(天然女子……)


 その言葉が彼女の性格をすべて表しているくらい、彼女——涼風咲綾すずかぜさあや——は天然である。別に頭が悪いとかそう言うわけではないのだが、なぜか常にアホみたいなことをしでかすのだ。


「なんでこんなところにいたんだよ」


 僕は嘆息交じりに問いかけた。すると、涼風はにっこり笑って答えた。


「山菜摘んでた」

「山菜?」

「うん。ほら見て! これ、食べれそうじゃない?」


 誇らしげに差し出してきたビニール袋の中には、確かに大量の山菜が入っていた。ゼンマイにワラビなどの有名なものから、見たことのないような……。


「……これ、毒じゃないっけ」


 おぼろげな記憶を引き出し、僕は袋の底の方に眠っている山菜を見つめた。見た目はザ・山菜だが、舐めるだけでしびれが走るほどの毒があるとか。


「え? そんなわけないじゃん! ほら、食べれるよ!」

「あ、馬鹿! よせ!」


 僕が止める間もなく、涼風は葉っぱを一枚ちぎって口の中に放り込んでしまった。次の瞬間、涼風は頬を引きつらせ、白目をむいて後ろ向きに倒れてしまった。

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