第7話 ヘルベ歴248年 2月11日 セージ村のノックス

 ノックスは不思議な人である。本人はセージ村からほぼ出た事が無く、この王子港が自身で見分した限りでは一番遠い土地であると言う。それなのにこのエルギカ風の執務室に案内された時にはそこの客人用のソファに座り、またその後に大王が来たと聞いた時にはすぐ立ち上がった。この田舎の男がなぜエルギカ風の礼儀作法を知っているのか聞きたくなる。普通のアペルドナル人ならばこのフカフカの絨毯に直接座っても不思議ではなく、実際にそうした王子港の商人たちもいた。

 また独り言の多い人でもあり、王子宮にて案内されてる時からずうっとブツブツ言っている。トルク語のアペル訛りなのはわかるが、時たまその中に何語が全くわからない単語も混じる。あと弟のアヴィンは立派な牙もあり、立っている時は堂々としていたが行動はやはり洗練されているとは言えず、よく指であちらこちらを指して人に聞いたり、キョロキョロしていた。それに比べて、背や人相は弟に劣るものの、ノックスの方は行動にも一定の品の良さが見えた。決して人や物を指差しせず、また一定の速度で歩き、急に立ち止まるようなことはなく、人と接触するときも物腰が柔らかかった。

「ノックスさんは不思議な人ですな」

 びっくりしたように書記官を見る。ノックスの表情は豊かだ。そこも好感が持てると書記官は思った。この大陸の王族や貴族には何を考えているのかさっぱりわからない人が多い。彼の主のホサンスもこの統一事業を始める時は表情豊かであり、色々と話していて楽しかったのだが、最近ではホサンスも言葉を少なくしており表情を読ませなくしている時が多くなった。

「ワタクシはただ普通の農民ですよ」

「いえいえ、普通の農民はまず『ワタクシ』とは言わないですよ」

 あ、しまったと言う顔を見る書記官は楽しそうである。このちぐはぐな感じはその昔ホサンスと話していた時と被る。

「別に悪い意味で言ったわけではありません。ホサンス様もノックスさんに何か感じることがあってこの宮殿に呼び戻したのも理解ができたまでです」

「ああ、そうなんですか、では」

 エッホンとノックスが大げさに咳払いをする。

「なぜ俺はここに呼び戻されたのでしょうか?」

「大王様にここに戻ってきてくださいと言われたときに何か理由を言われてませんか?」

「もっとじっくり時間をかけて話したいとは仰ってましたが、具体的には何をすればよいのかはまだ」

「私も具体的な話はわからないのでなんとも」

 と、ここまで話した所でドアの外でホサンスの入室が告げられ、ノックスはすぐソファから立ち上がった。

「ああ、いいぞ、そのままで」

 とホサンスが恐らくこの宮殿に前からあった執務室の椅子に座り。後ろに衛兵と文官が待機する。

「単刀直入に言う。俺に仕えろ」

「あ、え?」

「唐突なのはわかっているが、とりあえず色々な意見が欲しいのだ。旧支配層からの助言だけだと新しいことができない」

「はあ」

「もともと俺は政治に興味なぞなかったし、そのため今までのやり方を各地でそのまま継承していた。だがな、お前がいる。なら過去をなぞらずにだな、新しい試みとかもしてみたい。特に奴隷制はだめだ」

「しかし俺は田舎の出身で王都アペルのことさえ知りませんが」

「そこがよいのだ。農民として田舎からの視点で物事を見てくれ」

 なぜかホサンスはノックスを高く買っている。が、ノックスはそれでも仕えることを辞退しようとしている。なんでも最近ようやく農地の整備も終わり経営も順調になりつつあるらしい。

「なら無税にしてやるから、農地を誰かに任せてこっちにこい」

「いえ、無税は不味いです、そんなことになったら周りに何を言われるかわかりません」

「なんでだ、『大王』と呼ばれる俺の文官になるのだ。俺から給料をもらってそこから税金を払うのも不思議な話ではないか。今俺に仕えている奴らは皆無税だぞ」

「いえ、コメ七人分の税を払う必要が無くなったら確かに楽になりますが、村民からの視線が」

「はあ?! 七人分だと! おい、この話は本当か」

 ホサンスが隣の文官に聞くと、文官のオルジャーノンは正確に答える。

「いえ、税金は四人が一年間食べる分量のコメです」

「ほう」

「ですが、それ以外に三人が一年間食べる分量のコメを徴収しています」

「なんだそりゃ」

「旧王族の酒造り用にコメが必要なので」

「王族の専売制の酒か」

「そして、スアドリ様の調査によりますと、徴収した税金の分のコメも約一人分は酒造りに回され、実際本当に食べられているのは二人分くらいだと」

「あと一人分は?」

「おそらく鼠や虫の被害とか、カビの被害などで廃棄されてます」

 ノックスは放心した感じでこの会話を聞いている。が、この話は本当であろう。アペルドナルの民の酒の需要は巨大なものだ。アペルや王子港での人々の酒の飲む量は極めて大きいし、オルジャーノンによると最近は酒をコリーやエイデンに輸出しているらしい。ヘルベの民も酒を良く飲むがここまで飲むのはアキタの民くらいであろう。もっともアキタの酒飲みは喧嘩っ早いことで有名だが。逆にアペルの人たちは笑いながら飲むことが多い。

「おい、これを聞いてなお田舎に引きこもると言うのか?」

 ホサンスがノックスに向き合って言う。

「いえ、ワタクシも現状を変えたいとは思いますが、ワタクシにそんな大役が務まるとは」

「しつこいな。よし、まずはこの話がどこから始まったから知ってから決めろ」

「はあ」

「今日はここに泊まれ、そんで書記官からなぜ俺が大陸統一を始めたのか聞け」

「え」

「で、また村に帰って仕事をして、一段落したら戻ってこい。戻ってこなかったらまたゴルミョを送るからな」

「う」

「話を全部聞き終わったら、耳学問にせよこの大陸のことを一通り知ったことになる。そこにお前の知恵を足して俺らでここの政治を変えるぞ」

「はあ、わかりました」

 ノックスがため息とともに大王の提案を受け入れた。と、言うか受け入れざるを得なかった。

 そして大王が政務を取るのでノックスが執務室を退所した。その帰りぎわホサンスがノックスの農場で現在どのくらいのコメが取れるかノックスに聞いたら、約十五人が一年間食べる分量のコメが取れると答えが帰ってきた。これは驚くべき量である。しかし、それを半分近く徴収するとは。旧アペルドナル王国の税金はかなり高かったと思われる。ノックス自身も「ほぼ五公五民だしな、もともとの税は三公七民未満だったのか」とかぶつぶつと王子宮の執務室を出て行ったあとの廊下で言っていた。

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