Stage.9 Restart

「あー、ヒマねえ」

 放課後のハードロック同好会の部室。


 我らが会長、青柳麻弥が会長専用に使っているパイプ椅子に腰かけ、両足を大きく前に伸ばしながら愚痴ったその一言が、今の俺たちの状況を最も端的に言い表していた。


 盛大な祭りは、盛り上がれば盛り上がるほど、それが終わった後に何とも言えない寂寥感が漂うものだ。


 まさに、今の俺たちがそれだった。

 このハードロック同好会を存続させる為に、懸命にバンド練習をして、そして目指していた学校祭の音楽コンテストで文字通り「弾けた」末に、「燃え尽きた」のだ。


 結果的には「失格」扱いになり、「停学」にもなったが、メンバー全員に後悔はなかった。


 だが、それだけに目的を達成した今は、新しい目標がなかった。


「そうですねー。また4月の時に戻ったみたいですね」

 そう返答し、会長に目を向ける白戸凛も、

「まあ、私たちはやれるだけのことはやったんだし、後悔はないだろ。後は卒業するだけだ」

 口ではそう言いながらも、部室の隅に置いてある愛用のベースが入ったソフトケースに、寂しそうな眼差しを向ける黒田沙織もここにはいた。


「ていうか、ヒマなら勉強しろよ。いくらエスカレーター式で大学に入れるって言っても、推薦枠に入らないと、行けないぞ」


 もちろん俺、赤坂優也もいつも通りの冷めた日常に戻っていた。


 そう、この場には俺とは同じクラスの一年生、金山加奈の姿だけがなかった。


 彼女は放課後、少し用事があると言って、どこかに行ってしまった。


「うっさいな。わかってるよ、そんなこと」

 不満げに、その特徴的な猫のような口を尖らす麻弥姉。


 その彼女のことを少し話そう。

 あの学校祭の音楽コンテストの直前に、ほとんどプロポーズに近いセリフを幼なじみの彼女に発言してしまった俺は、学校祭が終わって、停学が明けてからすぐに彼女と付き合うことになった。


 いや、正確には強引に「付き合わされた」が正しい。

「優也は自分の発言に責任を持って、あたしと付き合うこと」

 あの後、彼女は有無を言わせない命令口調で、俺にそう迫った。


「そんなこと言っても、あれは言葉のアヤというか、その場の勢いというか……」

 いきなり言われて、逡巡した俺に、彼女は容赦のない一言を浴びせてきた。


「あ、そう。なら、いいよ。あんたがあたしに言った恥ずかしいセリフと、あたしをもてあそんで捨てたって全校に言い触らしてやるから。ついでにインターネットで呟いて、全世界に晒してやるから」


 という感じで相変わらず、無茶苦茶な理屈の麻弥姉だったから、仕方がなく俺は了承するしかなかった。


 まあ、ぶっちゃけて言うと、断るのも面倒だし、告白じみたことをしたのも事実だったから、というのもある。


 それに、こんなことでインターネット上や学校中に俺の悪評が広まり、校内で女子生徒に後ろ指を差されるのも嫌だった。


 我が校は、音大付属高校だから、男女比で言うと、女子の方が多い。つまり、そういう悪い噂も一気に広まる。


 だが、やはり幼なじみというのは、実は微妙な間柄だ。

 なまじ互いのことをよく知っているだけに、付き合ったところで、二人の関係がいきなり劇的に変化するわけではない。


 結局、俺たちは部員全員が知っている公認カップルにはなったが、正直言うと付き合う前と全然変わってはいなかった。


 今さら「麻弥」と呼ぶのもしっくりこないから、俺は彼女を未だに「麻弥姉」と呼んでいた。


 そんなわけで、学校祭が終わり、停学も解除になり、麻弥姉と付き合い始めてから二週間経って10月下旬になっていたが、俺たちの関係は相変わらずで、部員も暇を持て余しつつも、普通の高校生活に戻っていた。


 が、この日の夕方近くになってから、平穏な日常は終わりを告げることになる。

 日が傾くのが早くなり、夕方の5時より少し前に白戸先輩が部室の電気を点け、カーテンを閉めた。


 次の瞬間、部室のドアを勢いよく開けて入ってきた少女は、金山さんだった。


 彼女には珍しく、息を切らせて慌てて走ってきたようだった。


「どしたの、カナカナ。そんなに慌てて」

 麻弥姉を始め、俺も含めて部員全員が彼女に注視する中、金山さんは、

「みなさん、大変です! これを見て下さい!」


 そう大きな声で言い放ち、自分の顔の前に携帯電話の小さなディスプレイを掲げた。


 全員が集まって、その小さな画面に見入ると。


 それは、インターネットの大手動画投稿サイトであり、そこには見たことのあるシーンが映っていた。


「これは、音楽コンテストの時のか?」

 黒田先輩が真っ先に気づき、後輩に尋ねる。


 なるほど、確かにあの熱い音楽コンテストの時の映像がしっかり収められていた。

 改めて、自分が演奏している姿を客観的に映像として眺めると、結構恥ずかしいものだ。


「そうです。どうも生徒の誰かが撮っていたらしいんです」

「でも、別にこれくらいじゃねえ。今の時代、珍しくもないでしょ」


 麻弥姉が、どこか寂しそうに諦めきったような表情で口にするが、

「違うんです。見て下さい、この再生回数とコメントを」


 金山さんは、やけに興奮した様子で、映像をフルスクリーンから通常モードに戻した。

 映像が映っている左下に記されている再生回数がとんでもないケタを示していた。


 公開日が三日前にも関わらず、30万件以上という数字、そしてコメント欄には俺たちを賞賛する言葉が100件以上も並んでいた。


「うわあ。すごいですねー」

 大金持ちの娘で、大抵のことには驚かない白戸先輩が珍しく目を丸くしていた。

「思った以上に、注目されてるんだな。まあ、演奏が成功してよかったじゃないか」


 黒田先輩は相変わらず冷静に事実だけを受け入れている。

 そして、リーダーは。


「えっ。マジ! これってヤバいんじゃない。もしかしたら、メジャーデビューもあるかも!」

 と、大袈裟に満面に喜色を浮かべている。


 だが、俺は。

「麻弥姉。そんなことあるわけないだろ。そう簡単にいくわけがない。お前、音楽をナメすぎだ」

 麻弥姉の、あまりにも単純な浮かれ具合に釘を刺す。


「何よ。あんたはメジャーデビューしたくないの?」

「そうは言ってない。この程度でいきなりデビューなんて無理だと言ってるんだ」


 麻弥姉が俺の言い方に対し、つまらなさそうに口をへの字型に曲げているのを見て、

「麻弥。残念だが、赤坂の言う通りだ。世の中には掃いて捨てるほどバンドがあるんだ。私たちくらいの演奏ができるバンドなんて、いくらでもいる」


 黒田先輩までそう厳しい口調で言い放ったから、麻弥姉は尚も面白くなさそうに口元を歪めた。


「でも、そう悲観するものでもないと思いますよ。三日でこの再生回数は驚異的です。どこで誰が見て、注目しているか、わかりませんから」

 金山さんが尚も興奮気味に、上気したような表情でそう口走ったのが印象的だった。



 それから三日後のことだ。

 いつものように、放課後に部室で、特にすることもなく、ダラダラと無駄な時間を浪費していた俺たちだったが、その日は珍しく最初から麻弥姉の姿がなかった。


「黒田先輩。麻弥姉はどうしたんですか?」

 部室で、愛用の黒いエレキベース「Gibson Grabber2 Stain Ebony」にアンプを繋げずに、ピックで弾いていた彼女に聞いてみると、

「ああ。麻弥は用事があるから、今日は来れないらしい」

 ベースを弾く手を止め、彼女はそれだけを口にした。


 珍しいこともあるものだ。そう思ったが、仮にも「彼氏」の俺に一言も説明がなく、勝手に部室に来ないで、用事とやらをしている麻弥姉のことが気になった。


 夕方6時頃。そろそろ活動―と言っても今は何もしていないが―を切り上げて、俺たちは各々帰り支度を始めていた。


 その時、不意に黒田先輩の携帯が鳴った。

「ああ、麻弥か。どうした?」

 いつものように、冷静な声で何気なく電話に出る彼女。俺たちは彼女に注視する。

 だが。


「何だと……。ああ、わかった。これからみんなで行く」

 珍しく、少し驚いたように、眉をひそめた黒田先輩の姿が少し気になったが、彼女はすぐに電話を切った。


「どうしたんですか、沙織先輩?」

 白戸先輩がいぶかしげに尋ねる。

「ああ。麻弥からだ。重要な話があるから、今からみんなで近くのファーストフードに来てくれてって」


 黒田先輩は、短くそれだけを告げると、早くも帰り支度を始める。


 俺と白戸先輩、金山さんの三人は、それぞれの思惑を胸に抱えたまま、とりあえず黒田先輩が麻弥姉から指示されたファーストフードへ向かうことになった。


 四人で連れ立って、部室を出て、校門を離れ、向かった場所は学校に程近い御茶ノ水駅近くにある某ファーストフード店だった。


 それぞれが適当にカウンターで注文し、二階に上がると、窓際のテーブル席に彼女の姿を見つけた。


 だが、どうも様子がおかしい。

 どこかそわそわしていて、落ち着きがない様子な上に、時折一人でニヤニヤと頬を緩めている。ちょっと不気味だ。


「麻弥姉」

 俺がみんなを代表して声をかけると、彼女は、

「あ、来たね。座って、座って」

 妙に明るい声を上げる。


 とりあえずみんなでそのテーブル席に座って、彼女に注目する。

「みんな、どうしよう? あたし、誘われちゃったんだよ」


 相変わらず、話が抽象的すぎて、よくわからないが、彼氏の俺としては「誘われた」の部分にどうしても反応してしまう。


「もしかして、ナンパでもされたのか? 誰だ、そいつは?」

「はあ。何言ってんの、バカ優也」

「バカとは何だ。人がせっかく心配してるのに」


 そんな俺たち二人のやりとりを見ていた黒田先輩が、少し呆れたような声を上げた。

「赤坂。自分の彼女のことを心配するのはわかるが、落ち着け。で、麻弥。どういうことなんだ?」


 すると、麻弥姉は大きな目を輝かせて、こう口にした。

 それはみんなの創造を上回る内容だった。

「ライヴハウスで演奏してみないかって、誘われたってこと」


「ライヴハウスで?」

「そう。えーと、確か『ブッキング・マネージャー』とか言ったかな。新宿の『Star Dustスター・ダスト』っていうライヴハウスの偉い人らしいんだけど」


「マジか?」

 黒田先輩が、珍しく喜色を面上に浮かべて聞き返した。


「もちろん。みんな、これを見なさい!」

 麻弥姉は財布から一枚の名刺を取り出し、机の中央に置いた。

 覗いてみると、そこには確かに、


「Star Dust ブッキング・マネージャー 茶野健太ちゃのけんた


 と記されていた。

 俺たちは、それぞれその名刺に見入り、感嘆の声を上げる。


「本物だ」

 俺がまず声を上げ、

「すごいですねー。でも、ブッキング・マネージャーって何ですか?」

 と白戸先輩が相変わらずのんびりした声で、

「ライヴハウスか。いいですね。今度はちゃんとしたところで歌えるってことですよね?」

 と金山さんが明るい声を上げて、表情を緩める。


 そして、黒田先輩は。

「ブッキング・マネージャーってのは、コンサートやライヴで、イベントに相応しいアーティストやバンドを呼んで、企画やプロモーションをする仕事だ。しかも、『Star Dust』はこの業界では結構有名だぞ」


 いつも冷静な先輩にしては、珍しいほど興奮気味に早口で説明している。彼女もやはり内心は嬉しいのだろう。


「どう? すごい話でしょ。この『チャノケン』さんが、あたしたちの音楽コンテストの映像をインターネットで見たらしいのよ。で、是非一度来てくれって」

 麻弥姉ももちろん、興奮を抑えられないように、身を乗り出して答える。


 どうでもいいが、そんなライヴハウスの偉い人に、勝手にあだ名をつけるな、と思うが。


「とりあえず、メンバーと相談してから行きます、とは言っておいたけどね」

 強引で、人の話を聞かない彼女にしては、珍しくまともな判断だ。


 だが、確かめるまでもなく、俺たち全員の答えは「YES」だ。

 音楽コンテストの終了によって、完全に終わったと思っていた音楽を、バンド演奏を、また再開できるのだ。


 内心、くすぶっている気持ちを抱え、やりきれない日々を送っていた俺たちに反対意見はなかった。


「すごいよね。もうこのままメジャーデビューしちゃうかもね。将来は何十億も稼ぐセレブになっちゃったりして」


 明らかに気が早く、うっとりと妄想モードに入り始めた麻弥姉を、親友の黒田先輩は、

「相変わらず麻弥は甘いな。所詮はインディースバンドのライヴ演奏だろ。しかもハコで演奏するってことは、金もかかるし、売り上げを回収できなければ、常に赤字なんだぞ。それで解散するバンドはいくらでもいる」


 と、しっかり釘を刺している。ちなみに「ハコ」とは業界用語でライヴハウスのことを言う。


「大丈夫! 常にロックな演奏をして、バーンと客を呼べばいいんでしょ。学校中にチラシ配って呼んでやるから」

 麻弥姉の回答は、何とも大雑把で抽象的だ。しかもそんな擬音なんか使っても、説得力がなさすぎる。


「お前は相変わらず適当だな。具体的な戦略とか、方向性とかはないのかよ。それに受験勉強はどうするんだ? お前、成績悪いだろ?」

 俺がそう水を差すと、彼女は明らかに不機嫌そうな表情を俺に向けるのだった。


「うっさいわね。ロックと受験、どっちが大事だと思ってんのよ、あんたは?」

「そりゃ、受験だろ」

「はあ。ロックンローラーが言うセリフじゃないわね」


 そんな俺たちのやりとりを見て、残りの三人は笑顔を見せた。

 ただ、麻弥姉の成績が悪いのは本当のことだ。


 いくら音大付属高で、エスカレーター式で大学に入学できると言っても、必要最低限な推薦枠というものがあり、そこに入れない生徒は、付属大学には行けないのだ。


 麻弥姉の成績はその推薦枠にすら入っていないことを俺は知っている。

 ちなみに、黒田先輩は常に成績優秀だ。彼女はある意味、天才だから何でもソツなくこなしてしまう。


 白戸先輩も勉強は得意らしく優秀だし、金山さんは帰国子女だから、英語の成績が飛び抜けていい。


 俺は俺で、普通に当たり障りのない無難な成績を保っていた。


「まあ、お前が大学行けなくて浪人しても、俺は知ったこっちゃないけどな」

「冷たい彼氏ね。まあ、いいわ。明日の放課後に早速みんなでライヴハウスに挨拶に行くからよろしくね」

 その彼女の一言で、その日はお開きとなった。



 翌日の放課後。

 俺たち五人は早速、件のライヴハウス『Star Dust』に向かった。


 場所は新宿駅の東口、正確には地下鉄の新宿三丁目駅に程近い一角にあるビルの地下一階だった。新宿駅からは徒歩五分ほどの場所だ。


 外見はどこにでもある、平凡なライヴハウスだ。

 地下へと続く階段の両脇には、ライヴ演奏の告知を示す様々なポスターが貼られ、地下に降りると受付があり、その向こう側に、いかにも重そうな防音ドアがあった。


 平日の午後4時頃ということもあり、まだ今日の公演は始まっておらず、場内はひっそりと静まり返っている。


 麻弥姉は受付に座っていたバイトらしき若い男に、ブッキング・マネージャーを呼んで欲しいと告げた。男は控え室に入っていく。

 間もなく現れた男性は、年の頃は30代後半くらい。


 大柄な体格で、口の周りに薄く髭を生やし、頭をスポーツ刈りにまとめた清潔感のある人物だった。


「おお、青柳さんとそのバンドか。よく来てくれたな。まあ、入れ」

 軽いノリで男はそう告げると、いきなり俺たちを重い防音ドアの向こうに招き入れた。


 そこにあったのは、ひっそりと静まり返った無人のライヴハウスのステージだった。


 中央には一通りワンバスのドラムセットがあり、両脇には俺たちが演奏に使うものよりも、はるかに大きい『Marshallマーシャル』製のアンプが四つほど鎮座している。

 その上にはスポットライトがステージの端から端まで等間隔にいくつも並んでいる。


 そして、ステージ後方の壁には『Star Dust』の大きな文字が記されている。

 ステージの床は、黒と白のチェッカー柄で綺麗にまとめられている。


 俺は、ライヴハウス自体来るのが初めてだったから新鮮だった。

 ステージの大きさは思っていたよりも大きいと感じたし、客席のスペースも軽く100人以上は入るだろうという広さがある。


 ライヴハウスというのは、もっと小さいものを想像していたので、面食らっていると。


「どうだ? ここが君たちが演奏する舞台だ。悪くないだろう?」

 ブッキング・マネージャーが麻弥姉に声をかけた。


「はい。悪くないどころか、思っていたよりもずっと広くて綺麗ですね」

「そうか。気に入ってくれて何よりだ」

 彼はそう告げると、俺たちに一通りライヴハウスについて説明してくれるのだった。


 彼によると、ステージの広さは約41平方メートル(約12.4坪)。最大収容人数は何と500人にもなるらしい。


 これはライヴハウスでもかなり大きい部類に入る。

 こんなところで演奏できるのは、確かに光栄なことではある。


 実際、俺以外のメンバーもこの大きさには少なからず驚いているようだった。

 俺たちは、続いてこのブッキング・マネージャーにより控え室に案内された。


 与えられたパイプ椅子にそれぞれが座り、まずは一通りの挨拶が行われた。


「青柳さん以外は初めてだな。俺はこの『Star Dust』のブッキング・マネージャーをやっている茶野健太というものだ。仲間内からはよく『チャノケン』とか言われてるけどな」


 そう言って笑顔を見せる茶野さんは、とても気さくで、明るく、好感の持てる人物だと思った。どうやら『チャノケン』とは、麻弥姉が勝手につけたあだ名ではなかったらしい。


 俺たち全員が一通り、彼に自己紹介をすると、茶野さんは、

「早速だが、君たちにはクリスマスのライヴに出演して欲しい」

 といきなり本題に入った。


「クリスマス、ですか?」

「ああ。君たちの学校祭の演奏がネット上で大きな反響を呼んでな。本当はすぐにでもやって欲しいんだが、色々と準備もあるだろう。とりあえずまずはクリスマスに開催されるライヴに参加して欲しい」


 茶野さんにそう言われ、メンバーのみんなは興奮したように、面上に喜色を表すが、次の茶野さんの説明は、バンド演奏の現実を突きつけるものだった。


 彼の説明はこうだ。

 このライヴハウスでは、出演バンドにノルマが課せられており、最低でも一回のライヴに30人は入らないと、ノルマが達成できない。ということは元が取れないということだ。


 チケットは一枚につき1500円。これを30枚売ると45000円。

 逆に言うと、客が一人もいない場合は45000円の赤字で、それをバンドの全員で払わないといけなくなる。


 俺たちのバンドは五人メンバーだから、一人当たり9000円の出費になる。

 大抵のライヴハウスではこうしたノルマ制を課しているが、実際問題として、これは結構大変なことらしい。


 単純に考えれば、知り合いを30人呼べばいいのだが、みんなそんなに知り合いはいないだろうし、呼んだ人が必ず来てくれるとは限らない。


 しかも毎回そんなノルマを課せられる。

 黒田先輩から聞いた話では、実際に名の知られていない素人バンドの場合、人が集まらず、赤字分を毎回バンドのメンバー全員で払っているうちに、嫌気がさしてやめてしまうバンドも数多くいるという。


 また、初回のみは知り合いも珍しがって来てくれるが、二回目以降は途端に人が来なくなるバンドも多いという。


 ただ、楽しく演奏していればそれでいいというものではなく、ライヴハウスで演奏するということは、店としても収益的に損をしないためのシステムらしい。


 つまり、今までとは違いビジネスの話になるわけだ。

 俺は、麻弥姉のように楽観主義でもないし、ボジティブな思考回路も持っていないので、出演できて素直に喜べるという気持ちよりも、不安の気持ちの方が大きくなっていた。


「ところで君たちのバンド名は何だ? 『ハードロック同好会』でいいのか?」

 そんな茶野さんのセリフで、俺は思考の世界から現実に戻された。


「えーと。ちょっと待って下さい。実はまだ正式には考えていないんですよ」

 麻弥姉は少し困ったような顔で答えていた。


 『ハードロック同好会』ではダメなのか、と一瞬思ったが、恐らく彼女にはバンドのリーダーとしての考えがあるのだろう。

「そうか。なら、できるだけ早く考えてくれ。こっちもホームページに情報をアップしないといけないからな」

「はい。わかりました」


 茶野さんとはその後、クリスマスライヴに出演する旨を告げて、改めて「よろしく」と言われ、解散となった。



 ライヴハウスから出ると、俺は気になっていたことを彼女に聞いてみた。

「麻弥姉。『ハードロック同好会』じゃダメなのか?」


 すると、彼女は意外なことを口に出した。

「バカね。あたしやさおりんが卒業したら、もうあたしたちは『ハードロック同好会』のメンバーじゃないでしょ。卒業後もやるんだから、それじゃ変じゃない」


 まあ、それには一理あるが、彼女がそんな先のことまで考えているとは思わなかった。


「それにしても、ノルマですかー。ライヴハウスで演奏するって大変なことなんですねー」

 言葉とは裏腹に、少しも緊張感のない口調と表情で白戸先輩が呟いた。


「そうですね。私、日本よりもアメリカに知り合いが多いので、そんなに知り合い呼べないんですよね」

 と金山さんは少し不安そうだ。


「だから言っただろ。ライヴハウスで演奏するってことは、そんなに甘くないんだ。あくまでも客ありきの商売だからな。客がいなけりゃ、いずれは解散だ」


 黒田先輩は相変わらず厳しい現実を、冷静に事実として受け止めている。

 しかし、我らがリーダーは。


「大丈夫! 何とかなるって。がんばってそのうち、インディースCDとか作ったらさ、人もいっぱい来るって」

 相変わらず根拠のない、楽観的な声を上げて、笑顔を見せる。


 まあ、リーダーが悲観的でマイナス思考ではメンバーの士気にも関わるから、これはこれでいいのだが。


 最後に、

「とりあえず来週、部活でバンド名とやる曲を決めるから、みんな考えておいてね」

 という麻弥姉の言葉で、その日はお開きとなった。


 終わったと思っていたバンド活動が再開したのは、いいニュースではあったが、俺たちの前途はやはり多難だった。

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