Stage.7 学校祭

 10月13日、日曜日。

 ついにその日が来た。


 今日は我が東帝音大付属高の学校祭二日目だ。


 この日の午後から、音楽コンテストが体育館で開かれることになっていた。

 参加部活と同好会は、参加順に以下の通りに決められていた。



1. 吹奏楽部

2. 合唱部

3. 創作ダンス部

4. メタル研究会

5. 軽音楽部

6. ハードロック同好会



 俺たちは最後のトリを務める重要な役どころだった。


 時間的には夕方の5時頃の出演となる。

 俺たちは最終の準備の為、早めの午後1時にはすでに体育館の舞台裏にある、控え室に集まっていた。


 実際に行ってみると、残念ながら麻弥姉の姿はなかった。


 結局、俺の説得後、彼女は一度も部室に来ていない。

「やっぱり麻弥は来てないか」

 明らかに落胆の色を見せる黒田先輩。


「まさか本当に麻弥先輩が来ないなんて……」

 白戸先輩も、そして、

「私たち、どうなるんでしょうか?」

 さすがに金山さんも不安に顔を曇らせる。

 だが、


「いえ。大丈夫です。絶対に来ます!」

 俺だけは彼女を信じていた。


 あれだけのことはしたし、彼女が簡単に約束を破るとは考えられない。

 説得の結果がどうであれ、彼女は必ず来るはずだ。


 ところが。

「ふーん。お前のその自信はどこから来るんだ? やっぱりアレか?」

 黒田先輩が珍しく、口元にニヤけたような笑みを浮かべて聞いてくる。


「アレですねー、きっと」

 白戸先輩まで面白がって、便乗する。


「アレだねー」

 金山さんも、同じように便乗して来る始末だ。


「何だよ、アレって?」

 俺が不審げに口を開くと、三人揃って、


「愛だね」

 と言ったので、俺は目を逸らし、

「ち、違う!」

 と、必死に否定していた。


 全く女の勘は恐ろしい。

 そうして控え室で固まっていると、陰気な視線を感じた。


 この控え室には、音楽コンテストに参加する部や同好会などが集まっている。


 もちろん、嫌な気配の正体は軽音楽部部長の黄瀬だった。

 黄瀬はつかつかと近づいてきて、黒田先輩に向かって、嫌味ったらしく口を開いた。


「青柳はどうした? お前ら、青柳抜きで参加するつもりか?」

「お前には関係ない。邪魔だ、消えろ」

 明らかに不機嫌なオーラを全開にして、黄瀬を切れ長の吊り目で睨みつける先輩は、さすがに怖いし、女とは思えないような迫力があった。


「んだと、コラ!」

 たちまち、一触即発の険悪なムードが控え室全体に漂うが、そのムードを俺が静かな声で打ち破った。


「麻弥姉は来ます。絶対に、来ます」

 だが、黄瀬は俺を一瞥すると、

「全くおめでたい奴らだな」

 と吐き捨てるように言い放った。


 さらに、金山さんを見て一言、

「お前ら、一人増えたのか? だったらデートは四対四だな。こいつは盛り上がるぜ」

 と、ちゃっかり金山さんまで、頭数に加え始めた。前回対峙した時には、まだ金山さんはうちの同好会には加入していなかったからな。


「ま、せいぜい結果を楽しみにしていろ」

 そう吐き捨てるように言い放ち、去って行った。


 とりあえずこうしていても仕方がない。

 俺はみんなに、用意した衣装に着替えることを提案する。


 これは、俺が自分のアイディアを押し通した衣装だった。

 夏祭りで女装させられ、散々嫌な思いをした俺は、麻弥姉に復讐すべく、この策を考えたのだ。


 その策とは、「男装」だった。

 女装させられた復讐としては単純だが、もちろんそれだけではなく、彼女たちをロックンローラーに見せる為にも考えた。最もかなり趣向を凝らしていたが。


 麻弥姉が不在の間に考えたのだが、一時的に会長代行となっていた黒田先輩からは同意を得ていた。


 男性陣、と言っても俺一人だが、と女性陣三人はそれぞれ男子トイレと女子トイレに分かれて着替えを始めた。


 やがて、俺も含め、各々が着替えを済ませて、控え室に戻って来た。


 黒田先輩は、上下とも学ラン姿で、頭には長い髪を隠せる鍔の広い帽子を深々と被っている。これは俺の中学時代の学ランを貸したのだが。


 元々、身長が高い彼女には不思議とよく似合っていたし、サイズまでピッタリだった。

「わあ、カッコいいですね、沙織先輩」


 そう、興味深げに声を弾ませる白戸先輩は、野球部の白いユニフォームに、黒いシャツ姿。


 これは野球部に頼んで借りた。帽子はないが、背が小さい彼女はちょっとした野球少年に見える。


「そういう凛先輩も似合ってますよ」

 金山さんは上下とも警察官の制服だ。それも婦人警官ではなく、あえて男物の青い上下の制服を、近所の量販店のパーティーグッズコーナーで買ってきた。


 そして、俺はというと、大好きなカート・コバーンになっていた。


 ブルージーンズに、白の柄物シャツ。その上から黒のジャケットを着込み、さらにこれもパーティーグッズの金色の長髪ウィッグを頭に被せていた。


 ちなみに、麻弥姉はシンプルに、黒いレザージャケット、レザーパンツ、そして髪を隠す帽子と、ライダースーツみたいな格好を選んでいる。


 俺としては、これは復讐のつもりだったのだが、元々がロック好きな、どちらかというと男っぽい気質を持つ彼女たちは、さして抵抗することもなく、これらの衣装を受け入れていた。


 これだけ見ると、コスプレをした、ただのコミックバンドにしか見えないが、せっかくなので、普通に男装をしてもつまらないと思った俺の考えだった。


 どうも楽しければいい、という麻弥姉の発想が移ったのかもしれない。


 さらに俺は、麻弥姉不在の間に、ある「仕込み」をしていた。


 それは、放送部にいる友人の紺野翔太こんのしょうたに頼み込んだものだ。


 紺野は俺と同じ普通科の一年で、当日は放送部に留守番みたいな形でいるらしく、つまらないから、面白そうな俺の策に乗ってくれる、と言ってくれた。


 まあ、その「仕込み」については、後でのお楽しみだが。



 そして、ついに午後2時30分。

 音楽コンテストが始まった。

 最初は吹奏楽部、続いて合唱部がステージに上がった。


 この二つの部は、可もなく不可もなくという印象を持ったが、それでもさすがに音大付属高。全体的にレベルは高いものだった。


 元・合唱部の金山さんは、古巣の仲間たちの歌声をステージ袖で熱心に聴いていた。

 続く創作ダンス部は、どちらかというと、このステージでは異質だった。


 ダンスは音楽というより、むしろ演技に近い性質上、どうしてもそうなるが、それでもさすがに練習をこなしているようで、一糸乱れない統率の取れたステップは見事なものだった。


 次のメタル研究会は、我がハードロック同好会と似てはいるように見えるが、どちらかというとヘヴィ・メタルでも、デスメタルのようなものに特化している。


 ひたすら大音量の爆音を響かせているだけで、正直評判は芳しくはなかった。


 そして、例の軽音部だ。

 次が俺たちの出番ということもあり、俺たち四人はステージの袖に隠れるように入り、垂れ幕の間から彼らの演奏を見学した。

 が、彼らの演奏は俺たちの予想を上回っていた。


 ヴォーカル兼ギターの黄瀬が、

「お前ら、行くぜっ!」

 とマイクを前にして気勢を上げると、演奏が始まる前から、観客は大きな歓声を上げていた。


 メンバーは黄瀬以外にベース、ドラムスの三人組で全員男だ。

 何を演奏するか注目していると、一曲目は『Green Day』の『American Idiot』だった。


 この曲は、キャッチーで勢いもあるから、自然と客席は盛り上がる。

 それを見ていた三人のコメントは、人それぞれだった。


「こいつら、上手いぞ。どうやら口だけではないらしいな」

 黒田先輩が、感慨深く口に出し、

「うーん。私もやりたかったなあ、『American Idiot』」

 白戸先輩は、のんきそうな口調で、今さらそんなことを口走っていた。


「でも、もしやってたら被っちゃってましたよ」

 金山さんが白戸先輩の発言に応じる。


 ギターの俺から見ても、黄瀬の演奏はなかなかのものだと感じた。


 リフも、カッティングも、きちんと基本ができている上に、速弾きでもほとんどミスがない。

 改めて恐ろしい相手だと感じた。


 一曲目ですでに客席は盛り上がっており、MC後の二曲目に入ると、観客の興奮のヴォルテージはさらに上がっていた。


 二曲目は『Bon Jovi』の『Have A Nice Dayハヴ・ア・ナイス・デイ』だった。

 これも一度聴くと、耳に残るロックナンバーだ。


 ジョン・ボンジョヴィの声は、特徴的なガラガラ声のハスキーボイスに近いが、黄瀬はそれすらも真似ており、しかも違和感がそれほどないから、観客はさらに興奮状態を増していき、体育館全体が揺れているようだった。


「これはヤバいかもな……」

 俺が不安になり、独り言を呟いていた時だった。


 体育館ステージ袖に走り込んでくる人の気配があった。

 その気配に気づいた四人は、全員その方向に振り向き、そこに懐かしい顔を見た。


「麻弥姉!」

「麻弥!」

「麻弥先輩!」

 最後の一つは白戸先輩と金山さんの声が完全にハモっていた。


 彼女だった。

 それも落ち込んだ酷い顔の彼女ではなく、あの元気一杯の、面倒臭い、しかしどこか放っておけない、そんないつもの明るい表情がそこにあった。


 俺たちは全員が胸を撫で下ろす。

「ごめん、みんな! 遅れた!」


 麻弥姉は、全身汗まみれになり、制服にまで汗が伝わっていたが、いつものポニーテールの髪型だった。その事に不思議と安堵する俺。


「話は後だ、麻弥。早く着替えろ。時間がない」

 黒田先輩に促され、麻弥姉は先輩と共に控え室に急いだ。


 一方、白戸先輩は感極まって泣き出していた。

「うう。麻弥先輩。よかったですー。来てくれるって信じてましたー」

「よかったですね、凛先輩」


 そんな泣き虫な彼女を、金山さんが慰めていた。


 軽音部の二曲目が終わり、会場には巨大な歓声と「アンコール」の合唱が続く中、麻弥姉が黒田先輩と共にステージ袖に姿を現した。


 俺が選んだ黒いレザージャケットに、同じくレザーパンツを履き、頭にはポニーテールを覆い隠すように、鍔広の帽子を被って。


 しかも、元々背が高く、スタイルもいい彼女にはそれが結構様になっていた。


 俺は女装時の復讐のことも忘れ、彼女の姿に見入っていたが、すぐに我に返り、

「そうだ、麻弥姉。ご両親は?」

 と、まずは一番聞いてみたかったことから聞く。


 すると、彼女は満面の笑みで、

「うん、大丈夫。説得には相当時間がかかったけど、来てくれるって。あたしと同じくらいのタイミングで家を出たから、もうすぐ着くよ」

 と、はっきりと口に出した。


 どうやら俺の苦労も報われたようで、俺は安堵に胸を撫で下ろす。


「それより、優也。あんたのその格好、何?」

「えっ。カート・コバーンだけど」

「カート・コバーン? あんた、コバーンをバカにしてんの? ただのガラの悪いヤンキーにしか見えないんだけど」

「ひでえな。俺の会心の出来を」


 そんなやりとりを見ていた周りの三人から自然と笑い声が漏れた。


 大丈夫。これは間違いなくいつものパワフルな彼女だ。俺はそう確信した。


 そして、ステージからは大歓声がこだまし、軽音部の演奏が終了したことを告げていた。


「じゃあ、リーダー。一言頼むよ」

 俺が彼女に合図を送る。

 麻弥姉は、少し照れ臭そうに頷くと、俺たち四人の名を一人ずつ呼んだ。


「優也」

「さおりん」

「凛ちゃん」

「カナカナ」

 俺たち四人は頷き、リーダーの言葉に耳を傾ける。


「みんな、こんなあたしのワガママに付き合ってくれてありがとう。ここまで来れたのは、みんなのお陰だと思ってる。もうここまで来たら、技術なんて関係ないと思うんだ」


 そこで一旦言葉を切ると、彼女は大きく息を吸い込み、そして、飛びきりの笑顔と明るい声を張り上げた。


「みんな、今日は思いっきり楽しもうね!」

 この一言で、みんなの緊張の糸がほぐれた。やはり彼女にはリーダーとしての素質がある。


 よくプロ野球で、ガチガチに緊張している新人選手や二軍上がりの選手が初めて打席に立つ時に、監督が、

「三振しても怒らないから、とにかく思いきって振ってこい!」

 そう言っただけで、初打席にして初ホームランを打つようなことがあるという。


 リーダーは厳しいだけでも、優しいだけでも務まらない。


 時と場合によって、アメとムチを使い分ける。

 そういう意味では、俺たちは最高のリーダーに恵まれたとも言えるわけだ。


「続きまして、ハードロック同好会の皆さんです」


 アナウンスの声が響き、俺たちはステージにそろそろと上がる。


 だが、会場は水を打ったように静まり返っていた。というより、これは明らかに冷めている。


 まあ、無理もない。格好だけを見ればそうなっても不思議はない。


 何しろ、ライダースーツに、学ラン、野球部に、警察官、そしてカート・コバーンもどきだ。


 どこのコスプレ集団が入ってきたのかと疑うのが普通の反応だろう。

 だが、その懸念も一度演奏が始まると、どこかに吹き飛んでいた。


 一曲目は俺がリクエストした、『Nirvana』の『Smells Like Teen Spirit』だ。

 まず一番初めの出だしから俺の、つまりエレキギターのソロが入る。


 イントロのコードは「Fsus4」「Bb」「Absus4」「Db」の順だ。

 もう何十回、いや何百回と繰り返したフレーズだ。俺に迷いはない。


 ギターソロに続いて、麻弥姉の力強いドラムが鳴り響き、続いてギター、ベース、キーボード、ドラムの演奏が入り、そしてヴォーカルが入る。


 みんながみんな、きちんと自分の役割を果たしているのがわかった。


 麻弥姉のドラムは走っていないし、力強く正確であり、黒田先輩はベースに正確にピックを当てていたし、白戸先輩のキーボードも完璧だ。その上、ベースとキーボードの二人はバックコーラスまで担当している。


 さらに、女性でありながらカート・コバーンの声音を真似て、金山さんがハスキーな声を張り上げているし、彼女の英語の歌い方も絶妙だった。


 曲の中盤に差しかかる頃には、この名曲を知っている大勢の生徒を中心として、会場は大きな歓声に包まれていた。


 終盤のギターリフ、ドラムの響きがアンプを通して流れると、観客はさらに興奮の度合いを高めていく。

 掴みは成功だった。


 まだまだ軽音部の演奏の時の盛り上がりには負けているが、一曲目にこの有名な曲を持ってくることによって、観客の心を掴むという俺の目論みは成功した。


 曲が終わり、体育館に大きな拍手が響く中、愛用のガイコツマイクの前に立つ金山さんが、おもむろにMCを始めた。


「みなさん、こんにちは。ハードロック同好会です」

 金山さんは、警官のコスプレ状態のまま、元気よくしゃべり続ける。


「私たちは今年の5月に結成したばかりの素人バンドです。でも、この半年間、必死に練習してきました。会場のみなさんをどこまで満足させることができるか、正直わかりません。でも、一生懸命がんばりますので、最後まで聴いてくれると嬉しいです」


 真摯に訴えかけるような、真面目な彼女の口調に、観客は大きな拍手を送った。


「じゃあ、早速メンバーを紹介します」

 金山さんはマイクを持ったまま、振り向く。


「ギター、優也!」

 最初に呼ばれるのは、打ち合わせ通りだったから、俺は軽くギターリフをすることによって客席の観衆に応える。

 だが、思っていた以上に歓声が少ないのが気になった。


「ベース、沙織!」

 黒田先輩も、俺と同じように、ピックでベースにストリングスをかける。が、俺の時とは違い、何故か客席の女性陣から黄色い歓声が上がった。


 彼女は女性にしては背が高いし、その上男物の学ランが妙に似合っており、応援団員みたいだったから、女性の目から見ても格好よく映ったのだろう。


「キーボード、凛!」

 白戸先輩も、同様に鍵盤を叩いて応える。だが、彼女の場合は、野球部のユニフォームを着ている割には、可愛らしいから、男たち、特に野球部らしき連中から歓声が上がる。


「ドラムス、麻弥!」

 麻弥姉もまた、ノリノリでドラムセットを順番に叩いていく。彼女もまた長身で、格好よく見える上に男装だからか、会場の女性陣から黄色い歓声が上がる。


「最後は、私。ヴォーカルの加奈です」

 金山さんもまた、白戸先輩と同じように、どちらかというと小柄だからか、男性陣から歓声が上がる。


 こうして見ると、俺だけが人気がないように見えて、少し悲しかった。


 だが、そんなことを言ってはいられない。

 間もなく、二曲目の演奏が始まったからだ。


 二曲目は黒田先輩のリクエスト、『Metallica』の『Enter Sandman』だ。

 この曲もまた、有名ではあるが、一曲目とは違う意味で、ギターのリフが非常に格好いい曲だ。


 前奏から激しいリフが始まり、徐々にドラムが激しい打撃音を鳴らすが、ヴォーカルもまた、原曲は特徴的な歌い方をするから難しいし、先程と同様にバックコーラスも入る。


 さらに中盤はヴォーカルが入らず、ギターリフが続くシーンがある。

 だが、俺たちは全員ミスをすることなく、これを無事に演奏しきった。


 会場は大分、大きな歓声に包まれてきており、そろそろ暖まってきた感じだ。


 だが、まだまだ物足りない。

 そう思っていた俺は、ここが頃合いと見て、ジャケットのポケットに忍ばせておいた携帯電話を、メンバーのみんなにも、もちろん観客にも見られないように、こっそりと手で触り、隙間からディスプレイを覗き込んだ。


 そして、事前に用意していたメッセンジャー画面を一瞬だけ確認し、同じく事前に作っていたメッセージを確認し、送信ボタンを押した。


 送信先は放送部の友人、紺野翔太だ。

 文面は、

「頃合いだ。やってくれ」

 という非常に簡潔な合図になっている。


 そう、これが俺が用意していた「仕込み」であり、このことはメンバーの誰も知らない。


 続く三曲目は、俺たちのオリジナル曲、『Rush Up』だ。


 前奏から始まる派手なリフだけで、すでに会場がどよめきに包まれているのがわかった。


 そのまま構わずに演奏を続けていると、体育館には外から次々に人が集まってきて、ついに観客席では上下に飛んだり、ウェーブをしたりという現象が起こり始めた。


 俺の作戦は成功だ。

 だが、ここで予期せぬ事態が発生した。


 体育館の入口に、わらわらと現れた教師たちだった。彼らのうちの一人、大柄な体格の男性体育教師が、

「おい、お前ら! 演奏が全校に流れているぞ。今すぐ中止しろ!」

 と大きな声を張り上げたのだ。


 その瞬間、メンバーのみんなも気づいたようだったが、横目で見ると、みんなは笑顔を浮かべていた。


 そう。俺は放送部の友人の紺野に合図を送り、体育館だけに向けて流れていた、俺たちの演奏を外部マイクを通して、全校放送にして流すように仕向けたのだ。


 だから、今この爆音は体育館は元より、校庭にも各教室にも、校舎外の露店にも、職員室にも、校長室にも流れていることだろう。それどころか、恐らく近隣の住宅にまで届いているに違いない。


 これは一種の「賭け」だった。

 無断でこんなことをすれば、失格になりかねない。


 だが、俺はよりロックで、そして楽しい方に賭けてみたのだ。もちろん、生徒のみんながそれに乗ってくれることを期待して。


 すると、生徒たちが意外な行動を示し始めた。


 教師たちは二手に分かれ、俺たちの演奏を止める組と、放送室に向かう組とがそれぞれの方向に向かって動き出したが。


「うるせえ。俺たちは演奏を聴きたいんだ。出てけよ!」

「そうよ。先生なんか追い出しちゃえ!」

 と、男子も女子も交じって、体育館の入口付近で教師と押し問答を始めた。


 群衆の力の凄さを見た気がした。

 さらにこの一件で興奮のるつぼと化した体育館は、カオスの空間と化した。


 後方では、教師たち数人と、生徒たち数十人が押し合いを始め、一方前方では興奮して、上半身を脱いで踊り出す男子生徒が現れ始め、さらに興奮した男子生徒の何人かがステージに上ってきて、メンバー、特に白戸先輩や金山さんに触れようとする始末。


 それを生徒会実行委員の生徒たち数人が必死に食い止める。

 もう会場は滅茶苦茶になっていた。


 ヤバい。これはさすがにやりすぎた、と思ったがもう遅い。


 だが、てっきり怒っていると思っていたメンバーの顔を横目で見ると、みんな不思議と笑顔だった。襲われそうになった白戸先輩や金山さんまで笑っている。


 しかし、三曲目が終わると、不思議と会場の動きが、俺たちに合わせるように一瞬止まった。


 そして、続いて巨大な地鳴りのような大歓声が響き渡った。しかも、いつの間にか外からも人が集まってきており、体育館はまるでラッシュアワーの駅の構内のように、群衆が群がっていた。


 その数えきれないほどの群衆から、一斉に大きな拍手と歓声の嵐が送られてきた。


 一瞬、地震かと思うほどの地鳴りのような響きが体育館全体を震わせていた。


 俺たちはとりあえず、お約束のように礼をして、ステージ袖に一旦下がった。


 だが、

「アンコールッ!」

 まるで津波のような無数の声の流れが、ステージに向かって飛んでくる。


 教師連中が後方で何かを叫んでいるのがわかったが、もはや巨大な群衆の声にかき消され、何を言っているのか判断がつかない。


「アンコールッ!」

 間もなくアンコールの嵐の中、麻弥姉を先頭に、俺たちがステージ袖から再びステージに戻ると、

「おおおおっ!」

 という、もう歓声なのか、咆哮なのかもわからない声のつぶてが飛んできた。


 麻弥姉は、ドラムセットに着く前に、マイクの前に立つと、


「みんな、ありがとうっ! じゃあ、もう一曲行くよっ! 『Deep Purple』で『Highway Star』!」


 と、大きくて、元気のよい少年のような声を張り上げると、この曲を知っている多くの群衆から咆哮のような、唸りのような、何とも言えない轟きが溢れた。


 そこから先はもう正直、あんまり覚えてはいない。


 俺は速弾きが最も重要な、この曲に集中していたし、周りのメンバーも演奏に集中していた。


 ただ、目の端では、体育館入口付近で、観念したように立ち尽くし、こちらを眺めている教師連中の姿が見えた。


 さらに一瞬だが、会場の中の一角に麻弥姉の両親の姿、そして笑顔の緑山生徒会長の姿が見えたような気がした。


 演奏に集中し、また演奏自体を楽しんでいたから、正確に確かめる余裕はなかったが。

 体育館には驚くべきことに、さらに人が集まってきていた。


 どうやら、この騒ぎを聞きつけて、近隣の住民まで何事かと思い、来ているらしい。


 さすがに先程のように、ステージに上がってくる生徒はいなくなったが、それでもこの盛り上がり方は異常なほどであり、俺は演奏を通じて、観客との一体感を楽しんでいた。


 まさに興奮のるつぼ、というより、もう軍勢の鬨の声みたいだった。


 俺たちの演奏が、まるで指揮官の号令のように、人々が、もう生徒も一般客も関係なく、燃え盛る炎のように揺れて、地鳴りを体育館中に発生させていた。


 俺もまた、緊張なんて気持ちは微塵もなくなり、客との一体感を楽しんでおり、自然と身体が動き、愛用のFender Telecasterを激しく動かしながらピックを動かしていた。


 この貴重な時間を、ここに詰めかけたみんなと共有すること、それだけに集中していた。


 そう。そうやっていつまでも共有していたかったが、物事には必ず終わりがある。


 やがて、6分ほどの比較的長い曲でもある『Highway Star』の終わりを告げるドラムの音が鳴り響き、俺たちは、全身汗まみれになりながら、会場の観客に一礼し、万雷の拍手と歓声に見送られながら、再度ステージから立ち去った。


 こうして、俺たちの熱い音楽コンテストは幕を閉じた。

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