Stage.2 結成

 私立東帝音楽大学付属高等学校。ここに入学してから一か月が経過した。


 ようやく学校生活にも慣れてきて、たまに顔を出していたハードロック同好会も、麻弥姉の説明通り、非常にゆるく、麻弥姉や白戸先輩とも親交を深められた。約一名、黒田先輩だけは相変わらず無口でぶっきらぼうで近寄りがたかったが。


 ちなみに、「ハードロック同好会」とはもちろん名ばかりで、実際にはハードロック、ヘヴィメタ、パンクなどのロック好きの集まりらしい。


 最もそれも数年前の先輩が隠れ蓑につけた名前だから、どこまで本当なのか怪しいものだが。

 部室に表札がないのは、麻弥姉に言わせると「メンドかったから」だそうで、昔は一応紙で貼っていたらしいが、それが剥がれても直しもしなかったらしい。


 いかにも面倒臭がり屋の彼女らしい。

 こうした平穏な日常が4月一杯は続き、ゴールデンウィークを過ぎ、5月の連休明けの初登校の日。


 事件は起こった。

 久々に登校し、同様に久々に同好会の部室に行き、いつものようにまったりと、愛用の携帯音楽プレイヤーで洋楽を聴いていた放課後。


 長時間聴いていたので、イヤホンを耳から外し、少し休んでいると。

 突然、部室の扉がノックされた。

「はーい」

 漫画雑誌を読んでいた麻弥姉が答え、面倒臭そうに、白戸先輩に扉を開けるように指示した。


 そこには厳しい表情をした一人の女子生徒が立っていた。

「失礼するわね」

 きびきびとした動作で部室に入ってきた彼女。よく見ると、二重まぶたと左目の下の泣きぼくろが特徴的なショートカットの女の子だった。その上、細いフレームの眼鏡をかけている。見た目は絵に描いたように真面目そうな人だ。


「生徒会長……」

 扉を開けた白戸先輩が呟く。するとこの人が噂の真面目な生徒会長か。

「生徒会長の緑山みどりやまかえでです」

 彼女はそう挨拶をすると、部員全員を見渡した。


「単刀直入に言います。あなたたち、即刻解散しなさい」

 生徒会長は有無を言わせない雰囲気でいきなりこう切り出した。


「えー。何でよー」

 麻弥姉が子供みたいに、その猫のような口を尖らせて抗議するが、

「当たり前です。活動していない同好会を認めて、部費を出す必要はありません」

 生徒会長はにべもない。


「してるって、活動。ミドリちゃん、横暴だよー」

 麻弥姉が尚も食い下がるが、はっきり言って往生際が悪い。どうでもいいが、生徒会長に向かって「ミドリちゃん」はないだろう。


「横暴ではありません。では聞きますが青柳さん。あなたはこの同好会の会長として、これまで具体的にどのような活動をしてきましたか?」

「それはー。その、音楽聴いて、論評して、後はライヴ行ったり、カラオケ行ったり、とか」


 後半は完全に遊びにしか思えん。ていうか、麻弥姉がこの同好会の会長だというのも俺はこの時初めて知った。つまり、それだけいい加減なのだ。生徒会長の意見も最もだろう。


 言わば、この展開は来たるべきして来たとも言える。むしろ今まで解散しなかったのが不思議なくらいだ。


「それは活動とは言いません。生徒手帳にも書いてあるように、文科系の部活動及び同好会の活動とは『学校生活を通してコンテストや賞に応募、あるいは個展、展覧会などに作品を出品すること等』とあります。しかし、あなたたちはそのいずれも行っていません。違いますか?」

「……」


 誰も言葉がないのはそれを認めているからだろう。

 しかし、この生徒会長。思っていた以上に堅物だ。いや、逆に堅物でなければ生徒会長は務まらないか。


「遊んでいるだけの同好会に、部費を提供する余裕はありません」

「ちょっと待ってよ。じゃあ、どうすればいいの?」

 麻弥姉が、大きな黒い目を彼女に向けて、強気に噛みつき出した。


「ですから解散して、それぞれ別の部活や同好会に入って下さい」

「解散する以外の方法はないの?」

「先程も申しましたように、何らかのコンテストや賞に応募するか……」

「コンテストとか賞に応募すればいいわけね」

「え、ええ」

 元々、気が強い麻弥姉に押され気味になった生徒会長が頷く。


 それを見ていた麻弥姉は、口元に薄らと不敵な笑みを浮かべた。

 ヤバい。

 こういう時、この女は大体ロクなことを考えていないことを俺は経験上、よく知っている。


 麻弥姉は不敵な笑みのまま、生徒会長の緑山先輩に対して、

「ミドリちゃん。ちょっとあたしに考えがあるんだけど。解散の話はもう少し待ってくれる?」

 と迫った。


「……わかりました。ただし、待てるのは5月一杯までです。それまでに何らかの回答を頂きます」

「うん。それでいいよ」

 何だかんだで彼女は生徒会長を退かせることに成功した。ある意味、頼りになる。

「では、今日はこれで失礼します」


 生徒会長が立ち去った後、いつもは無口であまり、というかほとんど他人と会話をしない黒田先輩が麻弥姉に声をかけた。

「ちょっと麻弥。あんなこと勝手に言って大丈夫なのか?」

 その疑問は当然だろう。


「さおりん。あたしにいい考えがあるんだ。明日の放課後、三人で駅前に来てくれる?」

 その「いい考え」というのが実は一番怖い。あと、麻弥姉は黒田先輩のことを「さおりん」と呼んでいるらしい。この二人は同じ音楽科の三年で、クラスメイトでもあり、親友らしい。


「ああ。いいけど……」

 黒田先輩も白戸先輩も、そして俺もこの時、麻弥姉の腹の内が読めなかった。

 いや、実際には密かに気づいていたのかもしれない。



 翌日の放課後。

 俺は前日に麻弥姉に指定されたように、放課後になると部室に立ち寄り、黒田先輩と白戸先輩と共に学校の最寄りの駅へ向かった。

 彼女が言う「駅前」とはこの場合、御茶ノ水駅を指す。


 学校の校門から徒歩で10分程度であり、多くの生徒がこの駅を利用している。

 そして、この御茶ノ水駅周辺は、あることで有名な場所だ。行く前にそれに気づくべきだった。


 道すがら、相変わらずなかなか心を開こうとしない黒田先輩とは距離を置き、白戸先輩と「何の話だろう」などと話しているうちに、駅前にはすぐに着いた。


 俺たち三人を見つけると、笑顔で手を振る麻弥姉。

 そして、合流した直後、全く有無を言わせない強引な口調で、

「じゃ、行こっか」

 と彼女はいきなり歩き出した。


 俺たちはとりあえず黙ってついて行ったのだが。

 御茶ノ水駅にほど近い、大きな通りのある店の前で彼女は足を止めた。

 そこには「楽器店」という看板があった。

 俺の嫌な予感は、ここでついに最大値に達した。


 そう。ここ御茶ノ水駅周辺は学生街で、楽器店が多い街としても有名だ。

 もしかして、これは……。

 そんな俺の心中を余所に、麻弥姉は、

「じゃ、さっそく入って探そう!」

 と元気よく言い放つ。


 が、ここで意外な人物が彼女の右手を取った。

「待て、麻弥。何をするつもりだ?」

「何って、楽器だよ、楽器」


 さも当然のように答える彼女。黒田先輩はそんな親友を睨むように、その特徴的な切れ長の目を向ける。ちょっと怖い。


「お前、何を言っている? 楽器なんか買ってどうするつもりだ?」

 しかし、麻弥姉は平然としている。

「そりゃ、楽器買ったら演奏するに決まってんじゃん。ミドリちゃんが言ったように、ハードロック同好会として、コンテストを目指す為に、あたしたちでバンドを組むの」


「はあ、それマジで言ってる?」

「うん。大丈夫大丈夫。何とかなるって」

 全く楽天的すぎる麻弥姉に、黒田先輩は呆れたように大きく溜め息をついた。


 俺たちは楽器店の前で、店にも入らず立ち話を始めた。もちろん、麻弥姉の意図を知る為に、だ。


 彼女の説明はこうだ。

 音楽のエリート校としても知られている我が校では、毎年10月の学校祭で「音楽コンテスト」なるイベントが開催される。


 音楽校としてそこそこ名が知られているからか、このコンテストには、近隣から毎年芸能プロダクションの関係者が金の卵を発掘しようと訪れるらしい。


 そこで、バンドとして何かを演奏し、ハードロック同好会として、注目を一身に浴びる=同好会は存続する、という腹積もりらしい。


 ちなみに、この「音楽コンテスト」はバンドでも歌でもダンスでも、何でもOKらしい。

 毎年、軽音楽部はもちろん、吹奏楽部、合唱部、創作ダンス部、メタル研究会などの音楽系の部活や同好会などが、多数参加しているとか。


 卒業生の中には、ここで注目を浴びて、実際に芸能プロダクションの目に止まり、スカウトされて、卒業後にデビューした人もいるらしいから、なかなか本格的だ。


 しかし、麻弥姉の説明を一通り聞き終えた黒田先輩は、依然として厳しい表情を貼りつけたままだった。


「甘い。甘すぎる。大体、音楽コンテストまで後、半年もないんだぞ。しかも、こんな音楽の素人が何をできるって言うんだ? 他の部活はもうとっくの前に準備をしている」


 どうでもいいが、黒田先輩の口調を聞いていると、ある意味、麻弥姉よりも男っぽいな。


 麻弥姉は黙って聞いていたが、やや間を置いてから、不思議と爽やかな笑みを浮かべた。


「違うよ、さおりん。半年『も』あるんだよ。それにあたしもさおりんも、もう三年じゃない。高校生活の最後くらい、何か派手で楽しいことしたくない?」

「……」


 目を逸らし、熟考してしまった黒田先輩に代わって、横から可愛らしい声がかかる。

「私は賛成ですね。面白そうじゃないですか。毎日部室でただまったりしているのも好きですけど、一度くらい思いっきり何かをするのもいいじゃないですか」


 しかし、黒田先輩はその一言に反応し、今度はこの小さな先輩に矛先を向ける。


「見通しが甘いって言ってるんだよ。大体、素人が遊び半分でどうにかできるほど、音楽は甘くはない」

「そうかなあ。あたしはドラムできるし、凛ちゃんはピアノもキーボードもできるし、さおりんは何でもできるじゃん」


 麻弥姉の言葉を聞いて、俺は思い出した。

 確か、麻弥姉のお父さんは若い頃にバンドを組んでいて、ドラマーだったとか聞いたことがある。彼女はその父からドラムの技能を教えられたとか。


 それにしても、白戸先輩がピアノやキーボードを弾けることも初耳だし、黒田先輩が何でもできるというのも気になる。


「あのなあ、できるって言ってもお前たち二人は素人に毛が生えた程度だろうが。私だって最近はもう音楽から離れている」

 もうこの辺りになると、俺の出番はない。どう考えても全く楽器未経験者の俺は応援にでも回るしかない。


 しかし、三人のやりとりは意外な方向に進んでいくのだった。

「大体、ギターはどうするんだ? ギターがいないバンドなんて聞いたことないぞ」

「そこはさおりんが」


「私がギターやったら、ベースがいなくなる」

「さすがさおりん。ベース大好きだもんね。部室に持ってくるくらいだし」


 黒田先輩と麻弥姉のやりとりで思い出した。あの部室の隅に置いてあったケースはベースのハードケースらしい。しかも意外にも持ち主は黒田先輩だったとは。


「私のことはいい。それよりギターだ。今からメンバー募集なんてしてられないぞ」

「いるじゃん、ギター」

「へっ」


 そう言われて、麻弥姉に指を差された俺は多分物凄いアホ面をしていたと思う。

「はあ。麻弥、それマジで言ってる? コイツに任せるつもりか。こんなド素人に」

 ついにコイツ呼ばわりされていた。知ってはいたが、この先輩はやっぱり口が悪いし、ちょっと苦手だ。


「だってしょうがないじゃん。それともさおりんはハードロック同好会がなくなって、また一から部活探す? そっちの方がメンドいよ」

「……」


「それにさおりん優しいから、優也にもあたしたちにも色々教えてくれるんでしょ?」

 この黒田先輩が優しいとは、どう考えても俺には思えないんだが。ただ、こう正面から臆面もなくストレートに言われた先輩は、再び大きな溜め息をつき、ついに折れた。


「……わかったよ。ただ、私はどうなっても知らないぞ」

「やった! じゃあ、早速楽器屋に行こう!」

 黒田先輩に掴まれた手を解き、子供のようにはしゃぐ麻弥姉を先頭に、残りの三人は渋々楽器屋に入る。


 黒田先輩の提案で、とりあえず必要となるギターとキーボードを買うことになった。

 ていうか、その前に俺はギターをやるなんて一言も言ってないんだが。これもなし崩し的に決められていた。


 やはり麻弥姉の言うように優柔不断な俺がいけないのか。

 だが、せめて自分の楽器くらいは自分で決めたい。

 そう思った俺は店内に並ぶ様々なギターの中から一際目立つ一品に注目した。


 それはメイプルの木目調の指板が何とも美しいエレキギターで、


「1958年製 Fender Telecasterフェンダー・テレキャスター


とある。


 そう、58年製のテレキャスターと言えば、かの有名な『Led Zeppelin』の伝説的ギタリスト、ジミー・ペイジも使っていたという一品だ。


 が、値札を見て俺は色を失った。

 0の数が6ケタもある。つまり100万円以上という値段。

 ギターがこんなに高いものだとは知らなかった。


 だが、そんな高価ながらも有名なギターを惜しむように、手に取って眺めていた俺に、横から意外な一言がかかった。


「赤坂。お前、バカか。素人がそんな高いギター使ってどうするんだよ」

「えっ」

 横を見ると、苦手な黒田先輩がその特徴的な吊り目をこちらに向けていた。


「しょうがない。私がお前に相応しいギターを選んでやるよ。ついて来い」

 そう言って、手慣れた手つきで俺の為にギターを探してくれるのだった。


 ちょっと怖そうな人だと思っていたが、案外根は優しいのかもしれない。まあ、苦手なのは変わらないけど。

 そうしてしばらく彼女の先導の元、店内のギター売り場をうろうろと徘徊した後、彼女は一本のエレキギターを手に取り、俺の前に差し出した。


「素人のお前にはそれくらいが丁度いい」

 先程と同じく木目調だが、さすがに100万円のギターほどは光沢がないそいつには、


「Fender USA American フェンダー・USA・アメリカン Standard Telecasterスタンダード・テレキャスター


 という名前がついていた。


 値札を見ると、それでも10万円程度はする。

「……別に構いませんが、お金はありませんよ」

 当然のことだが、高校生の俺にそんな金はない。


 すると、意外な回答が返ってきた。

「ああ、金なら凛に払ってもらえばいい」

「えっ。どういうことですか?」

「言ってなかったが、彼女の家は白戸電機を経営している。つまり、彼女はそこの社長令嬢なんだ」

 今、何かもの凄いことを聞いたような。


 白戸電機と言えば、知らない人はいないほど有名な電機メーカーだ。そのグループ会社も含めると莫大な資産になる。

 彼女がそこの経営をしている社長令嬢。つまり俺たち一般庶民とは全く違う世界の住人だ。


「ええっ! マジですか、それ?」

「ああ、大マジだ」

 すると、その噂の小さな先輩がとことこと、小動物のような愛らしい動きで、俺と黒田先輩のところにやって来た。


「ギター、決まりましたか?」

「ああ、これだ」

 黒田先輩が差し出したギターの値札を見た白戸先輩は、


「なーんだ。たった10万しかしないんですねえ。楽器って、どれも安いんですねー。じゃあ、私のキーボードと一緒に買ってきますねー」

 と重そうなギターを必死に持ち、そのままカウンターに持っていこうとする。


 もう庶民とは金銭感覚が違いすぎる。

 まるで近所のスーパーで野菜を買い物カゴに入れて、レジに持って行くような気軽さでギターもキーボードも買ってしまう白戸先輩。


 もうこの時点で、すでに人生負けているという絶望感に包まれた俺だが、肝心なことを彼女に伝えなくてはならない。


 俺はレジに向かう彼女の背に声をかけた。

「あの、先輩。お金払いますよ」

 しかし、振り向いた彼女は笑顔でとんでもないことを口に出した。

「えっ。あ、いいですよ。これくらいなら私の一か月のおこづかいくらいですし」

 一か月に10万円ももらっているのか、この人は。もはや高校生のこづかいレベルじゃない。


「そういうわけにはいきません。それに、俺にとって初めてのギターだから自分で払いたいんです」

 さすがに申し訳なくなって、そう切り出すと、先輩は困ったように、


「うーん。そうですか。じゃあお金は後でいいですよー。とりあえず私が立て替えておきますから」

 とようやく納得してくれたのだった。


「ありがとうございます。後でバイトして、必ずお返しします」

 俺は先輩に礼を言うのと同時に、明日から本格的にバイトを探すことを決意するのだった。


 しかし、日本を代表するような大企業の社長の娘なら、毎日相当高価でおいしいものを腹一杯食べているだろうに、何故あんな中学生みたいに小さいんだ、あの人は。不思議な人だ。


 とにかく、これで俺のギターと白戸先輩のキーボードは揃った。キーボードの値段を聞くのも恐ろしかったからあえて聞かなかったが、彼女のキーボードは「Yamahaヤマハ」のそれなりに高いものらしい。


 一方、ベースの黒田先輩は元々持っている「Gibson Grabber2ギブソン・グラバー2 Stain Ebonyステイン・エボニー」という黒いベースを、麻弥姉も元々家にあるという「Pearlパール」のドラムセットと「SABIANセイビアン」のシンバルを使うそうだ。


 こうして、麻弥姉の気まぐれ、というか強引な決定によって、俺はギターを始めることになり、メンバーは半年後の音楽コンテストを目指すことになった。


 ちなみに、その後すぐに緑山生徒会長にバンドの結成と、音楽コンテストに参加する旨を説明したところ、生徒会長はあっさり了承してくれたということを麻弥姉から聞いた。

 あれだけ文句を言っていた割には、生徒会長もよくわからない人だ。

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