第45話 過去の自分と三人の殺し屋

 ああ、昼間から飲むビールって、何とも言えないな。多少の罪悪感に後ろ髪を引かれながらも、案外進むものだ。今頃、皆は一生懸命働いているんだろうな。なんか、すいません。

 無事、問題解決し、折角だからと、皆で酒を飲んでいる。

「キョンチ。今回の事は上手くいって良かったわね」

「はい、ありがとうございます」

「でもね、いつまでも甘えてちゃダメよ。立派な社会人なんだから。今回の事で、石月さんや紙城さん、会社の方々はとても大変だっただろうからね。しっかり感謝をして、恩返しをしなくちゃね」

「はい。分かってます」

「うん、頑張ってね。いつも応援しているよ」

 ミッチャンママとキョンチが、グラスを合わせた。結局のところ、今回の騒動を簡単に説明すると、怒られたキョンチが仕事を放棄したのだ。それは、子供染みたただの甘えだ。勿論、コミュニケーション不足が原因だから、一概にキョンチの責任とは言い切れない。石月社長にしたって、何でも話せる環境を整えていなかった。そして、キョンチの複雑な心境を甘く見積もっていた感じがする。キョンチのタレントとしての商品価値が薄れる、もしくは無くなるという体温を失った感情が先走っていた印象だ。芸能事務所の社長の立場からすると、タレントは商品であろうが、一人の人間であるという認識が薄かった。石月社長の立場、タレントの立場、双方が歩み寄らなければ、円満なサイクルは生まれないだろう。今回の話し合いで、歪な円が修正されて、スムーズに回転すれば、もっともっと速く遠くへ行けるだろう。今回の反省点は、キョンチも石月社長も、自分の感情を最優先していた事だ。

 やはり、キョンチの住む芸能界という世界は、実力が全てなのだろう。今回、キョンチが大目に見てもらえたのは、端的に言うとお金になるからだ。もしも、大した実績を残せていなければ、簡単に切り捨てられていただろう。石月社長も、その事は正直に話していた。何もそこまで言わなくてもとは、思ったけれど。これは、石月社長が釘を刺したように感じた。そして、応援でもあるのだろう。

価値のある存在で居続けなさい。

背筋が伸びる言葉だ。僕は、存在する価値があるのだろうか? それは会社か、家庭か、友人関係か。きっと、誰しもが考えなければならない問題なのだろうが、考える事を放棄しているように感じる。ここにいる事が、当たり前ではない。それぞれが、それぞれの価値を高め、必死に自分の居場所を守らなければならない。甘えていたり、胡坐をかいていたら、いついかなる時でも、梯子を外される可能性がある。きっと、その事を念頭に置いて生きている人と、そうではない人とでは、結果が変わってきても不思議ではない。環境を境遇を呪っても、何も変わらないのだから。人を変える事は難しい。ならば、自分が変わる事の方が簡単だ。とは言え、時と場合や立ち位置によって変化するだろうから、自分にとっての最適解を模索し続けなければならない。

「なあに、難しい顔をしてるんですかあ?」

 隣のテーブル席に座っていた僕の隣の席に、突然キョンチがやってきた。ビールを吹き出してしまい、小百合ママにおしぼりをもらった。

「あ、いや、何でもないよ」

 自分の世界に入り込んで、自分語りをしていたなんて、恥ずかしくて言えない。にっこにこのキョンチが、僕の顔を覗き込んでくる。

「翔太さあん、本当にありがとうございましたあ」

 酔っぱらっているキョンチが、粘っこい声を出す。

「近い、近いよ」

「ええ? そんな恥ずかしがらなくても、いいじゃないですかあ? 裸を見せ合った仲じゃないですかあ?」

 え!? と思った瞬間に、テーブル席の三人が同時に立ち上がった。石月社長と紙城マネ、そしてミッチャンママが殺し屋のような形相で、僕を睨んでいる。

「ち! 違う違う! 見せ合ってない! 見せ合ってない! 誤解ですよ! キョンチ勘弁してよ!」

「あっれえ? そうれしたっけえ?」

 目が虚ろで、ろれつが回っていない。こんな敵だらけの場所で、爆弾を投下しないでくれ。自爆するしか、道がない。稼ぎ頭の所属タレント、妹のように可愛がっている所属タレント、憧れてやまないタレント。よし、三者三様、僕を始末する動機が明白だ。彼等の顔を見ていたら、わざわざ確認する手間は不要だ。どうにかこうにか、あの手この手を使ってお三方にご着席頂けた。ふう、と額の汗を拭った。

「ねえねえ、翔太さあん。私の本名知りたい?」

「え? 別に知りたくないよ」

 瞬間的にキョンチは、両頬を膨らませ、涙目でプルプル震えている。

「ああ! 知りたい! 知りたいなあ!」

「えへへー教えなあい!」

 めんどくせえ。思わず心の声が漏れてしまいそうになり、口を塞いだ。気持ちが楽になって、素の部分が出てしまっているのだろうか? それとも、ただの酔っ払いか? きっと、後者であろうし、そうあって欲しい。テレビや雑誌などで見るキョンチと、同一人物だとは思えない。国民的アイドルも一皮剥けば、ただの人間ということなのだろう。数多くの規制や抑圧を受けているだろうから、皮を脱いだ時くらいは安心して笑わせてあげたいものだ。すると、キョンチがスマホの画面を向けてきた。画面には、黒の学生服を着た眼鏡の少年が映っている。髪が長く、前髪が鼻先までかかっている。顔が確認できないから、少年と判断したのは、男子の制服を着ているからだ。貧弱なオタク気質な印象がある。

「これ中学時代の私。大前田京一君です」

「え? まるで別人だね」

「別人だからね」

 キョンチは、嬉しそうに画像を眺めている。陰鬱そうな印象の少年だが、キョンチにとっては悲観的な過去ではないようだ。

「そりゃ色々と大変だったよ。すべての感情を内に秘めていたから、友達も一人もいなかった。男子の学生服を着るのも嫌で嫌で、毎日トイレで吐いてたよ。でも、あの時、苦しかったけれど、毎日必死に生きてた。毎日本当に頑張ってた。あの時の京一君が必死に頑張ってくれたから、今の私がある。今の楽しい生活がある。そんな京一君をなかった事になんかできない。今の私にとっては、大切なお守りなの」

 愛おしそうに画面を見つめるキョンチが、とても愛おしく感じた。僕は、キョンチの頭を優しく撫で、笑みを浮かべた。

「そうなんだ。じゃあ、代わりに京一君に言っておいてね。『よく頑張りました。ありがとね』って」

 きっと、キョンチの姿を見て、励まされたり、憧れたり、明るい気持ちになったりしている人々は沢山いるだろう。ミッチャンママもその内の一人だ。今の自分がいるのは、過去の自分が頑張ってくれたからだ。生きる事を諦めなかったからだ。キョンチだけではなく、すべての人々が、過去の自分を労って感謝する事は、とても大切な事だと感じた。そして、逆もまた叱り。今の自分の姿に納得できないのならば、過去の自分を反面教師として、今の姿を変える努力が必要だ。その今もやがて過去になり、感謝できる過去の自分を作る事が大切なのだろう。

 ハッと気が付いた時には、キョンチは声を出して泣いていた。まるで幼い子供のように、大粒の涙をポロポロ零している。そして、勢いよく僕の胸に飛び込んできた。胸に唇を押し当てるように泣いている。その振動が伝わってきて、その感情が伝わってきて、僕ももらい泣きしそうになった。手を持ち上げて、再びキョンチの頭に手を置こうとした時に、再びハッとした。

 三人の殺し屋に、命を狙われている。

「竹内くーーん。何うちの大切なタレントを泣かせているのかなあ?」

「うちの香子にとって、スキャンダルが致命的だって、分かっているよねえ? 距離感を間違えてもらっちゃ困るねえ」

「万死に値するわ。償い方は分かっているわよねえ?」

 三人の殺し屋が、指をパキパキ鳴らしながら、僕を取り囲んでいる。早く誤解を解かなければ、命が危ない。助けを求めるように、カウンターに顔を向けると、この光景を肴に小百合ママはお酒を飲んでいた。

 小百合ママ! 笑ってないで、助けて下さい!

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