第44話 そばにいてくれるだけで
出社するまでに、早退する理由を色々考えていた。仮病とかなんとか。朝礼が終わり直ぐに社長室に向かった。
「社長! 僕の妹分がピンチなんです! 昼に早退させてもらえませんか!?」
「よっしゃ! 行ってこい!」
男気モードを引きずっていた僕は、結局ストレートのど真ん中勝負に打って出た。そして、あっさりと承諾を得たのだ。昨日のキョンチではないけれど、勿論勝算は十分にあった。玉川木工所三代目社長の玉川さんは、そういう男だ。勿論、社長だけではなく、午後に入っていたお客様との打ち合わせは、予定を変更してもらったり、上司が代わりに行ってくれた。沢山の方々にお力添えを頂き、感謝しかない。自分で言うのも恥ずかしいが、毎日真面目に働き、しっかりコミュニケーションを取っていて良かった。マーブルの三人のママを常日頃見ていて、そう感じる。多少のミスやトラブルも許される『キャラ作り』は、日頃の努力の賜物だ。愛されるキャラは、なにも営業や接客業や芸能人だけが必要なものではないだろう。生きやすい環境は、自分で築かなければならない。努力を努力と思わず、天然でやっている人は、まさに最強で天才だ。だけど、凡人の僕は、常に人との関りの大切さを胸に秘めていなければならない。
やるべき事を済ませ、会社を飛び出した。マーブルに到着し、腕時計を確認すると、十二時五十分だ。間に合った。深呼吸をして、扉を勢いよく開けた。乾いたベルの音が、いつもより激しく鳴った。店内を見渡すと、テーブル席に四人が座っている。ソファに二人の男性、その向かいにミッチャンママとキョンチだ。
鼻息荒くテーブル席に歩み寄ると、四人がボソボソと会話をして、二人の男性が立ち上がった。一人は茶髪で若い男性、きっと同年代くらいだろうから、彼が紙城さんだろう。もう一人が、色黒で髪はツーブロック、お洒落眼鏡をしている。この人が社長さんだろう。想像よりもずっと若く、四十代くらいだろうか。見るからにチャラく、インテリヤクザみたいだ。男性二人は、テーブルを回り、僕の前にやってきた。二人は深々と頭を下げて、名刺を差し出した。
「初めまして、ムーンストーン代表、石月
「初めまして、大田香子の専属マネージャーをしております。紙城
あまりにも礼儀正しくされたものだから、すっかり出鼻をくじかれてしまった。名刺を受け取り、僕も頭を下げた。二人は席に戻り、僕はカウンターに座る小百合ママの隣に腰を下ろした。
「小百合ママ、今はどんな状況ですか?」
「挨拶が終わった直後に、翔ちゃんが入ってきたのよ」
僕達は、内緒話をするように、小声で話す。誰がどう話を切り出すか探っているようで、妙な緊張感が漂っている。見ているこちらも息苦しい。すると、意を決したように、社長の石月さんが、勢いよくテーブルに手をついて、頭を下げた。
「香子すまなかった。先日は動揺して、酷い事を口走ってしまった。情けない話だが、我が社の八割は香子の稼ぎで回っている。スキャンダルが致命的になるご時世で、社員達の事を考えたら、気が動転してしまった。本当に、すまなかった」
「俺もごめん。ぶっちゃけ、社長の剣幕にビビッてしまった。肝心な時に力になってやれずに、情けないよ。許されるなら、もう一度チャンスをくれないか? 今度、香子がピンチの時は、必ず盾になるから。なんなら、相手が社長であろうと、ぶん殴ってやるよ」
「いや、暴力は止めてくれよ」
鼻息の荒い紙城マネージャーに、石月社長は冷静に返している。
「いえ、私の方こそ、ご迷惑をかけて、すいませんでした」
キョンチが、頭を下げる。あっさりと過去の清算が終わったようだ。
「自分で蒔いた種ではあるが、次からは・・・いや、次があってはダメだけど、ちゃんと連絡してくれ。本当に心配したんだ」
眉を下げる石月社長は、本当に心配していたように見える。
「それは、私の事を心配していたんですか? それとも、会社の事を心配していたんですか?」
「どっちもだよ。僕は全社員の生活を考えなくちゃならない立場にあるんだ。社員にも家族があって、守る者がいるからね。香子は特別な存在ではあるけれど、香子の事だけを見ている訳には、いかないんだよ」
石月社長は、真っ直ぐにキョンチを見つめ、穏やかな口調で、誠実さが伝わってくる。キョンチの話を聞いて、直情型のワンマン社長だと勘違いしていた。やはり、双方の話を聞かないと、真実は見えてこないものだ。
「それで、香子はどうしたいんだ? 何か希望はあるのか? できる限り善処する」
石月社長が尋ねると、キョンチは考える素振りを見せた。
「それなら、年齢を公表したいです。年を誤魔化すのは、もう嫌です」
「分かった。それなら、年齢を公表しよう。どうしたい?記者会見を開きたいか? それとも、バラエティー番組で、暴露するって形にするか?」
「記者会見なんて、そんな大袈裟な事は嫌です」
「分かった。それじゃあ、暴露するタイミングはこちらに任せてくれないか? 今、専属でモデルをさせてもらっている雑誌は、十代をターゲットにしている。先方に事情を話さなければならないし、最悪専属を切られる可能性だってある。それでも構わないか?」
キョンチは、少し戸惑った後、小さく頷いた。確か、その雑誌は、キョンチがブレイクする切っ掛けになった雑誌のはずだ。キョンチも思い入れがあっただろう。しかし、あれもこれも、自分の想い通りにはならない。
「香子、安心してくれ。今度は、二十代向けの雑誌に片っ端から営業かけるから。俺が必ず仕事取ってくるからな」
「紙城、先走るなよ。その営業は、香子が暴露した直後だ。根回しが周到なら露骨な戦略に取られイメージが悪いし、事実を知る者を増やしたくない」
紙城マネは、石月社長を見つめ、力強く頷いた。
「それで? 他には、希望はないのか?」
「・・・特にありません」
「そうか。それなら、僕からも聞いても良いか? 踏み込んだ話になるけれど、良いか?」
石月社長が前のめりになり、キョンチは頷く。だいたい話の内容な想像できた。キョンチも覚悟の上だろう。
「単刀直入に聞くけど、体の事は秘密にしておくのか? それと、将来的に整形とか考えているのか?」
「今のところ、公言するつもりはありません。できたら、このままお仕事がしたいです。それに、整形は・・・やっぱり興味があります。その為にお金を稼いでいます」
「そうか、分かった。またその時に、色々話し合って、最善策を練っていこう。勿論、香子が芸能界で生きていきたいと思ってくれているのならの話だけど」
「出来る事なら続けたいです。でも、社長は、それで良いんですか?」
石月社長は、照れ臭そうに頭を掻いた。
「この際だから、正直に話す。僕は経営者だから、常にソロバンを弾いているんだよ。どうすれば、利益が上がるのか。現段階では、香子を失う事以上の損失はないんだよ。だから、もしも、香子が体の事を公表したいと言っても受け入れるつもりだった。酷な言い方をするけれど、我を通したいなら、価値ある存在で居続けなさい」
「そうですね。実際、今の芸能界でもカミングアウトしているタレントさんは、結構いますからね」
紙城マネージャーが、フォローするように、割って入る。
「ああ。だが、生き残っているのは、本当に力を持った方だけだ。まあ、そのイバラの道を選ぶのもありだとは思ったんだが・・・それはまた別の話だな」
初めて、皆が笑い声をあげた。拍子抜けしてしまうほど、あっさり解決した。結局のところ、ただのコミュニケーション不足だったようだ。キョンチと紙城マネ、石月社長と紙城マネ間のコミュニケーションはあったのだろう。だけど、キョンチと石月社長間が欠如していたようだ。きっと、各々が各々の業務に忙殺され、人対人の努力を怠っていたのだろう。今回の話し合いで改善されれば、キョンチはもっと伸び伸びと力を発揮できるのではないだろうか。
「あの、小百合ママ?」
「ん? なあに?」
「ぶっちゃけ、この場に僕達はいらなかったんじゃないですか? 実際、見ていただけで、何もしてませんし」
「そんな事ないわよ。味方がそばにいるってだけで心強いし、相手へのけん制にもなるものよ。相手さん方が、冷静に丁寧に接してくれたのは、私達の存在も多少は関係していると思うわ」
そばにいてくれるだけで頼もしい。なんだか、背中がむず痒くなる言葉だ。キョンチが、そう思ってくれていたならば、嬉しいものだ。早退してきた甲斐があった。
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