第40話 奇跡の出会い
「ドンペリって・・・あまり美味しくなかったです」
先週末に行われた星矢さんの快気祝いパーティーのラストに、ドンペリが振舞われた。カウンターの上に、持つ部分がニュッと伸びた可愛いグラスが積まれた。シャンパンタワーならぬ、ドンペリタワーだ。ホストクラブの映像でしか見た事がない、夜の世界の極みのような光景であった。元ホストの星矢さんの最上級のもてなしなのだろう。ドンペリというものを初めて飲んだけれど、庶民には縁遠い代物だ。貧しい舌には、合わなかったのだ。飲み慣れたビールの方が、遥かに美味しい。
「私も口に合わないわ。そもそもドンペリって、味じゃなくて、高級感や雰囲気を楽しむものだし、応援の要素が強いわね。まあ、本来のドリンクとは、意味合いが違うものよ」
ドリンクなのに、味を楽しむものではないとは、とても不思議だ。確かに、山積みにされたグラスのてっぺんからドンペリを流し、液体が下へ下へ流動的に流れていく様は美しかった。現に、その光景を見たお客さんからは、歓声が上がっていた。派手な演出だった。
「場を盛り上げる為には、最高の応援でしたね」
「もちろん、そうなんだけどね。それだけじゃないのよ」
僕は小百合ママの顔を見つめて、小首をひねった。
「ドンペリの販売価格と原価を聞いたら、目ん玉飛び出るわよ。よく、ホストやキャバクラなんかでやるシャンパンタワーは、キャストを応援する意味があるの。売り上げが、懐に入るからね。だから、星矢君は、マーブルを応援する為にやってくれたの」
「ち、ちなみに・・・いかほど?」
小百合ママは、少し考えた後、口の横に手を当てて顔を寄せてきた。
「特別よ。内緒だからね」
僕は、横を向いて、耳を小百合ママに向けた。耳元で囁かれた金額を聞いて、本当に目ん玉が飛び出しそうになった。え? え? 一本がそれで、それを十本くらいあけていたから・・・しかも、お客さんのすべての飲食代まで、星矢さんが負担していたから・・・鼻血が出そうだ。
「星矢さんって、想像以上にとんでもない人ですね」
「星矢君って、想像以上にとんでもない子なのよ」
僕達二人は、呆れたように、大きくため息を吐いた。星矢さんは、何から何まで、別次元の住人なのだと再認識した。それに比べて、僕はなんて貧弱な事か。
「まあ、星矢君は異常ね。人には、身の丈にあった応援の仕方があるものよ。私達が一番望んでいる事は、お客様に楽しんでもらう事なの。だからね、応援応援って、肩肘張らずに、お店と接して欲しいのよ。応援疲れを招いていては、本末転倒だもの」
小百合ママの言葉を聞いて、少し安心した。当然、星矢さんみたいな事はできない。できる男になりたいとは思うけれど。背伸びしてもジャンプしても届かない。僕には僕なりの応援の仕方がある。それは、ずっとマーブルに通い続ける事だ。そして何より、義務ではなく、自発的に足を運ぶ事だ。こんなにも、バラエティーに富んだ、楽しいお店がなくなっては困る。それは、きっと僕だけではないはずだ。
星矢さんの快気祝いパーティーは、存分に楽しめた。途中、辻本さんとリョウさんのいざこざがあったけれど、一種のスパイスだと思えば、成功だろう。あの後、店内に戻ったリョウさんは、ただひたすら頭を下げていた。多少のしこりは残ったかもしれないが、辻本さんやヒメカもその後楽しそうにしていた。一通り謝罪をし終えたリョウさんは、気持ちを切り替えたようにはしゃいでいた。メンタルの強さを見習いたい。
毎度毎度、僕が先に店に訪れている。実は、僕だけが暇人なのではないかという疑問を、ビールで流し込んでいる。浅岡君は、今日は残業だと言っていたから、来られるかどうか分からない。そんな事を考えていると、来客を知らせる乾いたベルの音が聞こえた。誰がきたんだ? と、意気揚々と振り返ると、見慣れない姿の人が戸惑いながら入店してきた。僕と目が合った新規のお客さんは、遠慮がちに会釈をした。反射的に、首を突き出すように、会釈を返した。帽子を深く被り、マスクをしている為、性別も年齢も判断できない。
「いらっしゃいませ! ご新規の方ですよね? 遠慮なさらず、お好きな席に座って下さいね」
カウンター越しに、小百合ママが笑顔を振りまく。新規のお客さんは、狼狽えながらも歩き出した。そして、僕の隣で立ち止まった。
「あの、すいません。お一人ですか? もし、ご迷惑でなければ、隣に座っても宜しいでしょうか?」
「え? あ、はい。どうぞどうぞ」
僕は、隣の席に手を向けた。まだお客さんも少なくて、席は選び放題だ。僕も若干戸惑ってしまった。戸惑った理由の一つに、新規のお客さんが若い女性だったということもある。女性客は、遠慮がちに隣の席に腰を下ろした。
「ありがとうございます。スナックって来た事がなくて、心細かったんです」
女性客は、こちらを見ずに、深々と頭を下げた。
「分かります。僕も最初は緊張しましたよ。でも、本当に良い人ばかりで、楽しいお店ですよ」
新規のお客さんを取りこぼす訳にはいかないという、変な使命感が芽生えていた。それゆえか、『良い人ばかり』の頭に『少し変わっているけど』という文言は割愛した。一緒に飲物を注文してあげようと、小百合ママを見た。すると、小百合ママは、ジッとお隣さんを見つめていた。どうしたのだろうと、首を傾げ訪ねようとした瞬間に、小百合ママが身を寄せた。
「大変申し訳ございませんが、お客様はとてもお若いように見えますが、おいくつですか?」
「・・・え、えっと・・・その・・・に、二十二歳です」
女性は、見るからに戸惑っている。気のせいかもしれないが、僕の方も意識しているように感じた。
「重ね重ね恐縮ですが、何か身分を証明できるものは、ございますか? アルコールを提供する者としての義務ですので、ご理解頂きたいのですが」
女性は、暫くうつむいた後、観念したように持っていたカバンの中を漁った。緊張と焦りからか、手が震えているように見えて、動きがぎこちない。カバンの中から、免許書らしきカードを取り出し、小百合ママに差し出した。その手も震えている。もしかして、未成年なのだろうか? いや、それなら、身分証など提示しないだろう。初めてのスナックで、緊張しているのかもしれない。
小百合ママが身分証を顔の前にかざし、女性と見比べている。女性は、ハッとしたように、慌ててマスクを下にずらした。お隣という至近距離で、マジマジと顔を見る訳にもいかず、悟られないようにチラリと視線を向けた。当然、はっきりとは分からないけれど、綺麗な顔立ちをしているように見えた。
小百合ママが、女性の顔を凝視した後、にこやかに微笑んだ。
「大変申し訳ございませんでした。ご注文はどうされますか?」
小百合ママが身分証を返し、女性はレモンサワーを注文した。小百合ママがレモンサワーをテーブルに置き、僕達は遠慮がちに乾杯した。
「あの、すいません。お名前は? 僕は竹内といいます。皆には、翔太とか翔ちゃんとか呼ばれてます」
「あ、えっと・・・
少し待ったが、下の名前が続く事がなく、少しガッカリした。
「大前田さんは、どうやってこの店を知ったんですか? この店は、少し変わっていると言うか、他のスナックと毛色が違うと言うか」
「あ、はい。SNSです。たまたまエゴサーチをしていたら、このお店で働いているミッチャンさんという方を発見して、その方の発信を見ていて知りました。凄く楽しそうなお店で、行ってみたいなと思っていたんです。だから、今日は凄く楽しみにしていて」
どのようにエゴサーチをしたら、ミッチャンママが出てくるのか疑問に感じつつ、店内を見渡した。
「小百合ママ。ミッチャンママは、どうしたの?」
「ああ、今お使いを頼んでいるの。ジェシカちゃんが、買い忘れちゃって」
小百合ママは、カウンターの奥に目掛けて、わざとらしく大声を出した。
「もう、悪かったわよ! はいはい、私のせいですよぉだ!」
奥の厨房から、ジェシカママのやけくそ気味の返答があった。大前田さんが、クスクスと笑っていて、少しは緊張が解れたのかと安心した。暫く、大前田さんとお酒を飲みつつ談笑していると、ミッチャンママが買い物袋を提げて帰ってきた。
「あ! ミッチャンママ! お帰り! このお客さん、ミッチャンママのSNSを見て、マーブルに来てくれたんだってさ!」
僕が手を振って、ミッチャンママを呼び止めた。ミッチャンママは、僕を見た瞬間、額を撃ち抜かれたように固まった。そして、買い物袋がスルリと手から抜け、床に落下した。その後も、呆然と僕を見つめている。いや、僕ではなく、隣にいる大前田さんを見つめていた。
「どうしたの? ミッチャンママ?」
「キョ、キョ、キョ・・・キョンチ!?!?」
ミッチャンママは、裏返った声を上げた。思わず立ち上がって、隣に座る大前田さんを見た。言われるまでまるで気が付かなかったが、確かに見た事がある顔だ。
ミッチャンママが憧れている、十代二十代に絶大な人気を誇るカリスマモデルがそこにいた。
キョンチこと、
あれ? キョンチって、未成年じゃなかったっけ?
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