第31話 姉の現場視察

「ねぇえーまだまだいけるでしょおぉ?」

「ちょっと、ちょっとだけ、休憩させてぇ」

 数日前に起こったヒメカ事変から、ヒメカはちょくちょくマーブルに顔を出すようになった。最初は、ぎこちなかった人達も、ヒメカとの確執は無くなりつつあった。現に、ヒメカと辻本さんは、楽しそうに酒を酌み交わしている。若者についていくのは大変らしく、辻本さんは冷水を流し込んでいた。

「あーヤダヤダ! 結局若い女が良いんでしょ? 辻ちゃんもあんなに鼻の下伸ばしちゃって!」

 むくれている小百合ママであるが、どことなく嬉しそうに見えた。以前のような平穏なマーブルに戻り、僕も心おきなく飲めて安心している。

「未来ちゃん遅いわね」

 頬に右手を当てて、小百合ママは出入り口に視線を向けている。今日は、浅岡君とは一緒に来ていない。お姉さんを連れて来ると言っていた。浅岡君の懸念材料であった家族への女装家願望をカミングアウトしたそうだ。まずは一番話を分かってくれそうな上のお姉さんに伝えたらしい。その結果、マーブルに行ってみたいという事になった。

 気のせいなのかもしれないけれど、小百合ママは落ち着きがないように見える。まるで、動物園の猿のように、カウンター内でウロウロしていた。当然、こんな事口が裂けても言えない。浅岡君が家族を連れてくる事に、緊張と楽しみが混ざっているようだ。小百合ママも浅岡君が、家庭で息苦しさを感じている事を知っている。今日のお姉さんの現場視察が、快適に暮らせる足掛かりになればと思っているはずだ。

 カウンターに座ってビールを飲んでいると、聞き馴染みの乾いた音がなった。出入口の扉に設置されているベルの音は、いつ聞いても心地が良い。導かれるように扉を見ると、浅岡君が笑みを浮かべて会釈した。浅岡君は背後に気を配り、女性が続いた。浅岡君と女性は、僕の前で立ち止まった。

「この方が、職場の先輩の竹内さんだよ」

「初めまして、いつも弟がお世話になっております。姉の衣麻です」

 礼儀正しく頭を下げた衣麻さんに、僕は椅子から飛び降りるように立ち上がった。

「いえ、こちらこそ、お世話になってます。竹内です」

「小百合でぇーす」

 僕がお辞儀をし始めた時、小百合ママがカウンター内から挨拶をした。驚き振り返ると、小百合ママは、指の間からこちらを覗くように、ピースをしていた。いきなりぶっこんできた。先ほどまでの緊張が、裏目に出てしまったようだ。僕達を包む周囲二メートル程の空間が、凍り付いている。

「アハハ! 面白い人だね!」

 衣麻さんは、小百合ママにも礼儀正しく挨拶をした。社交辞令にしろ対人スキルの高いお姉さんだ。僕は、浅岡君と目配せをした後、苦笑いで椅子に座った。浅岡君と衣麻さんがL時のカウンターの短い二席に腰かけ、僕は浅岡君の隣に座る。僕と浅岡君の間が、角を削られたようにアールになっている。

 衣麻さんは、僕の予想通りの美人さんであった。浅岡君がイケメンだから、きっと同じ遺伝子を持った女性なら、さぞ整っているだろうと期待していた。仕事は、ウエディングプランナーをしているそうで、対人スキルの高さも頷ける。だから、スーツを着ているのか。女性にしては上背もあり、とても似合っている。まさに、キャリアウーマンと言ったところだ。仕事も出来そうで、とてもカッコ良い。年齢は、二十八歳で浅岡君とは六歳離れている。僕の三歳上だ。というこれらの情報収集は、衣麻さんと小百合ママの会話に聞き耳を立てていた結果だ。人数分のビールをミッチャンママが運んできて、僕達は乾杯した。

「ミッチャンママ! 僕の姉です」

「会えて嬉しいわ。どうか、ご贔屓に」

 浅岡君が衣麻さんに手を振り、彼女は挨拶をしている。その後、浅岡君は衣麻さんに耳打ちをしていた。きっと、ミッチャンママが僕の父さんだと、教えているのだろう。案の定、衣麻さんは目を大きく見開いて、僕の顔を見てきた。

「君は凄いね。よく受け入れられたね?」

「衣麻さんには、無理ですか?」

「うーん、私は自信ないかな? この子は、可愛くなるのが想像できるから大丈夫なんだけど、父親はね・・・見てられないと思う。見て見ぬフリするのが、限界だと思うな。ごめんね」

 衣麻さんが、申し訳なさそうに眉を下げた。僕は慌てて手を振った。別に謝ってもらっても困る。しかし、僕以上に、浅岡君の方が慌てていた。僕は全然気にしていないが、浅岡君は焦っている様子だ。小さなひと悶着があった後、衣麻さんは僕を見た。

「誤解させてしまったら、ごめんなさいね。あくまでも、私の父親ならって事だから。君や君のお父さん、もしくはセクシャルマイノリティの人達を否定している訳では、決してないよ。実際、ウチにもそういったお客さんが来るからね」

 なるほど、多少なりとも免疫はあるようだ。だからこそ、浅岡君は衣麻さんに相談したのかもしれない。しかし、浅岡君に尋ねると、その事実を知ったのは、告白した後だったようだ。災い転じて福となすというものだ。

 世間話を肴に酒を飲み、一時間くらい経過した時の事だ。浅岡君が足元のカバンを持って、立ち上がった。実は、来店した時から、ずっと気になっていた。浅岡君が、見慣れない大きなカバンを持っていた事に。

「小百合ママ、ちょっとトイレを借りても良いですか?」

「え? 良いわよ。て言うか、いつも使っているじゃない?」

「え? あ、その・・・少し長めに借りたいと思いまして・・・」

 俯く小百合ママは、浅岡君を不思議そうに眺めている。小百合ママの視線が下がり、体の前で手を叩いた。

「ああ、そう言う事ね。それなら、私達の更衣室を使いなさい」

 小百合ママは、浅岡君に手招きをして、カウンターの奥へと消えていった。

「すいません。ちょっと、行ってきます」

 浅岡君は、大きく息を吐き、大きなカバンを持って店の奥へと向かった。

 そうか、浅岡君は念願を叶えに行ったのだ。浅岡君は勿論の事、僕にも期待と不安が入り交じっている。それらを流し込むように、一気にビールを飲み干した。

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