第5話 後輩は泣きながら土下座をする

 まるで、時間が止まったような感覚に陥っていた。

「ど、どうしたんですか? 竹内さん」

 浅岡君の声にハッとして、彼の顔を見た。浅岡君は、目を泳がせ、僕と目が合うと、咄嗟に逸らした。頭が真っ白で、言葉が出てこない。浅岡君は、自分の足元に、下着が落ちている事に、気が付いていないようだ。

 どうせなら、下着をしっかり隠した後に遭遇したかった。そしたら、『最近どう? 仕事はもう慣れた?』などと、余裕を持って先輩風を吹かす事ができたはずだ。

 さて、どうしたものか・・・悩んでいると、自然と視線は下へと下がってしまった。当然、浅岡君も僕の視線を追ってーーー。

「あっ! こ、これは、ち、ち、違うんです! その、あの、その、えっと・・・」

 浅岡君は、絵に描いたように動揺を見せ、素早く下着を拾い上げた。

「そ、そうだ! か、彼女のです! 間違って、彼女の下着が僕の荷物に・・・」

 それは無理があるのでは? いやいや、必死になって誤魔化そうとしている彼に、とどめを刺すのは心が痛む。何事も疑ってかかるのは、良くない。疑心の目の痛みは、先ほど思い知った。あ! と、思い立って、心の中で手を叩いた。

「長谷川さんの彼氏って君か?」

 それなら、なんとか辻褄が合うだろう。彼女の下着が盗まれないように、浅岡君が預かっておくという。すると、浅岡君は、顔面蒼白になって膝から崩れ落ちた。

 どうやら、とどめを刺してしまったようだ。

 なんとかしたいという気持ちが裏目に出てしまった。僕は、項垂れる浅岡君の後頭部を見下ろし、罪悪感で胸が張り裂けそうになった。僕が、事務所での針のムシロ感に堪え切れず、トイレに逃げ込んでしまったのが間違いであった。そうしなければ、浅岡君の犯行を知る事はなかったのだ。いや、それもこれも、全ては浅岡君のせいなのだけれど。

「竹内さん! お願いです! この事は、誰にも言わないで下さい! 一生のお願いです!」

 浅岡君は、額を床にこすりつけている。生まれて初めて、土下座を目の当たりにして、言葉が出てこない。下着泥棒は、犯罪だ。罪を犯してしまった後輩が確実に悪いのだが、とてもじゃないけど見ていられない。何度も何度も涙声で『お願いします』と懇願され、胸が痛い。

 被害者は長谷川さんなのだけど、浅岡君が可哀そうに思えてきてしまった。長谷川さんは、犯人を捕まえたいのだろうか? 然るべく、処罰を与えたいのだろうか? しかしそうなると、今回の出来事が明るみに出て、長谷川さん自身も悪目立ちしてしまわないだろうか? 浅岡君はどうなってしまうのだろう?

 僕は、床に膝をついて、浅岡君の背中に触れた。

「まずは、その下着を元の場所に戻そう。それで、二度とこんな事は行わないと約束して欲しい。時間との勝負だよ。さあ、すぐに立って涙を拭いて」

 僕は、浅岡君の脇に手を通して、彼を立ち上がらせた。浅岡君は、作業着の袖で顔を擦っている。そう時間との勝負だ。トイレに行くと言って事務所を出てきた僕の帰りが遅いと、誰かが確認にきてしまうかもしれない。なにせ、僕も被疑者の一人なのだから。

 僕が先に更衣室を出て、廊下を確認する。よし、誰もいない。すぐさま、背後にいる浅岡君に手招きすると、彼は隣の女性用更衣室へと駆け込んでいった。手にはしっかりと、長谷川さんの黒い下着が握られている。

 女性用更衣室の前に立って、忙しなく顔を左右に振る。もうこの姿が怪しさ全開だ。まだかまだか、気持ちばかりが焦ってしまう。腕時計を確認すると、まだ十秒しか経っていない。時間の経過は、平等ではないようだ。心臓がバクバクと高鳴り、落ち着かずウロウロする。

 荒く呼吸を繰り返していると、ガチャと扉が開く音が聞こえた。反射的に音の方へと顔を向ける。事務所から長谷川さんが出てきた。心臓が痛いくらいに飛び跳ねた。気が付けば、僕は長谷川さんに向かって走り出していた。

「長谷川さん!」

 僕は目隠しになるように長谷川さんの前に立ちふさがった。僕の大声に、長谷川さんは驚いた表情を見せている。

「な! なんですか!?」

「あ、あの・・・鴨頭建設の発注書を出してもらえないかな!? すぐに確認したい事があるんだ! ごめんね! 急いでるんだよ!」

 僕は、長谷川さんを廊下から押し出すようにして、事務所へと戻った。

 大丈夫かな? 浅岡君・・・そして、僕。

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