第4話 興味と合格
記憶の糸を一気に手繰り寄せる。こういう時、天沼の能力はフル回転する。文化課時代に澤井が事務局長を担っていた時期、田口は振興係に在籍していたのかも知れない。
そうだ。
その時だろう。
時間的に合致する。
しかしそうなると——「おもちゃ」とは、なにを示すのだ?
一気に妄想が加速した。
田口が澤井のおもちゃを奪うとは——?
つい最近どこかで聞いた単語。
しかし毎日たくさんの人と邂逅する。
思い出せない。
そしてぼんやりと霞がかかっているような思考では、到底辿りつかない。では別の視点から考えたらどうか。この手の人種がからかったり、弄んだりするのは大概人間だ。澤井が愉快がっておもちゃにしている人間を田口が奪うということか。
——それって。
天沼だって子どもではない。
「恋のライバルってやつ……ですか」
天沼の言葉に澤井は豪快に笑い出す。
「
「……っ」
思わずの言葉に顔を赤くする。
「す、すみません。余計なことを……」
「変な奴。お前」
「もともと、人との付き合いは苦手なんです。夢見がちな人間で、妄想が止まらないんです」
「病気か」
澤井は呆れた顔をするが、天沼は本気だ。
「あまり酷いとつい現実にも影響してしまって。変な事を口走るようで……他人には引かれます」
「それは流石のおれでも引くかもな」
「そうですよね。……すみません。変な奴で」
天沼は恐縮したように俯くが、澤井は愉快そうに笑った。
「しかしお前の場合、その妄想が発想の原動力のようだ。何事にも興味を示す好奇心。それがお前の武器だろう」
「そうでしょうか。今まで短所としか捉えていません」
「いや。お前が仕事をこなす時、妄想が予後予測に繋がっているようだ。先を見通せない奴は今という時を制することが出来ない。後手後手の仕事では話にならん。——だがお前のその、くるくる変わる発想についていけない人間も多いだろうな」
「そうなのでしょうか。だから、嫌われてしまうことも多いのですね」
天沼は少し表情を曇らせる。
「
「見かけはそう見えませんか? ああ、そうなんだ」
天沼は自嘲気味に笑う。澤井は椅子に寄りかかって、愉快そうに天沼を見ていた。
彼とこんなにゆっくり話をすることは滅多にない。なんだかくすぐったい気持ちにもなる。澤井という男は不思議だ。威圧的で恐怖政治みたいな一面を持っている割に、こうして気さくに話をしてくる。
以前、彼を目の前にすると人間は二人パターンの反応を示すと分析していた。自分は萎縮するタイプだったはずなのに。こうして一緒にいる時間が長くなるほど、澤井のことを怖がる気持ちは少なくなっていく。
——いや、最初から怖くはないのだろうか?
彼に見据えられて視線を逸らせなかったのは、最初から興味の対象だったのかもしれないと、今頃になって理解した。
「過去は過去だろう。そんな詰まらないことに縛られていると、未来永劫、他人と折り合うなんてことはできんだろうな」
「……そうなんですね。いえ。そうなんだと思います」
「素直が一番だ。自分のことを自分が一番理解してやれ」
「はい……」
自分のことを理解してやれと言うのか。理解しているつもりだけど、認めてはいない。
——問題はそこなのだろうか?
そんなことをぼんやりと考えていて、はっと我に返った。
「は! 書類!」
はったとして慌てるが澤井は立ち上がった。時間なのだ。
「書類はいい。総務で打ち合わせの時間だ。お前も付いて来い」
「は、はい。申し訳ありません、でした……」
「おれが付き合わせた。謝ることではない」
「ありがとうございます」
いつも厳しい彼がそんな話をするなんて。
——やっぱりお払い箱な気がする。
明日休んだら席は戻されるのかも知れない。そんな気がして心がざわざわとしていた。
***
その夜。冨田の初企画書は、無事に局長の決済が下りた。十文字の仕事もひと段落というところだ。新人教育の一番の難関を突破したのだ。そういえば自分の時は、そのまま田口にお礼がしたくて、友人である石田の喫茶店に連れて行った。
そしてあまりにも疲れすぎて、そのまま寝てしまい結局は、彼におんぶしてもらって田口の——いや、当時の係長である保住の自宅に泊めてもらうという醜態を晒したことを思い出した。あれは隠蔽したい過去だ。
しかし、ああいう恥ずかしい経験をしたからこそ、自分を曝け出すことができたようなものだ。何事も良い方に考えるのが大事だ。今日、冨田にも誘われた。
『十文字さん、お礼をしたいです。夕飯、どうですか?』
しかし、明日の歓迎会のことを考えると気が引けた。勿論、冨田の気持ちは嬉しい。しかし二日も連続で、外食に行くことは憚られるのだ。今の十文字の思考の大半は天沼で支配されている。彼が自宅に帰ってくるのが遅いとしても、夕飯を作ったり、朝食や弁当の準備をしたりするので忙しいのだ。
「気持ちは嬉しい。ありがとう。だが、今日は少し用事がって。明日の歓迎会でぞんぶんにお礼してもらうか」
「残念ですけど。わかりました! 明日の歓迎会、楽しみですね」
冨田とは裏腹に、斜め前の有坂は表情が険しい。
——本気で飲み会とか行きたくないのかな? この人。
お料理教室で、少しは近しくなった関係性だが、有坂という男は、なかなか距離を縮めてこない。近づいたかと思うと離れていく。本音として、人づきあいが好きではないのだろうということは容易に想像がついた。
そんなことを考えながら、定時となった時計を眺めて十文字は退勤した。いつもは残業だが、今日は一仕事を終えた安堵感で仕事をする気にならなかったのだ。
帰宅途中、近くのスーパーに寄った。
——明日のお弁当の食材調達をしなくちゃ。
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