第8話 卵焼きと愛



「一人暮らしです。実家は市外。弁当くらい自分で作ります」


 有坂の答えに一同は驚愕した。


 ――意外すぎるキャラ、キター!


「え!? それお前が作るの?」


「すごいな」


「有坂さん、おれにも弁当作ってくださいよ……」


 冨田はヨダレがじゅるりと出そうになったのか、口元を慌てて拭った。


「汚いな。お前」


「だって……」


 十文字は立ち上がって、有坂の弁当を覗き込んだ。完璧すぎる弁当だった。唐揚げ、卵焼き、絹さやの鰹節合え、ミニトマト、ひじきの煮物……。十文字は、有坂の隣に駆けて行き、机に手を着いて頭を下げる。


「有坂さん! おれに料理を教えてください!!」


「はあ? おれに教えてくれって? 高くつけど?」


 面倒だという表情の有坂は十文字をわかっていない。


 ――金で解決できるものなら、楽だ!


「金ならいくらでも払います! いくらならいいんですか?」


「払うのかよ!? さすが元市長の息子。ボンボンだな」


 渡辺たちは笑いだすが、有坂は「いい迷惑」という顔で十文字を見ている。


「有坂さん、いつ教えてくれます? なんでも言う通りにしますから」


「あのねえ。おれは教えるなんて一言も言っていないだろう?」


 二人が押し問答をしていると、いつの間にかやってきていた野原が有坂のお弁当から卵焼きを一つ抜き取って口に頬張った。


「美味しい」


「課長!? それって泥棒ねこですよ!」


 有坂は抗議するが、もぐもぐと食べてから、野原は頷いた。


「美味しいよ。有坂」


 人のおかずを勝手に食べて怒られたくせに、野原はにこっと笑みを見せた。


「保住の肉じゃが弁当も美味しかったけど、お前のも美味しい」


 きょとんとして、怒る気も失せたという顔の有坂は「保住って誰ですか」と視線を逸らした。


「前の係長だ」


 渡辺の説明に、有坂は野原を見る。


「褒めてもダメですよ。……作りませんよ」


じーっと有坂を見つめている野原に、彼はそう答えた。


 ――課長はなにも言っていないのに?


「食べたいって言われても困ります」


 有坂は野原の言いたいことがわかるらしい。


「しゅんとしてもダメですからね。それより、おれ弁当食べたいんですけど」


 ――どこがしゅんとしているんだ!? おれにはさっぱりわからない……。


 有坂は野原との会話を打ち切って、お弁当に向き合おうとするが、そうはさせない。十文字との話が途中だ。


「ですから有坂さん。おれとの話途中ですから。おれに弁当の作り方教えてくださいよ。いくらでも支払いますから」


 いつもは目立たないのにタイプなのに、一気に脚光を浴びると恥ずかしいのか。彼は顔を赤くした。


「――だから嫌なんだ。みんなと昼食を摂るのは!」


「いつもいないのはそういうことだったのかよ」


 渡辺は笑いだす。


「いいじゃないか。弁当作り助けてやれよ」


「係長まで……」


「ほらほら。課長もヨダレ垂れそうだぞ」


 渡辺や谷川につつかれて、有坂は頭を抱えた。


「し、ご、と! させてくださいっ!」


 大騒ぎになりかけた状況を収めたのは篠崎だ。


「いい加減になさいっ! ここは職場ですよ! なんなんですか!」


 彼女の声に一同は動きを止めた。


「渡辺さんも渡辺さんですよ! きちんと管理していただかないと困りますよ」


「は、はい……」


 ――いやいや。ここ、野原課長もいるよ……。


 十文字は内心そんなことを思いながら、騒動を起こした原因は自分だと深く反省をした。



***



 遅い昼食も慣れてきた。時計の針は3時を指す。十文字に渡されたお弁当を開いてみる。きっと冷凍食品なのだろうな……ということは一目瞭然だが、彼が朝から悪戦苦闘して作ってくれていることは知っている。それを思うと、冷凍食品であろうとなんであろうと嬉しいものだ。


 ――卵焼き? そぼろ?


 少し焦げてバラバラになりそうな卵の塊を見て苦笑すると、ふと視線を覚えて顔をあげる。澤井がこちらをじっと見ていた。


「あ、あの」


「弁当を見てニヤニヤするって。――愛妻弁当か」


「い、いえ。そういうのでは……」


「ここのところ、弁当が続いているからな。いいことだ」


「……はあ」


「さっさと食べろよ。五分後には政策調整部長が来る」


「そうでした。すみません」


 澤井はさっさと昼食を終えたようだ。天沼は十文字を思い出しながらお弁当を頬張った。




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